入沢康夫の「テーマパーク」
詩人の多くはニセ地理学者である。彼らは、ありもしない国土をでっちあげ、地図を引き、勝手に地誌をつくってしまう。その中でも、全編が回遊式庭園の趣を呈している入沢康夫の『牛の首のある三十の情景』を取り上げてみる。これはまさに悪夢であるよ。こんな国があったら、すぐにでも国外逃亡したい。けれども、幸いなるかな、これはどうやら、閉じられた空間のようだ。とすれば、無限に広がる荒野の怖さは、ない。庭園、ともいえる。それならば、いつかは出口にたどり着けるにちがいない。私は、この恐怖の庭園からどうやって脱出できるか、それに挑戦してみたいのである。
この恐ろしいテーマパークの紋章は、屠殺された牛の首、である。どこを周遊してもこの牛の首が、なんらかの形で浮上してくる。逆に言えば、この牛の首がある限りは、このテーマパーク内なのであり、安心して遊んでよいという保証にもなっている。
さて入り口は、「藻のような葉」をもつ樹の森を北へぬけた所にある。例の牛の首が北東に見えていて、樹々は後ろにあるからだ。入園に先立っての儀式といえば、「プログラムを次々に燃や」すことである。計画性を捨ててかかれ、ここから先は標識無用という命令であろう。
さて最初のパビリオンは、「廃止された駅の建物」である。さっそくの恐怖の館、ですな。駅舎。駅全体が商業施設になっているターミナルの場合をのぞけば、駅舎の空間はそれほどの面積を必要としない。なぜ、あんな大きな建物なのか。いぶかしいと思うのがふつうだ。だって、僕らが使うのは、切符売り場、待合室、案内所ぐらいでしょ。切符売り場の向こうに駅員の仕事場がある。彼らが何をしているのかは、わかりにくい。ホームにたって電車を処理する。改札で見張り番をする。切符を売る。その他、何すんね〜ん。
それ以上に、その駅員室以外に、多くの部屋があるのではなかろうかという疑いが、依然わたしたちには、残っている。いったい、あの二階は何をする場所だ。駅員の宿直室ってか。ホテルみたいな広さだな。五十坪はあるぞ。わたしたちは常にそんな疑念をもちながら、駅舎をくぐってホームに出るんである。つまり駅とは、私たちの電車賃を搾取する謎の空間である。
その駅舎が廃止されている、という。路線そのものが廃止されたのか。それならば駅舎は壊されるはずだ。では、電車は通っているのに、この駅だけ廃止されたのか。そうではない。
わたしたちは、わたしは、溺死した妹が来るのを待つてゐる。妹を。―しかし、わたしたちに、わたしに、妹などあつたことか。
妹などいてないのに、妹が来るのを待っている。ここから類推すると、列車など最初から来ない、んである。線路さえ引いてあるのか、疑わしい。ここはもとから何も機能しない、つまり列車の来ない駅だった可能性が高い。ただ、ひとつだけ機能が残されている。待つこと、だ。駅とは何も列車に乗るばかりの空間ではない。人を待つ空間でもある。廃止されたとは言っているが、待つという機能のみに特化された駅、が初めからそのつもりで立てられたに違いない。確信犯である。そして、待つという行為にもその純粋さが求められる。待つ対象が、いてない。否、対象をもってはならん、のかもしれない。それゆえ、「妹を」と仮に思ってはみるが、実はその妹も存在してはならないんである。対象なしに、ただ「待つ」という行為。え。それって。ぢゃあ、永久に終わらないの?安部公房の『笑う月』にこんな一節がある。
警官の尋問に対して、男はただ「待っていた」とだけ答えた。「何を待っていたのか」と聞かれても、それには答えることが出来なかった。
待つという行為の永久性。だって誰も来ないし、誰か来たとしても、それは待つ対象ではないのだから、待つことがそれで終わるわけではない。あな。恐ろしや。
次のパビリオンは「宿」である。宿でもっとも怖いのは、迷路であろう。大きな温泉ホテルなぞは、建て増しに次ぐ建て増しで、本館、別館、新館、いくつもの建物が通路でつながっており、しかも温泉は一つしかないのであるから、部屋から温泉へ、温泉から部屋へ戻るのも大層な難渋をきわめる。温泉は山の斜面に建っていることも多いから、本館の一階か即新館の一階とは限らぬ。本館の一階イコール新館の三階イコール別館の地下二階なんてこともある。それゆえ
廊下はみるみる狭くなり、そして、いきなり、うっかりすれば転げ落ちてしまひさうなほど急な下り階段となつて、―わたしたちは、わたしは、もうかれこれ二時間も、その階段を下りつづけてゐる。
こともざらではないのである。それゆえ俳句でも
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「月光」旅館/開けても開けてもドアがある(高柳重信)
と言われてしまう。
しかし、入沢康夫が言うには、宿の不可思議性とは迷路のそれではない。誰に会うやもしれぬという広場的な空間にあるらしい。だから、自分のお祖父さんにとすれ違ったりしてしまう。しかし、「片肌を脱ぎ、極彩色の雄鶏の刺青をむき出しにして」いるお祖父さんを、「わたし」(わたしたち)は、見抜くことができず、どこからかの声によって初めてそれと知るんである。見抜くことができないのは生前の祖父に会ったことがないからか。もしくは、本当は祖父などではないからだろう。祖父でない人を祖父に見立ててしまう。そういえば、大浴場に入っていると、あれ、見たことある顔だな、とびっくりすることがある。それは単に昨晩食堂でみかけたからだったり、あるいは湯気のための空似だったりするだろう。宿は、広場のように誰もが出入りする場所だが、広場よりさらに人間どおしが接近するために、そのような不思議な感覚がおこりうるのであった。ただし、
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月下の宿帳/先客の名はリラダン伯爵(高柳重信)
そんなわけ、ないやろ。
次のパビリオンは避病院である。古い言葉ですな。隔離病棟のことか。
舗装道路の尽きるところに、避病院めく建物があり、その建物の裏側は運河になつてゐて、今しがた三角の帆を拡げた舟が夢のやうになめらかに通り過ぎだ。
そうなんである。病院の表と裏では、その顔がまったく違うんである。筆者は子どものころリュウマチ熱という摩訶不思議な病気で入院したことがある。商店街から一本ずれた道は住宅地へと入り、つきあたりに病院の入り口がある。最初は外来病棟の次の、鉄筋の四人部屋に入った。親が個室を希望してくれたので、その奥の木造平屋に移った。そのころには回復して、更に奥の結核病棟まで渡り廊下を辿っていった。もちろん入れない。ただ、渡り廊下の終点まではゆける。そしてその扉をあけてみると・・・。おお。そこに広がるのは、見たこともない広大な梨畑ではないか。いったい、この町にこんな風景があったのか。
入沢康夫の病院の裏は、運河である。そう、運河というのは必ず裏にある。病院を仮にホテルに換えてみると、金井美恵子になる。金井美恵子の場合はおそらく、そのままホテルにはもどらず、運河から旅に出てしまうこと必定である。入沢康夫の場合は足に鎖がついていて、逃げることはできない。避病院だからか。しか〜し。否、否。入沢康夫は「避病院めく」と言っているのだ。本当はそこは避病院ではなかったんである。わたしたちは、わたしは、ただの建物を避病院と見立てることによって、逃げる訓練をしていただけなのでる。それゆえ、「理由のさだかではない怯えと焦りにかられて、足どりを出来る限り速め」たくもなる。ここにあるのは見立て、シュミレーションだ。建物がわたしを縛るのでなく、わたしの見立てがわたしの身体を縛る。根本にあるのは縛られたい欲求であろう。逃げようともがくことで、わたしは、わたしたちは、縛られたい欲求を満たすのであった。
次に、廊下を進もう。廊下というのは、奥がある。廊下を廊下たらしめているのは、実は「奥」という抽象的な存在のみである。だから、「奥」がない、たとえば一メートルで終わってしまうようなものは廊下とは言わない。また、たとえ長かったとしても、その果てが明晰に捉えうるものは、「奥」がないのと一緒であるから、これまた廊下という範疇からははずされるだろう。それゆえ、俳句でも、
●戦争が廊下の奥に立つてゐた(渡辺白泉)
と言う。廊下の果てが明晰であっては戦争が立つ余地がない。入沢康夫が言うように、「廊下の突き当たりは、夕闇にすでに閉ざされて」いるのでなければならない。それでこそ廊下、なんである。そしてその廊下の奥に、「燐のやうな光を放つ巨大な牛の首が、わたしたちを、わたしを、待ちうけてゐる」ことを想像できもする。であるから、もし構造上よく見通せる廊下があったとすれば、その途中に何物か遮断する家具なりを備えつけねばならぬ。もしくは電灯を薄暗くするか、そうしなければ廊下とは、とうてい言い得まい。
廊下とは、進んでも進んでも、さらにその奥に意味不明が潜んでいる魔物である。
次に塔へ昇ってみよう。塔というのはある意味、縦方向の「どんづまり」である。そのまま宇宙まで昇ってゆけるわけではなく、どこかで必ず「行き止まり」がある。それが頂上だ。迷路好きの人間にとっては、まことにつまらない地形である。しかも、昇りはじめたその瞬間から、この先、通り抜けできませんということを宣告されているに等しいわけだから、頂上から地上を俯瞰するという楽しみでもなければ、塔に昇る価値などないといってよい。筆者は、しかし塔が大好きである。上から見た地形というのは、下でウロウロするのとは全く別のものなのである。実際の地形と地図上のそれが別物であるように、地上からの地形と塔からの地形は、全くの別物である。それは例えば別役実が、塔というものはかつては国王にのみ許された視線の特権であったと述べていることにも関連しよう。
さて、頂上にたどりついたら、引き返すか、あるいは下を眺めるという行為以外に、選択の余地はない。仕方が無いから、入沢康夫も下を見る。
そこに残して来た、こはれた手押車(もちろん、それはすでに見えない)の方に、視線を送る。あの手押車には、三つのこも包が積んであつて、その一つだけが妙に重たかつた。また、別の一つは、いつもいつも、中でカタカタと何かが鳴つてゐた。
視線を送ったのだが、「もちろん、それはすでに見えない」のだと言う。どういうこっちゃ。見えないのに記述する。それは過去を思い出して、というほかない。つまり、塔の縦方向の距離は、そのまま時間の距離なのだと言うことができる。ゆえに「手押車」は、何か新しい発見なのではなくて、自分の過去なのである。だからよく、知っている。「見えない」と断言しているくせに、こも包の一つは重く一つは音がすると熟知しているのは、手押車が過去という空間にあるからだ。
すると塔というものは、迷路にもはまれず、下を俯瞰することもできず、では何ができるかと問えば、過去を見ることだとしか、いいようがない。まことにつまらない建築物である。ただし、である。過去を見て、そこにあるのは満足のゆく回答では、ない。三つのこも包が何であったのか。重いことまでは判るが、なぜ重いのか。何が入っているのか。カタカタと何かが鳴るのは知っているが、中に何がいてるのか。動物なのか。
おお。これは迷宮ではないか。塔が「行き止まり」なのはもとより認識していたはずだから、これは確信犯ですな。塔という時間軸を先へ先へいく。てっぺんまで行くと、何もすることがないから、過去を見る。過去を見ても回答があるわけではないから、いつまでも、いつまでも、それをいじくりまわすしか、ない。塔は、過去の謎を、ただ掌でいじくってもてあそぶ場所と定義してよいかもしれぬ。
次は、台地。ヨーロッパでは、およそ台地というものは削られてできる。パリのモンマルトルなんかも、そうであろう。日本の台地は、隆起してできるのが多い。それゆえ、下町の沖積面よりも、台地の洪積面のほうが古いということになる。その境目には、必ず崖ができて、坂道が通る。江戸の八百八坂、大阪の天王寺七坂などは、洪積台地のへりにあるといってよい。
虫や小鳥の名をいただく部族から部族へと、わたしたちは、わたしは、渡り歩き、彼らの見たことのない北の海の魚を、木で彫つて商ふ。
おお。この台地はそんなちっぽけなものではなかったのね。これぢゃあ、アフリカの卓上台地だわね。そのとおり、「彼らの見たことのない北の海の魚」とあるのだから、南の台地であろう。虫や小鳥の名を冠する部族、つまりアニミズム。これは何も南方の民族に限ったことではない。日本にも、堺市百舌鳥町。ここは古いでっせ。古墳がわんさかある。百舌鳥八幡のお祭りもおもしろい。不思議なことに、大阪南部の古墳周辺には鳥の地名が多いんである。東京の目白や鶯谷はちょうど台地と低地の境界にある地名ですね。
それでもって、この南部地方の部族の人たちは、北の魚の彫刻を欲しがる。北への憧憬、南への憧憬というのは、いつの時代、どこの地域にもあるもんですな。画家の東山魁夷氏は北が好きで好きで仕方ないと、告白しておられる。ゴーギャンやランボーは、南に憧れたクチか。その点、西や東への憧憬はいかがなのか。調べてみねばなるまいよ。
こうして、わたしたち、わたしは、広い台地を渡り歩き、ついに崖へと出てしまうのである。
太古の雷神の領地、牛の先祖の化石の出る黄色い崖に来て、声を限りに泣く。
ここで、この広い台地の性格が明らかになる。台地を渡り歩くということは、太古へ太古へと人類史を溯っていくことだったのである。人は、わけのわからぬ不安を抱えることが多い。いったい、この不安の源泉はどこにあるのか。源泉がわからなくなったのは、人類史に枝葉が繁ってしまったからである。文化という蓑が、人間の生物としての本質を隠してしまった。この恐ろしく複雑な文化体系は、あの便利なようでいて、修理には困る機械を思わせる。人類が前に進むには仕方ないとしても、あまりに複雑なシステムは声明しての情動を混乱させるだけなのではないか。
だから人は、台地をゆっくり溯る必要があるのだ。そして太古という崖に辿りついたとき、声を限りに泣くことができるんである。泣いて良いのである。文化は、泣くことを拒絶する。文化は、ただうまくやっていくことのみを要求する。それを脱ぎ捨てて、私たちは思い切り泣く必要があると思う。
おお。やっと、出口が見えてきましたな。思えば今まで、出口どころか、これは回遊式庭園でさえなかっではあるまいか。だって、一つのパビリオンから外へ出られないんだもの。これでは、テーマパークでさえない。まず、駅では永久に待たねばならなかった。それはいつ果てるとも知れぬから、次のパビリオンには行き着けない。宿では迷宮にからめとられ、あまつさえ広場的な人間関係の中で身動きがとれない。避病院では、逃げようともがくのに、それは縛られたいという欲望の別名でしかない。廊下は、いけどもいけども、その先が不明瞭になって、出口に到達することはできない。塔に昇ったが最後、過去のん謎を永久にもてあそばねばならない。
結局、これは回遊式なのではなく、それぞれのパビリオンが個々の悪夢のカタログになっているのであり、悪夢が十あれば、だれでも十を回遊できるのではなく、十の固有の悪夢がパラレルに広がっているだけなのである。だから人は、そのうちのどれかに囚われて脱出でけへん。
ただし、救いの道は終わり近くになって、やっと用意されている。入沢さん、ありがとう。崖で泣くこと。そこには不安のエネルギーの開放が、ある。泣いてしまえば、あとは文化の森へ戻るも自由だ。そこには、多くの道の選択肢がある。
思えば、多くのパビリオンで経験したのは、脱機能ということであった。駅に電車は到着せず、宿では温泉に到達できず、避病院では休息することができず、廊下には目的地がなく、塔から下は俯瞰できない。本来の機能を失い、そこに付与された不毛の「見立て」。
筆者は従来から、現実不可能なことも「見立て」によって至福の空間を味わうことができる、と主張してきた。その意見に今でも変わりはない。しかし、この入沢康夫の悪夢は、度が過ぎている。結局、それぞれの建築物に人が囚われてしまうのでなく、人が「見立て」によって建築物を監獄に変えてしまっているのだ。
だから、崖で泣くということは、大きな救済の効果が期待できる。なぜなら、それは必要以上の「見立て」を浄化し、そんなことしなくても、原初のままで人間は幸福になれることを示唆しているからだ。
と書いて筆者は最後まで読み進み、再びの悪夢に襲われる。
やがて証明をあきらめる日が来るだらう。
これはいい。人間は証明などしなくても、生きてゆける。逆に、証明をしようともがくほど、苦しくなる。何ごとも証明を経ずに直接あたることが肝心だ。
すべては伝へられるがままに受け入れられ、貨幣は純粋に貨幣としてのみ用ゐられて、装飾や玩具としての用途は廃絶させられるであらう。あらゆる遊びも、しかるべき(それが何であるかは判らぬながら)理由を有する生真面目な営みと看做され登録され、
オー、ノー。それぢゃあ、逆に振りすぎだよ。一切の「見立て」が拒否され、唯一の機能だけが認められるって・・・。そして、それを、
行き会ふ限りの子供たちに、一語一語口うつしに教へ込まうとつとめる。
のだから、たまらんね。こういう親や教師って、わんさかいてると思う。これに比べたら、入沢康夫のパビリオンなんて、自由なものだとわかってくる。
駅で待つ。待つことの純粋な原初性。私たちは、待って良いんである。待つことを味わってよいんである。目的に追いかけられる必要はない、んである。
宿でさまよっていい、んである。宿で見知らぬ人とすれちがい、ドキドキしてよい、んである。宿とは、自由な空間である。どんな人も、宿を歩いていいんである。
避病院にしがみついていい、んである。しがみつく自由があっていい、んである。
廊下を歩きつづけていい、んである。目的に到達しなくていい、んである。
塔で過去をふりかえっていい、んである。過去をもてあそんでいい、んである。
そうして、入沢は最後に総括する。
恋情の中へと、ますます深くとらへられて行く。
恋情。駅への、宿への、避病院への、廊下への、塔への。
わたしたち人間は、台地を溯るように、待つことの、さまようことの、すれちがうことの、歩きつづけることの、過去をもてあそぶことの、根源的な原始性を回復することが、ゆるされた生物なのであった。