終わりのない始まりはない。そうはわかっていても、本当に終わるとは誰も思っていない。
だから「終わり」の事実を知るのはいつも衝撃的だ。突然で、衝撃的で、心が追いついていかない。
BARBEE BOYSの解散を知ったのは新年あけてすぐだったと思う。私は朝新聞を見ないのだが、
新聞を見てきた友人が解散の事実を教えてくれた。目の前が真っ暗になった。家に帰ってすぐに
新聞を見ると、TV欄の横の広告スペースに大きく"ロックの雄、ここに終焉"と書いてあった。
"ロックの雄"なんて知らない。だから"終焉"しなくていい。しないでほしい...。
...私はその夜なかなか眠れず、
布団を被りながらずっとBARBEEの曲を聴いていた。
一般チケット発売日、私は発売開始から数分で電話がつながったのだけれど本当の意味での
最終日渋谷公会堂のチケットは完売していた。だからその前日の中野サンプラザを何とか押さえた。
行きたくて、だけど行きたくないLIVEだった。行けば終わる。行けば、そこで私のBARBEE BOYSは
終わるんだ。もう2度と、新しいCDもLIVEもない最後のBARBEE BOYS。
だから今でも私のBARBEE解散はこの日。次の日の渋谷公会堂なんて知らない。
私のBARBEEは、この日で終わったんだから。
会場に着くとFCの「負けるもん会」の人たちが紙テープを配っていた。「メンバーが出てきたら
このテープを投げてあげてください」そう言われて私が受け取った紙テープは深い緑の色をしていた。
「はい」そう言いながら私は紙テープをBAGに入れた。投げる気はなかった。私の席は相当後ろ
なのを知っていた。投げても届かない。だから記念に持ち帰りたかった。この日ここにいた事の
証として持ち帰りたかった。
LIVEの始まりは静かだった。メンバーが歩いて出てきて、そして曲が始まった。
私はこの日のセットリストがわからないので、正直どんな曲をやったか覚えていない。渋谷公会堂の
FINAL VIDEOはあるけど同じだったかどうかもわからない。(まぁ同じだろうけど)
KOISOが曲紹介をした。「メンバーからみんなに言わなくちゃいけないことがあります」そう
言ってから彼は「ごめんなさい」と言った。「ごめんなさい」という曲が始まって、KOISOを恨んだ。
KOISOが悪いわけじゃないけど、こんな曲紹介は嫌だった。直球すぎて泣きそうになった。
一緒に歌いながら「謝るくらいな解散なんかするな、バカヤロー!」とその曲の間中思っていた。
渋谷公会堂でのVIDEOでは杏子さんは「打ち上げ花火」の時に泣いている。声がつまって全く
歌えなくなっていたが、私が見た日はこの曲はちゃんと歌えていた...と思う。
だけどこの日、「泣いたままでlisten to me」で杏子さんは泣いた。2番(というのか?)の
始まりから声をつまらせ、そしてすぐうつむいて全く歌えなくなった。杏子さんのパートが
伴奏だけになり、そしてKONTAが声を張り上げた。「無理に笑顔でなくっていんだ どのみち終わりに
なんだぜ しゃくりあげてわめいてもいんだ 殴りたけりゃ今日が最後のチャンス 言葉の通りだぜ」と歌う。
直球すぎだろ。そのままじゃん。「今日で最後 とってつけたよな笑い顔 似合って
ないぜ」KONTAの歌声そのまんまだった、私。多分頑張って笑ってたかもしれないけど、絶対
似合ってない。この歌で杏子さんが泣いたのはすごいわかる。歌詞、今でも「打ち上げ花火」より
直球すぎると思う。多分、たくさんのファンが泣いてたと思う。(私は泣かなかったというより
涙が出てくれなかった)
すごい好きな曲だっただけに、この歌詞がとてもつらかった。
そして、初めて生で「ラサーラ」を聞いた。最初で最後なんてすごい嫌だったけど、それでも
KONTAが歌い始めた瞬間頭の中真っ白になった。この時初めてBIG EGGでの手拍子が雑誌の記事でも
残念がられていたのかを理解した。多分私は息をするのも忘れてしまいそうなくらい魅入っていた。
瞬きもしたくなかった。ただKONTAを見ていたかった。手拍子なんてできない。動けない。
視線をそらせない。この曲だけは誰も歌ってなかった。多分みんな私と同じだったんだと思う。
最後だからとかそんなことどうでも良かった。でも、あの「ラサーラ」は永遠に続いてほしかった。
私はこの先も絶対にこの日の「ラサーラ」を忘れない。「さよならするけど それでもたまに
顔つないで」という歌詞に救われたことを忘れない。
「さぁ、どうしよう」が最後のアンコール曲で、杏子さんの「BUT NO MORE TIME FOR US」という
声で全て終わってしまった。っていうか歌詞が解散に直球過ぎて嫌になるね、ったく。だけど
誰も帰らなかった。客電がつき、アナウンスが流れても誰も動こうとせずにメンバーを呼んでいた。
アナウンスは何度も流れた。だけど誰も帰らなかった。
...不思議な瞬間ってあるなというか、あの時確実に会場の空気が1つになってたと思うんだけど
音響さんの場所に杏子さんが姿を見せてくれて337拍子で締めて終わったのね。その杏子さんが
顔を出した場所は一部の人にしか見えてなかったのに(私見えませんでした)、
そして杏子さんが337拍子って言ったかどうかも私にはわからない(歓声で聞こえなかったし)し
誰かが337拍子するって教えてくれたわけでもない。
それなのに、あの337拍子は少しもずれることなく締められたんだよね。
それって、すごいと同時にすごい嬉しい思い出です。その後皆すみやかに席を立ちました。
(アナウンスの人哀れ)
アンケートがあって、感想に何を書こうか散々悩んで、そして一言だけ書きました。
「BARBEE BOYSは、私の青春でした」
青春真っ盛りの頃に、青春終わっちゃいました。でも、今でもそう思います。あの頃、BARBEEは
私にとって全てでした。BARBEEにさえ出会ってなかったら、音楽にも何にも興味を持っていなかった
かもしれません。BARBEEは、たくさんのものを私に与えてくれたのだから。
帰りの切符を私はこっそり持ち帰った。キセルは犯罪です。わかってます。ごめんなさい。
だけど、どうしても持ち帰りたかった。こんなもん持って帰ってどうするんだって思うかも
しれませんが、この日の思い出になるものは全て持ち帰りたかったんです。「中野」の文字と
「1.23」の日付が印字された切符は、今でもチケット・紙テープと一緒に大切に保管しています。
あの日、確かに私はあの空間にいたんだという証として。
私は絶対に、あの日のBARBEE BOYSを忘れない。忘れません。