塚本邦雄 百首 8190

 

81

よこざまに言葉逸れつつ灼熱のスープの皿に浮く秋の蝶

【青き菊の主題】

 

 この世には際限なく自己弁護を続ける人種というものが存在する。彼らは、自己愛に満ちていて、彼自身そのことに気づいてはいないが、実は周囲の人にはすぐにそれと知れてしまうぐらい、あけっぴろげに自己への執着を語る。彼らは一般的に「いい人」に見える。そしてまた、最も具合の悪いことには、自分が「いい人」だと信じて疑わない。それゆえ、人を傷つけてもそれに気づかず、あまつさえ、自分は「いい人」なのだから人はみな自分に敬意を払うべきだと信じている。だから、彼に傷つけられた人が彼に対して不満げな顔でもしようものなら、「君は変人だ。なぜなら私のようないい人に対して反抗的な態度を示すのだから」と平気で口にするのだ。

 そういう人がもし、正面きって反撃に出られたときはどうするか。言葉をどんどん逸らしてゆくんである。あるテーゼAをもちだされたときに、Aに対して反論するのでなく、Bをもちだす。Bを反撃されたらCをもちだす。どんどん、ずらしてゆく。そういう「いい人」に反撃を試みたりする人間というのは、たいていが純粋な、正直者であるから、言葉だけが逸らされていき、ことの本質が遠ざかっていくのを、青ざめた顔で見送るしかない。事実、言葉の世界には本質は存在しないと考えてよい。だから言葉で反撃しても、本当は無駄なのだ。彼ら「いい人」は自分を守るべき逸れた言葉をもっている。本質はそれに太刀打ちできない。

 そうして灼熱のスープ。すばらしい某コペンハーゲンかなんかの皿に注がれている。テーブルもまた豪華なものだ。そこには確かな形式がある。冷たい人間ほど形式を重んじる。ゆえにそこに座っているのは、冷たい家族である。冷たい形式を必死で守ることにのみ専心し、暖かな愛を育まなかった集団がそこに座っている。

みな、「いい人」の顔をとりつくろっている。だが、正直者で純粋な一人の少年が今夜に限って見当たらない。風邪でもひいたのか。

「いえいえ、風邪なんかじゃありませんのよ。彼は、いい人のお面をつけられなかっただけ。自分の部屋にでもいるんでしょうよ。おほほほほ。」

 少年は部屋になど、いてない。少年もスープが飲みたかった。少年はスープが大好きだった。「いい人」になるためにスープをおいしそうに飲むふりをする家族とは、根本から違っていた。それで少年は、ゲストが来る以前に、その冷たい家族から粛清を受けてしまったのだ。真実を言ってはいけない。「いい人」はたとえ悪いことをしても、「いい人」であり続けなければならない。

 こうして少年は蝶になった。はや秋。蝶は最後の変身を完成し、スープの中に飛び込む。外では鮮やかなグリーンの空が、野の果てまで続いている。

 

●洋館の燃え尽きるさま省みず大空へ飛びたて秋の蝶(きうい)

 

 

82

なほざりに片陰の水春の蚊を孵しダンテの書のめくりきず

【されど遊星】

 

 深い春。午後の静かなひとときは庭にハンモックをつる。ちょうど木漏れ日が胸にあたる程度に。そうしてダンテを書棚から引っ張り出して、読む(いいなあ、いいなあ。こんなの、してみたいよお。でもダンテは難しいから、断然アガサ・クリスティ)。

 深い春。なぜこんなにも、物憂いのか。齢八十。したいことは、すべてし尽くした。あとはダンテを原書で読むことのみ。

 深い春。日も翳り、少しうとうとする。さきほどから、その季節には早い蚊が、喉のあたりをうろついている。鬱陶しいが、動きものろく、やがて死ぬのを待ってやろう。

 どこから来たのか。と思って寝返りを打つと、木陰の水溜りにボウフラがうようよ、いてる。ふん。不用意に孵しやがって。舌打ちをしてみるが、それも空しく響く。

 翌日は午前中に古書店めぐりをした。おもしろそうなものは、なにひとつない。俺にはダンテのみ、か。帰りに喫茶店でカレーを注文する。不味い。やめておけばよかった。カレーは妻のつくるものに限る。早速メールを打っておこう。

「こんばん、カレー」

「茄子、買ってきて」

 やれやれ。八百屋に寄らなければならなくなった。汗ばむ額をぬぐって、坂道をあがる。八百屋はここと決めている。こんなことなら、自転車でくるのだった。

 夕食のカレーは絶品だった。カレーはこうでなければならない。満足して今日は早めに床についた。

 しばらくたって、いつものようにハンモックでダンテを読んでいると、いつになく熱っぽい。体中が痛くてたまらない。インフルエンザか。季節はずれだな。季節はずれといえば・・・。何かひっかかるものを感じたが、すぐ忘れた。

 ちょうど休暇中だった息子を呼んだ。「熱があるみたいや。」

 息子に抱きかかえられて寝室に入った。それから眠りに落ち、しばらくして救急車のサイレンが聞こえた。再び意識が途切れ、次に医者が「ニホンノウエン」という言葉を聞いた。息子の姿が目に入ったので、ダンテをもってくるよう、命じた。

 それからずっと夢を見つづけている。神曲の場面が断続的に現れては消える。ベアトリーチェはなぜか妻の顔をしている。

 ずっと目は覚めなかった。庭のハンモックの場面も夢に出てきた。そうか。季節はずれ。あの蚊は、コガタアカイエ蚊だったのだな。不用意に孵しやがって。意識がもうろうとしてきた。妻の顔が見えた。ダンテのページをめくらせてくれた。もう、ボロボロになっている。おい。それより、ダンテより、カレーだ。それが僕の最後の言葉になった。

 

●生き残るベアトリーチェよ我がためにカレーパンなど供えてくれ(きうい)

 

 

83

もののふは木曾さきの世の夏の戀青き嵐にあひつつ逢はず

【されど遊星】

 

 この歌は情報量が多いので、詩のように分かち書きすると、わかりやすい。

  もののふは木曾

  さきの世の夏の戀

  青き嵐にあひつつ

逢はす

 武士である。武士が木曽路をひた走りに走っている。

 島崎藤村が「夜明け前」で言ったように、木曽路はたいそうな山の中だ。木曾山脈の西側の、その木曾谷を中山道とJR中央本線が通っている。筆者は夏に信州の山登りをするので、しばしば中央本線の特急「しなの」を使う。山です。中津川から塩尻盆地にでるまで、平らな土地は木曾福島のわずかだけ。あとは切り立った谷底を見下ろすように電車は走る。なぜ木曾谷なのか。例えば中央自動車道は木曽山脈の東側、伊那谷を走る。こちらは広い盆地に大きな都市がいくつもあり、水田やりんご畑もひろがっている。こちらの方が交通の需要は多い。おそらく中央リニア新幹線も伊那谷を通るだろう。思うに、中山道や中央本線の時代には、木曽山脈を東から西へ越えられなかったのね。中央自動車道は飯田を過ぎると長いトンネルで木曽山脈を越える。越えないと、そのまま静岡県にでてしまう。名古屋や京都方面からはずれてしまうのだ。(調べたら単に政治的な誘導だった)

 それゆえ、険しくとも木曾谷を使う。そして武士は、幽霊である。もうすでに死んでいる。「さきの世」とある。もう一度生まれ変わったのではない。生まれ変わらずに、いまだ幽霊のままなのだ。そのわけは、「夏の恋」にある。ここで「木曾」の青々しい鬱蒼とした木立と、「夏」のむせかえる植物臭が呼応する。武士は、「さきの世の夏の戀」を納得することができない。だから生まれ変わることができない。生まれ変わってしまえば、「さきの世の夏の戀」の回答を聞くことができないばかりか、それを自ら見捨ててしまうことになる。それはできない。たとえ幽霊であっても、夏の恋を忘れたくはない。

 いったい、何がおこったのか。青き嵐。この「青」も、「木曾」「夏」に呼応している。嵐のない人生など、ない。ないけれども、私たちは嵐にあえば、うろたえてしまう。絶望に身を引き裂かれる。そうなれば、余計に恋人に会いたい。

 しかし、「嵐にあひつつ」。この「つつ」は逆接だ。嵐にもかかわらず、そうして恋人には逢えないんである。なぜなのか。この世にはたいそうな試練がある。愛しているのなら、会わない方が本人のため、とか。人生が嵐ゆえ、会わない方が後々良い、とか。そうして、武士は武士の我慢強さで、会わない。会えないから、山の中をひた走りに走る。「恋しい」声を封印して、武士は幽霊のまま、身を引きちぎるようにして、走っている。

 

●走っても走っても愛を言わざるべしこの世の永遠の君と知るゆえ(きうい)

 

 

84

男の死ことに星零るカンサスの見ざりし町の夜の冬旱

【されど遊星】

 

 男の死。筆者も男なので、自分の死に無関心ではいられない。この歌は、男の死のあるべき姿を極めているように思う。筆者は、実は、もういつ死んでもいいと思っている。この世に未練は、ない。ただ、どういう死に方がいいか、とは考える。すると、この歌などはかなり上等の部類に入るだろう。

 カンサス。アメリカ中央。小麦畑が広がるステップ。このステップをアメリカではプレーリーと呼ぶ。それは星が降る、まちがいないでしょう。だって、カンサスはアメリカの田舎です。州都のカンサスシティだって、ちっこい町だ(行ったことないけど)。だいたい、アメリカの州都というのは、片田舎の小さな町にある。カリフォルニアの州都がサンフランシスコでもロスでもなくサクラメントだというのはまだしも、ペンシルベニア州都はフィラデルフィアでもピッツバーグでもなくハリスバーグという人口十万未満の町である。と思って、念のためカンサスを地図で見ると、ありゃ、ちゃうやん。カンサスの州都はカンサスシティではなく、トピカだ。これはつまり、栃木市や山梨市や沖縄市に県庁がないのと一緒ではないか。

 その田舎の州の「見ざりし町」。見たことも行ったこともない町。良いではないですか。コンバインハーベスターが唸りをあげる広大な小麦畑の果てにある小さな町。たまに変な飛行機乗りが降りてきて、十ドルくらいで遊覧飛行をやるような。おっと、それはリチャード・バック作、村上龍訳の「イリュージョン」ぢゃん。あれはイリノイ州だから、小麦畑ではなくて、とうもろこし畑ですね。

 ともかくアメリカの田舎の畑のむこうの町に星は降りつつ、冬のひでり。といっても、カンサスはステップだから、ほとんど雨なんか降らないんだけどねえ。それはそれ、その乾燥ぐあいが、死ぬ直前の気分にぴったりだと思う。

 もう涙も枯れ果てて、歩きつかれて、人にも疲れて、たどりつく冬のひでり。もう何も残っていない。すべてを失って、冬のひでりのなかで、星を見上げる。星が、絶望せよ、絶望せよ、と教えてくれる。男の死というのは、やはりすべてを投げ出さないといけないんである。何かをもったまま、あとに未練の水脈を引くようでは、いかん。すべてを捨ててたどりつくカンサス。

 逆に言うと、生きているあいだに、男はすべてを投げ打つ覚悟が必要だ。自分の地位を保とうとする男は、死ぬ資格はない。自分が優等生であり続けることに金や気(しかも自分の労力だけならまだしも、家族の気まで使う奴がいるからね)を使う輩は、死をまっとうすることができないだろう。こうして男は、裸になって、水分も失って、死を完璧にするために、カンサスを心に思い描くのであった。

 

●カンサスの夜明に浮かぶ旅の宿おとこの眠りを容れてやすらう(きうい)

 

 

85

鵞肝羹のきのふはかなく雪ふりてふと甲斐歌のさよのなかやま

【されど遊星】

 

 フォアグラ。んまいですねえ。何も高い店にいく必要はない。家庭的な洋風レストランでも、充分においしい。筆者は京都の住宅地に一軒、そういう店を知っています。教えてあげないよ。混むとやだからね。なにしろオーナーシェフ一人で調理して奥さんが赤ちゃん背負って運んでくるんだから。最近行ってないけど、まだやってるかなあ。

 一方で、フォアグラには暗い側面がある。フォアグラは、淋しい。フォアグラの一皿をテーブルに乗せてみると、必ずそこは薄暗い部屋である。白い漆喰は清潔なのだが、いかんせん電灯が黄色くくすんでいる。フォアグラには哀愁がある。人間のどうしようもない悲しみ、たとえばポルトガルのファドが似合う。まちがっても、華やかなフランス料理店や、賑わしいイタリア料理店で食するものではない。路地裏の小さな飲み屋で食らうべきものであろう。その飲み屋の最も高額な皿。フォアグラのソテー。黙って、恨みや悲しみを堪えながら、安いワインで流し込む。涙を見せてはならぬ。パンを頼んでもよい。パンはフォアグラによく合う。

 隣の客が、昨日の雪のことを話題にする。そういえば・・・。もうそんな季節か。路地の石畳の上にも、ふんわりと積もった。雪なんか十年ぶりかなあ。十年か。この町に来て、俺も十年たった。辛いことばかりだったような気もするが、楽しいことしか思い出せない。辛いことというのは、記憶に残らないのかもしれない。

 ファドが、地方の民謡をうたいはじめた。

「きのう雪ふる 甲斐の国

 君のゆびさき 冷たくて

 あの十年を 思い出す

 きのう雪ふる 甲斐ならで

 君の温みを 小夜の中山」

 ねえ。甲斐の国って、どこ。遠い遠い東洋の国の山の中さ。

 こうして、ポルトガルの場末の酒場の片隅に、「さよのなかやま」が出現する。峠。夜っぴて馬を引く馬子。ほんのり、雪が舞っている。馬子は、馬子唄をうたう。馬に乗っているのは誰だろう。馬子と馬と、誰か。雪の中の峠を越えてゆく。

 拍手が沸きおこって、「さよのなかやま」のヴィジョンは中断された。歌手は次の唄にとりかかっている。再び俺の中に「さよのなかやま」があらわれた。すでに馬は峠を下りて、姿は見えない。雪だけ俺の頭にふりかかる。しかし、なぜか。あたたかい。なぜだろう。この峠を自分の中にもつと、ほんのり温さを感じる。

「きのう雪ふる 甲斐ならで 君の温みを 小夜の中山・・・・」

 

●あのころの駅に雪ふるフォアグラに君の温みを小夜の中山(きうい)

 

 

86

煙のごとく父老いたまふ大和國高市郡明日香村祝戸

【豹變】

 

 飛鳥。まかせてください。もう二十回近く歩いている。しかも、祝戸。最も得意とするところです。では、ハイキングといきましょう。近鉄飛鳥駅から出発。まず駅前のレンタサイクル屋さんをかわすのが大変です。駅舎を出ると三件くらい、寄ってきます。山田寺の方まで行くならともかく、歩いた方が楽です。けっこう坂があって自転車もきつい。

 さて交差点をわたってから左に折れて鬼の俎板方面へ。この辺りの畑は、色々な花を植えていて最高の散歩道。さらに亀石。ここの無人販売所で野菜を買いましょう。突き当たりを右へいくと橘寺。中を通過するには拝観料が必要ですから、お寺の右側を迂回します。苺のビニールハウスを横目に川沿いを登っていくと石舞台公園の南側に出ます。石舞台は菜の花と梅の時期が最高。さあ、そして。石舞台の南側こそが祝戸の集落なのです。山へ登って展望するもよし。集落をぶらぶらするもよし。筆者はいつも、祝戸の集落から山沿いに稲淵へ向かいます。すると稲淵の棚田の上へ出ます。いうまでもなく、彼岸花!絶景ですよ。帰りは車道を通って祝戸に戻ります。もし自転車なら稲淵を西へ越えてみましょう。亀石の方や、高松塚の方へ出ます。

さて「煙のごとく父老いたまふ」。むろん父が飛鳥に住んでいるわけではない。煙のように老いること自体が即「祝戸」なんである。確かに祝戸は、煙のように老いるにふさわしい枯れた味わいのある集落だ。だが、祝戸を知らなくてもよい。「大和」「武市」「明日香」

祝戸」すべての地名からそこはかとなく、煙が漂ってくるではないか。地名というのは、そのものが匂いのするものなんであるよ。

 だから、塚本のおっちゃんは地名にこだわる。地名の収集家といってもよい。おっちんが住んでいた東大阪市をしきりに嘆いていた。東大阪は、布施市・河内市・枚岡市が合併したものである。その布施というすばらしい地名が亡くなったことにお腹立ちなのである。近年、平成の大合併で由緒ある地名が消えていっている。だが、それは昔からのことなんである。おおかたの記憶からなくなったと思うが、北九州市。あれは八幡・小倉・門司・若松・戸畑の合併だ。そう聞くと中学生は納得する。ああ、だから八幡製鉄所は北九州工業地帯にあるのね。

 塚本邦雄は、地名にポエジーを見出した第一人者であろう。西脇順三郎なども地名を効果的に使う達人であるが、おっちゃんの場合は地名単独の中に詩情を発見した。だから、この歌についても、「大和國高市郡明日香村祝戸」だけでも充分に詩として成り立つ。逆に言うと、「煙のごとく父老いたまふ」の方が「祝戸」の喩になっていると考えてよい。「父」は、「祝戸」を惹起するための助走として使われているんである。それゆえ、祝戸という集落の中に、煙のように老いた父のイメージが重なるのであった。

 

●琉球国八重山列島由布島で煙のような老いをもちたし(きうい)

 

 

87

紅葉溪行きの車掌のバッソ・プロフォンド他界へはどこで乘り換へるのか

【詩歌變】

 

 塚本邦雄を読み始めた当初から好きだった歌。なにしろ筆者は鉄ちゃんですから。「車掌」とか、「乗り換え」とか聞くと、それだけで詩情が勃起してしまうのです。

 さて「バッソ・プロフォンド」。筆者は十年以上ずっと「パッソ」だと思い、それで暗誦していた。イタリア語っぽい活用の「パス」。つまり奥へ進む。おお。これは「しゅっぱあつ・しんこう」ではないか。筆者は駅で車掌の横に立ち、「パッソ・プロフォンド」と指差し確認していたわけである。

 昨年、短歌結社の雑誌『玲瓏』に鑑賞文を書くことにし、初めて調べてみた。おいおい。「パッソ」ではなくて、「バッソ」ぢゃあないか。しかも、声楽用語で「深い低音のバス」を意味するそうだ。クラシック大好きのおっちゃんらしいや。

 しか〜し。そうなるとこの歌の解釈に重大な問題点が出てくる。「他界へはどこで乘り換へるのか」この言葉はふつうなら当然、乗客が言うはずである。客が車掌に尋ねているんである。ところが「バッソ・プロフォンド」が深い声という意味だとすると、それはむろん車掌の声なわけだから、車掌自身が「他界へはどこで乘り換へるのか」と尋ねていることになる。おいおい。おかしいやん。そんな車掌、あってよいはずがない。車掌は鉄ちゃんよりも鉄道に詳しくなければならぬぞ。

 そんなわけで最近のJRの駅員はなっとらん。入社が難しくなって学歴は高いんかしらんが、鉄道を何も知ってない。大阪から信州駒ヶ根まで買ったら豊橋経由の高い切符売りつけよった。天王寺駅のあんただよ。誰がそんな暇な経路使うちゅうねん。

 こうして紅葉溪を右岸へ左岸へと渡りつつ軽便鉄道が登ってゆく。カーブのたびに車輪が軋む。ときおりスイッチバックする。そのときだけやや、広がった空から光沢の消えた青がのぞく。それ以外は深い深い森の底を走る。「次は、涌ノ沢」車掌の深いバスの美声が車内にこだまする。

ところが、いつしか。乗客が尋ねる言葉「他界へはどこで乘り換へるのか」を車掌自らが発しているのである。車掌の身に何がおこったのか。運命の案内人であるはずの車掌が、いつのまにか、案内されるべき乗客になりかわってしまっている。主客の転倒。案内することに疲れたのか。そうではあるまい。一線を越えたんである。案内できる限界を越えたため、自ら乗客になって案内を請うしかない。ただし、今度は案内してくれるはずの車掌がいない。

ひとり車窓に自分の顔を映しつつ、かの深い深い美声で「他界へはどこで乘り換へるのか」と自問する車掌。自問しつつもはや選択のしようもないくらい確かな他界への径を、車掌は深く深く自覚している。

 

●転轍機またこえる度よその世へ鞠は転がり 雪は降りつむ (ゆうい)

 

 

88

驛長愕くなかれ睦月の無蓋貨車處女ひしめきはこばるるとも

【詩歌變】

 

 中学生のころ、将来のことを先生に聞かれて「駅長になりたい」と答えた。「それなら国立大学へ入れ」と言われた。しかし筆者はふと気づく。駅長というのは、つまらない仕事である。車掌も運転士もできぬ。ホームへもあまり出られぬ。もっとも、ホームへよく出てくる駅長は鉄ちゃんである。物腰ですぐわかる。彼らは、阪急電鉄のアルバイト駅員とよく似た物腰をしている。もとより阪急アルバイターは究極の鉄ちゃんであるから、ホームにでしゃばる駅長もそうであると断じてよい。

 もっとも、小さな駅の駅長ならば、おもしろいかもしれぬ。駅前のロータリーにはバスが一台停車しているだけ。洋菓子店と不動産屋が一軒。駅舎は平屋。周囲に百日紅の木がある。売店はない。緑の窓口とか旅行社の類もない。改札を出るとすぐに一番ホームで、跨線橋を渡ると二番・三番ホームがある。どのホームも屋根は一部しない。あとは野ざらしだ。野ざらしのホームには花壇がある。駅長みずからガーデニングする。冬はパンジー。春はチューリップ。夏はサルビア。秋はコスモス。一時間に上下各二本の電車。急行は停車しないが、都会に入ると快速にかわる普通電車のみ停まる。基本的に駅長ともう一人の駅員が交代で出る。暇だ。ホームで地元のおじい・おばあとしゃべるのが楽しみだ。

 本線なので、貨物列車はよく通過する。鉄道なら何でも好きなので、貨車を見るのも楽しみの一つだ。実は貨物のダイヤグラムを密かにもっていて、駅長室でながめている。

 無蓋貨車というのは屋根がない貨車で、記号で言えばトム・トラ・トキなどである。そういえば塚本邦雄とも関係の深い作家、中井英夫の小説で最後、貨物列車が闇の中へ消えていくシーンがあった。その表現が、トム・トム・トム、ワラ・ワラ・ワラ・・・という貨車記号の羅列であったと思う。この駅長もむろん、貨車記号はすべて承知している。それで業務の暇なときに、通過する貨車をトム・トム・トム、ワラ・ワラ・ワラと数えている。そうして定年ももう間近になってしまった。幸福な人生だった。駅の近くにマイホームも購入し、ローンも終わっている。子どもは独立した。妻とたまに旅行にいく。何の不満もない。

 このような駅長こそ、駅長室で不思議な夢想をかこつのである。屋根のない貨車に、おとめが仰山乗せられている。おいおい、睦月だぜ。寒いぢゃん。可哀相だよ。いいんである。ビジョンである。イリュージョンである。定年間近のおっさんの夢想である。おとめたちは不思議と寒そうな様子がない。トム・トム・トム、トラ・トラ・トラ。次から次へと、乙女たちの貨車が自分の駅を通過していく。「愕くなかれ」とあるが、それは無理である。駅長に悪気はない。ついついそうなってしまっただけだ。だから驚愕する。驚愕して、それでいて楽しい。貨車は自分の残りの人生へと続いていくようでもあった。

 

●駅長の植えたサルビア風もなき午後貨車に乗り異国へ嫁ぐ(きうい)

 

 

89

邯鄲の屍ぞころがれるあしもとに秋風のゆくへつきとめたり

【黄金律】

 

 邯鄲って。人の名前だったかな。都市の名前じゃなかったか。邯鄲のある宿屋に泊まった青年が不思議な枕で眠ると、数十年の栄華を誇る夢をみる。「お客さん、夕食できました」という声で目が覚めると、たった一炊の時間しかたっていなかったというお話。この「邯鄲」がもし青年のことを邯鄲という名辞で代表させているとすれば、そこには人間の死体が転がっていることになる。それはそれで魅力的な構図です。「あしもと」というのは、青年の屍を前に立つ「私」の足でも良いし、また青年自身の足でも良い。

 その場合の屍にはどんな意味があるだろうか。数十年の栄華も一炊のうちなのだから、死なんてものは、あっという間にやってくるのさ。あるいは、栄華というものも夢のようなビジョンでしかないのだから、死というものもビジョンにすぎないんだよ。生と死の区別は、夢のようにおぼろげなものでしかない、という説。

 では一方、邯鄲をそのまま都市の名前ととるとどうなるか。都市の廃墟が転がっているわけですね。「私」は、あるいは青年でも良いが、邯鄲の廃墟に立ち尽くしている。その足元に秋風が吸い込まれてゆく。こちらの方が魅力的か。

 こうして青年は再び夢から覚めたのである。宿の主人が起こしてくれた。それは覚えている。そして夕飯を食べた。ああ栄華というものも、儚いものなのだ。そう悟った青年は翌朝邯鄲を去ることを決意する。その決意の瞬間、足元に冷たい風を感じて、我に還る。

 すなわち、宿の主人に起こされたことすら、夢だったのだ。眠っている間に本当に時は数十年を駆け巡り、邯鄲はすでに滅び去ったあと。おそらく既に青年は青年ではない。浦島太郎である。人生とはそういうものだ。一炊だと思っている間に一生が終わってしまう。小学生のときには無限の時間があると思っていても、いざ四十になってみたら、あっという間でしょ。

 それで気づかぬうちに、都市は滅びているんである。私たちはそれを見て立ち尽くすしかない。ただし、ひとつだけ、収穫はある。子どものころ、あの秋風はどこへ向かって吹くのだろうといつも疑問に思っていた。だれにでも経験がある。秋風を追いかけて、どこまでも走っていったという。生垣を越え、畑を抜けて、丘へ上り、林の方へ。どこまで追いかけてもその収斂する場所へはたどりつかない。息が切れたころ、秋風はスピードを増して野をはるか駈け去ってゆくのである。

 そのうち、秋風を追いかける習慣はなくなる。栄華の夢を見るようになる。栄華の夢に、秋風は必要ないもんね。そうして実は誰もが栄華にたどり着くことはできない。たどりつく先は都市の廃墟でしかない。我にかえった青年がそこに見るのは人生の虚無でしかないのだが、実は子どものころの願いがそのときこそかない、秋風の収斂する場所がわかるのである。

 

●一炊の夢のあいだに描ききる邯鄲五万分の一地図(きうい)

 

90

絶唱にちかき一首を書きとめつ机上突然枯野のにほひ

【黄金律】

 

 塚本邦雄は「この一首さえあったら、ほかはすべて捨て去ってもよいくらいの絶唱を残したい」というようなことを書いている。だが、もし本当にそんな一首ができたのであれば、それこそこの歌にあるように世界は枯れ果ててしまうだろう。八十にでもなれば、そんな枯野に棲むのも良いかもしれぬ。そうしたらもう、アガサ・クリスティだけ読んで暮らそう。あ、電車には乗りたいな。そうすると温泉も入りたいか。ありゃ。だめですね。やっぱり枯野の世界に棲むことは、まだまだ無理がある。心がギトギト油ぎっていて、ためですな。たとえ絶唱一首できたとしても。だからすなわち、したがって、筆者には絶唱を歌おうという強い意志がないのね、結局。だらだらと生きて、好きな本を読み、好きな絵を見て、好きな音楽を聴いて、電車に乗っていたい。こんな人間が塚本邦雄を鑑賞しようというのだから、きっと的はずれなことも言っていると思う。

 しかし、それで良いのである。塚本邦雄が真摯に生きていたとしても、その作品は快楽である。楽しみである。娯楽である。おせんべ、かじりながら読むものである。だから筆者の塚本邦雄全集は、煎餅のカスで汚れている。

 そうすると、この「枯野のにほひ」は別のイメージで語りかけてくる。筆者にとって「枯野」とは、小学生のころから逃避の場所であった。いつも何か義務に追い立てられている感覚があって、そんな時は枯野を求めていた。だから筆者は冬が好きです。冬の枯野に立っていると心なごむ。何もしなくて良い、そう思える。

 だから筆者は、この歌の「絶唱にちかき一首を書きとめつ」を義務からの開放と受け取ってしまうんである。ああ、もういいか。ちょうど宿題をしおわったときの感覚ね。冬休みに自由研究とか、冊子のドリルとか、いっぱい宿題でる。それが全部おわると、あたり一面枯野になって、自由になる。走り出す。

 走り出すのはむろん、机の上である。机の上に突如、枯野が出現する。その場合、自分の机を想像してみてもよいが、できればもっと典雅な状況がつくりだせれば、なおのことよい。例えば、夏目漱石とか文豪がよろしい。和室。文机。横に火鉢。火鉢は良いですよ。筆者は金持ちになったら暖房は火鉢にしようと思う。机は庭に向いている。障子があって、縁側があって、ガラス戸があって、その向こうに庭。午後。明るい曇り。

 そしてすべてが脱力する。机の上に枯野が出現する。同時に和室全体も枯野になって、それは庭の方へと続いている。そのとき、ピンポーン。あら、編集者かしら。妻はでかけているのかな。ま、いいか。夏目漱石である「私」は一歩、庭に踏み出してみる。遠方で野火が上がる。野火のむこうに地平が見える。「私」はさらに、二歩、三歩、踏み出す。後ろで何度か、ピンポーン。その音も次第に遠くなる。私の後ろで机が消える。

 

●テーブルの上の枯野の道ひとすじ裏の木戸から薔薇の夜空へ(きうい)