チェコスロヴァキアの切手の鑑定

そもそも層峰塁巒とした景観が人々を魅了する中欧の国チェコ(Československo)は、古くは、この地にプシェミスル朝(Dynastie Přemyslovců)が勃興してから、ルクセンブルク朝( Begriffsklärung) 、ハプスブルク帝国 (Habsburgisches Reich) の変遷を経て、第一次世界大戦後にできあがった国である。
まずハプスブルク帝国の皇位継承者フェルディナンド(Ferdinand)がボスニアの首都サライエボにおいてセルビア系の人の銃弾によって仆斃したのを契機に、ドイツ、オーストリア、イタリアなどの同盟国側とフランス、ロシア側の連合国側が戦争を行う事になったのが第一次大戦であった。
大戦の勃発後、チェコ人は、反ハプスブルク運動を展開し、クラマーシュは、脳漿を絞って、チェコの自治王国の形成に動くが、これはひとまずは殪れる。
次にマサリクが、ドイツ人居住地域を含むチェコ諸邦全体、さらにはハンガリー北部のスロヴァキア人居住地域を新国家形成の構想として描いていくことになる。1918年にはオーストリア、ハンガリー帝国の崩壊を契機として、クラマーシュが釈放され国民委員会でチェコスロヴァキアの独立を掲げた。そして、晩秋には、チェコスロヴァキア国家の樹立となる。大統領はマサリク、首相がクラマーシュであった。
閑話休題、捷克独立後の切手は、プラハ城(Pražský hrad)の図案を嚆矢濫觴とする。この図案はアール・ヌーボー(Jugendstil)の代表的なデザイナーであるアルフォンス・マリア・ミュシャが描いたもので捷克の正刷切手に採用された。籙図を経た初期の原画では、曉暾が描かれていたが、この図は詩情豊かなヴルタヴァ川に架かる東側のカレル橋から西側のプラハ城を眺矚しており、こんな方向から杲杲たる太陽が昇るなどありえず、後に図案forgeryとして破棄された。しかし初期の国名表示縦書きタイプおよび、国名表示横書きタイプの1919年3月までの分は、図案forgeryのまま発行された。 正刷切手として発行された下記の捷克(Československo)切手はgenuineです。真正品と偽品は用紙の相違(紙質の相違)で鑑定するが、図案の特徴では、真正品はニコラス大聖堂の先が偽品と比較して幾分短いという点と、左側の聖堂の丸い屋根の上の尖塔が切れていないという点で瞥見しただけで鑑定できる。更に真正品ではSlovenskáと区分発音符があるのに対して、偽品(forgery)ではSlovenskaとなっていて区分発音符がない。さまざまな額面の中で無目打(imperf)、櫛型(comb perforation)、いずれにおいてもred violet、deep violetの30Haléř(ハレル)切手が珍しい。30Haléřでもbisterは多いがこれはimperfのみである。プラハ城切手はČeská grafická Unieで印刷された。百面シートを4面に組む実用版の故にtête-bêcheやgutter-pairsが存在する。Československoの通貨では 1 koruna Česká とは100 Haléřの事である。この地には、遠い昔にロマネスク様式の円形建築があったが、1344年に神聖ローマ帝国のカールⅣ世がゴシック様式を取り入れ王宮として再建した。さらに教皇クレメンスⅥ世の名でL’université de Parisに範をとってUniverzita Karlova v Prazeを創立した。プラハには、東欧、中欧における学識者が集中的に傾れ込み、その結果、街じゅうに卓越した理智が漲溢して、遥かな西のパリ(Paris)に並び立つアカデミックな学問の典雅な都として栄えていく事になった。

      
    perf L      imperf

捷克(Československo)の第一共和国時代(Geschichte Österreichs )の初期の切手には、洪牙利(Magyar köztársaság) において発行された切手を利用してチェコスロヴァキア加刷(Československá doplatná poštová známka )したものが多く、偽品(forgery)も多い。
今回は下記の切手に関して 鑑定を行った。

          
   鑑定結果genuine   鑑定結果genuine

          
   鑑定結果 偽品    鑑定結果 偽品

次に1920年に発行された飛行機加刷切手に関しても偽品は多いが、
今回の品は、


        
    鑑定結果 genuine


(ハプスブルク家についても触れてみたい。正式には、Haus-Habsburg-Lothringenという。
ドナウの諸地域は多民族から成り立っている。18世紀の前半におけるバッサロヴィッツ条約でハプスブルク家の領土は最大に達したものの、同家は統一の為に、国事詔書で法制化を行ってしまった故に、ホーエンツォレルン家を敵に回し、その結果としてオーストリアの地域は継承戦争に突入していく。更に、マリアテレサの令息ヨゼフ二世は、ドナウ諸地域の伝統を無視し、膠もなく、画一的な政策を進めたが故に、諸領邦を敵に回し、ますます、この地域は混沌としていった。
後の、いわゆるオーストリア、ハンガリーの二重帝国である。
多民族や多文化、多言語の地域というのは、まとめるのが相当に難しい事を、あらゆる地域の歴史が訓えている。)
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