※転勤先でのかたぱん
令和2年7月31日(金)・・・・みなと総合に異動して早5年目、人類史上大きな変動が起きました。コロナウィルスの登場および流行です。


学校は突如として、3月3日(火曜日)の卒業式を終えた後、臨時休校に入ってしまいました。年度末の定期試験もなくなり、合格者説明会も保護者の方に1人ずつお話しをするというスタイルです。休校は永遠に続くのかと思われる状況でした。


4月に入っても休校は続きました。4月6日の始業式と7日の入学式だけ実施、14日は教科書購入のために、特別登校日となりました。こうして6月1日まで・・・・・。
6月1日から生徒たちを、午前中だけ登校、午後だけ登校という2グループに分けて、授業を開始しました。長い教員生活で初めての学校生活が始まりました。
その後、7月からは部活動も再開され、みなと放送部は、1年生3名が入部、総勢8名となりました。夏休みが短縮され、7月31日まで授業を行いました。8月は17日(月曜日)から授業が再開されます。2週間の夏休み、歴史に残りますね。
令和5年3月31日、ついにこの日が来たか・・・・
65才を迎え、再任用も任期満了となりました。
港高校(定時制)・・・・・2年間
戸塚高校・・・・・17年間
桜丘高校・・・・・9年間
南高校・・・・・・・8年間
みなと総合高校・・・・7年間
いろいろな思い出があります。数えきれない、そして書ききれない、いろいろな事が・・・・。
これからは、機会あるごとに、過去を訪ねてみたいと思います。
転勤直後のようす(2016年度)
平成28年4月1日(金)、
ついに、転勤しました。




思えば、1980年(昭和55年)4月1日、新採用教員として勤務を開始したのが、この校舎でした。当時は、港商業高校という全日制の学校と港高校という定時制の学校が同居しており、自分は定時制(夜学)の教員として、教員人生の第一歩を踏み出しました。
あれから36年ぶりに、この校舎に戻ってきたことになります。
2016年(平成28年)4月1日、みなと総合高校に足を踏み入れた時、もう「港高校」の姿はありませんでした。
「36年もたてば、それなりに変わるよな・・・」と、ふと2階のラウンジの壁を見上げた時、港高校の校歌のレリーフと港高校の表札、正面門扉についていた銘板などが掲げられているのが目に入りました。
すべてがタイムスリップし、涙がとまりません。自分が22歳に戻った・・・・瞬間でした。
当時の港高校職員室は、現在みなと総合高校の校務センターになっています。
校舎内を歩くたびに、思い出が浮かんできます。この日は精神的な疲れがひどく
2日土曜日と3日日曜日の2日間は寝込んでしまいました。
なにしろタイムスリップしたのですから・・・・・。
平成28年4月5日(火)、始業式および着任式
36年の時を経て、みなとの生徒さんと対面。おしゃれな制服を見た時、これが36年の時の流れかぁ、と実感しました。港商業高校時代の影響で女子生徒が多いそうですが、港商業時代と比べたら、やはり21世紀に創立された学校なんだなぁと思いました。
平成28年4月6日(水)、入学式です。
自分は15期(なんと若い数字なんだろう)の年次副主任となります。
そうか、15期なんだぁ、まだ本当に若いですね。

男女とも制服は、昔勤務していたころには想像もつかないデザインです。
みなと総合高校創立の想いがこめられているのでしょうね。
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