沢旅はカヌーで始まる。 50リットルと80リットルのザック(ワタクシが50リットルですが顰蹙を買い、ありがたいことに、日本酒1升、ウイスキー1.5L、ビール6本と食材を仰せつかりました)、さらに合計150Kgを超える人間2人を乗せても、ゴンザレス号(2001.10.6命名)はそこそこの安定感を約束してくれた。
ゴンザレス号は静かに湖面を滑り出した。
人力で漕ぐスピードと湖面からの低い視野は、新しい刺激を与えてくれる。
12年前、アキレスのゴムボートで四万十川を下った時を思い出す。あの時のパートナーも横澤であった。横澤とは16年、人生の半分の付き合いとなる。16年の歳月とその苦悩は、横澤の後頭部に如実に表れているが、シャイな横澤は決して背後からの姿を見せようとはせずに、後部座席で絶妙なパドリングを続けている。
計画は、コツナギ沢に荷をデポした後、奈良沢にカヌーを回し、尾根を越えてコツナギ沢に戻りザックを回収し遡行を始めるというもの。なかなかクレバーな作戦だ。
今回の横澤は冴えていた。当初、計画は南会津・三つ岩からミチギノ沢を下降し、御神楽沢を詰め駒ケ岳から桧枝岐に下りる予定だったが、一般登山道が多すぎるという鋭い指摘で却下となった。また、カヌー計画もコツナギ沢に舟をデポし、最終日に尾根を越え回収する予定であったが、時間が読めないというこれまた鋭い指摘で奈良沢にデポすることに決まった。後頭部でモノを考える人は、やはりちがうのだ。
ゴンザレス号は何の問題もなく、コツナギ沢を経由して奈良沢のバックウオーターに到着した。所要時間は約1時間半。
尾根越えのルートは、昔木村小屋があったと思われる地点からが最短ではあるが、藪がきつく突入失敗。それでは、右岸から入る沢を詰めましょ、となり話は早い。
奈良沢は川幅が広く二筋で流れていたり、右岸の平べったい森に水流が吸収されていたりし、水線から枝沢を探すと見過ごす可能性大なので、右岸についた杣道を歩く。
すぐに右岸から1本入り詰めにかかる。この沢は乗越しで注意しないと、(奈良沢右岸の)支尾根を乗越し、再び奈良沢に注ぐ沢を下降してしまう可能性がある。そういう可能性があることをお互い念頭に置き、ツメ近くなったら左に左に振りましょうや、と安易。俺も横澤もあまりコンパスは振らない。歩くこと小1時間、鞍部をきれいに乗越し、楽勝とばかりに下降に入ろうとするが、横澤が「う〜ん、このまま行くとまた奈良沢だね」と珍しくコンパスを振りながらおっしゃる。まわりの地形を見ながら、俄かに信じたくは無いのだけれど、コンパスはこれでもかとばかりに、支沢が奈良沢に注ぐことを示している。
「やはり、コンパスは正直かね?」
「まあ、正直でしょうね」と会話を交わし、少し戻って急な斜面を潅木を伝わって下降する。
「右から流れているはずの沢(本流)が、左から流れていたら、結構焦るね、きっと」たまにはコンパスを振ってみるものですな。
密かにマイタケ、マイタケと念じていたワタクシですが、ミズナラを見かけることはほとんど無く、あわよくば・・・という甘い考えは儚くも砕け散った。
コツナギ沢は、矢木沢ダムが完成する以前に、藤原と清水とをつなぐ重要な交易路であったことからの命名と聞く。したがって、難所はなく、ひたすら平凡。マイリマシタと呟いてしまうゴーロの沢であった。ただし、藪漕ぎなしで柄沢山に突き上げることは、特記すべきだろう。また、幕場適地も少なく、ゴーロの中に僅かな砂地を探しだせなければ、快適な一夜を過ごせない。
幸いにして、1080M付近に快適な砂地の幕場を見つけた。楽しみは何といっても焚火である。沢旅なら当り前の、この行為こそが、久しぶりに渓に入るワタクシの最大の楽しみであった。
「ヨコサワ、メタくれー」。せっせと流木を積み上げながら横澤に声をかける。
「はあ?焚火係はオザキだろ?メタなんて持ってきてねーよ」
「えっ!?うそ?・・・じゃあ、ガムテでいいや」
「ねえーって、この前全部使っちまったって。あーあ」
「・・・・・・」
早くも
「あんたの責任だかんね、何とかしなさいよ!」
といった雰囲気満点である。こういう時、カヌ沈の面々は非常に冷酷な視線と、俺の責任じゃないかんね、といった無責任な態度を取るように教育されている。
こんなことで、焦ってはイケナイ。
「ふん。ラードちゃんがあるじゃありませんか!」
「あんま、無駄に使うなよな」、と冷たい一言を投げかけ、ケツ紙にラードを擦り付けもみもみしているワタクシの行動を懐疑的に見つめている。
果たして・・・。一発で着火に成功。
「おお!さすがだねー。やるねー、どうも、毎度」、
と急激に愛想が良くなるのだ。
「昔さー、アポロ13の映画で、あるものだけで緊急事態を回避していくシーンがあったよな」、と言ったのはワタクシだか横澤だかは忘れたが、このへんのちょっと飛躍的ではあるが、非常に単純で解り易い会話が、我が愛すべきカヌ沈の思考的特徴である。
焚火はその後も順調に燃え続け、二人だけの宴が始まる。
「今日は、日本酒1Lとウイスキー500MLで終わりだからね」、と横澤はワタクシに告げ、差し出したコップには何と目盛りが刻まれている。そう、小さいビーカーである。
「100MLずつ飲むように」とのたまい、ピッタシ100MLを注ぐ。
「先生、もう少し何とかなりませんかねー」、ワタクシも、ついついのってしまうのだ。
空は満点の星である。
横澤がハープ(ハーモニカ)を出し、ろーまんコール(レッド・リバー・バレー)を吹く。そして歌う。残念ながら、横澤のハープは下手である。しかし、そこはそれ、酔った体を横たえ、焚火を眺めながら聞くハープは結構よろしいものである。
焚火が爆ぜる音を子守唄にし、いつのまにか眠りについた。
柄沢山は結構しんどい山だ。
800mアップのツメはイタダケナイが、5mごとに振り返ると確実に景色が変わり矢木沢ダムが小さくなってゆく。残雪期に歩いた柄沢山東尾根の1616が眼下になると、ひょっこりと踏跡に出る。そこが柄沢山頂上だ。
クマザサと石楠花に覆われ、頂上を示すものは何もない。残雪を楽しんだ5月を思い出しながら、檜倉、大烏帽子、雨ヶ立と目で追う。
まるっきり人の気配がしない尾根でニンマリと乾杯。
そして、昼寝。
まだ午前中(11時)だ。急ぐことも無い。
秋空の下、静かな山で惰眠を貪る至福。
1時間程楽しい夢を見た後、やれやれ、と重い腰を上げる。
下ゴトウジ沢と上ゴトウジ沢を分けるトトンボ尾根。その末端が今日の幕場予定地だ。一眠りした体には、ちょっと長い。
下降は下ゴトウジ沢左俣中ノ沢。
尾根の直下は、急な草付で結構怖い。後ろ向きのへっぴり腰で下る。横澤は下り天狗。「んだよ、おせーなあ」とばかりに、調子づいた瞬間、滑った。草付は止まらない。3m下の俺を薙ぎ倒したところで、2人は絡み合い停止した。
「お〜〜っおおおっ。アブねーぇ〜。わりい、わりい」 珍しくマジ顔でびびっている。
いやはや草付の下降は怖い。くわばら、くわばら。
中ノ沢は藪がうるさい。雪の重さで藪は下に向かうから、下りはまだ良いが、逆なら結構厳しいだろう。腰を屈め、窪を忠実に下る。下ゴトウジ沢の変則三俣までに、ちょっと悪い高巻きが1回、懸垂した箇所が1ヶ所であった。
三俣から上ゴトウジ沢出合までは、美しい渓相だ。
浦和浪漫山岳会の年報に、「ラムネ色の渓」と表現されていたが、上手い表現だなあと感心してしまう。
水際には色付き始めた見事なブナ、ミズナラ、トチの木。ラムネ色の渓。
風に舞った落葉が水面に落ち流れてゆく。
心底美しいと思う。
幕は、一本のミズナラの巨木の下に張った。
会心の幕場であった。出合から少し上流の左岸。ミズナラの巨木を目印にすればすぐにわかる。
良い焚火、そして良い夜だった。
勝手な姿勢でくつろぎ、好きなように飲む。焚火をいじくり、星あを眺め、酒に手を伸ばす。交わす言葉は少ない。話を合わせるでもなく、気を使うわけでもない。黙していることが心地よい。そういう雰囲気が互いに伝わり、合ってしまうのだ。
横澤が本当に御満悦の時は、あまり酔わない。酔って早く寝るときや、弾ける時は実はあまり楽しんでいない時だ。
いつの時でも酩酊の俺は、いつものように白河夜船。
焚火にあたらない体の裏面が冷え目覚めると、飴色に透き通った木々の燃焼をぼんやりと眺めテラテラと炎に揺れている横澤の顔があった。
「寝るよ」、の一声に、焚火から目を外すことなく「おう」、と応える。
そんな横沢を見遣りながら何となく満ち足りた気分で、「ふん」、と小さく鼻を鳴らして寝袋に潜り込んだ。
焚火が爆ぜる音を聞きながら、「悪くない山行だったな」と独りごちた。
<記 隊長オザキ>
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