ビデオで見る第三舞台
「朝日のような夕日をつれて'97」

(7月14日15時 中野ザ・ポケットにて観劇)


1997年2月22日新宿紀伊国屋サザンシアター19時の回を収録したビデオをプロジェクターで見るという、そんな素敵な企画。絶対に2度とは見れないと諦めていたこの芝居。私、この芝居のチケットを取る為に本当に走り回ったのだけれどもあっさりと売りきれてしまったのです。それで、こんな公演行われていなかったんだいっ!!と強がっていたので、本当にこの企画の存在を知った時は嬉しかったですーーーーー(T-T)

結果としては、立見でも並んでも前夜から並んでも見るべきだったわ。馬鹿な私。

今までいろんな芝居を見てきて、「面白い」とか、「笑える」とか、「感動する」とか「泣ける」とか「つまらない」とか、「むかつく」とか「お金返してーーーーっ!!」とか色々な感想を持ってきたけど、初めて「かっこいい」という感想に出会った。たとえばキャラメルとかの芝居をカラフルだと表現すると、この芝居はモノクローム。スタイリッシュで、シンプルで、とにかくひたすらかっこいい。男の人の汗って、やっぱり本当にかっこいいよなぁーなんてことをひたすら思っておりました。当日券の列、私は15時開演なのに13時にはすでにいた。一番乗りだった。えへへへへ。

スーツであんなにかっこよく踊れちゃうかね、みんな。かっこいいっ。特にオープニングのぼそぼそっと話すところなんて。最初のあれだけで、劇場に行かなかったことを心底後悔した。その後の映像もすごいし。むちゃくちゃかっこいいよ、この芝居ーーーーーっ!!!

大高さん演じるウラヤマ、小須田さんが演じたエスカワは戯曲で読んでいたとおりでなんだかとっても嬉しかった。長年一緒にやっているからだろうけど、息が本当にぴったりで、見ているだけで楽しかった。筧さん演じたゴドー1もすごいかっこいいっ!!小室哲哉になったときは本当に大爆笑しました。そして、その横で華原朋美の歌を歌う大高さんと小須田さん・・・・。か、かわいすぎるーーーーーーーーーーっ(*^^*) 笑って大爆笑して、そしてその後にふっとシリアスなシーンに入る。何てかっこいいのだろう。かっこよすぎて、私はまたもや心底後悔していた。

「トランス」の参三を見て以来松重豊さんの演技って本当好きで。だから、松重さん演じたゴドー2がゴンドラ?にのって降りてきたときはかっこよかったなぁー。でもその後のゴドー1と2のイスに座ってのシーンはいいですね。淡々としていて。淡々としているけれども、とても心に響いてきて。そうそう、参三の時にも思ったけど、松重さんの汗ともうすべてを垂れ流しての(←汚い表現ですいません)演技は本当に胸を打ちますね。

松田さん少年を演じていたけど少し他の人にやっぱり食われていて、印象がもろに薄かったのが残念。コーマ・エンジェルとかに出ていた役者さんの中ではやっぱり上手だったし、彼が天使をやったのもすごいわかるし、でもこのメンバーだと印象が薄いね、やっぱり・・・・。っていうか、すごすぎ、このメンバー。

最後のみよ子の遺書を読み上げるシーン。話には聞いていたけど、すごい迫力ですね。ああいう演出ってかっこいいですね、初めて見ました。「リーンカーネーション、私は生まれ変わりを信じます!」というセリフを聞いたとき、意味がぜんぜんわからないのに鳥肌が立ちました。あまりにも有名な立ち尽くすラストシーン。か、か、かっちょいい・・・・・・・・・・・・・・・・。

次にこの芝居を再演したときは、何が何でも見に行く。高いお金を払ってでも行きます。ああ、もう絶対に。でもそうしたら今度は誰がゴドーを演じるのだろう??やっぱり筧さんと勝村さんで見てみたいなぁ・・・。大高さんと小須田さんは絶対に変わらないでほしいし。少年は・・・。誰だろう・・・・・。

当日券で行かなかったことを後悔しつつ、こういった形でもこの芝居を見れたことを本当に感動しつつ、私はこの芝居の魅力にやられてみた。

その後、「リーンカーネーション、私は生まれ変わりを信じます!」のセリフがなぜに突然現われたのかが納得あまりできなかった私ですが、ひとつの解釈としてのreportを以前ふらっとネットサーフィンしていたときに発見しました。誰のreportで、っていうのは全然覚えていないのですが、(すいません)その人の解釈は私にはとてもわかりやすく、初めて「朝日のような夕日をつれて」という芝居の内容を理解したような気がします。(気がしているだけかもしれないけれど)

それは、まず、この「朝日のような夕日をつれて」の元にもなっている(?)「ゴドーを待ちながら」。そもそも「ゴドー」とは何なのか?ゴドーはいったい何かという事に対して様々な解釈があるようですが、結構有力なのは確か「ゴドー=GOD」つまり、神様だという意見。ウラジミールとエストラゴンは私たちの代表として描かれている役で、来るか来ないかもわからない、そもそも何かわからない、だけどすがりたい存在をただ待ちつづける人達。待つことで期待し、希望を持つことのできる存在。それがゴドー(GOD)。だから、ゴドーを待ちながらではゴドーが来ないのだと。それでも2人は待ちつづけるのだと。人は、何かを頼りすがっていく生き物だから・・・・・。

「朝日のような夕日をつれて」ではゴドーが現われます。人々のすがるべき対象として彼(ら)は現われます。けれど、そこにいたのは「待つことに疲れていない」「すがらない」人々でした。その時初めて問われるゴドーの存在意味。

究極の存在「イデアライフ」の中でみよ子はそんな事を思いつつ、そして、ウラジミールやエストラゴンとは違い何にも頼らず何にもすがらない、何も待たない自分になろうとするのです。幾重にも続く自分の影を見つめ、みよ子は壊れながら本当の自分を探そうと思うのです。生まれ変わる事により、ゴドーという存在のはっきりしないものをすがるのではなく、自分自身を信じようと思ったのです。だから、「リーンカーネーション、私は生まれ変わりを信じます!!」と・・・。

その人のreportに書いてあったことと私の解釈を合わせて書いていますが、私はゴドーがGODで、みよ子はだから「待たない、すがらない、頼らない」と決めたのだとなんだか漠然とですが、それでも前よりははっきりと理解できたような気がするのです。これは、私にとっては大きいことでした。

もちろんこの解釈が正しいかどうかはわかりません。でも、私も今、みよ子と同じように固有の人間として私は私に真っ向から立ち向かっていきたいと思うのです。それは、この解釈を読んでからでした。(私はみよ子のように輪廻転生してから立ち向かおうとは思わないけどね)

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