[ あくびと風の威力 ]
芝居屋坂道ストア(.....長文だよ)


上手くいえない芝居です。後からじわじわと、あの芝居のシーン1つ1つを何かにつけ思い出すたびに静かに心に染み込んでいくような感じがします。
2005年の1/17、午前5:45を描いた芝居です。阪神大震災から10年。当時12歳だった主人公なおは22歳になっていて、「普通」の仕事に就いていて、「普通」な毎日を過ごしている。明日は10年前の小学校の同窓会。部屋には転校生だった涼ちゃんが寝ている。そこへ、3人の同級生カワベ、亜矢さん、時津がやってきて、なおの記憶がどんどん10年前にさかのぼる。

そりゃぁもう小さい下北沢OFFOFFシアターに恐ろしいほど詰め込まれた東京公演初日。人気が高いのはいいことですが、お尻が痛すぎてお尻の痛さしか残らなかった観劇直後。その後お尻の痛さが薄れるとともにじわじわとよみがえる芝居の印象。今年見た芝居の中(まだまだ少ないけど)で、1番尾を引いている芝居のような気がするなぁ。

先生(宇田さん)や同級生達とたわいもない、多分誰もが経験してるんじゃない?ってくらいの小学校時代が描かれる。確かにそりゃ宇田さんみたいな先生はいないだろうし、そんな濃い小学生たちもいないでしょうよ。だけど、何か「ああ、そうだったそうだったんだよねー」と思ってしまう世界が目の前に広がってる。私は別に放課後皆のハサミとかそんなの盗んだりしなかったけど、放課後誰もいない教室は何か秘密の匂いがした。誰か来るとビクッとしたりとかね。秘密基地みたいな場所を皆で決めて許された人だけ出入りしたりしてた。転校生はどこか大人びて見えた。保健室は心地よい感じがした。合唱コンクール、必ず歌わない子がいた。歌わない子の事を責める子もいた。今から思えば何であの子は歌わなかったのか私にはわからないけど、確かに皆で何かをやろうとすると、それに逆らうような行動をわざと取る子がいた。
きっと誰もが経験してそして今大人になっている・・・・そんなような世界が角さん流に描かれている。そこに地震の悲劇はない。あるのはただ「懐かしい」思い出だけ。
実際私は事前にこの芝居が「阪神大震災」を描いた芝居だというのを知っていた。そして、観劇前に思わず角さんのインタビュー記事を読んでしまい、突然主人公の所に訪れた同級生達が本来「来るはずの無い」人たちだという文章で「生きてはいない」人たちだというのもわかってしまっていた。だからわかっただけで、そんな前知識がなければこれが震災の話だとも、(もちろん日付や時間でわかったかもしれないけど、うっかりすれば聞き落としてしまうだろうし)時津たちが死んでるとも思わないだろうな。
なおの思い出の世界には、「死」はどこにもなかった。いつでも「明日」が必ず用意されていて、後悔も期待も友情も反省も何もかもが「明日」に延長されていた。
私もそうだったけれど、「未来」はいつも無限だった。小学生の私に「明日が来ないかもしれない」なんて想像することは不可能で、誰が何をどうしようとも必ず明日は来ると思っていたし、今日できないことは明日すればいいと思っていた。だから、なおが「明日、ね、明日!」と言っていたのはとてもよく分かる。今日見ようが明日見ようが何も結果は変わらないけど、なぜか1日待ちたい気持ちもわかる。

だけどなおには無限のはずだった「明日」が来なかった。来たのは別の「明日」。カワベも時津も亜矢さんもモリゴン(先生)も皆皆いない「明日」。夜明け前、NHKの緑の画面に映る幾千人分もの人の名前を見ている「明日」。

時津ら3人が「残業もしてみたかった」「ラッシュ電車に乗ってみたかった」「合コンしたかった」と無邪気にかなえることもできなかった願いを語る。なおと涼ちゃん(生き残った2人)は少し離れてそのやりとりを見ている。なおが「全部経験したけど、そんな良いものじゃないよ」と言う。カワベらは笑いながら「自分らは経験もできなかった」というようなことを言う。本当はなおは1番時津を嫌ってた。合唱コンクールの練習で歌わなかった時津を1番嫌っていたんだと話す3人。「そんなことない」と叫ぶなお。時津が「合唱コンクール歌っておけば良かったな。伴奏やれるかと思ってたけど、こんなことになるなら歌っておけば良かった」と言う。後悔と、本来はやれるはずだったかもしれないことに期待をはせる3人。そして、それが絶対に不可能な3人。亜矢が言う。「運が悪かったね・・・だけではすまされないよね」と。「わかってるよ」となおが言うと、全員がいっせいに否定する。「わかってない!わかるはずもない!」と。なおを訪ねた3人はなおが自分を批判する化身。決して3人は現れない。3人はもう何も語らない。毎年自分を、生き残ってしまって「ピアニストになる」という約束を破ってしまった自分を責めるなおが3人の姿に変えさせて自らを責めているに過ぎない。そんなことはなおも、なおの自己嫌悪の化身となった3人もわかってる。そうやって自分を責めるなおに、時津が言う。「なお、当たり前を楽しめ」。・・・・やばい、書いてて泣きそうになった。
私、「当たり前を楽しんでる」のかなぁ・・・・?

「明日明日って言うのはやめろな」とモリゴンに静かに言われるなお。10年経ってはじめて先延ばしにしていた「明日やろうと思っていたこと」をやるなお。しだいに笑みを取り戻し、「合唱コンクールをやろう!」と提案する。そして全員で「恋の季節」を歌うんだけど・・・。それがね、アカペラで歌うんですがね、マジでかっこいいんです。鳥肌鳥肌。かっこよすぎて、逆にそれが今思うと悲しいかもしれない。最も力強く、そしてはかないシーンだったのかもしれない。

やがて皆笑顔になり、そしてなおは再び眠りに落ちる。眠れば嫌なこと全部忘れると、眠りに逃げていたなおがやっと落ち着いた寝顔で眠ることができる。そして死者は語る。午前5:46になった瞬間、「明日です!」と。
・・・・この、「明日です!」はマジで上手なラストだったよなぁと思います。忘れてはいけないけど、そこだけに捕らわれてはいけないというようなメッセージにも思えて。「ああ、明日が始まるんだ」というそんな気持ちになったのです。

確かにこれは震災の話でした。でも、震災じゃなくても思い浮かべることができる芝居です。とてもとても、胸が痛い芝居です。もう戻ることのできない時間、かけがえのない思い出。取り戻すことのできない何か。失ってしまった幾つもの思い出。もうどうしようもできない後悔。そして、それでも流れていく時間。この「あくびと風の威力」を見て思ったのは、それら全てによって「私」という人間が構成されているということ。どの部分が欠けても今の「私」は存在していないということ。

その日の午後遠く離れた関東、しかも美容院にいた私には震災について語ることはできません。だけど、こういう芝居が存在することの意味、決して震災は過去のことではないということ、いくつものいくつものことに思いをはせることはできます。私の隣りの女性は号泣していました。私にはその人の涙の意味を推測することはできませんが、私が泣かなかったからといって、その人よりも感動してなかったわけじゃないのです。何を言いたいのか上手く言えませんが。

見て良かったです。女優さんだけでもこんなにパワーのある芝居を作ることができるなんて。(宇田さんは客演なんで)
時津の「当たり前を楽しめ」というセリフが、今でも私の中をぐるぐると回っています。さて、私は・・・・?

(2/16 19:00 下北沢OFFOFFシアター)

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