赤鬼
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「フカヒレスープが大好きな男がいました。ある日、その男が友人に連れられて中華料理屋に行きました。そこで大好きな フカヒレスープを頼みました。それから数日して、その男は自殺してしまいました。さて、なぜでしょう?」

そんなクイズがあったということを後から友達に聞いて知った。赤鬼の元ってこれなのかって思ったけど、単純なクイズのように 思えてそこにある質問の本質は非常にきつく、つらい。「食え、そして生きろ」 人間はこれ無しでは生きていけない。単純なこと。 ただ、食べる。食べなくては死ぬ。ただ、本当にそれだけのこと。

真っ先に思い出したのが、映画「ALIVE」の元にもなってる実話のあの話。あの人たちはまさに「食え、そして生きろ」を実践した。 どんな思いだったのか。想像したって絶対に理解できない。思いつかない。そして考える。私が「食え、そして生きろ」と言われるその 状況下で、食えるのだろうか。知らずに食べたとして、後からその事実を知って私は平気でいられるのだろうか、と。
事実を知って、女は自ら命を絶った。クイズの男も命を絶った。じゃぁ、水銀は?トンビはその意味がわかっていないだろう。だけど、 水銀はどうなんだろう。全部知ってて食わせた。食わせるためには、その前の処理がある。その処理を水銀はどんな思いで やったんだろう。彼だって、赤鬼に多少の好意は持っていたはずだ。憎らしく思う時や恐怖を感じる時や嫉妬を感じた相手だったと しても、それでも喜んでその処理をしたわけではないだろう。ただ生きてほしかった、女に生きてほしかったそれだけのために、彼は 自分の手を汚したんだろう。そして、彼も食べたのだろう、女を護る為に。だから、事実を知った女に対して「愛してるからだよ!・・・ 違う、ただやりたいからだよ!」というその水銀の台詞を聞いて涙がこぼれた。彼なりに女を愛していたのに、それに気づくのが遅く また表現方法も間違っていた。彼なりに女を愛し、ただ生きてほしくて自分の手を汚してでも女を生き長らえさせたのに、その自分が 食わせた事実が女を死なせた。自分が結果的に女を殺した。愛する女を。

女は自分が食べたものが何かを知って絶望の果てに自ら命を絶ち、水銀は愛した女を護りたくて手を汚した結果が女を 死なせ、その絶望の果てに自分を見失った。魂の抜けた水銀が見るものは何だろう。生きている女の幻なんだろうか。夢見た海の 向こうの世界なんだろうか。それとも、赤鬼なのか。

ヨソモノを排除することによって自らを護ろうとした共同体と、そこに馴染めずにいた者たちと、ヨソモノ。3つの思いが交錯し すれ違い、そして悲劇につながる。悲しいだけの話の中で、トンビの「絶望を知るという希望」がよりいっそう悲しくて、泣けた。

(10/6 14:00 シアターコクーン)

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