式子変奏「恋」
1033戀
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
「玉の緒よ」と自分に語りかけている歌である。自問は苦しい。吐きそうなくらいだ。恋心をしまっておくことの苦しさ。(式子は坊さんが好きだった。ぎょ。斎王と坊主。どっちも恋愛禁止じゃ〜ん。)自分に向かうしかない内へ閉じ込められたエネルギーは、ついに自己中毒をおこして死に至る病だ。相手に向かっていった方がまだましなのである。だから失恋なんて、忍ぶ恋に比べたらガキほどのもんなのさっ。
忍べよとされど玉の音旱野に忘れたくない被たくもない (きうい)
1035戀
忘れてはうち歎かるるゆふべかなわれのみ知りて過ぐる月日を
何を忘れたのか。あの人か。月日か。ゆふべか。もちろんちがう。忍ばねばならぬ掟である。忍ぶには強い意志が必要だ。それを忘れると、あの人の名前がつい口からポロリ、ポロリとこぼれてしまう。その名前こそ歎きだ。情感の音楽だ。叩きつける協奏曲。はっと気づき、辺りに誰もいなかったことを確かめて安堵する夕べ。
しか〜し。その音は、空気を震わせ、およそ二十六分間(その数字っていったい・・・)その場に残る。世に「残響」という。おそるべし。なんたる魔物。音感のよい人であれば、耳でわかる。そうでなくても、測定器を使えば証拠として残る。こうしてあの人への恋心は、ばればれ〜だよ〜ん。
庭に出でて名前を吐かむゆうぐれに梢の邪鬼が贄待つ小箱 (きうい)
1309戀
今はただ心の外に聞くものを知らずがほなる荻のうはかぜ
恋に囚われている今、あの人以外のすべてのものは、心の中に入ってこない。見聞きすること、世界のすべては自分にとってどうでもよい。「だって、荻をなでてゆく風だって、世界を無視して通り過ぎてゆくのだもの。いやん。いやん。」こうして世界は滅亡への道程を加速し、というよりは、単に自分だけ世界の成長から取り残されただけなのであった。ぎゃお。
残滓なき地球のうえに風を想う荻が最期の夢の洞ろに (きうい)
1074戀
しるべせよ跡なきなみに漕ぐ舟の行方も知らぬ八重のしほ風
新古今お得意の強烈な初句切れ。先制パンチ!
しるべが欲しい。でも、しるべは要らない。「どっちやね〜ん!」欲しいと切に願う。なければ苦しくて死んでしまう。けれども、「行方も知らぬ」恋をだらだらと、ぬるま湯っぽく、永遠に、引き伸ばしたい気持ちもある。
「そんなんじゃ、あきません!」また、叱られちまったぜ。
叱られて亜米利加にゆく横断バス耳の痛みをほくそ笑みつつ (きうい)
1484雑歌
ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ
空を忘れなかったのか。空が忘れなかったのか。「ぞ」で切れていると見るべきだろう。空の下のその場の全体を忘れないのである。さらにズームアップすれば、「あの人」を忘れないのである。「あの人」を忘れないという強い意志を、そうとは書かずに「空」に転換し、なおかつ切って、独立した「わすれぬ」を屹立させている語法は、外に例を見ない強い恋の歌であり、どんなに強く恋しても恋したりぬことはない人間の意志をまざまざとみせつけているのだ。
ありゃ。これって・・・雑歌やったの?戀じゃなくって?はよう、ゆってえな。
空に隠匿していた秘章をぶち破ったのは誰だ 忘れぬ (きうい)
268夏
ゆふだちの雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしの聲
夏の雲は速い。コマ送りのように、一秒ごとに世界は分断されてゆく。そこに、一人の人間の情緒の入る隙は、ない。意志も判断も、すべて奪われて恋は進行してゆく。ト書きはすでに太古から書き込まれていて、変更のしようもない。なすがまま、だ。因果も予測できぬ突飛な行動のひとつ、また、ひとつがコマ送りで勝手に進行してしまう。それゆえ、夕立もくる。峰に囲まれた広大な稲穂の平原に雷鳴が、来ては去りまた来ては去る。こうして気がつくと、どこからか大きな闇が近づきつつあり、はっと我に還るのだ。そいでもって、せきめ〜ん。
墜ちてゆく雲を拾いに夏の日の痣も拭わず駆け出したまま (きうい)
256夏
窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢
そうなのである。恋をすると、すぐに目が覚めてしまう。だからいつも、うたたねでしかない。浅いねむり。夢で会い、また覚めて思う。その繰り返しで、人類は六百万年をいっきに駆け抜けた。その間、人間は生産も思考も何もしなかったといって、よい。夢で会い、また覚めて思う。そのために人類は、竹の葉すさぶ近くに窓をつくるのだし(ほんまかいな)、その窓の下にベッドを設える。ねむりを浅くし、寝ても覚めてもあの人に会うために、われわれの祖先は膨大な時間と労苦を費やした。その時間たるや、有史の九割五分を数える(うそつけ)。
人類はいまだ深く眠ったことなど、ないのである。
夢の中に窓は廃墟となり果てていつもの問いが疼く寝覚めの (きうい)
308秋
うたたねの朝けの袖にかはるなりならすあふぎの秋の初風
季節の変わり目。胸がキュ〜ンとする瞬間。しかも、うたたねの後とくれば尚更で、さらに恋の終わりとくればもっと尚更だ(なに?恋の歌ちゃうってか?もういいやん)。「あふぎ」は恋の謂。その「あふぎ」も箪笥にしまう時がきた。しかし男も、女も、つゆ気づかない。その、夏と秋との断層を越えるには、「うたたね」という装置が必要で、熟睡であっても安眠であってもならぬ。うたたねこそは、此界と彼界をまたぐグレーゾーンなのであって、それゆえに彼界からの風が吹き及ぶだけで此界から彼界への変動を一瞬にして悟ることができるとゆーわけだ。あの人……。あゝ。終わったのだ。「かはるなり」がもつ絶望の響きに私たちは幾度なみだするだろうか(うはっ。くせえ)。もはやあの人のもつ「あふぎ」の香の甘い匂いはなく、秋風の、野の匂いなのである。
かはれども残すあふぎの袂から野辺ゆく尼の甘き秋風 (きうい)
417秋
ふくるまでながむればこそ悲しけれ思ひも入れじ秋の夜の月
更けるまで追うから哀しい。せめてその、恋に火照った季節が終わってくれれば、「思ひ」を入れ込まなくてもよくなるのかも知れない。
姉さん、覚えているか子午線の濡れた宣告 にがき逃げ水 (きうい)
474秋
跡もなき庭の淺茅にむすぼほれ露のそこなる松蟲のこゑ
「むすぼほれ」って已然形?いやいや、下二段活用なら連用形か。どっちにしても、本来結びつくはずの「むすぼほる+露」を強引に引き離した三句切れ。強烈な別れ。あの人の痕跡もついに私の脳裡から消えてしまった。庭とは、わが内なる精神の荒野。浅茅には涙が結露し、目にこそ見えね、底の方からは何ものかの声がする。もう一人の自分か。いや、そうではないだろう。恋は終わった。すべては無に帰した。それなのに。次に恋する人の声がもう微かに響いてくるとゆーのである。まだ顔さえ知らぬ、その、恋の予感。われわれの精神には恋の草しか生えないのであった。「みんな一緒にすな!」ってか。
苫屋より見渡す浅茅けふからは肉の距離てふ肥蒔く (きうい)