「今年の桜が一番きれい」

昼下がりに毎週登場する40歳ぐらいの男性のお客さん。
いつも苦味の強いイタリアンを注文される。
一口味わって、「この季節になると毎年同じ事を思うんですよ。」とカウンター越しに私に話しかけた。

「今まで見た桜の中で今年のが一番きれいだと。
毎年、春になると去年の桜より今年の桜の方がきれいだと感じてしまうんですよ。」
そう感じてしまう自分は変ではないかと。いい男が桜の話しなどと少し照れたような、
でも嬉しくてたまらないような面持ちである。

「今年の桜が一番きれい」と言えることにちょっと感動した。
長い人生の中で桜を美しいと感じる場面はいくつもあっただろうに。
今を大事にしようとしているからこそ、そう思えるのだろう。

お客さんで30歳ちょっと前の女性がいる。性格は明るい。本人は気付いていないだろうが、自然を愛でる習性がある。
以前彼女から聞いた早朝出勤の時に見た満月の入り(月が地平線に沈む)の話しは面白かった。

この桜の話を彼女に話した。

「勉強すればするほど脳に皺が増えるのと同じように、
人生経験を重ねるほどに心の皺が増え感受性が増し、より美しく感じることが出来るんですね。」

「いい人ですよね。」

彼女の反応はこうだった。
「今年の桜が一番きれい。という言葉を聞いて、いいなぁと感じるマスターのほうがすごいですよ。」

この反応は予想していなかった。褒められたようだ。

もうすぐ桜の季節。今年も彼は去年より美しい桜を満面の笑みで楽しむのだろう。