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六曜星(りくようせい)

現在ではいわゆる『お日柄』のことで、多くのカレンダーの日付欄に小さく記されています。結婚式(大安に行う)や葬式(友引を避ける)はもちろんのこと、受験願書の提出や内閣改造なども大安を選んで行うことがあります。
六曜は、先勝(せんかち)、友引(ともびき)、先負(せんまけ)、仏滅(ぶつめつ)、大安(たいあん)、赤口(しゃっく)の六つの星のことで、六曜星(りくようせい)を略したもので、六輝(ろっき)あるいは孔明六曜(こうみょうりくよう)とも呼ばれます。六曜(六曜星)という呼び名自体は明治以降のことで、明治の改暦当時、日月火水木金土の、いわゆる七曜が普及し始めた頃からこれらを区別するため名づけられたものです。
それでは、ここで六曜のそれぞれの意味を見てみましょう。
六曜 内   容
先勝  “先んずれば即ち勝つ”の意味で、かつては「速喜」あるいは「則吉」と記されていました。それぞれ読んで字のごとく早ければ吉となる、あるいは、急げば幸運が舞い込むと解釈されていて、万事に急ぐことが良いとされています。また、午前中は吉で、午後は凶ともいわれています。
友引  古くは“勝負なき日と知るべし”とされ、何事も引き分けて勝負のつかない日とされていました。しかし、陰陽道において「友引日」と呼ばれるのがあり、日によって変わるある特定に方向に向かって事を行うと凶禍が友に及ぶとされ、とくにその方向に向かっての葬式は忌み嫌われていました。これが、六曜の友引と混同され、現在のような友引に葬式、法事を行うと縁起が悪いという風になったと言われています。
先負  先勝の逆。“先んずれば即ち負ける”の意味で、もともとは「小吉」あるいは、「周吉」と呼ばれていました。このことからも、昔は、大吉に次ぐ良い日とされていて、現在のような意味になったのは字面の上からといわれています。また、勝負事も避け、あるいは控え目にして、相手が仕掛けてくるのを待つほうが良いともされ、お見合いなども避けたほうが良いと言われています。
仏滅  “仏も滅亡するような最悪の日”という意味ですが、元々は「物滅」と書かれていました。六曜の中でも最悪の日で、祝事、法事などことごとく凶とされ、この日に婚礼などの祝事をあげる人は少ないようです。ところが友引を上回る凶であるはずのこの日に葬式は平気であげる人が多く、これには、いろいろな説があるようですが、“六日のうち二日も葬式を出してはいけない日があるのは非常に不便だから”というのが通説になっています。
大安  “大いに安し”の意味で、いわゆる大吉の日。かつては「泰安」と書かれていたことから「たいあん」と読むのが適当といわれています。大変おめでたい日で、現在は結婚式の日として定着しているようです。
赤口  六曜の長い歴史の中で唯一変化せず今日に伝わるもので、陰陽道で言う凶日のことで、あまりの不吉さに変更するのを恐れられたともいわれています。赤が血を連想させることから、大工、板前など刃物を扱う人々には、特に要注意の日とされ、また、火の元にも注意するようにとも言われています。

この六曜は、先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口の順で繰り返すのですが、現在のカレンダーを良く見ていると必ずしもこの順番にはなっていないところがあり、実に複雑な動きをしているように見えますが、これは現在のカレンダーが明治の改暦以後に使用され始めたいわゆる“新暦”であることが最大の原因です。そう、六曜は旧暦に対応しているのです。六曜の配置は各月(旧暦)の一日(朔日)に各月に決められた六曜に変更されるのです。これを「月切り」といいます。そのルールは次の通りです。
正月・七月の朔日を先勝とする。
二月・八月の朔日を友引とする。
三月・九月の朔日を先負とする。
四月・十月の朔日を仏滅とする。
五月・十一月の朔日を大安とする。
六月・十二月の朔日を赤口とする。
以上のように、月初めに必ず六曜が変更され、その後は順番に繰り返すだけという実に単純な動きになっています。しかし、これは先にもいったように旧暦(太陰暦)でのお話で、現在の太陽暦ではになっても六曜は旧暦に従うため表面上きわめて不規則な動きをするようになるのです。
さて、現在なお幾ばくかの影響を残す六曜ですが、その成立はいつ頃のことかというと、これがまた定かではありません。伝承としては漢の時代の『六行説』からきたともいわれますし、『孔明六曜』と呼ばれていることから後漢末期から三国時代にかけての名宰相『諸葛孔明』の草案と言うものもあります。いずれにせよ六曜が中国で発案されたのは間違いなさそうで、これが日本に入ってきたのはおそらく鎌倉末期から室町時代にかけてであろうと推定されています。
この六曜が日本ではやり始めたのは江戸時代の初期ごろで、その内容が主として賭け事に関するものであることからおそらく遊び人や勝負師の間で使用されていたのではないかと言われており、これがやがて一般庶民の間に広まって今日のようになったのでは・・・?と推定されています。