炊事班長の戯言


NEW%20bikabika.gif (2700 バイト)11月11日

<緊急特別寄稿>「カヌ沈炊事班長の戯言」


なんで山をやるようになったかは、尾崎と一緒に行った97年7月の赤岳がきっかけだった。

尾崎とは高校の時、陸上部で一緒だった。
それが87年8月高校3年夏、部活も終わり大学受験へと突入していく言い知れぬ憂鬱(例えば、梅雨の土曜日の午後3時頃、外は曇天、喫茶店で男二人で珈琲をすすり、少し湿っぽいタバコをふかしている)を楽しむように、椎名誠的軟弱川原乞食集団を結成した。
これがカヌ沈隊の始まりな訳だ。
そして89年夏、少々グレードアップされた第三回合宿には総勢13名という、20才そこらのあんちゃんらが集まった。
そこに当時「俺が楽しけりゃいいだよ。おりゃおりゃ。」やすさんが出現したのだ。
その時今の「カヌー沈没隊」と、栃木は茂木の魚屋のおばちゃんおじちゃんに命名してもらったのだ。
ほんとに川原乞食集団で(本当は川の王様だと思っている)カヌーと宴会しかやってなかった。
でも今思えば、それはとても楽しい時間だったように思う。
なぜか?それは椎名誠的キャンプ集団になることがその時の目標だったわけで、それに向かってひた走っていたのだから、それだけですごく楽しいのは当然でだったのである。

それまでは、山なんて絶対やらないと思っていたしやる気もなかった。ただ疲れるだけだし、暑いし、汗かくしと。

実際に登ってみると確かに夏だったので、暑い、汗だらだら、疲れる、おまけに足痛い。
何でこんなことしてんの状態で赤岳鉱泉に着いたわけだ。
昔のダンロップのテントなどなくなっていて、先輩から借りた3980円のテントを組み立てる。
初めてのテントで組み立て方が分からない。
周りの視線、そして小声で「立てられないんじゃない?」...屈辱。
なんで山やってるやつは型にこだわるのだろう?
高機能テント張ったらそれはかっこいいよ。
でも3980円のテントだって、夏の赤岳鉱泉では充分適応できる。
ただその時は知識が確かになかった。
今だったら、身近な例で2400M、初秋の常念小屋のテンバではあのテントは絶えられない。
と、判断できるが、その時はそれしかないけど行ってしまったのだ。
ここの違いである。
だから今、赤岳のテンバにそういうテントを立てているやつがいても笑ったりはしない。
ただ、無知でそういうことをしているのなら、危険だと後からでも思って欲しい。
グレードが高い山になればなるほど、当然死にたくないので学習するだろう。
そういう人間の探究心みたいなものを、いきなり否定するのはどうかと思うのである。
近寄れない雰囲気は、一部の学習しない無謀な集団への警鐘であるだけでよい。

夕飯もアルファ米の、おいしいとはいえないご飯を食べてたりするが、赤岳鉱泉だったらステーキぐらい担いでいけっていうんだ。(その時は少ない知識ながら自分なりに経験者に聞き、スイカも担いでいけるぜくらいに思っていた。実際、ステーキ食って、バーボン飲んで旨いと感じた。)

「山に行くこと」とはどういう行為なんだろう。
自分の今のレベルがどの程度の山行まで耐えられるのか。
この山は行ける、と判断した根拠は。
行けない、と判断した根拠は。
ではそこに行くために、今の自分にないものは何なのか。
どういう技術が必要なのか。
どういう装備が必要なのか。
外的な危険は。
エスケープルートはあるのか...。

先輩が残した記録は、知識を得るための素晴らしい参考書だ。ただすべてがそれだけでは語れず、山の様相は刻々と変化していく。
変化していく山に対応するための技術は、地図読みはもちろん天気も読めなければならないし、その土地独特の自然現象も知識として入れておくことも大切だ。
体力は?食料は?今日の装備は?
あらゆる場面で、さまざまな判断が必要であり、山を登るその広がりゆく思考の世界はなんといっても楽しいのである。

いまどこに向かっているのか?と問われればそれは「カヌ沈」です。と答えたい。
「満点の星空の下で年間50日は眠る」
「自然の恵みがいっぱいの沢で魚を捕り、きのこを採り、焚き火を囲みうまい酒をとことん飲む」
「日常の悪行を自然の力を少しお借りして、体の中からしぼりだす」
「ピーんと張った空気の中で朝を迎える」
「真っ白な世界で自分がどれほどの人間かを思い知る」
「充実した思考を、自然の力を少し借りて楽しむ」

今年に入ってフカマチ、ナカハラ、ガリガリ、ユウ、セイイチと一緒に遊びたい者がぞくぞくとやってきた。
カヌ沈もまだ始まったばかりで、これからの活動が大切だ。
人がたくさんいれば考え方も違うし、さまざま個人的な用事もあるでしょう。
媚びを売るつもりはないが、それぞれにいい面があるので非常に楽しいのである。

とにかく「うまいものつくり、うまい酒を飲む」
そのために山を登っている気がしてきている。
カヌ沈は今まさに第二期が始まったばかりで、その方向性が少なくともあっていた冒頭の2人と、自分の生活がはまったわけで誰に命令されているわけでもない。
自分の意志で遊んでるんだ。
しかしこの2人がいなかったら、カヌ沈はないし、こんなにはまっていたとは思えない。
いろんなところに行くために技術を磨くわけだ。
もちろん、それだけの知識だけでは広がりが見られず、さまざまな日常の経験も必要になる。これは自分の生活していく上での糧なので自分がいなくならない限り必要なのである。


<紅葉の苗場山温泉山行>平成11年10月9、10日(硬派度★☆☆☆☆)

げっ。今週末の酩酊会議は土曜の夜だったのか。
金曜日に狩猟班長に今日の集合時間は?なんて聞いてしまった。勿論、相手にされなかった。
そんなことで、今回の苗場山行きは土曜の夜出発、日曜日帰りの山行をしてしまった訳である。(始末書の提出を求められている)

土曜夜10時に松戸から一路苗場へ。途中、酩酊会議会場へ連絡。呆れられるが、ここはもう帰れないので反省しつつ車をとばす。
1時に登り口である和田小屋に到着。今回は会社のS氏が同行。かなり寒かったが外で一献。すげえええ迫力の星空。今にも落ちてくるのでは?と思われるほど。これほどの星空は最近見たことがない。オリオン座が見えるが、その周りに星がまるで「ぎっしり詰まった宝石箱」のごとく。あとは星がよく分からないので、ただただ感心するばかり。結局次の日の朝のことも考えずに2人でボトル1本あける。2時半を回ったころ、そのまま、シュラフに潜り込み就寝。S氏は「お前馬鹿か?寒いぞ」と言いながら車の中へ。初めて、カヌ沈隊の硬派度が他人と違うことに気が付いた。寒くてもテントがなくても気持ちがよければ「外で寝る」。

朝、駐車場で隣に車が横付けされ起きてしまった。
「おい誰か寝てるよ。もう少しでひくとこだった」運転手と目が合い、しぶしぶ6時に起床。酔っていて「もっと寝てたい」と思いながらも「6時には出発な」と話していたのでそこで1時間の遅れ。それにしてもすごい人だ。寝ている間に次々と人が現れ、わさわさと登っているのである。

うう〜んいや〜ん。と思いながらも7時に出発した。エアリアのコースタイムでは山頂まで5時間弱、しかーし、二日酔いも関係なし、がつがつ登って、10時に山頂到着。はっはっ楽勝楽勝!実は途中、猛烈にキジ心が高まっていた。しかし山頂まで小屋はない。おまけに人は途切れない。キジを馬のようにポタポタと落としながら登ってやりたい気分を抑え、二日酔いにも耐え、遅い登山者をええいっ!と抜かしながら、急いで登ったのでした。

途中の神楽之峰から苗場山が見えたときの感動。何せ天気はピーカン。気持ちいいの一言。えいっとあと少しで山頂。雷清水で水汲んで山頂へ。
どおおお、またこれがなんとまあ尾瀬にも勝る湿地帯。景色はいいし、天気もいいし、インスタントだけどすき焼きを食べながらビール。つい2本も飲んでしまいました。

前の日の星空と酒。ピーカンの天気と景色。ビール。
これがそろえばもう一回行ってもいいなこの山は。
帰り道に、猿ヶ京温泉で入浴、ところてん、ざるうどん。


<桃の木温泉と北岳山行>平成11年9月5、6日(硬派度★★☆☆☆)

4連休だったのに、結局みんな休みあわないので会社のS氏と北岳に行ってきました。広河原から大樺沢、左俣から八本歯、北岳山頂肩の小屋、御池小屋そして広河原というコースを予定していた。また例の如く前の日は深酒。朝4時に出発し8時半に登り始めた。
この日も晴天。大樺沢登り後ろから日差しが照りつける。今日はほんとに二日酔い。汗が何時ものとおり酒くさい。なんでいつもこうなんだ!?山を舐めているのかね?と疑いたくなる。ドロドロ血状態はまさにこの状態なのだ。つらい、ほんとにつらい(二日酔いで頭も悪い)ので、でましたルート変更。二俣から右にコースを変え右俣から肩の小屋、明日山頂登ればいいや。
(山は臨機応変、判断力が大切...その前に自己管理能力をつけなさい!)
山頂には1時半頃に到着なんだか天気...ガスってきた。3000メートルの星空がああ。と思いつつビールを飲む。テントはる。ビール飲む。ううん、懲りてない。そして今日の夕飯はサトウのご飯と、豚ロース味噌漬。再来週の南アルプス某所沢遡行のために、入手した田舎味噌で試作。これがうまい!豚との相性がもうたまらない。夜までバーボンで酩酊し7時半頃もう寝ようかと思い、ふらふらと外に出ると、ひょおお!星空だ!いつの間にガス晴れたんだ!遠く甲府盆地を見下ろし3000メートルの星空はなんていうか、仙人になった気分だったな。
次の日ご来光を拝み、北岳山頂へ、またすごい!ユウやガリガリに熱く語った甲斐駒、仙丈、南アルプスの山々、八ヶ岳、富士山、槍、穂高北アルプス。絶景に感謝。下山は御池小屋を通ってだっとおりました。芦安の桃の木温泉は最高です。ほんのり硫黄の匂いだがきつくなく、少ししっとり、露天風呂の温度もちょうどいいし、お勧めです。
(カヌ沈炊事班長兼百名山を登るエロ事師会(会員現在1名)代表)


平成11年6月11日

<泥酔日記2>
最近、戯言がない。実に寂しい限りである。
そう言えば一月前くらいの話になるが、会社内の恋愛話に首を突っ込んだ。秋田に行く前の話である。
連休に入った2日目の朝だったと想う。
前日の競馬で結構気持ちよく泥酔した次の朝だったはずなのであるが8:30頃一本の電話が鳴った。
「横澤さああん。すいません朝から、誰だか分かりますか?」
こんな朝早くから電話がかかってくる女なんぞは当てもない。
ううん誰だこんな朝早くにううん。
頭の中は思考回路ゼロ状態。なになに、ふむふむ。
これは恋愛話、しかし、どうも相談されているようだ。
彼女はかなり悩んでいるのだろう。朝までもんもんと眠れなかったのだろう。やっと夜が明け思い切って電話か。
聞くと、なにやらこの寮に住んでいる僕の先輩と付き合っている女の子で、突然別れてくれという。手紙が来た。
5月の連休中に結納を交わすのになぜ?なぜ?電話してもつながらないの、どうしてるのかなあ。様子はどうなの?
教えて、教えてえええええん、ええええええん。

なんて、内容だった。

親切丁寧に僕の失恋経験から「正しい別れ方」を教えてあげた。
その男の人の部屋に行って、朝から飯を食いにいって。話を聞いた。
その結果を伝えた。
後日、女の子には幕張プリンスの高層レストランで食事をして、話を聞いてあげた。

普通、ここでなんか変な気分になって、やっちゃったりするんだろうななんて想ったけど、そんなことにはならなかった。
やっぱ、やだよね、仲のよい先輩の女は。それが中山美穂だったら考えるけどね。
「お祭りの日の”ざるどうふ”」浴衣姿、いいですね。

おまえ、人に恋愛講座開いてる場合じゃないだろって。


平成11年4月24日

どうも、体調の方ようやく快気という感じです。
GW計画にあわせこれから体力づくりします。
横澤は今日まで出勤で、明日から5/4までお休みです。


水曜日に病院に行くとき事故発生、追突されました。
40過ぎのおばさんで「すいませぇぇん...ひ...みてっみてっませんでしたぁひ」
びびりまくってました。僕は優しいので、「あのさあ、前見てないのけっ」といろいろ世間の厳しさを教えてあげました。その時の服装は、作業服(消防署員仕様)だったので、特攻服を着た右翼のおじさんと間違われたかもしれません。
身体は首がちょっと痛いような気がするが、まあ大丈夫だろう。
向こうの保険会社に全て処理させ、昨日代車が到着
アベニールサリュー(H10.12登録6000KM)新車、持ってきた
整備工場のおじさんに、「ゆっくり直してね」と言っておいた。
俺のテルスターより悔しいがグッドだ。

ここんとこ何か変だ、厄払いにほんと行くかな


中華鍋の悲しい結末<いよいよカヌ沈炊事班長レシピ始動>

カヌ沈の装備はあまりにも貧弱極まりない。難民キャンプと呼ばれることに誇りと怒りを感じつつも、なぜかうれしい気分になっている隊長以下7にんのこどもたち。しかし、食欲だけは旺盛な胃拡張集団に炊事班長は「どれどれ今日もえさをやらねばのおばあさんこいつら死んでしまうでよお」と生類憐れみの令をだした綱吉の気分になってしまうのである。
隊の歴史は古く1988年の第一回奥武蔵西吾野合宿に始まるのだがそのころの装備といったらホームセンターで売っているような鉄板に三角テントだけだったのではないか。本当にそれだけだったような気がする。夜なんて夏でも寒くて寝れないんだよこれが。
ううんまいったね。飯なんて焼き肉とやきそばだったような気がする。
それから考えれば今なんて「おまえら文句いってねえでささっと食えよ」てな感じだな。まあ、まずいもん食わせたのは、数えるくらいしか
ないけどね。
ところで、第三回真夏の強化合宿のときに炊事班長はこの貧弱装備カヌ沈隊でやってはならないことをしでかした。なんと炒飯をつくる
なけなしの新購入装備の中華鍋を家に置いてきちゃったのだ。そこで隊長から罪人にされたわけだが、そのころからちょっとづつではあるが食にに対するこだわりがでてきたのではないだろうか。
何といってもその回から狩猟班長が加わってパワーアップしたのは言う
までもない。
その後、松原湖合宿くらいまであったと思うんだけど、あの中華鍋はどこにいっちゃたんだろう?中華鍋料理のレシピは今度にしようっと。


なんか酒がつきまとう

ああ、今週も遊びほうけてしまった。
軟弱スキー報告します。

<泥酔日記1>平成11年3月2日

隊長に無断でパクリ日記を掲載。
外はものすごいブリザードにみまわれていた。雪の軌跡が縦方向ではなく真横に見える。いやそれ以上、下から上へと吹き荒れている。しかし部屋の中は快適だった。少し離れたところには暖炉の明かりが寒さを和らげ、たくさんの人たちが談笑している。
なんとなく、隣に座った女性は年の頃25前か。少し興味をひかれるのは数十分前から分かっていた。彼女は少し知的な会話をさりげなく話し、
時には酔っ払いの戯言に絶妙な間合いで粉砕して楽しんでいる。
男をうまく惹きつけることに不自然さを感じさせなかった。今度会う約束を社交辞令ですませたくなかったが、このタイプにいつも泣かされている、そんなことでは終わらせたくなかったが、違うものは違うと自分に言い聞かせた。
今日もおいらは泥酔状態。


平成11年2月1日
  隊長に引き続き我が家にも不幸の手紙がまいこんだ。土曜の夜、
スキーから帰ってきてああ疲れた、と思いながら郵便物をおもむろに開いた。
それは毎月月末にくるビザカードの請求書。今回はぜんぜん使わなかったから、
2月の支払いはらくだもんねなんて思っていたら、
なんだああ!!$%#&。ニッ○ン○川町店69,373円。はあ、
確かに12月19日炊事班長はその店で買い物をしたが、買ったのはファンスキーの25,000円くらいなのにいいい。
なんだこの請求は。しかも現金で払ったんだぞ。はああん、そうかこれはないにかの陰謀だ。
頭きてすぐに店に電話をしたが、夜でもう営業は終わっていた。朝おきてすぐに電話して文句をいってやった。
やっぱり店の間違いだったのだろう、早急に手続きをします。といっていた、ひとだんらくしたが、
ううううううん。おわびに「カヌ沈のスポンサーになれえ」と思ったけど話すのもやになってしまった。やれやれ。
話変わって、昨日からずっと先日購入したデシカメの画像取り込みをしているのだが、
ぜんぜん取り込めない、むむむ。なぜだが分からない。むむむむ、どうもデジカメのケーブル、
あるいは、カメラ本体に原因があることまでつきとめた。かああ、これは問題だ。副隊長の画像が送れないのである。
カメラのばかああああああ。
炊事班長の電脳ライフが早くも挫折の方向へ向かっているではないか。ということで、
広報部長すいません。それと、今日は朝からずっとカヌ沈のHPにアクセスしているが、
ぜんぜんつながらない。くうううう。これはどういうことだ。まいった。こんなことでは。こんなはずでは。くああああああ。
(エピキュリアンに憑かれてしまったのかなあ。悪魔だなこれは)