太陽まであと一歩


3回も見ちゃった。てへ。本来は2回の予定だったのが、急遽3回目(実際には2回目)が見れることに。わーいわーい。久々の上川さん、堪能しました。
とりあえず上川さんのビジュアルにKO。め、眼鏡!!鼻血出るかと思った。超かっこいい。うがー あんな助教授いたら絶対授業さぼらねぇー。

まぁ「上川ファン」という立場から上川さんを見ると「大満足」な芝居ではあったんだが、 「キャラメルファン」というか「単なる芝居好き」という立場から見ると今回の芝居は「わけ わからん」というものだった。うーん、何かこういうの多いなぁ。
「ミスタームーンライト」 よりは全然面白かったと思うし、1回目見た時は終盤小川さんの「抱きしめてあげて!」という シーンでぽろぽろ泣いてしまったし。しかし泣いて見終わって劇場を後にした時には既にその 涙が「力技」によって流れたものだということもわかってるというか。何がどう「わけわからん」 かというと、アキラ(西川さん)が何したかったのかってことなんだよね。この辺はどうも全然 わからん。というわけですっきりさせねば。
あ、その前に色々と感想をさくっと。
・パン屋の設定は大内さんだけでいいんじゃないかと。あとの2人あまりにもいらなすぎ。
・AキャストとBキャストだったら圧倒的にBキャストの方が好き。
・實川さんの声が受け付けない。でも何かそのうち「ハックルベリー」を彼女で上演して しまいそうで嫌な予感。
・小川さんは「単なる教え子」ではなく、実際に「恋人」という設定の方が泣けたんでは なかろうか。
・ああいう家庭環境で子供つれて見る映画で「クレイマー・クレイマー」はないだろ、いくら 何でも。
・ラストシーンが必ず「舞台写真カレンダー」になることをなぜか見ている時に想像する。

さて、整理整頓してみよっと。

 -  映画に入る前映画に入った後 実際
先生に協力アキラ アキラサトル
映画後 態度が豹変アキラアキラサトル
先生と母は再婚しないしない しない

と、まぁこの3点だけ表にしてみても何も意味もないような気がするんだが、ここだけ見ても 実際の設定をサトル→アキラに変えてあるだけなんだよな。監督が映画に入る前も入った後も。 結局母の再婚を否定していたというアキラが、自分さえ反対しなければ母は幸せな人生を送れた のではないかという後悔の思いからこの映画は作られたわけでしょ?なのにラストシーンは 実話通り再婚しないわけでしょ?それがよくわからんのだよなぁ。結局監督は何の思いを 込めたのさ、実際の映画に。「俺さえ反対しなければ」という思いを強く込めて先生の協力を 弟のサトルから自分にわざわざ設定変えたわけでしょ?映画のラストがアキラの協力により ハッピーエンドという実際とは違うラストだったなら、その映画を何度も見た監督が「こんなのは 嘘だ」と思って映画に入ってアキラ(子供)をそそのかし反対させるというのはありだと 思うわけさ。でも、実際映画を見終わった後に佐渡島が「このシーンは元に戻っている!」って 言うじゃないっすか。つまり、元から映画を見終わった後アキラ(とサトル)は父親を恋しく思い、 先生に反対するわけだよね、映画も現実通りに。実際その後「父親が倒れた」という電話が入ることを 佐渡島は言ってるわけで、つまり母親は父親の元に戻る、と。
「お母さんに会いたかった」それはありだと 思うのね。だから映画の中に入ってしまった。それもありだと思う。だったら、別にお母さんに 会ったならアキラをそそのかす必要はないわけだよな。だって、そのままほっとけば再婚しない し先生とのハッピーエンドはないわけで、それを誰よりも知ってるのが監督本人なわけだし。

つまりは元の映画のラストが現実と同じ、ということが混乱を招いてるような気がするんだよね。 これで映画のラストが現実と違えば何の疑問もないわけなんだが。そういうわけで、つまり 監督は映画に込めた思いも映画に入った後何したかったんだということを 私なりに結論づけると・・・。

行き当たりばったりな性格の為、何も考えてなかった。
うっかりさんなので、 現実と同じじゃん!というラストに撮影終了後まで気づかなかった。
難しいことを考えるのは嫌いなので、そのまま無視した。

まぁ好意的に考えると母親に会って気が動転し、自分でも何をしているのか全然わからなく なったと。そこにサトル(上川さん)が現れて何でか敵対心を持ってしまったと。わけわからん おっちゃんだなぁ。
結局監督がめちゃめちゃにしなければサトルも寂しくならなかったわけで。 で、そこでサトルなんだが、私はラストのサトルの寂しさってのはサトル(上川さん)本人に語らせる べきだったんではないかと。んが。本当は「映画のサトル≠現実のサトル」なわけで、あのラストの サトルの気持ちがサトル(上川さん)にわからないのは当然なんだけど、性格づけをしているのは 監督なんだからそれこそ監督がわからなければいけなかったわけで。小川さんがわかってどうする。 そして小川さんの設定。私が上で恋人としてって書いてるのは、恋人という立場にいるのに 心を開かないサトル(上川さん)に寂しさを感じている、その寂しさがサトル(少年)に共感を感じ、 ラストのサトルの感情が誰よりもわかるというのなら尚泣けるのでは、と思うわけさ。サトル(上川 さん)が好きだからサトルをじーっと見つめ、その気持ちがわかるってのもいいとは思うんだけど。 それ以前に普通はあんなに重要なポジションにはなれないよな、単なる教え子なら。ずうずうしい。

それでも、大森さんは最高だった。1人で映画を見つめ映画の中で楽しそうな旦那を寂しそうに、 泣きながら見るシーンはものすごく好きだ。言葉なんかなくても大森さんが感じている寂しさが ものすごく伝わってくる。(声をはりあげてセリフを読み上げるだけじゃ伝わらないのはこういう ものよ!) 大森さんの立場から話作ったらそれはとても泣ける気がするよ。

しっかし、ミスタームーンライトですさまじい「シスコン」の次は、すさまじい「マザコン」って ことですな。奥さん、かわいそうー。

タイトルを今回はどのように入れるのか?と思ったら「まるで太陽だな」というセリフでしたか。 あれを聞いた瞬間、「寒っ!!」と思ってしまった。母親=太陽、それさえあれば成長するって ことを言ってたような気がしたが、「水がなければ成長しねぇ」と思った私。

その他もうこんだけ書いたし、何か考えるのめんどくせ。

(3/8 19:00 サンシャイン劇場) (3/12 19:00 サンシャイン劇場)
(3/22 19:00 サンシャイン劇場)

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