丹沢水無川源次郎沢

 

平成14年4月 7日

硬派者:深町隊員 ガリガリ隊員


  朝。目を覚ますとガリガリが俺の脛を枕にして寝ていた(※注)。腹と背中を出し、しかもご丁寧にヨダレまで垂らしながら転がっている巨体を黙殺し、もうひと眠り決め込もうとした時、俺の頭の中で警笛がビリリと鳴り響いた。ああ、今日は沢に行くのだった・・・おお!おきねばおきねば!

 がばと上体を持ち上げると、そこはガリガリ宅のガリガリ部屋であった。飼い猫のニラ玉がガラスの眼で俺を見つめていた。そういえば昨晩は最後の日本酒が少々余計だったような気がする。結婚祝いにもらったウン十万円もするというナントカの原酒があるとかで、謹んで杯を傾け続け、とても楽しい気分に陥ったのだった。沢の用意をすると言って行李を引っかき回し、「ないないなーいハーネスがなーい」と騒ぐガリガリ。隣の部屋から、うるさーいという声を聞いたような寝際の記憶。二日酔いでまったく不快な目覚めであったが、本物かと疑ってしまうほど美人なガリガリ夫人に淹れてもらったコーヒーで復活したのだった。

※注 O氏とY氏にはホモ疑惑がありますが、我々はちがいます。念のため。

 戸沢山荘の傍らには、見事な八重桜が満開の花を咲かせていた。今回は沢はじめということもあり、志水哲也さんのガイド山行に参加させて頂くことにした。志水さんをいたく尊敬しているガリガリは、183センチ85キロという巨体でありながら「蚤の心臓」を持つ安全第一主義者であり、かつて「フカマチさんと二人では危険だから沢に行きたくない」と俺の心に風穴を開けた人でもある。志水さんのガイドで行こうとでも言わない限り、こやつを沢に引っぱり出すのは難しいのだ。
 俺はといえばガリガリをひと回り小さくした程度のうすらデカさではあるが、幹部連から「チワワの心臓を持つ男」と呼ばれるほどの心肺機能虚弱体質だし、いかんせん半年ぶりで最初から足りない勘も鈍っている。ザイルワークの確認なども含めたう
えで、志水さんの力を借りようと考えたのである。

 集合時間に15分ほど遅れて到着すると、他の参加者の皆さんはおおかたの支度が済んでいた。志水さんに挨拶すると、今回はお客さんが多いからガイドパーティから外れて下さいとのこと。安全第一ガリガリが不安そうな顔を見せるが、そのかわり適当に後ろからついてきていいよと言われると安堵の表情を浮かべていた。

 付かず離れずいこうということで、ゆるりと沢支度をして出発。見上げる水無川本谷の切れ込みと、ふんわりと漂う山の臭いに心が震える。この時をどれほど待っていたことか。沢の本や山岳会の年報を繰り返し読み、遡行図を睨み地形図に水線を入れ、春を待ちわび夏に想いを馳せ秋に恋焦がれ、背中を丸めながら堪え難きを堪え忍び難きを忍んで待っていた遡行シーズンなのである。大袈裟だが。

 堰堤を3つ4つやり過ごし、ついに沢床に降り立つ。沢タビをとおして足の裏に伝わる岩の触感。我が鼓膜を愛撫する麗しの沢音。この沢の源頭は花立山荘付近で終わっているはずだが、このときの俺には上越や奥利根、ガンガラシバナまで続いているように感じられた。意味もなく「いいねぇ」と言うと「やっぱ沢はおもしれーなー」とまだ何もしていないというのに意味が分からないが、とにかくガリガリもご満悦のようす。濃霧で10m先も見えないが、この愉しみにそんなことはまるで関係がなかった。
 すぐになかなか立派なF1が姿を現す。おお!滝だぁ滝だぁ!すっげーと、初めて滝というものを見たかのように喜び、スタコラサッサと快適に登る。

 いくつか滝を越えて暫く進むと志水さんパーティが見えた。ガイドの邪魔をしても悪いので岩陰に隠れようとしたが志水さんに見つけられてしまい、先に行ってくれとのこと。後で聞いたのだが、我々が滝をどう登るのか見てみましょうということだったらしい。何も考えずに右の傾斜の緩いスラブ状壁をヒョイヒョイと登ってしまったのだが、若いうちしか登攀力はつけられませんよ、小さな滝でも無駄にしてはいけませんと下山後にアドバイスを受けた。志水さんの沢に対する姿勢を忘れていたわけではないが、改めて感心すると共に、今回の山行を足慣らし程度に位置づけていた自分に反省した。確かにこんな心構えでは、小穂口沢大滝やガンガラシバナなど永久に登れるはずがない。そして俺は、数年前に尾崎隊長が書いた勘七ノ沢の報告を思い出し
たのだった。

 源次郎沢は小気味よく滝を架け、快適に登れるので面白い。だが「まだ酒が残ってるー気持ちわりー」とガリガリの顔色が悪い。やがて「うんこしてー」とモロに丸見えの場所でキジを打っていたが、その後は「ウミがでたー」といって晴れやかな顔で完全復活していた。意味不明に恐るべし、カヌ沈隊の野生児ガリガリ。

 横に見る稜線が近くなり、ちょっと登れば登山道に出るようなところまで来たが、先はまだ長い。そしてついにロープを使わないと登れなさそうな垂直の滝にでた。「こっちに巻き道があるあるー」と巻にかかるガリガリを引き留め、直登しようと提案するがヤダヤダという。じゃあせめてトップロープで登ろうとしたが、よく考えるとガリガリはハーネスを忘れたため、途中のワークマンで買った安全ベルトを腰に巻いていたのだった。安全ベルトでビレイされるのもなんかヤダしなーと思い「安全第一!じゃあ巻きましょう!」と言うと「フカマチさんが変わった!前なら根拠もなしにヨユーヨユーとか言ってたのにっ!」としきりに驚いていた。・・・いやボクも自信ないんでね。

 水が涸れても滝は続く。「こっちに巻き道があるよー」と主張するガリガリを引き留め、写真で見た岩塔ルンゼを1万分の1に縮小したようなカッコいいトイ状5m滝を登り、ちょっとしたクライミング気分を楽しむ。続いてこれは登れんなというチョックストン滝を巻こうとするが、とりつきが悪くてちょっと躊躇する。見ると左に踏跡があったのでそちらに行こうとすると、「登れるでしょー」とガリガリ。やっぱり登れなかったが、なにやら調子にのってきたようである。
 両岸の森が終わり、低い笹に覆われた源頭部に達した。最後のツメが鬼門なのはいつものことで、例によって体が重くなってきた。運動不足のふくらはぎに乳酸が溜まりきったみたいだ。しかしこうやってヒーヒーと登るのも、久方ぶりだとなんだか嬉
しい。
 ウミを出して元気になったガリガリは霧の中に消え、ときどき「おーい」と声が降ってくる。くそったれ。追いつく度に「いや鹿のウンコがね」とか「下から声がきこえたような気がして」などと誤魔化しを試みるが、頭が悪そうでいて実はなかなか賢いガリガリには、あんまり通用しないのであった。

花立山荘で豚汁を食らう。

「やっぱ沢はおもしれーなー」とのたまう満足げなガリガリに、夏に米子沢いこうぜと言うと、屈託もなくいいよーと頷く。ふふふ、マインドコントロール成功。さるも誘って米子沢行きましょう。直前で翻って光来出沢とかガ
ンガラシバナとかになっても行きましょう。
念願の隊員合宿は近い。幹部に頼ることなく俺たちだけでそこそこ行けるようになれば、我が愛すべきカヌ沈隊もひとつ成長できるのだと、俺は勝手に信じているからだ。



<記 フカマチ隊員>

 

 

 


硬派夜営集団カヌ沈隊

戻る