オレはどうやら、山のほうが好きなようだ。
とはいっても、海より山が好きです、という意味ではない。○○山のほうが××岳よりも、どちらかというとなんとなく好きなのだ。なんかこう、語感的に魅力があるというか、神秘性を抱いているような印象を受ける。例えば、魑魅魍魎や神様が棲むのは○○山であって、断じて××岳ではない、と思う。ま、イメージとしてはそんなところだ。
山という漢字は、そのものをダイレクトに形どった象形文字だからして、本物でも絵でも写真でも、とにかく山を見たことのある者ならば、漢字を知らない外国人でもそれが何を意味する文字なのか連想するのは難しくないのではなかろうか。その点について言えば、山と川が表現力において白眉だろう。英語にしてもいちいちriverなどと長ったらしく5文字も使わず、三本線でビシッと決まる川なる漢字を使えば米国人もラクなのに、と思った。思ってみれば、それが漢字というものの発想の起源なんだと気づいた。
岳という漢字は山の上に丘が乗っている。つまり山よりもひとつ高いわけだ。だからというわけではないが、オレはてっきり高松山だと思い込んでいた。この夏合宿報告を書く直前、エアリアを広げて歩いたルートをなぞっていたとき突然、高松山ではなく高松岳なのだということに気がついてビックリした。あまりに驚いてひっくり返ってしまった(誇大な表現です)。栗駒山、神室山、虎毛山とくれば高松山が自然ではないか。標高にしても4峰の中では最も低い。なぜ?なぜ?と考えたがエアリアの中には山も岳も高低自在に入り混じり、おまけに竹ノ子森や山猫森といった、非常に興味深い名称も目につくのであった。
そういえば主題は虎毛山に置くべきだった。気になる虎毛の名であるが、「山腹に刻まれる幾筋かの沢の形状を虎の毛に見立てての命名」なのだそうだ。調べてみて拍子抜けするとともに少なからず残念だった。帰りがけによったモミで、マスターが「虎毛沢の亀甲模様のナメに関係があるんじゃないか」と言っていたが、そちらのほうがよほどロマンがあって嬉しい。"山腹に刻まれる沢の形状"説が誤っているのかもしれないので、物事は得てして単純である場合が多いが、一縷の望みを託しつつ機会があればきちんと調べてみたい。
高松は岳で、虎毛は山なのはなぜか。虎毛岳では母音がかぶるからかなぁ、などとも思ったが、そろそろ、2003年カヌ沈隊の夏合宿について書かなければ誰もこれ以上読んでくれそうにないので、前置きはいい加減にして記録に入ることにする。
赤湯又沢のテン場は極楽だった。
変わり映えのしない林道をダラダラ歩いて1時間半。重荷を担いで急坂を登ること1時間。
ガスに覆われた高松岳山頂はお盆とは思えない寒さだった。非難小屋で一服入れ、士気もあがらず仕方なしに下降にかかる。草つきの稜線はフエルト底にはキツイ傾斜だ。鞍部から藪漕ぎ少々。そして何もない赤湯又沢源頭部を黙々と下降する・・・
いいかげんイヤになってきたころ、嗚呼、谷あいからもうもうと白い湯気がたち登っているではないですか。われよ先にと走り出す。こんなときカヌ沈隊の三幹部は抜群の瞬発力を見せるのであった。一歩遅れて到着したオレはそのとき、自分の目を疑って疑って疑りまく
った。湧き出でたる天然温泉。魚も泳ぐ天国風呂。岩の浴槽は10畳ほどの広さだろうか。そしてなんと!コトもあろうに某女子大のワンゲル部ご一行様が肌もあらわにご入浴中であらせられたのであった。走りながらザックを投げ捨て、3秒ですっぽんぽんになるカヌ沈三幹部。隊長は空中一回転で、炊事班長はライダーキックで、狩猟班長は欽ちゃんジャンプで、それぞれ全身を使って目一杯の喜びを表現しながら飛び込む。「きゃあ、いやあん」キャッキャワイワイと背中を流し前を洗い洗われ、美女に囲まれ鼻の下を伸ばしながら日本酒をキュ〜っとやる。日本広しといえどこれぞ秘湯中の秘湯。湯気のなかの花園。山のなかの竜宮城。
長湯ついでについつい3泊もしてしまうカヌ沈隊であった・・・
・・・だったらいいのになぁ〜などと話しつつ(やたら大袈裟に書いてしまったが)赤湯又沢を下降する。途中、左岸から入る支沢がこころなしか赤く、水温もかなり温かい。もはや水というよりぬるま湯だ。ははあ、なるほど。温泉も近そうだ。
いいかげん着けよという頃、白い湯気がたち登っている幕場に到着した。思ったよりもなかなか快適そうだ。わざわざ書くまでもないが先客はいない。平坦で広々とした適地のわきに、誰かが作ったのであろう1畳ほどの風呂があった。泥や枯葉が堆積していて入浴するには浅いので、まずは全員でメットを使って泥をかきだした。ほとんど泥湯だ。
まずは隊長が裸になって入る。「ぬるいなこりゃぁ・・・あ、アチッ、アチアチ!」全体的にはぬるいのだが、ところどころ下から湧き出していて局地的に熱いようだ。カヌ沈三幹
部並んで記念撮影。揃って入ると足も伸ばせず、腰だけ浸かると真夏とは思えない風に吹かれて寒い。
結局、嬉しそうにしていたのは最初の3秒だけだった。
「こんどはさぁ、スコップ担いできてちゃんと掘ってさぁ、完璧にして入りたいねぇ」
雨が降りはじめてきた。蝋燭と蚊取り線香を灯し、新調した特大タープの下で寝転がって酒を呑む。地面はオンドル状態で暖かい。温泉はイマイチだったが、寝床は最高に快適だった。
明けて翌日。今日のルートは短い。赤湯又沢を下降して虎毛沢に入り、適当な場所で泊まるだけ。ヌクヌクとオンドル寝床でいつまでも寝ていたかったが、釣りをしたい炊事班長は朝からやたらと気合が入っていた。5時半に起こされて8時に出発。問題ない小滝がいくつかあるだけで、1時間ちょっとでゴルジュになり虎毛沢と出合う。川原で行動酒を呷っているとメジロが集まってきた。硬派を掲げているものの密かにメジロを恐れているカヌ沈隊ではあるが、それほど数も多くなく、あまり攻撃してこないのでうっとおしい程度であった。それにしても岩魚がよく走る。それを見てガマンできなくなった炊事班長が竿を出したが、集まるのは股間のアブだけで釣り糸はピクリとも動かなかった。
しばらく川原を歩くと徐々に側壁のスラブが大きく高くなってくる。沢床も石が減り白いナメとなる。ここで狩猟班長がフライを落とすとすぐに7寸の旨そうサイズがヒット。続けて
まるまる太ったオスの尺をあげる。んー、さすが狩猟班長を名乗るだけのことはある。
ところどころ崩壊して荒れている場所もあるが、飽きない程度に出てくる滝やナメはどれ
も簡単に登れる。ただし1ヶ所を除いては。
問題の滝は、透き通った釜をもつ小滝だった。持参した浦和浪漫山岳会の年報のコピーには「飯島(さん)一人が微妙なへつりで越える。(中略)けっこう緊張する。」と記されている。右岸から巻けば簡単に巻けそうだが、密かにへつり大会大好きなカヌ沈隊としては、ぜひともへつりきりたいところだ。フカマチは右の細かく尖った逆層の白っぽいスラブから、炊事班長は左ののっぺりとした滑りやすそうな黒っぽいスラブから取り付く。フカマチルー
ト、見た感じではなんとか行けそうだと思ったが、微妙も微妙、フリクションと筋力でどうにかしゃがみこみ、片足スタンスにミシンを踏みながら立ちこんだところでニッチモサッチ
モいかなくなってしまった。あと一手あればいけるのだが、どう撫でまわしてもそれがない。
今にも落ちそうだ。落ちても大したことない釜だが、ずっぽり濡れたらメチャクチャ寒そうだ。対岸を見ると炊事班長がフリクションだけでビミョ〜にへばりついていた。その時オレ
は念じた。「落ちろ、落ちろ〜」と。しかし自分が落ちそうなので必死で引き返す。戻ると炊事班長はどうやったのか、すでに落ち口に立っていた。さすが一瞬のボルダリング的ムーブと粘り腰ではカヌ沈随一の実力を誇るだけのことはある。
続いて狩猟班長が取りつく。が、一歩めで「うおおぉ」とドボンした。なんと、水中に見えるスタンスは、実はナメに描かれた模様だったのだ。
真顔で這い上がった狩猟班長は一言「硬派」とだけ言った。
そのあいだに隊長は炊事班長よりも上にルートをとって突破した。
さすがカヌ沈の巨神兵とも言われ、ホールドを飛ばすことによって5.11のルートを5.8にして登ってしまうだけのことはある。
どうせ濡れたからロープで引っ張ってくれ、と炊事班長から投げられたロープを握りつつ自ら釜に入った狩猟班長だったが、流芯に引き寄せられて進まず、頭までずっぽり濡れただけでまた戻ってきた。「うおお〜!冷てぇ〜!サミぃ〜!」ブルルと震えるや、
オレの眼を直視して「硬派!硬派!硬派!硬派!」と硬派を連呼した。
硬派を唱えることによって心頭を滅却してるのか、敢えて濡れることが硬派であるとでも主張してるのか判断しかねたので、ただご愁傷様の意を込めて笑うしか、オレにはできなかった。結局、ロープを腕力で手繰って壁を走り、狩猟班長とオレは手強かった小滝を突破した。いくつか問題ない小滝を越え、
釜に落ちる5mくらいの滝となって右岸から入る支沢を越えると、沢床は広びろとした亀甲模様のナメになった。これが不思議なくらい本当に亀甲模様なのだ。一見の価値アリ。
亀甲模様が始まってすぐのところに、快適な幕場があった。おそらく虎毛沢で最も快適な幕場だろうということは明白だった。明日のルートが長くなるけど、ちょっとガンバレばいいだけじゃん。それよか快適な場所で泊まろーぜという、いかにもカヌ沈的な判断で幕営す
ることに決まった。
かなりウマい炊事班長のイワナインゲンブタナス天丼をいただき、いい焚き火を囲みなが
ら、やたらふんだんにある立山を呷っているといつの間にか寝てしまった。起きると2時で、炊事班長と狩猟班長の姿はない。焚き火の反対側で寝ている隊長を起こしてあげようと声をかけたが、よく見るとそれは隊長でなくヤッケだった。
明けて翌朝。
待望の青空が広がっていた。天気予報とともに計画も北上し、とうとう秋田まで来た。その甲斐があった青空だ。今日は頂上に湿原が広がるという虎毛山に立つ。虎毛山。山名もかなりステキじゃないですか。それになんといっても!去年までは詰めの藪漕ぎを考えるだけでブルーになっていたオレであるが、今年はちょっと、というか著しく違うのだ。ザックも背負ってないみたいに軽いじゃなーい、と幹部に言うと「お前なにかクスリやってないか?それともフカマチのニセモノか?」と訝った。
亀甲模様を5分ほど行くと、魚止めと思わしき大きな釜を持った5mのナメ滝になる。夕マヅメに隊長と炊事班長が大物狙いで粘りに粘っていた釜であるが、釣果は言わずもがな。ここは右から登る。小滝をいくつか越え、幕場から45分で二俣に着く。ここまで、けっこう長いあいだ断続的に亀甲模様は続いていた。
作戦会議。なるべく藪の薄いところを狙って登山道に出よう、ということでルートを確認し、二俣を右に入る。水量もぐっと減り、滝がどんどん出てきて高度を稼ぐ。どれも登れて問題はない。しかし途中で、伸びきったフキが丸く倒れているのを見つけた。
「これって、クマじゃねーか?」
「おお!ぜってークマだ!」
「しかも新しいな」
(おまけに近くには、なにやら毛玉と粘液の塊のようなものが落ちていた)
「これって・・・」
「毛づくろいのときに飲んだ毛を吐いたやつじゃねーの?」
「おお!そうだ!」
(誰も歩きだそうとしない)
「フカマチおまえトップな」
「笛吹きながら行けばダイジョブだって」
「トップより二番手のほうが危険なんだからよ(それは蛇です)」
(それでも躊躇すると)
「奥利根とかいつもオレがトップなんだぞ」
「おまえさぁ、こんなときぐらい役にたてよ」
「何のためのカースト制度だと思ってんだよ」
(しかし幸いにしてクマと出くわすことはなかった)
5〜10mくらいの滝が次々に現れる。滑りやすいナメ滝もあり、隊長が滑落したが炊事班長に止められた。実は隊長、日ごろの運動不足のせいかちょっと足にきているようだった。それを見て密かにほくそ笑むオレ。そういえばカヌ沈におけるオレの最大の目標は
「タイチョ〜荷物もってあげましょ〜かぁ〜?」と言うことだった。
3段30mの滝は左岸から巻く。泥のルンゼを少し登ると、明らかな足跡がついている。滝上で右岸からまっすぐなナメ滝となって支沢が出合い、少し行くと二俣になっている。現在地確認のために右の沢に偵察をかけ、ここは地形図の735のポッチのところであると確信を得る。
水量の多い左の沢は、正面に垂直の滝をかける。浦和浪漫の記録にある、右から登ってセミになったという8m滝がこれだ。見てみると確かに右よりも左ほうが比較的いやらしそうだ。
しかし登ってみると然したることもない。記録を見ておいてよかった。
そこから先は急激に水が細くなり、あっという間に涸れてしまう。水をペットに汲んだところで、僅かに水の流れる左を捨てて右のルンゼに入る。結果的にこの判断は隊長のナイスジャッジだった。ここから30分少々で、あっけなく稜線の登山道に出た。最後は腕力がものを言う密藪だったが、地形図で見るにおそらく最短距離を来たと思われる。登山道に転がり込むと、ちょうど通りかかった中年の夫婦にビックリされた。
ダラダラ長い登山道を登り、着いた虎毛山の頂上は濃いガスに包まれていて何も見えなかった。非難小屋で昼飯の魚肉ソーセージを一瞬で食い、マヨネーズを舐めていたら、他の登山者におにぎりや漬物をめぐんでもらった。「話には聞いたことがあるけど、沢登りをやってる人をはじめて見た」と、おじさんに変に感心されたのだった。
重い足を引きずる隊長、股ヅレに苦しむ炊事班長をぶっちぎり、狩猟班長と二人で飛ばして下山する。とっておきのセリフ、「タイチョ〜荷物もってあげましょ〜かぁ〜?」が途中で何度も喉まで出かかったが、少しイラついているのかやたら鋭い隊長の眼光に気圧されて、ついぞや口を出ることはなかった。触らぬ神に祟りなしである。しかしいいのだ。次の目標は「フカマチ、いや、フカマチさん、荷物もってくれ、じゃなくて、もってください」と言わせることに決めたのだ。いやでも、死んでもそんなことは言わないだろうなぁ、隊長は。
<記フカマチ>
付記:山に行きまくったこの1ヶ月の疲れがどっとでたせいか、帰りの車の中でワタクシ、熱を出してしまいました。「おまえいつもの青い顔してるぞ!疲労遅延剤でも飲んでるんじゃねーか?いま藪漕ぎしてるところか!?わはは」と言われました。最後の最後に決定的な弱みをみせて、やっぱりだと思ったに違いありません。調子良かったのになぁ、おかしいなぁ。でも、まあ、いいか。
ルート:泥ノ又温泉〜登山道〜高松山〜赤湯又沢下降〜虎毛沢〜虎毛山〜登山道〜赤倉橋
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