「北海道札幌旭丘高等学校40年史」より抜粋
昭和33年
開校式・入学式
昭和33年4月7日(土)午後1時から開校式及び第1回入学式が啓明中学校体育館で挙行された。
定山渓遠足
昭和33年7月24日に第1回定山渓遠足が実施された。これは前日の7月23日に啓北商業高校体育館に集合し、仮眠を取ったあと午前0時に出発して、定山渓への約27kmの道のりを歩くものであった。
以来、本校のユニークな行事の1つとして2年毎に昭和58年(この年は雨で中止)まで
続けられた。
昭和34年
新校舎の1期工事完了と移転
昭和34年6月より始まった校舎建築工事の第1期工事(現在校舎東半分と体育館)が、12月20日に完了した。校舎は、当時としては画期的な鉄筋コンクリート建であり、また暖房も無煙ボイラー1基による各室ラジエ
ーター方式という新しいものになっている。これに伴って、昭和35年1月12・13日の両日に仮校舎(宮の森小学校)から移転し
これ以来いよいよ新校舎での生活が始まった。
昭和36年
第1回卒業式
昭和36年3月10日、第1回卒業式が本校体育館で挙行された。卒業生徒数は、男子205名女子144名、合計319名であった。
校舎の完成 昭和35年10月27日から始まった校舎第2期工事(現在校舎の西半分)が、8月25日に完了し、9月5日には新校舎への移転も行われた。
昭和40年
旭丘・開成定期戦
第1回旭丘・開成定期戦が昭和40年7月22日に実施された。実現までの経緯は、3月初旬に開成高生徒会より提案があり、それを受けて両校との間に何度か話し合いがもたれ、さらに細案が検討された結果、7月上旬に正式な決定をみたというものであった。
第1回は開会式を開成高を会場とし、あとは種目によって両校に分かれて対抗試合を行った。なお、種目は、バスケットボール、バレーボール、ソフトボールの3種目。
昭和43年
創立10周年記念事業
昭和44年
記念館完成
昭和46年
宿泊研修の開始
1年生が5月中旬に実施する2泊3日の宿泊研修が実施された。場所は昭和52年までは
洞爺・有珠で、宿泊は洞爺ユースホステル(昭和50年まで)有珠青少年の家(51〜
52年)を利用し、有珠登山をメインとしておこなった。 53年からは、有珠山噴火もあって大雪青年
の家を利用するようになった。
昭和52年
開校20周年記念事業
昭和58年
航空機利用見学旅行の開始
伝統の夜間遠足ついに廃止
この定山渓まで27キロの道程を踏破する夜間遠足は、隔年で過去13回実施された。しかし、交通事情の激化・時代情勢の変化で
ついに過去25年の歴史をもつ、この伝統行事を廃止することに決定した。
野球部準決勝進出 全校応援
昭和59年
営林署官舎跡地に新陸上競技場
本校の敷地は、校地が斜面にあるため何段にもなっていて、実際の有効面積としては いろいろと制約がある。いいグランドがもう1面ほしいというのは長年の願望であったが、昭和57年に、学校の前の営林署の官舎が取り壊されて、その国有地の行方が注目されていた。一時は民間業者の手にわたりマンションが建つのではないかとのウワサも立った。しかし、尾崎校長、村木PTA会長らの市長教育長、市教委への熱心な陳情の結果、ついに本校の陸上競技場として造成されることになった。
昭和61年
校内スキー大会もついに中止
校内スキー大会は、3学期の伝統行事として学校近くの旭山公園国際スキー場(?)昭和60年度(27回)まで実施されてきた。しかし、昭和61年度より市の公園施設での開催が困難となり、冬季間の公衆便所閉鎖という問題もおきて、校内スキー大会を中止し
それに代わる冬季行事を企画することになった。
昭和62年
野球部が初の決勝進出
開校30周年記念事業
平成元年
宿泊研修ニセコへ
大雪青年の家までの往復に時間がかかりすぎること、十勝岳噴火の恐れがあることから32期生から研修地をニセコに変更、ニセコグランドホテルと富士観光ホテルに分宿となった。ニセコでの宿泊研修は、見学旅行と統合された「研修旅行」がはじまる前年の平成5年まで続いた。
学校祭1学期に実施
生徒会の最大行事である学校祭が、7月中旬に開催されることになった。
平成2年
体育館新築
新体育館は、バスケットボールのコートが正規に2面、バレーボールコートは4面とれる広さをもち、1階(地階)ピロティの雨天練習場など、設備は格段に充実した。なお、ピロティはその後人工芝化工事が行われ(平成4年3月竣工)、いっそう使いやすくなった。
平成3年
制服改訂される
男子は窮屈な首まわりのカラーをやめ、インナー方式に変更。ズボンには動きやすいようにタックを入れ、生地は少し洒落たミニヘリンボンを採用。夏用のYシャツも生成で開襟というかなり気楽なものとなった。
女子は大幅な改定で、ジャンパースカートをやめ、運動性と夏の涼しさを重視したジャケット、ベスト、スカートの3ピースとなった。
平成4年
校内長距離走真駒内コースで実施
校内長距離走は、本校伝統行事の1つで、昭和34年第1回大会は、宮の森小校舎スタートで、男子は円山コース4.5km、女子は発寒橋コースで2.5kmであった。昭和35年からは、現校舎スタート、円山周回コースと
なり、昭和53年からは陸上グラウンド出発
藻岩山麓コースで、男子9.6km、女子4kmで行われていた。交通安全上の理由で道路を走るコースからの変更が検討され、本年度から真駒内公園出発、豊平川河川敷コースで男子10km、女子5kmの距離で実施されるようになった。このコースでの長距離走大会は平成9年まで実施された。
平成5年
新入学生の男女数初の逆転
本校生徒の男女構成は、開校以来昭和の終わり頃まで、だいたい男女比が2対1という状態が続いていた。しかし、平成の代になって徐々に女子の増加、男子の減少という傾向が強まり、平成5年度の新入学生(36期)は男子179名・女子181名で、初めて女子の数が男子を上回った。その後、男女比は1対1で、女子の方がやや多いという学年が多くなっている。学校祭のフォークダンスで女子が少ないため多くの男子が女役をやらされた、などというエピソードは昔語りとなった。
仮装行列最後となる
第1回学校祭以来の恒例となっていた仮装行列であるが、学校祭日程が2学期から1学
期へと変更になって以来、クラス展示と仮装
行列両方の準備をするのが日程的にきつくなり、平成6年の学校祭は、実行委員会の判断で仮装行列を中止した。
平成6年
春の見学旅行最後となる
本校では昭和38年春の修学旅行以来、長年にわたって3〜4月に見学旅行を行ってきた。しかし、春期休業中の実施は教員・生徒とも負担が大きいなどの理由から平成7年度から
宿泊研修と見学旅行の融合型行事として、2年生秋に「研修旅行」という名称で実施されることになった。
予餞会 最後となる
毎年1月下旬に、卒業生送別のために行われてきた予餞会も、本年が最後となった。以前は、ほとんどの3年生が出席し、在校生の演奏や、卒業学年担当団の余興で盛り上がりを見せていた。しかし、近年大学の入試日程が早まったことから、3学期は3年生の授業がなくなり、個別試験対策ゼミのみになっ
たことから、3年生の出席者が減少して盛り
上がりを欠くようになり、平成7年1月21日の予餞会を最後にとりやめとなった。
学年団教員の余興は、翌年からは主として学校祭のステージ発表の場で行われるようになった。
平成10年
旭丘・開成定期戦 つどーむで開催
大差で開成が優勝。通算12勝19敗となる。
開成定期戦戦績
昭和40年 開成 昭和51年 旭丘 昭和62年 開成
昭和41年 開成 昭和52年 旭丘 昭和63年 開成
昭和42年 開成 昭和53年 旭丘 平成 1年 休戦
昭和43年 開成 昭和54年 旭丘 平成 2年 開成
昭和44年 旭丘 昭和55年 開成 平成 3年 旭丘
昭和45年 開成 昭和56年 開成 平成 4年 開成
昭和46年 開成 昭和57年 開成 平成 5年 開成
昭和47年 開成 昭和58年 旭丘 平成 6年 旭丘
昭和48年 旭丘 昭和59年 旭丘 平成 7年 開成
昭和49年 中止 昭和60年 旭丘 平成 8年 休戦
昭和50年 旭丘 昭和61年 開成 平成 9年 開成