塚本邦雄 百首 91100

 

 

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秋風に壓さるる鉄扉ぢりぢりと晩年の父がわれにちかづく

【魔王】

 

 本当は自分の方が、晩年の父に近づいているはずですよね。父の晩年というのは、おそらくもう固定されている。自分が晩年ならばふつう父は亡くなっているので、父の晩年のイメージは変化しようがない。

 その固定された父の像が、「ぢりぢりと」自分の方に向かってくる。これは恐ろしいようでいて、何か親しみも感じられる。それはおそらく、筆者が自分の父(まだ存命中です)に対して威圧的なイメージをもっていないからであろうか。筆者の父はおもしろい人なんです。刑事コロンボみたいな感じです。だからたとえ、筆者が晩年になったとしても、父の姿が近づいてくることに畏怖みたいなものは感じないと思う。

 さてこの歌では、「ちかづく」ことの隠喩として、「秋風に壓さるる鉄扉」というオブジェが使用されている。「ぢりぢりと」は上と下の両方にかかっている。鉄扉ねえ。これも怖いようでいて、筆者には詩情が感じられる物体です。例えばお城の裏庭にある通用門。これが鉄扉で、その周囲を蔦なんかがからまったりしていれば、それは眠り姫の世界でしょ。別荘があって庭があって、庭とりんご畑の間に小さな鉄の扉があればジッドとかコラットとかフランス小説の世界でしょ。ベーカー街の裏道に鉄扉があってその奥で秘密の集会が開かれていれば、ホームズでしょ。地中海に面した城塞に鉄扉があって攻防がくりひろげられれば塩野七生だ。なに、もういいってか。

 そういうわけで鉄扉は、かならずしも威圧とか非情とか非人間的な謂いでもないようだ。しかもその鉄扉を向こう側からおしているのは、秋風なんである。とても淋しい風。強引に押してくるわけではない。人の心の隙間にそっと、忍びよる。そんな幽かな風が鉄扉に吹きかけてくる。

 それゆえこの歌は、ある一瞬の圧倒される感覚を詠んだものではない。日常の、おりおりに、そこはかとなく感じられる寂びを静かに表現したものなのだ。例えば買い物に出て、四辻を曲がるとき、ふいに背後に鉄扉を感じる。ふりむくとそこに秋風が吹いているだけ。庭に下りて洗濯物を取り入れる。ふいに足元に鉄扉を感じる。目をやると秋風が旋風をまいている。そうして、そういった些細な出来事のあとには必ず父の晩年の姿が目に浮かぶ。このような日常の積み重ねから「ぢりぢりと」という表現に至るわけなのだ。

 それはとりもなおさず、自分の老いの確認となっている。ただし、先にも述べたように悲壮感はない。老いが、日常の中から立ち現れるということほど、幸せなことはない。買い物で四辻を曲がる。洗濯物を取り入れに庭に下りる。日常と老いが親密な関係にあってこそ、晩年の父は寂びた鉄扉になって、息子を冥界へ呼び寄せるのである。

 

●秋風と鉄の扉をたずさえて晩年という極楽へゆく(きうい)

 

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杏林医院三階に燈がまたたきてあそこに死後三箇月の生者

【魔王】

 

「死後三箇月の生者」って。それを押入れに隠しているのは、おっちゃん。あなたではないのですか。と言いたくなってしまう。筆者はむかしこんな短歌をつくりましたよ。

●押入れに死体隠しつ累々となど市民らの行方が知れぬ(きうい)

「塚本のおっちゃん」というタイトルの四首中の一首。なぜこんな歌をつくったかというと、噂があったんである。確か国文社から出ていた現代歌人文庫の「塚本邦雄」。筆者はこの本で初めて塚本邦雄を読んだのだが、その末尾の誰かのエッセーに、「塚本邦雄は二階の押入れに死体を隠しているのではないか」というものがあった。さもありなん、と筆者は思った。こんな歌を詠む人ならありそうなことである。そのとき筆者は江戸川乱歩とか、稲垣足穂を連想し、彼らも同類、つまり死体を隠しそうだと感じた。

 さて、医院。古い医院は洋館で建っていることが多い。そのことがなぜか謎めいて見える原因となっているようである。筆者が今すんでいる町でも、少し散歩すればすぐに石造りの洋館医院に出会う。また、筆者の実家のすく近くにある、わが家のホームドクターも洋館であった。おそらく、その医院が生まれて初めて見る洋館だったと思う。その先生は、かつての総理大臣も診たことがあるという由緒ある医者で、筆者の子どものころの難病もすぐに見抜いた名医であった。ただ、不思議なことに、その医院。表は重厚な洋館なのに、裏の待合室は和室なんである。それで、患者はみな裏庭から待合室に入る。ちょうど茶室にもぐりこむような感じである。呼ばれて入る診察室は、見事な洋館。また、待合室から表の玄関を覗くと、これまた冷たい洋館の造りで、暗い板の間のテーブルの上に花瓶がのっていた。その思い出が筆者の洋館の原点である。

 このように洋館というものが不思議な構造をもっていることを知ると、町を歩いて観察していても、洋館の中身が気に掛かる。しかも今でこそ三階建てというのは普通だが、つい数年前まで三階というのは非日常的な空間であった。特別な場所、なのである。医院という、住居を兼ねた建築で三階。おお。何があるのか。しかも「燈がまたたきて」いるという。その燈のまたたきに「生」を見ても、おかしくはない。なにしろ点滅しているのだ。たとえ肉体は死んでいるにしても、その魂が「生」を呼びかえそうとしているかのようだ。

 この『魔王』という歌集。筆者はここから八首選んだ。初期の『水葬物語』が遠いステップや異国の物語であるのに対し、『魔王』は身近な町の物語である。ついそこの横丁に幻が出現する。しかもそれは、きらびやかな装飾をまとっているわけではない。あくまで日常のできごとなのであり、その幻を見たとして、驚愕するわけでもない。筆者は『水葬物語』に対する『魔王』を、西脇順三郎の『アンバルワリア』に対する『旅人帰らず』に見立ててみたいのである。その心や、俳句。日常のリアリズムに幻を見る。

 

●リウマチで杏林医院の三階に入院したのは実は僕です(きうい)

 

 

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恋永くながくつづきて浴室のすみに屑石鹸の七彩

【魔王】

 

 いいですねえ。恋が永く続くって。結婚と恋は別ものとよく言われる。そんなことはない。結婚したあとも妻に恋をし続けたい。そう思うのは男だけらしいし、なにより恋だなんて言っている奴は真面目に苦労してない証拠と見られがちだ。ではいったい、人生とは何なんだ。苦労しても不幸であっても、だからこそ恋をしたいではないか。恋をするのは不真面目なのか。では真面目な人間よ、君たちは真面目に何をしているのか。

 といっても、恋は伏流することもある。伏流とは、山から流れ出した水が扇状地で一旦地下に潜りこむこと。見えなくなる。見えないが本当は流れている。それで平野に出たとたんに、地表にあふれだす。

 恋も伏流する。恋が永く続くと言葉に出ない。言葉に出ないから無いかというと、ある。食事中もじっとパートナーの顔をみつめていたりする。それでいて、二人とも気づかなかったりする。そんな伏流状態にあるときでも、その片鱗を地上の片隅に見出すことができる。

それが例えば浴室だったりする。それも例えば普段は目につかない隅っこの方だったりする。そして例えばそれは屑石鹸なんかだったりする。屑石鹸が七彩を放っているという。いったい屑石鹸って、何だろう。石鹸が小さくなったものか。新しい大きな石鹸の上に亀のように乗せてひっつける、あれか。それとも石鹸を削ったものか。まあ、何でもよろしい。その七色は、ひどく美しい。美しいものを見ると恋を思い出す。

それでその日は相手の顔をまじまじと見る。やはり美しい。それでもその日限りで忘れて、日常の中へ恋は埋没してしまう。だからこの屑石鹸というのは、本流から外れたところに湧き出る泉のようなものなのだ。大きな本流が伏流になっているとき、世界の片隅でちょろちょろと湧き出ている。これを発見できる人はまだ恋の灯を消していない人である。ふつうは、浴室の片隅であろうと、トイレの裏のケマンソウのたもとであろうと、魚屋の横の電柱を通してみる夕映えであろうと、気づく人は少ない。それは美というものに対して尊敬をもたないからである。美を尊敬している人だけが、支流の湧き水を発見することができる。

そう考えると、恋というものも美の探究だと言える。恋愛体質の人間は、美への尊敬をもっている。では、美人でない人は恋愛できないのか。そうではない。美というのは人によって異なっている。また、自分が美人やイケメンでなくとも、相手に美を発見することはたやすい。恋愛というのは好かれることではなくて、相手に美を発見することである。相手に美を見出さない人にとって、結婚とは恋ではないだろう。恋を信じない人は、すなわち自分の中に美の感覚がもてない人なのであった。

 

●恋という苦しい永遠(とわ)を浴室の小窓の外の吊り鉢に植え(きうい)

 

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此花区忘年会の福引に箒引きあてさびしき父は

【魔王】

 

 此花区。大阪で最も地味な区であった。あれが建つ前は。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンである。筆者はもちろん行ったことがない。筆者は混雑するところが嫌いなんである。海遊館も行ってない。できた当初、並ぶという噂のある場所へは近寄らない。ただ、此花区には一度だけ行ったことがある。此花区というのは、いわば細長く尖がった三角州である。上を淀川、下を安治川が流れている。大半は埋立地の工場地区だ。有名な駅は、といえばユニバーサルシティ以外には西九条。と聞けば大阪の人は「ああ、あのへんか」とわかる。環状線の快速停車駅だ。環状線に快速があると聞くと東京の人はびっくりする。山手線に快速があるのと同じだからだ。だが大阪環状線の快速は一周、または半周すると外へ飛び出してしまう。まるで原始人の投石である。びゅんびゅん加速をつけてから石は放物線を描いて飛んでゆく。行く先は奈良と関西国際空港である。その西九条が、此花区の根っこをかすっている。

 話を元に戻そう。筆者が此花区を訪れたのは、ある乗り物に乗るためである。それは渡し舟。安治川対岸に港区の大阪港がある。ここは例の海遊館だとか、サントリーミュージアムがある場所だ。サントリーミュージアムは筆者のお気に入りで、その建物はまるでウルトラマンの科学特捜隊本部にそっくりである。設計はあの『連戦連敗』の安藤忠雄。絶対に科学特捜隊本部を参考にしたに違いない。その大阪港から、川を渡って此花区へ向かう舟が出ている。自転車も乗せるため、平らな形をしている。椅子はない。なぜなら一分で着いてしまうから。確か無料だったと思う。その舟に乗ってみたかったんである。乗ったあとはすぐに電車で西九条に戻った。おいおい。何をしに行ったんだ。これがいわゆる鉄ちゃんの行動パターンというものです。

 ながながと書いたのは、ただひたすら此花区がしょぼい区であることを言いたかったためである。こういうのを地域差別というのだろうが、しょせん地理学は地域差を考える学問なので、そんなことを言っていたらきりがない。なにしろ、この歌がもし、「北区忘年会の」とか「天王寺区忘年会の」では、詩情がでない。また西成とか生野とかになると個性が強すぎる。此花区という何ら特徴のない「しょぼい」区であってこそ、福引で「箒」を引き当ててしまった「しょぼさ」が生きるのである。ゆえに塚本邦雄は、当然のことながら、大阪のすべての区を慎重に検討の上で、よりによって、此花区を選んだに違いないのだ。

 こうして「さびしき父」は毎日のように箒で玄関先をはいている。箒をお蔵入りさせてしまっては、余計に自分がみじめになるだけだ。役にたってこそ、引き当てた価値がある。そう考えてしまうこと、自体が「さびしき父」である証拠ともいえる。

 

●密やかに父の箒に刻まれた此花区民独立の夢(きうい)

 

 

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春雪はたとやみつつ角の魚辰が忌中の井伊家顎もて示す

【魔王】

 

 そうなんである。春の雪である。何がって。彦根である。井伊家といえば、滋賀県の彦根だ。有名な井伊直弼ももちろん、彦根藩の出身。その彦根である。雪が多いんである。雨も多い。大阪や京都から琵琶湖方面の電車に乗る。特に冬。一つトンネルを越えて山科はまだ快晴。もう一つ越えて大津になると、妖しくなってくる。草津をすぎるともうだめだ。パラパラ、はじまる。近江八幡では土砂降りになり、彦根では雪に変わる。それほど琵琶湖というのは天気が悪い。敦賀で日本海とつながっているからだろう。湖西の人も、毎日時雨があると言っていた。

 そしてそれは春先まで続く。彦根に春雪が降るのはめずらしいことではない。筆者は大学で詩吟部に入っていたが、滋賀大の詩吟部と仲がいい。打ち合わせに彦根までいく。すると必ず雨だ。車三、四台で迎えにきてくれる。さすが国立大。自家用車通学が認められているのか。滋賀大は彦根城の中にある。例によって城下町の道路は鍵型に折れ曲がっている。だから「魚辰」という魚屋はそういう鍵型に折れた「角」にあると思って間違いない。城下町というのは、町名が職業別に分類されているから、もしかしたら「魚屋町」とか、そんなのもあるかもしれない。とにかく城下町は、迷う。今、滋賀大へ歩いてゆけと言われても、さすがの筆者もできない。

 それゆえ喪服を来た「私」は、井伊家の在り処にたどりつけない。井伊家の親戚ならすぐに分るはずだ。家老筋にあたるものか、あるいは市役所関係で彦根の当主に頭を下げねばならぬ人種であろう。角の「魚辰」に尋ねる。

 すると魚辰は、顎で方角を示したというのである。ひかえおろう。井伊家ですぞ。彦根で知らぬものはない井伊家だ。それを顎で指すとは。ここに詩情があふれる。城下の職人町では、井伊家といってもこんなものなのだ。そこに城下町のかつての風情が彷彿となびくではないか。この瞬間、時代は江戸へと溯る。俺は今、二十世紀の井伊家へ行くところだ。それなのに一瞬、井伊直弼のお悔やみにいくつもりになった。

 雪はいつのまにか、やんでいる。傘を慌てて閉じて、魚辰の指した方角へ歩いてゆく。魚辰は今日、すでに何十回も井伊家を案内しているのかもしれぬ。いい加減、嫌になっただろう。それで顎を使った::。まあ、いいや。琵琶湖方面の空が、一部青くなる。今日はお悔やみも早々に切り上げて、うまいものでも食って帰ろう。

 さて、琵琶湖は雨ばっかりと書いてしまったが、実は筆者は大の琵琶湖好きである。湖西・湖北のハイキングも良いが、湖東の町もあなどれない。彦根も最近観光に力を入れているらしいが、やはり長浜がおもしろい。彦根と長浜。迷ったら長浜が◎である。井伊家には悪いが、長浜北国街道の玩具箱みたいな魅力にはかなわないのであった。

 

●井伊家より鯛の注文ゆうぐれの雪のさなかを曲がり行く傘(きうい)

 

 

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文部大臣オペラグラスで芒野に突撃のまぼろしを見てゐた

【魔王】

 

 防衛庁長官ではなくて、文部大臣なのね。しかし、筆者は思う。防衛庁より文部省の方がよほど戦争好きなのではないかと。戦争好きには二通りある。お金を儲けたい人。かつての財閥ですね。だが、これは今では滅びた。戦争以外に充分儲ける方法ができたからだ。残るのは人を支配したい人。文部省というのは、これほど人を支配できる役所はない。なにしろ教育を担当している。人の考え方をコントロールすることは、ある種の人間にとって、これほどの喜びはないのだろう。

 ただし、この文部大臣は別である。といっても、日本の大臣は権力者ではないからね。次官にいいようにあやつられている名誉職ですよ。それゆえこの文部大臣も、弱気な人である。いつもにこにこ、選挙民を意識している。次官には逆らわない。首相にも逆らわない。大臣になれたこと自体を喜んでいる。

 そんな文部大臣がオペラグラスをのぞいている。ここまではリアルな肖像だ。さてオペラグラスでのぞいているものは何か。オペラか。おいおい。小泉じゃないんだから。政治家に文化好きな人はいませんですよ。ふつうオペラが好きな人は政治家になりません。志向の方向がまず違う。美を愛する人は権力には興味がないものです。小泉はやはり変人です。では何か。競馬に決まっている。弱気でストレスがたまっているこの文部大臣の唯一の楽しみが競馬なんである。帽子にサングラス。変装して中山なんかに姿を見せる。

 もちろん大穴ねらいである。自分に政治家としての実力がないことを重々承知しているので、弱い馬に勝たせてあげたいんである。それはまた自分の姿にも重なる。文部大臣。将来の首相候補ならこのポストにはつかない。外相とか官房長官とか財務相。自分も大穴である。だからいつも弱い馬を応援する。

 そうして、したがって案の定、応援する馬は早くも第二コーナーで脱落する。ところが、馬の集団がオペラグラスから消えて、例の、応援している馬だけになった瞬間。グラスの向こうに芒野が出現する。ありゃ。オペラグラスを離すと、やはり競馬場の喧騒がそこにある。もう一度グラスに目を戻す。やはり芒野だ。

 ん。人がいるぞ。芒野の合間、合間に人が隠れている。カーキ色の服を着て、ヘルメットを被っている。じりじりと、人は向こうの方へ進んでいる。芒野の奥には鉛色の空が垂れ込めている。

 いきなり人が中腰に変わったかと思うと、猛烈なスピードで突撃をはじめたではないか。おいおい。文部大臣の手には汗が握られている。足が震えている。ここはどこなんだ。千葉県の中山ではないのか。俺は文部大臣だぞ。無礼は許さんぞ。突撃は中止だ。中止だ。やめないか。俺は大臣なんだぞ。俺は・・・。失禁するのもかまわず叫びつづけた。

 

●芒野の駅に降り立ち涙ふく文部大臣を月が照らして(きうい)

 

 

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ヘルシンキ宛の荷物にあによめが容るる葛根湯 春深し

【魔王】

 

 さて復習です。塚本邦雄がまぼろしの領域を広げるためによく使う技法。対を構成する語句。この場合は「あによめ」ですね。兄嫁に対するのは義理の弟、つまり夫の弟である。ほほう。含蓄にとんでいる。兄嫁と弟の恋愛は、夏目漱石の「行人」にくわしい。筆者はかつて漱石の「行人」を題材にして、謡曲風の構成で短歌を詠んだことがある。タイトルは同じ「行人」、一連三十首。シテは兄嫁の亡霊。ワキが生きている弟。ツレは兄の亡霊。結局、兄嫁はやはり弟が好きだったのね。ところが弟は自分も兄嫁が好きなくせに、逃げてばかり。それを死んだ兄嫁が非難するわけです。恨んで亡霊になる。だから筆者は、あの兄はえらいと思いますよ。妻を愛していて、それを恥ずかしげもなくおおっぴらにする。苦悩する。それに比べて弟は保身だけ考えて、うまく逃げおおせる。

 さて、それゆえ。「あによめ」が荷物に葛根湯を容れるのを見ているのは、弟である。ヘルシンキには、兄が単身赴任で滞在しているのだろう。商社マンか。家具の買出しか。ムーミングッズの輸入とか・・・。ヘルシンキは寒い。冬が長く春が短い。風邪でも引かぬよう。そこに兄嫁の夫に対するきめやかな心遣いがある。葛根湯というのがいいですね。何か、優しさを感じる。パブロンとかだと(筆者はこれ飲むけど)、何か「はよ治してしっかり働きや」みたいな刺とげしさを感じるが、葛根湯には「ゆっくりお休み」という安心感がある。

 それがまた、弟には悔しい。悔しくて悔しくてたまらない。つい手をぎゅーっと握ってしまう。

「姉さん。」「なに。」「僕にも葛根湯おくれよ。」「あら、風邪ひいたの。」「ううん。もしかして引くことがあるかもしれないから。」「そのときあげるわよ。」「けち。」

 弟には、兄嫁が荷物に葛根湯を容れていたときの、その掌が忘れられない。勉強していても、その掌ばかりが頭に浮かぶ。勉強に実が入らない。いや、だめだ。勉強がんばっていれば、夜食をもってきてくれるかもしれぬぞ。いそいそ。ところがもってきてくれるのは母親で、「な〜んだ。オカンか。」「な〜んだとは、何だ。けしからん奴だ。」となる。まあ、夜食というのは自分でつくるもんだけれどね。

 そうして重要なのが、「春深し」なんである。「春浅し」の方がよく使われるが、この「春深し」も味わい深い季節である。春が行き着くところまで行ってしまった。あとは夏になるだけなのだが、夏にはなれない。ある程度の温さがあって、まんざらではないのだが、その先については、すでに諦めのアンニュイが漂っている。そんな温かい諦観が「春深し」なのではないかと、筆者は想像するのだが、これはもっと研究してみねばなるまいよ。こうして弟の靄々はいつまでも夏にならずに、尾を引くのであった。

 

●葛根湯もらえる男になりたいなら孤独に耐えなさい 春浅し(きうい)

 

 

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梅雨上つてなほうすぐらき空鞘町二丁目に在郷軍人会がある

【魔王】

 

 「空鞘町」。もちろん似偽の地名です。もしかしたら本当にあるのかもしれないが、それではつまらない。ただ、この世には真面目な人が相当数いて、本気でこれはどこにあるのか、調べようとする。筆者は学生の時に若書きの下手な小説を書いたことがある。それを友人の同人雑誌に載せたところ、「知識をひけらかしている」と散々な批評にあった。違うんである。すべて造語で、似偽の知識だったのだ。くそ真面目な固定観念にとりつかれていなければ、すぐにそれが造語で、パロディであることは判るはずだし、友人はむろん判ってくれた。だが、真面目な人は、他の人もすべて真面目だと信じているところがあるので、なかなか厄介な問題である。菊池桃子のミモザの駅の歌も、当初「どこにあるのか」という問い合わせが頻繁にあったらしい。ニセモノを悪と決め付ける人の前では、美も儚し、であるよ。似偽の地名を詠んだ歌に、こんなのもある。

●狭霧町一丁目二番館にてけふ「ボルジア家の毒薬」上映(都築正史)

 これを真似て筆者が詠んだ歌。

●蛇ケ丘六丁目「桃菓堂」にて誘拐した少女に脛けとばされ(蔦きうい)

 痛テェッ!てか。

 さて、空鞘町。梅雨が上がったのに薄暗いという。よくありますな。なんか、じとっとした町。ところが、それと裏腹に「ソラ」「サヤ」の爽やかな感触はどうしたものか。これは明らかにアンビバレントなイメージの激突を狙ったものに相違ない。都築正史の「狭霧町」と「毒薬」、蔦きういの「蛇ケ丘」と「桃菓堂」が同質のイメージの重なりを伺ったものであるのに比べ、塚本邦雄は明晰な対立を試みている。しかも、その先に「在郷軍人会」という重々しいものをもってくるに至っては、さらに「空鞘町」の明るさが浮いてくること甚だしい。ここに二重の転換がもたらされる。冒頭のこの歌をじっと見てください。「空鞘町」だけが妙に突出しているでしょ。

 この背反するイメージこそ、空鞘町が虚構である一つの根拠となっている。非情に現実感のうすい町。歩いている分には何か湿度とほの暗さを感じるのだが、たとえば写真に撮ってみたりすると、そのアウトラインが青空の元に明晰に表出されていたりする。奇妙な感覚。例えば、もうこれ以上進めないというバスの終点から、さらに歩いていく。すると、どん詰まりに不思議な町が出現する。だからバスは好きなのだが(電車の駅からはこのような町に辿り付けない)、それにしても「鞘」という漢字が象徴するように、ぽっかり穴のあいた空間というべきか。

 そんな虚構の町に、在郷軍人会つまり戦前の予備兵の組織があるというんである。すると、これは一種のタイムトラベルになっている。空間移動がそのまま時間移動になってしまうという、不思議な地理の歌なのであった。

 

●黒豆町六丁目九番バス停前アパートに住む水野忠邦(きうい)

 

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横丁の焼肉「獏」のあたりからこの街の砂漠化がはじまる

【獻身】

 

 むろん「獏」という焼肉屋があるわけではない。あるかもしらんけど、さしあたってこの歌には関係がない。実際に獏という動物はいるが、塚本邦雄が「獏」という場合には空想上の、例の夢を食べるという、獏を連想してしまう。獏といえば思い出すのは、「夢の棲む街」の山尾悠子。獏というものを初めて教わった。なんと、どこへ行ったのかと思っていたら、最近復活したそうではないか。なんか、複雑な心境。神様が突如、人間になって降りてきたというか。塚本邦雄が好きならば、きっと山尾悠子も好きだろう。国書刊行会から作品集がでてます。高いけど。早川文庫版を古書店で探す。これも高いかな。

 さて、これはもう、「見立て」の地理学ですね。ふつうに、街を歩く。すると街は、街としてだけ見えるものではない。その時の心境によって、見え方が異なるわけである。なかば無意識、なかば意識的にそういう見方をする。散歩をしていて、いきなり崖の上に出てしまったとする。これはもう、国境なのね。ううむ。国境か。仕方ない。引き返すか。それとも、迂回路を探して密出国するか。広い庭にガーデニングしている家をみつけると、にやりとして、ここはカナダのビクトリア。ガーデニング原理主義の町なのだ、と思ってしまう。

 焼肉屋というのは、けっこう横丁に多い。それも商店街とかではなくて、住宅地の横丁にも多い。これは焼肉というものが、安くて良い肉と、タレの秘法さえあれば、長い苦しい修行をつまなくても開店できてしまう性質に由来するのではなかろうか。つまり、普通の民家が突如、焼肉屋に様変わりする例が多いんではないかと思う。同じことはたこ焼や、にも言える。住宅地にポツンとある。

 それは極端な例にしても、焼肉屋が商店街と住宅地の境界線上に多く分布するのは確かであろう。つまり商店街が終わって、ここから住宅地という、そのラインの内側か外側に小さな提灯が下がっているわけだ。もうもうとたちこめる煙。椅子は簡素な丸椅子。ビールのケースが外に積まれている。

 散歩している人間は、「あれ」と思う。「獏」、か。へへ、夢でも食われちまうのかな。すでに夕闇の帳が九割がた下りて、住宅街のスカイラインに一刷けのグリーンだけが残っている。そのとき、散歩者の中に奇妙な空洞が発生する。俺はなぜ、こんなところを散歩しているんだろう。そもそも散歩には理由がない。見よ、だから健康上の理由あって歩いている人は、猛スピードで通り過ぎる。街の観察なんかしていない。それは筆者のいう散歩にはあたらない。理由なき散歩者が何かにひっかかって突如理由を探しはじめるとき、街は砂漠化する。「獏」にひっかかった散歩者は、その先、住宅街に抜けてゆく横丁に砂漠の幻影を見る。もう一歩も進むことができず、散歩者は立ち尽くす。

 

●砂漠へと足を踏み入れ振り返る思えば過去も砂漠であったか(きうい)

 

 

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西空薔薇色にくすみて呉服商雁金屋二男尾形光琳

【獻身】

 

 へえ。尾形光琳って、呉服商の子息だったの。それにしても、こういう知識そのものを置いて、そこに詩情が発生するんだから、おもしろい。これはどちらかというと、俳句の手法ですね。そのまま、置いてみる。「呉服商雁金屋二男尾形光琳」これだけで立派な俳句だ。あとは背景をちょっと、目立たぬように水彩でほどこしてあげればよい。だから「西空薔薇色にくすみて」は、わざと淡く描いている。下が濃いからね。

 ところで光琳の代表作「紅白梅図屏風」は熱海のMOA美術館にある。まだ行ったことはないが、是非とも行きたい美術館の一つです。近年、地方の景勝地にこういうすばらしい美術館が増えてきた。いいことです。ゆっくり楽しんで見ることができる。また、筆者はこちらの方が好きなのだが「燕子花図」。これも根津美術館というすばらしい美術館がもっている。それに対して都会の大美術館の海外企画展。混みすぎ。特に名指しはひかえるが某京都市立美術館と某神戸市立博物館。地下鉄御堂筋線みたいな混みようだ。これは美術館側の宣伝もさることながら、日本人の行列を尊ぶという性質にも問題があるような気がする。

 さて「呉服商雁金屋」。ここで江戸時代の豪商の建物が映し出される。越後屋とまではいかなくとも、大きな構えの店だろう。と同時に、店のファサードだけでなく、奥の奥、丁稚さんの部屋とか、台所とか、生活空間まで思いを馳せることができれば上等である。なぜなら、光琳は店というより、奥で生まれ育ったのだから。

 こうしてまず、豪商の二男としての光琳を想像してみる。お金持ち。大勢の勤め人の中での暮らし。幼少期から思春期。少しずつ、光琳の哀しみが伝わってくる。もちろん、光琳は若きころに遊蕩を重ねた人物として有名だ。しかし、上句の「薔薇色にくすみて」が、遊蕩さえをもその底にある哀しみの方へと引きずってしまう。奔放な人間であったという事実ではなく、哀しみを湛えた人間として光琳を読め、と塚本邦雄が要請するんである。

 そうした過程を経て、はじめて晩年の尾形光琳像が想起される。西空が薔薇色にくすむのは、この晩年像としての光琳である。西空というのが、その読みを可能にする。晩年の光琳はすべてを包含している。遊蕩の時代も、芸術に目覚める時代も、新しい絵画の世界を切り開く時代も。すべてを抱えこんだ光琳として「呉服商雁金屋二男尾形光琳」という何の装飾もない表現が生かされている。

 それでやはり、光琳は哀しい。菖蒲も描いた。紅白の梅も描いた。一切合切が哀しい。今、来し方をふりかえって、何が残ったのか。残ったのは、あの愛宕山(光琳って晩年まで京都にいたのかなあ。そのへんは知らないが)の上空にある薔薇色の空だけではないか。その空さえ、今はくすんで見える。

 

●夕暮れの庭のユーカリ見上げてはクラナドツブセ幼き光琳(きうい)