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スナフキンの手紙 (天王州アイルにて観劇) 生まれて初めて見た生の第三舞台の芝居。チケットが取れた時の嬉しさは今でもはっきりと覚えています。 物語は、日本であって、日本でないパラレルワールドが舞台。誰が味方で誰が敵かわからない時代の、自分の信じる信念の為に戦い続ける人たちの話です。うーん、やっぱり鴻上尚史は天才っすね。 ちなみに、始まりは役者が通路からステージにかけあがるものでした。通路側の席だった私は、私のすぐ前に立ち止まりしゃがみ待機しているスーツ姿の男性を見て、猛烈に邪魔だと思ったのです。だって、舞台がほとんど隠れてしまうから。「どいてください」って言えないけど言いたいなぁー、なんて思っていたら、その人は突然立ちあがりかけだしてステージにあがりました。そう、その人は何と大高洋夫さんだったのです(笑)。いろんな意味で強烈なオープニングでした(笑)。 名言がたくさんあると思いました。(ギャグも半端じゃなかったけど。) 私が一番感動したのは、タイトルである「スナフキンの手紙」について小須田さんが語るシーン。シルクロードで沈没している旅人たちが綴った、今まで語れなかった言葉たち。それが「スナフキンの手紙」。 「沈没は、自分の足で歩いた旅人にだけ訪れる。」 このセリフを聞いた時に非常に感動したのを覚えています。ツアーでの旅人には確かに沈没は訪れない。ちなみに、沈没とは何をしていいのか、どこに行っていいのかわからずに1つの町にとどまる事を言うそうです。小休憩である沈没であれば、無気力な廃人のような沈没もある。その「沈没」という言葉に、そして、その「沈没」は自分で歩いてきた人にだけ訪れるというセリフ。 たとえば人は何かを成し遂げるとき、必ず自分の足でそこまで歩いてきます。「旅人」と「沈没」というこの言葉は、1度でも何かを自分の手で成し遂げた事がある人には必ず共感できる単語だと思います。何もかも人に委ねて、自分では何もしてこなかった人には、この「沈没」という言葉の重さは決して理解できないでしょう。歩くことによってたくさんのことが見えてきます。そうして成し遂げた達成感があります。そして、それと同時に、成し遂げられなかったとき、疲れ果てたとき、人は絶望するのです。 「沈没」は旅人にだけ訪れるものだとは思いません。私たちの暮らしている平凡な日常の中に、きっと「沈没」している人はたくさんいるのです。スナフキンの手紙の中で読まれる旅人は、きっと、私たちそのものなのです。 語れなかった言葉を伝える事もできないまま、伝わる事もないままさ迷いつづけた人たち。そしてその言葉がいっせいに伝わったとき、人々は何を見つけるのか。追い詰められた極限状態の中で、「真実」を知った時、人はさらに絶望するのでしょうか。それとも、語られない言葉を抱えて生きてきたその人を、やさしく思うのでしょうか。この芝居は、そんな人たちの芝居です。何を信じていいのかわからないけれども、本当に求めていたのは、その「語られなかった言葉」なのではないでしょうか。 っていうか、タイトル上手ですよね。「スナフキンの手紙」って。すごいセンスです、本当。 |