「明日会う人」
下弦の月
金柑子(キンコウジ)
雲その1
雲その2
小さい頃、おじいちゃんがお寺にお参りに行くときは必ずと言っていいほどついて行きました。西鉄バスに乗って福間駅(宗像郡福間町→福津市)まで、それから国鉄バス(国鉄バスにはツバメのマークが付いていました。ツバメは「東京ヤクルトスワローズ」の前身「国鉄スワローズ」のシンボルマークです。)に乗って本木(もとぎ)で下車。そしてまた少し歩いてやっとお寺に着きました。おじいちゃんと一緒に、和尚さんのお説教を聞きます。小学校に上がる前の私には内容がどんなものか分かっていないのですが、まじめに聞いていた記憶があります。お話が終わると、夏の季節の場合、昼寝の時間になります。大人たちは山寺の涼しい風に吹かれて1時間ほど昼寝をします。子供の私はものめずらしいものばかりで少し興奮気味で眠るのがもったいなく、そこらあたりを見物します。そんな私を見つけたお寺の住職の子供は裏の「ミカン山」に誘ってくれます。温州みかんだけではなく、八朔、キンコウジ、夏ミカンなど、色んな柑橘系の木がありました。時期的に食べられる実は生っていませんが蝉がたくさんいます。お兄さんとお姉さんは何種類かの蝉を捕ってくれました。このお寺に行く時は必ず、おじいちゃんは私に「お前はこのお寺の小坊主になるのだから」と言っていました。普通の子供は嫌がるところですが、私は何の抵抗もなく、楽しいところだし、「まあいいか。」と小6までお寺に出されると思っていたようです。小6になるとお説教の内容も解かるようになり、お坊さんという職業に憧れを持つようになっていました。こんな幼い頃の体験に影響されたのか、漠然と仏教に興味を持つようになりました。
18歳からはキリスト教系の大学に入ったため、必修科目の「キリスト教学」でキリスト教の入門のようなことを教わり自分なりに違いを考えたりしていました。その頃から現在まで私にはキリスト教よりも仏教の方が「馴染む」し「性に合う」と思っています。おじいちゃんをはじめ、家族の生活と仏教の係わり合いを見て育ったからでしょう。
35歳の頃、禅宗の曹洞宗の開祖道元の教えをある方に聞きました。「前後裁断久遠の今」。自分勝手に誤解しているかもしれませんがこう理解しています。人間各自、過去、現在、未来がありますが、「昔、私はこうだった。」、「将来こうなるつもりだ。」。過去の経験や未来の夢は大事かもしれないが「今」を誠心誠意尽くすことが大事だ。この話を聞いてからは、この心境に少しでも近づきたいと心がけるようにしました。先ずは、過去の経験は「今」に役に立つ「記憶」として使い、未来は漠然とした方向性と考えることから訓練しました。訓練と言っても「思い出したときだけ」実行しました。
慣れてくると段々と「今」を意識する領域が増え開放感があります。
「一期一会」という言葉があります。茶人「山上宗二」の言葉だそうです。巷でこの言葉を耳にするとき、「出会いは大切、あのときの出会いがなかったら違っていた。」のような意味で使われているようですが、もうちょっと深い意味があると思っています。「前後裁断・・・」に通じるものがあると感じています。茶室に入ったときは、その場にいる人には誠意を持って接する。というようなことではないかと考えています。
もうひとつ大事な意味を感じています。時は過ぎ、「今」という時は二度とないということです。
平家物語の冒頭の、無常観を現した「祇園精舎の鐘の音」。この仏教の根幹であるだと思います。
お坊さんに聞いた話、おじいちゃん、おばあちゃんに聞いた話、たくさん面白いと思っている仏様の話は今度の機会にいたします。
「禅」の真髄にはなかなか近づけませんが、落ち着いた生活が出来るようになった気がします。
日本曹洞宗の開祖道元
道元の書「正法眼蔵」
国鉄バス
「明日会う人」 詞とmp3音源を掲載します。
(ページを開くとすぐに曲が流れます。)