書 名 | 出 版 社 | 書 評 |
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出 版 日 | ||
著 者・編 者 | ||
銀河鉄道の夜 風の又三郎 ポラーノの広場 |
講 談 社 文 庫 | 宮沢賢治は、明治29年、岩手県花巻町里川(現在の花巻市豊沢町)で生まれた。冷夏、旱魃(かんばつ)等、凶作にくりかえし襲われた土地である。父政次郎は花巻仏教会の中心人物で篤信者だった。この影響もあり、賢治は死ぬまで熱烈な仏教信者であり、行者であった。学業、及び死にいたるまでの仕事の面において、賢治は典型的ないわゆる理科系の人間であり、彼自身、自分が《サイエンティスト》としてなら一流であることを自認している。盛岡高等農林学校で農芸化学を専攻、研究生として残った。26歳のとき、単身上京したが、その年の秋、最愛の妹の病気を知って帰郷、町の農学校の教師となった。教師を退職し、近くの荒れ地を開墾しながら、羅須地人協会の看板を掲げ、稲作法や農民芸術論を教えるなど実践活動を行うが、38歳の秋(1933年)、亡くなった。この間、盛岡中学時代から終焉の直前まで前述の活動と並行して、もう一つの営為として〈文学〉をほとんど休むことなく続けていたのである。 |
71/07/01 | ||
天沢退二郎編 | ||
宮 沢 賢 治 |
講談社現代新書 |
宮沢賢治の「伝記」として書かれた本である。 戯曲家である著者の眼を通して考察された「人間 賢治」が、著者の思い入れを伴って、分かり易く、生き生きと描かれている。 |
77/09/10 | ||
青江 舜二郎 | ||
宮 沢 賢 治 詩 集 |
岩 波 文 庫 | 賢治の詩は、その天才を詩の中に引き入れ、詩の世界を拡大した。本書は、千を超す賢治の詩の中から秀作のみを集め、一望のうちにそれを見渡す。「春と修羅」「東京」「文語詩稿」「肺炎詩編」「手帳より」「歌曲」に分けて、計百四十六篇を選んで収録している。 |
1950/12/15 | ||
谷川徹三編 |