HOME 日本人教師について ネイティブ教師VSノンネイティブ教師 文法について
発音について 小学生の英語学習 中高生の英語学習 プログレスについて 英検について
短期留学について 一般の英会話学習 私の留学体験 学位論文(英語原文)




ネイティブ教師VSノンネイティブ教師

ネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師、どちらが優れているの???

このページには私が書いた修士論文(原文は英語)の中から、読者の方にとって興味深いと思われる箇所の要旨を日本語で掲載してあります。私が日本人英語教師の有用性、必要性を主張する根拠となる研究です。少し専門的な内容ですが、「ネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師、どちらが優れているのか?」「ノンネイティブ英語教師はネイティブ英語教師より劣っているのか?」という英語を母国語としない教師が英語を教えるときに避けては通れない問題を扱っています。英語の学習者の方々、英語を教えている先生方の双方にとってとても役に立つ内容だと思いますので、興味のある方はぜひお読みになってみてください。なお、論文の英語原文(抜粋)は「学位論文(英語原文)」のページでご覧いただけます。



結論は、「どちらの教師も同じくらい大切です!!」

このテーマの結論は、ズバリ「ネイティブ英語教師もノンネイティブ英語教師も英語教育において同じくらい重要である」です。ネイティブ英語教師、ノンネイティブ英語教師それぞれに長所と短所があり、両者が共に欠かすことのできない重要な役割を持っています。そして理想的な英語教育の形は、「双方の教師が互いの長所を生かし、短所を補い合い協力し合って教える」というものです。



ノンネイティブ英語教師としての自分に対するコンプレックス・・・

このテーマを学位論文のテーマとして選んだわけは、私自身、自分がノンネイティブ英語教師であることにコンプレックスを持っていたからです。英語は自分にとって第二言語であり、どんなに努力を重ねても一生ネイティブになることは出来ません。英語は英語を母国語とする教師が教えるもので、ノンネイティブ英語教師はネイティブ英語教師より劣ったおまけのような存在という認識を漠然と持っていました。この劣等感は、このページのあとに載せた私の論文の中にも書かれている通り、世界中で教えるノンネイティブ英語教師が共通に持つ悩みです。また英語の学習者も、「英語の理想的な教師は英語のネイティブスピーカーである」と盲目的に信じ(native speaker fallacyと呼ばれます)、圧倒的にネイティブ英語教師から教わることを望んでいます。このようなノンネイティブ英語教師にとって厳しい状況にあって、自分のノンネイティブ英語教師としての役割と価値を見出し、なんとかしてこの劣等感を克服したいと思ったのがこの研究のそもそもの動機でした。
Top
ノンネイティブ英語教師の強みとは・・・

近年多くの応用言語学者や現場の教師によって、ノンネイティブ英語教師の有用性についての発言や研究がなされるようになってきました。一般的に指摘されているノンネイティブ英語教師の強みとは、



1. 生徒の母国語を使用して教えることが出来る。

2.英文法を通して英語を習得したために、英文法に精通している。英文法をより効果的に教えることが出来る。

3.英語学習の成功者として、生徒が目標とするべき英語話者のモデルを提示することが出来る。

4.自らが英語を学習してきた経験から、learning strategies(英語の効果的な学習の仕方)をよりよく教えることが出来る。英語の習得の道筋を熟知している。学習者がつまずく箇所を知っており、回避することが出来る。

5.自らが苦労して英語を習得した経験から、語学学習の困難さを知っている。よって生徒の気持ちをより深く理解でき、励ますことが出来る。また同じ文化的なバックグラウンドを共有しているために、生徒をよりよく理解することが出来る。




・・・などです。これらの利点を適切に利用して教えれば、とくに学習者の英語レベルが低い段階ではネイティブ英語教師よりはるかに効果的なティーチングが可能だと言われています(詳細は「日本人教師について」のページ参照)。
Top
コンプレックスを克服するために・・・

ノンネイティブ英語教師であることのコンプレックスを克服するために、次のようなことが必要だということを私は研究を通して理解しました。つまり、



1. まず、上記のノンネイティブ英語教師の強みを正しく理解し、しっかりと認識する。

2. その上でこれらの強みを実際のレッスンで生かすように努め、またもっとも効果的な生かし方を模索する。

3. 同時に生徒側のノンネイティブ英語教師に対するネガティブな見方を改善する。そのために言語や言語学習そのものについての生徒の理解を促す教育をする(general language educationといいます)。具体的には、「母語と第二言語の習得のされ方にはどんな違いがあるのか、なぜ日本人は英語ネイティブが英語を習得したのと同じやり方では英語をマスターできないのか」、あるいは「ノンネイティブ英語教師から教わる利点は何か」といったことを学習者に理解してもらうよう努める。




これらに加えて、ノンネイティブ英語教師の最大の欠点である英語力を高める努力をし、また英語教師としての技術をみがくことももちろん大切だと思います。
Top
私の考える「いい日本人の英語教師」

この研究を進めるうち、これからの日本の英語教育を担うべき「いい日本人の英語教師」とはこんなものという現実的な具体像(理想像ではなく)が浮かび上がってきました。それは・・・



1. 数ヶ月程度の留学経験があり、実用英語力がある。生徒が「わぁ先生ほんとうに英語しゃべってる!先生みたいになりたい!」と思うレベルの英語の会話力。必ずしも「ぺらぺら」のレベルでなくてもよい。発音は日本語の訛りが多少あったほうがむしろいい。

2. 英語教授法の正規のトレーニングを積んでいて、プロの語学教師としての専門知識と技術を持っている。会話も含めた実用的、総合的な英語が教えられる。

3. 上記のような日本人英語教師としての自分の強みと役割をよく理解し、自分の価値に自信を持っている。そしてその強みを実際のティーチングで生かせる。たとえば生徒が理解しないのに無理に英語だけでレッスンをしようとしない。




・・・などです。これらに加えて「教え方がうまい」、「熱意があって人柄が優れている」などの教師としての一般的な資質も重要なのは言うまでもありません。このような日本人教師に教われば日本人の英語力は確実に上がっていくと思いますし、実際、若いこうした先生の数も増えてきていると思います。
Top
英語の初級の方は「いい日本人の英語教師」に教わってください!

日本人の英語の先生方、自分の役割と価値に自信を持って教えてください!


この研究の結果、いまでは「ネイティブ英語教師もノンネイティブ英語教師も英語教育において同じくらい重要である」と100%確信しています。日本人英語教師が初級レベルの日本人の生徒を教えるとき、ネイティブ英語教師にはない強みを発揮し、ずっと効果的に教えることも可能です。とくに子供(小学生、中学生、高校生)は日本人英語教師を中心にし、ネイティブ英語教師はあくまで補助とした形で教えられるべきでしょう。日本人英語教師特有の資質が子供を教える際には不可欠なのです。



日本人英語教師はいわば縁の下の力持ちのような存在だと思います。同じ日本人として、また同じ英語の学習者として生徒のことを理解し、励まし、生徒の英語の基礎を築く役割を担います。そして外国人と英語でコミュニケーションしたいという生徒の望みの実現を陰でささえます。地味な存在かもしれませんが、日本人英語教師がいなければ日本の英語教育は成り立ちません。日本人英語教師は自分たちの役割と価値に自信をもち、日本の英語教育の主導権を持つべきだと思います。将来日本人英語教師から教わった英語学習の成功者がより増えることによって、日本人英語教師の重要な役割と価値が認識され、現在のネイティブ英語教師偏重の間違った英語学習観が改善されて欲しいものと思っています。



さて、論文の具体的内容ですが、タイトルは「ESL Learners Perceptions of Non-Native English Speaking Teachers」で、英語の学習者がノンネイティブ英語教師の有用性をネイティブ英語教師との対比においてどう捉えているかをサーベイにもとづき研究しました。さらにその結果から英語教師としての厳しい現状を、ノンネイティブ英語教師がどのように自ら改善していくことが出来るかについての示唆を行っています。第1章は特にお勧めです。稚拙な英語の訳ではありますが、なるべく平易にと努めました。どうぞお付き合いください_(_^_)_


Top


ESL Learners Perceptions of Non-Native English Speaking Teachers


目次:


論文全体の要旨

イントロダクション要旨


第1章・・・これまでの研究(抜粋)

ノンネイティブ英語教師の直面する問題

The Native Speaker Fallacy

研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強み

学習者の第一言語の使用 第一言語を使用すべきかどうか?

第一言語を使用する利点

Medgyesの研究と6つのノンネイティブ英語教師の強み


第6章・・・結論と示唆(抜粋)

この研究の要旨

教育学上の示唆




論文全体の要旨

この研究は、ESL学習者(English as a Second Language、第二言語として英語を学ぶ学習者)がノンネイティブ英語教師についてどのように考えているのか明らかにしようとしたものです。とりわけ、学習者が自分たちの英語学習にノンネイティブ英語教師がどのように役に立つと考え、またノンネイティブ英語教師にどのように教えられたいと考えているかに焦点をあてています。



研究はオーストラリア、ゴールドコーストにあるボンド大学付属語学学校(BUELI)で英語を学ぶ生徒およびボンド大学のアカデミックライティングコース(英語ライティングの補助クラス)を受講している学生、総数39人を被験者として行われました。
Top
その結果、被験者たちは「文法を教える」「学習者がどこでつまずくかがわかる」「生徒のことを理解する」「生徒の第一言語を使用して教える」の分野でノンネイティブ英語教師が優れていると認識していることがわかりました。また、被験者たちは、彼らの英語学習の初期の段階では、よりノンネイティブ英語教師から教わりたいと望む傾向が強いことも明らかになりました(英語学習の初期段階では、教師が上記の分野で優れていることが、学習者の大きな助けになります)。



これらの結果を考察してみると、被験者たちのノンネイティブ英語教師に対する見方は「プロブレムオリエンティッド」ではないかということが分かってきます。つまり、被験者たちは積極的にノンネイティブ英語教師に教わることを望んだのではなく、自分たちの英語学習に問題があるために、その問題を解決してくれそうなノンネイティブ英語教師をとりあえず選んだのではないかと考えられるのです。被験者たちがまだ低いレベルの英語学習者であるうちは、英語力が不十分なために教師たちとのコミュニケーションに問題を持ち、また学習経験の浅さから英語学習そのものにも問題を抱えています。それゆえに、彼らはノンネイティブ英語教師が与えてくれる有益な手助けを必要とするのです。言い換えれば、英語学習者がノンネイティブ英語教師を必要とするかどうかは、その学習者の英語のレベルによって決まるのです。学習者は彼らの英語学習の初期段階では英語を使うことがより困難であるためノンネイティブ英語教師と学習したいと望みますが、彼らの英語のレベルがより進むにつれてより英語を扱うことが楽になり、したがってノンネイティブ英語教師から教わる必要性が小さくなるのです。



被験者たちはノンネイティブ英語教師が有用であると認識しているにもかかわらず、ノンネイティブ英語教師よりネイティブ英語教師から学びたいという強い気持ちを持っているということも明らかになりました。そしてこの傾向は彼らの英語力がネイティブ英語教師と学ぶのに十分なレベルに達している場合に顕著でした。彼らは、ノンネイティブ英語教師はスピーキングやリスニングなどのコミュニケーションスキルを教えることに向いていないとみなしており、したがってより進んだレベルの英語力を身につけるためにはネイティブ英語教師から教わるべきだと考えていました。また、彼らのこうしたネイティブ英語教師を好む態度は、複雑な語学学習、語学教育ついて彼らが限られたことしか知らないということが原因であることも明らかになりました。
Top
この研究の結果から次のような示唆が得られます。ティーチングの質を高めるために、ノンネイティブ英語教師は学習者が考えるようなノンネイティブ英語教師としての強みを適切に理解し、その強みを最大限に発揮できるように努めるべきです。同時に学習者のノンネイティブ英語教師に対するネガティブな見方を払拭するために、学習者にgeneral language education(言語学習そのものについて教えること。たとえば、言語とはなにか、それはどうやって習得されるのか、第一言語と第二言語の違いはなにか、ネイティブ話者と第二言語話者の違いはなにか、などについて教えること)を提供し、彼らを「Native Speaker Fallacy」(理想的な英語の教師はネイティブ教師であると盲目的に信じること)から自由にするべきです。さらに、ノンネイティブ英語教師から学ぶことにどんな利点があるのかを学習者によりよく知ってもらうよう努めるべきです。



イントロダクション要旨


一般的に英語教育、英語学習の世界では、「理想的な英語教師は英語のネイティブ教師である」と英語教師、英語学習者の双方に信じられています。このため、ネイティブ英語教師は学習者と学校によって圧倒的に好まれ、教室で教える際にも、教師の職を探す場合にも、非常に有利な立場に立っています。一方でノンネイティブ英語教師は、ネイティブ英語教師ほど英語教育に適していないとみなされています。その結果、ノンネイティブ英語教師は教育現場でも就職においても大きく不利益をこうむり、さらに精神的に劣等感にさいなまれてさえいます。



このようにノンネイティブ英語教師は否定的な見方をされているにもかかわらず、現在世界の英語教育の大部分はノンネイティブ英語教師が担っています。統計によると、世界の英語教師のうち、80%以上がノンネイティブ英語教師です。そして将来にわたって、ノンネイティブ英語教師の数は常にネイティブ英語教師の数を上回ると考えられます。それゆえ、英語教育におけるノンネイティブ英語教師の役割について考え、彼らのイメージを改善し、彼らが直面している問題を解決することは重要なのです。
Top
近年、英語教育の研究者と教師は、このノンネイティブ英語教師の問題に注意を向け始め、ネイティブ英語教師と比較した場合のノンネイティブ英語教師のさまざまな強みと利点を見出しています。研究者や教師が指摘している強みや利点は、ノンネイティブ英語教師にとって励みになるものです。しかしながら、学習者の側が実際どのようにノンネイティブ英語教師について考え、ノンネイティブ英語教師に何を期待しているかということはいまだはっきりと分かっていません。なぜならばこれらの強みや利点は教師側からの見方であり、学習者の意見ではないからです。ティーチングは教師側の考えと生徒側の期待が一致するときよりスムーズに運ばれるものです。それゆえ、ノンネイティブ英語教師についての学習者側の考えを知るのは重要なことです。



この研究の目的は、ノンネイティブ英語教師の有用性についての学習者がどのように考え、どのように教えられたいと期待しているのかについて、ネイティブ英語教師との比較において考察することです。ノンネイティブ英語教師が、自分たちの強みと、英語教育におけるユニークな役割を理解することによって、彼らが感じる劣等感を克服し、より自信を持つことができるようにという希望の下に行われた研究です。



第1章・・・これまでの研究(抜粋)

ノンネイティブ英語教師の直面する問題


ノンネイティブ英語教師がかかえる問題が、世界中の現場教師から報告されています。
Top
カナダのパキスタン移民であるAminは、マイノリティーの女性ノンネイティブ英語教師がカナダの英語教育界でどのような弱い立場におかれているか、移民の英語教師に行った調査と彼女自身の経験を基に述べています。彼女の調査は、移民の英語教師が自分たちの生徒が持つ理想的な教師像をどのように考えているかを調べたものです。



Aminによれば、生徒の中には「白人だけが英語のネイティブ話者であり、ネイティブ話者だけが“本物の”“正しい”“カナディアン”英語を知っている」と考えている者もいるようでした。さらに、ほとんどの生徒はノンネイティブ英語教師よりも白人教師をはるかに強く好む傾向がありました。



Amin自身の経験では、生徒たちは彼女の英語の能力を疑っており、中には彼女が間違いを犯すことを期待しているような生徒さえいるようでした。彼女は他の白人教師の同僚よりも常に不安を感じており、生徒の質問に答えられないのではないかという恐れから、授業の準備により多くの時間をかけなければならないということです。



調査への参加者であるノンネイティブ英語教師たちも、これと同じような不安を口にしています。「私たちは英語のすべての文法ルールを知る必要がある。なぜなら、私たちは常に生徒によって評価され、テストされ、白人の同僚のようには好まれず、彼らと比較されているからである。」
Top
ウルグアイ人英語教師であるSuarezは、このノンネイティブ英語教師の不安と劣等感を「I’m not a native speaker」シンドロームと呼び、それがどのように彼らのティーチングに悪影響を及ぼしているかについて言及しています。彼の知るウルグアイ人英語教師の中にはかなりの英語力を持つものもいます。しかし彼らは公の場ではめったに英語を話したがりません。さらに、彼らは自分の英語力が十分ではなく、そのため英語教師としても不十分であるとさえ感じています。同じようにPrcikovaは、スロバキア人英語教師は生徒たちによってネイティブ英語教師の同僚と比べられることを不安に感じており、英語力に自信がないために、自分たちはネイティブ英語教師の同僚たちより劣った英語教師なのだと信じるに至るのだそうです。



このような不安と劣等感に加え、ノンネイティブ英語教師は就職の面でも難しい立場に置かれています。Mattosは、ノンネイティブ英語教師がブラジルでどのように雇用機会から締め出されているかについて発言しています。彼によれば、ブラジルの学校では(ブラジルのみならず非英語圏の国々のほとんどの学校に当てはまることだと彼は考えていますが)生徒を集めやすいとの理由から、より経験のあるノンネイティブ英語教師よりもネイティブ英語教師を好んで雇うということです。



Thomasは、TESOLに従事する教師の中にさえ、「英語を教えるために必要な条件は、その教師が英語のネイティブ話者だということである」と考える者もいると指摘しています。彼女はかつてTESOLの会議に出席し、その際会議の出席者の一人がある学校の英語教師の雇用について話すのを聞きました。その出席者によれば、その学校は生徒募集の際生徒たちに「教師は全員ネイティブ英語教師です」と伝えるのだそうです。それは学校が、ノンネイティブ英語教師にわざわざ教わりに来る生徒などいないと考えているからだそうです。
Top
ThomasはまたAminと同じように、生徒がノンネイティブ英語教師を否定的にとらえ、ネイティブ英語教師に教わることを強く望んでいるともコメントしています。Thomasのある生徒は彼女に次のように言ったそうです。「はじめてあなたが私の先生になると知ったとき、私はがっかりしました。そしてあなたのクラスを好きにはなれないだろうと感じました。私はネイティブ英語教師に教わりたくて、大金をはたいてわざわざアメリカまで来たのだから。」



このように、ノンネイティブ英語教師は多くの問題に直面しています。彼らの英語教師としての資質は、生徒、そしてネイティブの同僚教師から疑問視されています。また、生徒と学校がネイティブ英語教師を望むため、雇用の機会からも締め出されています。また自分たちの英語力に自信が持てず、そのため不安感や劣等意識にさいなまれ、自分たちは英語教師として失格であるとさえ信じるようになります。この章で紹介したケースはほんの一例にすぎず、同じような意見はノンネイティブ英語教師の問題に関係するさまざまな文献に見ることができます。



The Native Speaker Fallacy

Phillipsonは、「理想的な英語教師は英語のネイティブ教師である」というこの広く信じられた考えを、「The Native Speaker Fallacy (fallacy=一般的に抱きがちな誤った考え)」と名付けました。この考えは、上述の通りネイティブ英語教師には多くの利益をもたらす一方、ノンネイティブ英語教師には不利な状況を作り出しています。Phillipsonは、「The Native Speaker Fallacy」はアメリカやイギリスのような“中心”諸国(英語を教える側の国々)によって、政治的、経済的、イデオロギー的に巧妙に意図されたものであると主張しています。これらの諸国は“周辺”諸国(英語を教わる側の国々)での自分たちの優位性を確立し、それによって利益を得ようとしていると彼は述べています。*筆者補足:筆者もブリティッシュカウンシルのトップが「英語は北海の油田より重要な資源であり、イギリスは英語によって政治的、経済的、イデオロギー的に世界に進出する」という趣旨の発言をしたという記事を、実際に別の文献で読んでいます。
Top
Canagarajahはこの「The Native Speaker Fallacy」がもたらす結果を詳細に説明しています。彼は「The Native Speaker Fallacy」は「English only movement」を支える根拠となっているとしています。「English only movement」とは、「授業の中では英語しか使ってはいけない」というものです。「English only movement」の考え方では、生徒の母語は有害であり授業から取り除かれるべきものとみなされており、第二言語習得に役立つ道具とは考えられていません。このムーブメントのおかげにより、“中心”諸国からのネイティブ英語教師の価値と利益が守られているのです。



Canagarajahは、「The Native Speaker Fallacy」がもたらすもうひとつの結果についても述べています。彼は、イギリス英語やアメリカ英語のような“標準”英語が、世界の各地で話されている“非標準”英語に対して優位性を保つためにも「The Native Speaker Fallacy」は役立っていると指摘しています。「The Native Speaker Fallacy」のおかげで、“非標準”英語がこれ以上広まって“純粋な英語”を壊すことを防ぎ、また“標準”英語を学習者に広めることもできるのです。このような状況では、ネイティブ英語教師が重宝され、一方でノンネイティブ英語教師は現場から除外されがちになるのは当然です。



またCanagarajahは、「The Native Speaker Fallacy」が前述のように雇用の機会に影響を及ぼしていることにも言及しています。「The Native Speaker Fallacy」によって、ネイティブ英語教師は“中心”諸国と“周辺”諸国の両方で雇用が保証され、一方でノンネイティブ教師教師にとっては“周辺”諸国でさえ仕事を見つけることが難しくなっているのです。さらにCanagarajahは、教師がネイティブかノンネイティブかということをあまりに問題にしすぎると、結果的に教師の語学教師としての専門性の価値が薄められてしまうとも主張しています。もしもネイティブであるということだけで教師の価値が決まってしまうのならば、ネイティブ英語教師はよい語学教師であるための技術や資質を磨くことを怠り、生徒の母語やニーズ、文化を理解するといったことに努力を払わなくなるかもしれません。同じようにノンネイティブ教師教師も、アクセントをなくしネイティブのような発音を身につけることにばかり躍起になる可能性があります。
Top
研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強み

これまで見てきたとおり、「The Native Speaker Fallacy」は広く浸透しており、その結果ノンネイティブ英語教師にとって非常に不利な状況を作り出し、英語教育に数々の望ましくない影響を与えています。しかしながら近年、ノンネイティブ、ネイティブ双方の教師、研究者がこの「The Native Speaker Fallacy」に疑いを持ち、ノンネイティブ英語教師のポジティブな面に注意を向け始めています。このセクションでは、研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強みについて考察していきます。



はじめに確認しておくことが一点あります。大まかに言って、ノンネイティブ英語教師が教える状況には二種類あります。ひとつは、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのような英語圏の国で、世界各国からの生徒からなる多言語のクラスを教える場合です。もうひとつは、自分の国で自国の生徒を教える場合です。一つ目のケースは比較的まれです。というのは、ノンネイティブ英語教師が英語圏で教えるためには非常に高い英語力が必要とされ、さらに、高い英語力を持つノンネイティブ英語教師でさえも英語圏で職を得ることは大変難しいからです。二つ目のケースはずっと一般的なものです。そのような状況では、教師は生徒と同じ文化的バックグラウンド、教育的バックグラウンド、そして言語を共有しており、そのことがノンネイティブ英語教師にとって大きな強みとなり得るのです。したがって、これら二つのケースははっきり区別して考えられなければなりません。



では、研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強みの考察に入りましょう。Thomasは、ノンネイティブ英語教師は生徒が模倣するロールモデル(お手本)になることができると主張しています。ノンネイティブ英語教師は英語学習の成功者の生の見本であるので、彼らはどうやって英語学習で成功できるかを学習者に実際に示すことができるのです。CookはThomasのこの考えにさらに考察を加えています。彼女は次のように述べています。ノンネイティブ英語教師は決して英語のネイティブになることはできず、また学習者もどれほどの努力をしてもネイティブにはなれない。英語教育がしなければならないことは、この事実を学習者に理解させることである。そして、学習者がノンネイティブ英語教師を肯定的に考えるように教育することである。つまり、ノンネイティブ英語教師とはネイティブになることに失敗した英語話者ではなく、ネイティブのようでなくても現実に使える英語をマスターした第二言語話者であり、学習者が目標にするべき現実的な目標を体現している存在なのだと。
Top
Canagarajahは、ノンネイティブ英語教師が自らの学習経験を通じで手にした英語に関する深い知識の重要性を指摘しています。ノンネイティブ英語教師は母語と英語の両方の能力を持っています。そして複数の言葉に通じることは深い言語学的知識を得ることにつながり、言葉の複雑さをよく理解することになります。したがって、ノンネイティブ英語教師はネイティブ英語教師と比べてより深く英文法を理解していると言えます。同じようにMattosは、生徒の母語と英語の両方に精通していることはノンネイティブ英語教師の強みであると言っています。なぜなら、例えば生徒の母語の文法と英文法を比較することによって、生徒が新しい文法を学ぶときに遭遇する困難さを緩和することができるからです。



Astorは、教師が持つ英文法の知識を二つのタイプに分けて考察しています。「直感的な」文法知識と「意識的な」文法知識です。英語のネイティブ話者は、ある文が文法的に正しいかどうかを直感的に判断する能力を持っています。これが「直感的な」文法知識です。しかしそのような直感的な文法力だけではよい語学教師にはなれません。英語を教えるためには英文法を意識的に理解している必要があり、それゆえ言語学的な教育が教師になるためには必要だと彼は主張しています。彼は多くのネイティブ英語教師が、「The book is on the table」と「There is a book on the table」のような基本的な構文の違いを説明できないのを見てきたと言います。



RevesやMedgyesは、ノンネイティブ英語教師には語学教師としての資格保有者が多く、英語教育により熱意を持って取り組んでいる場合が多いとしています。またMattosは、一方で数多くのネイティブ話者が、英語教授法のトレーニングを受けたり、資格を取得することをまったくせず教えていると述べています。そのようなネイティブ英語教師は本当の意味の「教師」ではなく、単なる英語のネイティブ話者であり、したがって英文法について少ししか知っておらず、英語教授法についてまったく無知ということも多いのです。Medgyesは、彼らにとって英語教育は生活の糧を得る一時的な手段に過ぎず、世界中で教えている多くのこのような資格のないネイティブ話者によって、プロフェッショナルな専門職としての英語教育のレベルが低められ、害されていると述べています。
Top
Canagarajahは、ノンネイティブ英語教師は自国の生徒をより深く理解していると言っています。生徒と母語を共有しているような場合、ノンネイティブ英語教師は自分たちの生徒が何を必要としているのか、普段どんな方法で学習するのか、生徒が日常のどんな場面で英語を使うのか、などについてよりよく理解しています。それゆえノンネイティブ英語教師はより効果的に教えることが可能です。Canagarajahはこうした理由から、“周辺”諸国の英語教育は、ネイティブ英語教師ではなくその国、地域のノンネイティブ英語教師が主導するべきだと主張しています。



ポルトガルの教師であるBennettも、ノンネイティブ英語教師が生徒のニーズをよく理解していることの重要性についてコメントしています。ポルトガルの生徒が本当に必要としていることは、英語を通じてイギリスの文化を学ぶことなどではなく、英語という外国語で自分たち自身の世界についてどうやって話すかを学ぶことです。別の言い方をすれば、生徒たちは英語によって自分たち自身の世界についての意見や見方を表現できるようになりたいのであり、イギリス文化の視点から自分たちの世界観を見ることを学びたいわけではないのです。ノンネイティブ英語教師は生徒と文化的バックグラウンドを共有しているため、このことをよりよく理解していると考えられます。その一方、ネイティブ英語教師はイギリス文化の特色を強調することに熱心になってしまい、生徒が本当に表現したいことを「それは英語ではありません」と切り捨ててしまいがちです。それゆえBennettは、同じ文化的バックグラウンドを持つ生徒を教える場合、ノンネイティブ英語教師はネイティブ英語教師よりずっと優れていると主張しています。



GillとRebrovaは、スロバキアでは「何をどう教えられたいのか」を巡って、生徒の考え方と“中心”諸国からのネイティブ英語教師の考え方に大きなギャップがあると報告しています。例えば、生徒は文法、読解などの伝統的な教え方により慣れており、ペアワーク、グループワーク、ロールプレイなどに不慣れなため、そのようなアクティビティを受け入れるのを難しいと感じるそうです。また生徒は教師がもっと頻繁に間違いを直してくれることを望んでおり、より多くの文法を教えて欲しいと考えています。GillとRebrovaは、教師がこのような生徒の希望を無視することは危険であり、ノンネイティブ英語教師ならばそのようなことはないだろうと述べています。
Top
Tangは、ノンネイティブ英語教師が生徒の生活する地域社会を理解していることは重要な強みであるとしています。彼らはそれぞれの地域社会の教育カリキュラム、試験のシステム、学校の運営方式などに精通しています。また、ネイティブ英語教師の英語が理解できない初級者や学習能力の弱い生徒の気持ちにもより共感的です。同じようにGillとRebrovaは、その地域の社会システムをよく知っていることはノンネイティブ英語教師の利点であると主張しています。ノンネイティブ英語教師はその地域での教育がどのように、何を目的に行われるか理解しており、またどうやって同僚の教師や生徒とかかわればよいのかも分かっているのです。



ここまで、英語教育の専門家たちが見出したノンネイティブ英語教師の強みについて見てきました。これらに加え、生徒の母語の使用は非常に大きな利点であると言われており、これまで多くの議論がなされてきました。教室での母語使用はノンネイティブ英語教師の強みの中でも主要なものと考えられ、より大きな分野となるため、次に別のセクションを設けてこれについて見ていきます。



学習者の第一言語の使用 第一言語を使用すべきかどうか?

教室内で教師や生徒が母語を使うべきかどうかという問題には、まだ多くの議論の余地が残されています。「English only movement」では、生徒の母語は教室内から放逐されるべきだとしています。しかし、この考え方に対して疑いを持ち、母語の使用を支持する意見も出されています(Weschler, Spratt, Coleなど)。このセクションでは、母語の使用についての賛成意見、反対意見を検証し、第二言語学習のために生徒の母語を使用することが適切なのかどうかについて考察していきます。
Top
Sprattは過去の英語教育における母語使用について研究し、近代語学教育の初期には(そして現在でさえ)、学習者の母語使用は「悪」とみなされていたと述べています。とくに初級、中級レベルでは、母語の使用はinterference(第一言語が第二言語学習に悪影響を与えること。たとえば発音の訛り。negative transferとも呼ばれます)を引き起こし、また生徒を怠惰にさせ、学習のスピードを遅くすると考えられていました。また、当時の教授法では生徒の母語を使う必要性があまりなかったという事情もあります。というのも、リーディング、ライティング、繰り返しのドリル練習など、教師中心のアクティビティがコントロールされた状況でのみ行われ、そのような中では教師も生徒も限られた範囲の英語が使えれば十分だったからです。



これに対し、教室での母語使用を擁護する研究者もいます。Interferenceについて言えば、Weschlerは、教師がそれを避けようといくら努力しても、生徒の母語が第二言語学習に影響をもたらすことは避けようがない。それゆえ、母語を第二言語習得に役立つ道具というように肯定的に捉え、学習者がすでに持ち合わせている知識として、それをどううまく利用できるのか考えるほうがよいと述べています。



Sprattは、教室の状況の変化を指摘しています。コミュニカティブ・アプローチ(コミュニケーション能力を発達させることを目的にした教授法の総称で、現在主流の教授法です。教室を現実世界でのコミュニケーションのリハーサルの場と位置づけ、実際的な伝達能力を発達させることに主眼が置かれています。)の登場とともに、多くの種類のアクティビティが導入され、生徒たちはペアワークやグループワークによってクラスメートと以前よりはるかに多くコミュニケーションするようになりました。教室の状況が変わり、以前より広い範囲の言葉がコミュニケーションで使われるため、生徒の母語使用が必要になる状況も出てくるでしょう。というのも、生徒がある事柄を英語でどのように言ったり書いたりしていいのか分からず、どのように自分の考えを伝えたらよいのか悩むようなことが起こり得るからです。生徒だけでなく教師にも母語を使用するより多くの機会があります。例えば教師は、説明をする場合、(アクティビティなどの)インストラクションを与える場合、生徒の理解度を確認する場合などに母語を使用することができます。
Top
「English only」の教授法は原理としては正しいかもしれません。しかしそれは教室の現状にそのままあてはめることができないのです。一般的にこの教授法は、英語圏の諸国でひとつのクラスにいろいろな言語を話す生徒が混在するような状況で使われるのがよいとされています。そのような状況では、英語のみを使うことは望ましいというだけではなく、コミュニケーションには必須であるわけです。しかし現実には、世界中の大部分の教室は単一の母語を話す生徒だけからなるクラスで(例えば日本の中学校の日本人の生徒だけの教室)、そこではふつうノンネイティブ英語教師が、同じ言語的、文化的バックグラウンドを持つ生徒を教えているのです。



これらの主張に加えて、「English only」の教授法が確固とした理論や十分な研究に基づいたものであるのかを疑う意見も出されています。前述の通り、「English only」の考え方は、そこから最大の利益を得ることのできるネイティブ英語教師によって都合よく解釈され、利用されていると考えられます。そしてもっと確実に言えることは、「English only」は、それが効果的な語学教授法であるからというより、ネイティブ英語教師が生徒の母語をほとんど理解しないことに対する言い訳として使われているのです(Cole, Weschler)。



これまで見てきた意見を考え合わせると、学習者の母語の使用を放逐するような理由は何も見当たらないようです。それどころか、母語使用には多くの利点があり、より効果的な学習のために母語はむしろ積極的に使われるべきだとする意見があります。次のセクションでは母語使用の利点について考察します。
Top
第一言語を使用する利点

単語の意味を説明する際に母語を使うと分かりやすいというのは、母語使用の一つ目の明らかな利点です。このことは抽象的な意味を持つ単語の場合にとくに顕著です。教師がある単語の意味を多くの時間を割いて英語で説明しても、それがいったい生徒に正しく理解されているのかどうか分からないということがよくあります。そのような場合、単に母語で意味を与えるだけで、ただちにはっきりその意味を理解させることができます(Cole, Medgyes, Spratt)。



同じようにColeは、学習を容易にするために、生徒の母語での学習経験をうまく利用するべきだと主張しています。例えば、もし生徒が「名詞」を母語で学んだことがあり、その概念を理解するならば、「noun」という単語は英語で説明するより、母語で意味を与えたほうがずっと簡単なのです(「noun」は「名詞」のことだと説明すればそれで済むわけです)。生徒がどのようなことを母語で学習しているのかを知っていれば、教師は生徒がすでに学習済みのことを二重に教えるのを避けることができるのです。



これらの主張は生徒がすでに持ち合わせている知識をうまく利用することに関係しています。学習者の第一言語は、第一言語と第二言語の間に架ける橋となり、第二言語の理解に役立つことができるのです。Yamamoto-Wilsonは、多くの学習者が第二言語学習に失敗する理由は、教師がうまく第二言語と母語の間に意味のある関連付けをしないからだとしています。
Top
学習者、とくに初級者にとって語学学習はとてもハードなものです。そして「English only」の授業はとりわけストレスを与えるものになりかねません。生徒の母語はこのような場合に役立ちます。母語は生徒をリラックスさせることができます(Burden, Cole)。あるいは学習者、中でも大人の生徒とティーンエイジャーの生徒に「自分たちも知的で洗練された人間なんだ」ということを示す機会を与えます(Atkinson)。*補足説明:ネイティブ教師とレッスンしていると、自分の英語力が未熟であるために言いたいことが言えず、そのためネイティブと対等な立場に立てず、一段下の人間になったような気分になることがあります。



Weschlerは、授業を分かりやすくし授業時間の短縮につながるため、母語は教室で使われるべきであると論じています。彼は、一般的な英語コースの授業時間は、そこそこの英語力を身につけるのにさえ十分ではないと指摘しています。そして、もし教師が英語で授業をし、生徒がそれを理解しなければ、十分でない授業時間をなおさら無駄にすることになると述べています。



このように、教室内での生徒の母語使用には多くの利点があります。理想的な第一言語の使用方法についても多くの議論がなされています。上述の研究者たちは、教える主要な手段は英語であり、母語の使用は最小限に抑えられるべきだとみな一様に考えています。この考え方は、生徒が望む教えられ方とも一致しています。例えばMurahata and Murahataの研究によると、ある大学の日本人学生の英語学習者の大多数が、教師(日本人教師とネイティブ教師の両方)に授業ではできる限り英語を使って欲しいと望んでいることが分かりました(日本人教師に対して81%の生徒が、ネイティブ教師に対して81%の生徒がそのように望んでいる)。さらに上述の研究者たちは、母語の使用量は生徒の英語レベルが進むにしたがって次第に減らされるべきである、という点でも同じ意見を持っています。
Top
どの場面で母語を使い、どの場面で使わないのかについては議論の余地があります。母語は、(アクティビティなどの)インストラクションに、クラスのマネージメントに、文法の説明に、アクティビティの理由付け(なぜそのアクティビティをするのか)をするときなどに使うことができます。しかし「本物の」コミュニケーションが行われる場面では母語は使われるべきでないとする研究者もいます(Atkinson, Burden, Spratt)。例えば教師が生徒に教室のドアを開けてほしいと頼むような場合、その教師は生徒と本物の意思のやり取りをしていることになります。このような現実のコミュニケーションの場面で、実際に第二言語で意思を伝え合うことを通じで学習者は多くのことを学ぶのです。



さらに、母語の使い方をめぐる学習者側の要望は、教師側の考え方とは異なっていることがよくあります。Burdenは、どの場面で母語を使い、どの場面では使うべきでないのかについて、学習者の希望と教師の考え方の間のギャップを調べました。その結果、インストラクションや説明を与えるとき、生徒の理解を確認するとき、(雑談などで)コミュニケーションを取るとき、などの分野で違いが見つかり、そのような場面では、生徒の方がずっと少い母語使用を望んでいることが明らかになりました。



したがって、Atkinsonが指摘しているように、学習者の第一言語使用の“ちょうどよいバランス”や、完璧なお手本などは存在しないのです。それはさまざまな要因、つまり生徒のレベル、それまでの学習経験、あるいはレッスンのどの段階なのか、などによって決まるものであり、したがって教師はある状況で母語を使うことが正しいのかどうか、いつも自分自身に問い続けていなければならないのです。しかしながら、もし適切な場面で適切なやり方で使われるならば、母語は第二言語学習のための貴重な援助資源となりうるのです(Atkinson)。



最後に、ノンネイティブ英語教師だけでなくネイティブ英語教師ももちろん生徒の第一言語を使用することから恩恵を受けることができます。しかし、多くのネイティブ英語教師が生徒の第一言語の能力に欠けていることを考えると、ノンネイティブ英語教師のほうが第一言語使用の利点を得るという点ではずっと有利な立場にあるといえます。
Top
ここまでは、研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強みについて考察してきました。次のセクションでは、ノンネイティブ英語教師の問題に関する実験的研究のひとつ、Medgyesの研究を検証します。



Medgyesの研究と6つのノンネイティブ英語教師の強み

Medgyesはハンガリー語を母語に持つハンガリーのティーチャートレイナー(教師を養成する教師)で、ネイティブ英語教師VSノンネイティブ英語教師の論争に関連するいくつかの重要な研究をしています。彼はこの論争について自著、「The Non-Native Teacher」やほかの多くの論文の中で詳細に検証しています。彼は、さまざまな国出身のネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師を対象にアンケートを実施し、その結果をもとに6つのノンネイティブ英語教師の強みを見出しました。それは次のようなものです。



1. 学習者が模倣するよい学習モデルになることができる。

2. language learning strategies(言葉の効果的な学習方法、テクニック)をより効果的に教えることができる。

3. 英語についてより多くの情報を学習者に提供することができる。

4. 学習困難箇所を予測し、うまく回避することができる。

5. 生徒のニーズや生徒が学習上かかえる問題をよりよく理解できる。

6. 学習者の母語を利用することができる。

Top
Medgyesは研究の結果をもとに、ノンネイティブ英語教師はネイティブ英語教師よりも英語力でははるかに劣っており、そのため教師として非常に不利な立場に立っているということを認めています。しかし英語力では敵わないにもかかわらず、上述の6つの強みを持つため、とくに生徒と母語を共有している場合はネイティブ英語教師に匹敵することができると主張しています。



Medgyesの提唱するノンネイティブ英語教師の6つの強みは、前述の研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強みとおおよそ一致しているようです。さらに詳しく考察してみます。1.の「学習者が模倣するよい学習モデルになることができる」について、彼は次のように述べています。ノンネイティブ英語教師は自分たち自身の努力によって英語を学んでいるため、より信頼のおける学習者モデルになることができます。一方で、ネイティブ英語教師は完璧な言語モデルを示すことはできるが、学習者モデルになることはできません。なぜならネイティブ英語教師は、彼らの生徒たちが授業で学ぶように第二言語として英語を学んだことは一度もないからです。



2.の「language learning strategies(言葉の効果的な学習方法、テクニック)をより効果的に教えることができる」については次のように言っています。ノンネイティブ英語教師は自らが英語学習者として英語を意識的に学び、その学習プロセス全体を通してさまざまなlanguage learning strategiesを用いています。そのためノンネイティブ英語教師は、英語を母語として単に獲得しただけのノンネイティブ英語教師と比べ、多くのlanguage learning strategiesを知っており、それらを生徒に教えることができるのです(英語の学習法、上達のコツを知っていて、それを教えることができる)。
Top
3.の「英語についてより多くの情報を学習者に提供することができる」は、前セクションで考察した「ノンネイティブ英語教師の英語についての深い知識」に相当するものです。



自分の生徒をよく理解しているということは、よい教師であるための大切な条件の一つです。そして、生徒をよりよく理解するためには、生徒のバックグラウンドを知っていることが不可欠です。4.の「学習困難箇所を予測し、うまく回避することができる」と5.の「生徒のニーズや生徒が学習上かかえる問題をよりよく理解できる」は、どちらも生徒を理解することに関連するものです。つまりこれら二つは、生徒の母語の理解、生徒が語学学習上かかえる問題の理解、生徒が社会的、文化的、言語的に置かれた状況の理解などについて述べたものです。これらも前セクションで考察した研究者、教師の意見と一致しています。



4.の利点についてMedgyesは次のように述べています。ノンネイティブ英語教師は生徒と言語的、文化的なバックグラウンドを共有しており、そのおかげで彼らは生徒が学習上遭遇する困難箇所により敏感になることができる。5.の利点については、ノンネイティブ英語教師自身もいまだ英語の学習者であり、生徒とちょうど同じように常に英語学習の難しさを実感し続けている。このように恒常的に英語という言葉と格闘しているため、ノンネイティブ英語教師はより生徒に対して理解を持つことができるのだと言っています。
Top
Medgyesはこれら6つのノンネイティブ英語教師の強みを明らかにした上で、さらに自身が書いた論文のタイトルでもある「ネイティブ教師とノンネイティブ教師、どちらがより価値があるのか」という疑問に答えようと試みます。そして彼は前述の通り以下のような結論を出します。ノンネイティブ英語教師は、ネイティブ英語教師と同程度に価値のある教師になることができる。なぜなら、「6つのノンネイティブ英語教師の強み」が彼らの大きな弱点である英語力の不足を埋め合わせるからだと。そして彼は次のようにも主張しています。ネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師は、英語教育に対してそれぞれ違った形で、しかし同等に重要な貢献をすることができる。さらに、ネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師が教室の内外で協力し合うことが重要である。学校の中には、お互いの強みを生かし、弱点を補い合えるようちょうどよいバランスのネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師が存在しているべきである。



*筆者補足:Medgyesはさらに次のようなことも言っています。よりよい語学教師になるために、ネイティブ英語教師、ノンネイティブ英語教師はそれぞれの弱点を克服するよう努力しなければならない。つまり、ネイティブ英語教師は生徒の母語を学び(あるいは外国語を学ぶ経験をし)、生徒の理解に努め、一方でノンネイティブ英語教師は英語力の向上に努めなければならない。そうしてお互いがそれぞれの弱点の克服に努め続けると、最終的にお互いに限りなく近い存在になる。つまり、双方とも高い英語力を持ち、生徒の母語を知り生徒のことが理解できる英語教師になる。しかし限りなく近いにもかかわらず、双方の英語教師は決して同じになることはなく、お互いにユニークな存在であり続ける。そして、そのようなネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師が、二頭立て馬車のように協力し合って教えるのが最良の英語教育の形である。
Top
第6章・・・結論と示唆(抜粋)

この研究の要旨


この研究は、ノンネイティブ英語教師に対する英語学習者の考え方を明らかにしようと試みたものです。研究の主な目的は、学習者が、自分たちの英語学習にノンネイティブ英語教師がどのように役に立つと考え、またノンネイティブ英語教師にどのように教えて欲しいと望んでいるのかについて、ネイティブ英語教師との比較において明らかにすることでした。その調査のために、オーストラリア、ゴールドコーストのボンド大学の学生とBUELI(ボンド大学付属語学学校)の生徒39人にアンケートが実施され、そこから得たデータを分析しました。



調査の結果、生徒はいくつかのティーチングの分野でノンネイティブ英語教師が役に立つと認識していることが分かりました。また、生徒がノンネイティブ英語教師に何を望んでいるのかも明らかになりました。それは、



1. 生徒は、ノンネイティブ英語教師は学習困難箇所を予測し、生徒を理解し、生徒の母語を使うことができるため、とくに自分たちの英語力が低い段階で有効な手助けを与えてくれると考えていた。

2. 生徒は、ノンネイティブ英語教師は文法、とくに基礎的な文法や、語彙、読解を教えることにより長じていると考えていた。

Top
生徒は、自分たちの英語力が低いレベルにあるうちは、英語の基礎力を付けるためにノンネイティブ英語教師から学ぶことが有効だと考えていました。さらに調べてみると、生徒のノンネイティブ英語教師に対するこうした考え方は「プロブレムオリエンティッド」であることも明らかになりました。つまり、生徒は自分たちが学習上問題を抱えそうなレベルのときにのみ、ノンネイティブ英語教師の重要さを認めるというわけです(逆に言えば、問題がなければノンネイティブ英語教師の価値を認識しないのです)。



生徒は、特定の状況ではノンネイティブ英語教師の有用性を認めつつ、ノンネイティブ英語教師よりもネイティブ英語教師から教わることを圧倒的に望んでいることも明らかになりました。生徒は、自分たちの英語力が十分なレベルに達したとき、さらに進歩するためにはネイティブ英語教師から教わらなければならず、とくにより上級の会話能力を身につけるためにはそれが必要だと考えていました。彼らがそのように信じる理由の大部分は、「The Native Speaker Fallacy」のためだということも分かりました。



教育学上の示唆

この調査から分かったことをもとに、教育学上どのようなことが言えるでしょうか。ノンネイティブ英語教師のティーチング能力をより高め、また学習者のノンネイティブ英語教師に対する否定的な見方を改善するために、二つのするべきことがあります。
Top
1. ノンネイティブ英語教師は自分たちの強みを活用するべきです。

2. 生徒の「language awareness(言語に対する意識、知識)」が高められるべきです。




教師の側からするべき最初のことは、自分たち自身の強みが何であるのか、そして生徒が自分たちに何を望んでいるのかを正しく認識することです。つまり、学習困難箇所を予測する、生徒を理解する、生徒の母語を使用する、文法、語彙、読解を教える、などが自分たちの強みであり、生徒の期待の大きい分野であるということを理解しなければなりません。その上で次にすべきことは、実際のティーチングでこれらの利点を最大限に利用するよう意識して努め、生徒の期待に応えることです。



自分たちの強みの活用に努める一方、ノンネイティブ英語教師はその強みをさらに発達させるよう努力すべきです。例えばもし生徒の第一言語の使用が学習の助けになるのなら、ノンネイティブ英語教師はそのもっとも効果的な使用方法を模索し、第一言語使用の技術を磨く必要があります。つまり、第一言語をいつ使うのか、どうやって使うのか、どのくらい使うのかなどについて考えなければなりません。第一章でも述べたとおり、どの状況にも当てはまるような理想的な第一言語使用モデルなどはなく、したがってノンネイティブ英語教師は、それぞれの状況で最善の第一言語の使い方をいつも考えていなければならないのです。
Top
一方生徒の側は、第二言語学習についての教育をされる必要があります。この研究の被験者の生徒たちは、明らかにネイティブ英語教師を好み、ノンネイティブ英語教師に対しては否定的な態度を示しました。その主な理由は「The Native Speaker Fallacy」であり、それには生徒たちの第二言語教育、学習についての知識が限られているということが根本にありました。したがって、学習者に「general language education」を行い、彼らの「language awareness」を高めることが必要です。つまり、言葉とは何か、言葉はどのように身につけられるのか、第一言語習得と第二言語習得の違いは何か、ネイティブ話者と第二言語話者の違いは何か、などについて教えられる必要があるのです。さらに、ネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師の違いを教え、重要性が十分認識されているとは言えないノンネイティブ英語教師の利点を、学習者により知ってもらう必要があります。そうすることによって、学習者のノンネイティブ英語教師に対する否定的な見方は改善されると考えられます。



ノンネイティブ英語教師が厳しい状況に置かれているということは事実です。しかし、解決策もあります。前述の通り、ノンネイティブ英語教師は自分たちの強みを正しく理解し、その強みを活用すべきです。同時に学習者のノンネイティブ英語教師に対する否定的な見方を改善するために、学習者の「language awareness」を高め、ノンネイティブ英語教師から教わる利点について知ってもらう必要があります。ノンネイティブ英語教師は常に自国の生徒を教える最善の方法を模索し続けるべきです。その努力は、彼らの国、地域で彼らが教えた英語学習の成功者が増えることへとつながっていくでしょう。そしてそのうちに、ノンネイティブ英語教師の英語教育での重要な役割が認識されるようになり、最終的に、彼らに長年着せられた汚名をそそぐことができるでしょう。

Top





HOME | 日本人教師について | ネイティブ教師VSノンネイティブ教師 | 文法について | 発音について
小学生の英語学習
| 中高生の英語学習 | プログレスについて | 英検について | 短期留学について | 一般の英会話学習
私の留学体験
| 学位論文(英語原文) | ご意見、ご感想 | リンク 1 | リンク 2 | リンク 3 | リンク 4
リンク 5 | リンク 6 | リンク 7 | リンク 8 | リンク 9 | リンク 10 | リンク 11 | リンク 12



Copyright © 2009 T.Tsuruoka All Rights Reserved.