下弦の月

 明日会う人  

金柑子(キンコウジ)



小さい頃、おじいちゃんがお寺にお参りに 行くときは必ずと言っていいほどついて行きました。西鉄バスに乗って福間駅(宗像郡福間町→福津市)まで、それから国鉄バス(国鉄バスにはツバメのマーク が付いていました。ツバメは「東京ヤクルトスワローズ」の前身「国鉄スワローズ」のシンボルマークです。)に乗って本木(もとぎ)で下車。そしてまた少し 歩いてやっとお寺に着きます。おじいちゃんと一緒に、和尚さんのお説教を聞きます。小学校に上がる前の私には内容がどんなものか分かっていないのですが、 まじめに聞いていた記憶があります。お説教が終わると、夏の季節の場合、昼寝の時間になります。大人たちは山寺の涼しい風に吹かれて1時間ほど昼寝をしま す。子供の私は、物珍しい事ばかりで、少し興奮気味で眠るのがもったいなく、お寺の中を見物します。そんな私を見つけた住職の子供は裏の「ミカン山」に 誘ってくれます。温州みかんだけではなく、八朔、キンコウジ、夏ミカンなど、色んな柑橘系の木がありました。時期的に食べられる実は生っていませんが、蝉 がたくさんいます。このお寺に行く時は必ず、おじいちゃんは私に「お前はこのお寺の小坊主になるのだから」と言っていました。普通の子供は嫌がるところで すが、私は何の抵抗もなく、楽しいところだし、「まあいいか。」と小6までお寺に出されると思っていたようです。小6になるとお説教の内容も解かるように なり、お坊さんという職業に憧れを持つようになっていました。こんな幼い頃の体験に影響されたのか、漠然と仏教に興味を持つようになりました。
35 歳を過ぎた頃、禅宗の曹洞宗の開祖道元の教えをある方に聞きました。「前後裁断久遠の今」。自分勝手に誤解しているかもしれませんがこう理解しています。 人間各自、過去、現在、未来がありますが、「昔、私はこうだった。」、「将来こうなるつもりだ。」。過去の経験や未来の夢は大事かもしれないが「今」を誠 心誠意尽くすことが大事だ。
この話を聞いてからは、この心境に少しでも近づきたいと心がけるようにしました。先ずは、過去の経験は「今」に役に立つ「記憶」として使い、未来は漠然とした方向性と考えることから訓練しました。訓練と言っても「思い出したときだけ」実行しました。
慣れてくると段々と「今」を意識する領域が増え開放感があります。

「一期一会」という言葉があります。茶人「山上宗二」の言葉だそうです。巷でこの言葉を耳にするとき、「出会いは大切、あのときの出会いがなかったら違っ ていた。」のような意味で使われているようですが、もうちょっと深い意味があると思っています。「前後裁断・・・」に通じるものがあると感じています。茶 室に入った時は、その場にいる人には誠意を持って接する。というようなことではないかと考えています。

もうひとつ大事な意味を感じています。時は過ぎ、「今」という時は二度とないということです。

日本曹洞宗の開祖道元

道元の書「正法眼蔵」

国鉄バス