第1回鉄板道選手権大会

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仕込に無心となる炊事班長

平成12年7月8日〜9日

☆☆☆☆☆

硬派者:隊長、炊事班長、ガリガリ、フカマチ、ユウ


宣言

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鉄板選手権ではない。鉄板道選手権なのである。
”道”。それは、人の守るべき義理。教え。そしてその道を極めた技芸。
”鉄板道”。なんという心地よい響きだろう。
昨今のアウトドアー人気でツーバーナーやダッチオーブンやらが幅を利かせ、薀蓄をたれる輩が如何に多い事か。まあ、それは良い。
しかし、硬派を標榜する我カヌ沈隊は、厭くまでも”道”に拘りつづけることをここに宣言する。

硬派野営集団カヌ沈隊 隊長

台風の影響が残る7月8日早朝。カヌ沈隊は硬派野営集団の意地と名誉を賭け、丹波川本流・三条新橋に集結した。
用意した鉄板は、取っ手無し南部鉄鉄板と職人打出し餃子鉄板の2枚。いずれも簡単には手に入らない伝統工芸品だ(本当かよ?)。ずっしりとした重さが、何よりも硬派を物語っている。そいつを渓中に担ぎ上げ、各自、必殺の鉄板料理を披露しようというのが今回の遊びの趣旨である。
各々、選手権に向け頭を捻り、秘策を思いついては何度もほくそえんでいたであろう結果は如何に?


 <選手権結果報告>

第一回鉄板道選手権 

覇者 ユウ序の口隊疑似餌狙撃兵

優勝    ユウ序の口疑似餌狙撃兵 45ポイント
準優勝   尾崎カヌ沈隊隊長     41.5ポイント
 
3位     横澤カヌ沈隊炊事班長  40.5ポイント
4位     フカマチ序の口小隊長  37.5ポイント
5位     ガリガリ序の口軍曹    37ポイント

エントリー NO.1 
尾崎隊長 (埼玉県出身) 

品目 ジャンボ餃子南京亭風
評価  10点 ●ステテコ姿で完璧!!  
      9点 ●料理の心は姿・形から
      8点 ●ステテコによるイキな演出に目を見張り、意外なウマサにビックリした。だが、全体的に腑に落ちない点が多いので−2ポイント。
      7点 ●かなり美味いが、疑惑の臭いが・・・。
    7.5点 ●疑惑の餃子ではあったが、本人持ち込みの鉄板使用ににより焼き加減はバツグン 

エントリー NO.2 
横澤炊事班長 (埼玉県出身) 

品目 スペアリブ特製味噌風味
評価   7点 ●いつもの味だ。
      9点 ●1日目の最後に食ったやつは美味かった。
      8点 ●さすが炊事班長、という一品。うまかったです。
      8点 ●いつものスペアリブにコチュジャンを使うところあたり、さすがである。
    8.5点 ●さすが、貫禄の味。骨までしゃぶらせてもらいました。

エントリー NO.3 
フカマチ序の口隊小隊長 (東京都出身)
 
品目 河童肉の串焼き
評価   6点 ●芸が無い!つまらん料理だ!!
      8点 ●発想は○。もう一捻り。
      9点 ●伝説の河童肉に感動しました。
      7点 ●牛肉は鉄板の王道だが、つけあわせが欲しいところ。
    7.5点 ●河童肉を用いたこの一品。下町のほろ苦くも、甘い味でした。

エントリー NO.4 
ユウ序の口隊疑似餌狙撃兵 (山梨県出身) 

品目 源流ヤマメのホイル焼き
評価   9点 ●食材を現地調達したのはさすがである。
      8点 ●次はデカイのを釣って、刺身。
     10点 ●今回最高にうまかった。コッテリ系が多い中で唯一さわやかに、サッパリと決めてくれました。
      9点 ●食材、味、見た目、バランスが取れており、野外鉄板道初代とする。
      9点 ●朦朧とする意識の中での試食となったが、その味忘れがたし。


エントリー NO.5 
ガリガリ序の口隊軍曹 (東京都出身) 

品目 無芸大食お好み焼き
評価   8点 ●なかなかの味。マヨネーズがないのが残念。
     10点 ●携帯食とした抜群のガリガリ氏のお好み焼きは、次回も携帯食として食いたい。
      5点 ●調理のしかたが美しくなく、だらしなく散らかっているので駄目。
      7点 ●味にもう一捻り加える冒険が欲しい。
      7点 ●かやくにもう少し工夫すれば、上位に食い込めたであろう。


大黒茂谷第一回鉄板道選手権合宿報告

フカマチ序の口隊小隊長

「お、重い…」
林道を歩きはじめて30分、早くもバテてきた。
日頃の運動不足のせいもあるが、ザックの中の黒い物体がこれほどまでに重力と仲の良いお友達だとは知らなかったのだ。
「小太りの婆様を姥捨て山に背負って上がるときの荷重が、丁度こんなもんなんだろうなー」と、奇妙な連想をしている自分に気づいたので、緑濃く風爽やかな奥多摩の山を眺め、できるだけ意識をポジティブな方向へと導くことにした。
台風一過の空は高く、清んだ空気は日光の鮮度を落とさない。
岩肌に蝶が舞い、石清水がキラキラと白く光る。
くそっ!ザックが重くなければ完全にリゾートなのに…
どうやら、私の気分は5分周期のコントラストになっているみたいだった。

自然の法則に従って構築された様式美。
沢を遡上すると、五感の全てから生命のハーモニーが流れ込んでくる。
眼から緑が。
鼻から草木のかほりが。
足の裏には石の感触が…。
…しかし、ナイキのアクアソックには私とザックの重さを確保するほどのグリップはなく、ミューの小さい岩の上に乗ると、"ズリリ/おわわわ"となってしまうのであった。
くそっ!アクアソックなんて全然ダメじゃねーか…
こんどこそ渓流足袋を買おうと思った。スパイク足袋よりはマシだが。

沢登は30分そこそこで終了。
メンバーの中で一番喜んだのは私だろう。ザックを降ろす時がついにやってきたのだ。
我が肩を痛めつけた張本人である鉄板を取り出す。
これは、合羽橋で仕入れてきた南部鉄製で重量6キロの分厚い奴。一度熱したらなかなか冷めない硬派な逸品である。ちなみに価格は4515円(税込)。
そう、今回の合宿は「第一回鉄板道選手権」なのだ。
選手権の要項は、各自持ちよった鉄板焼きを披露し、グランプリを決めるというもの。
わざわざこんな山の中で催すところが、いかにもカヌ沈隊らしくバカバカしくて良い。
ザックをごそごそやっていた
オザキ隊長は、なにやら意味有り気な笑みを浮かべるやいなや、そそくさとステテコに着替えはじめた。
「鉄板焼きといえばコレでしょ」とカメラを強要してポーズを決める。
くそっ!やられた…

ガリガリと私は焚き木集めにでかけた。
しかし指令を実行するフリをしつつ、釣りをするユウの後を追う。
あんなんで本当に釣れるのかな、と思って見ていたら、アッという間に一尾釣り上げてしまった。
フライフィッシング。なんとも不思議な釣りである。
手渡された20センチのアマゴは、時折ビクビクと体を震わせ、常に顎をパクパクする様がいかにも苦しそうだった。しなやかな手触りに不意に哀れさを感じ、逃がしてやりたい衝動に駆られる。しかし見るからにウマそうなのでやめた。
岩の上に横になって空を見ると、眼球の毛細血管を流れる赤血球が見えた。しばしその動きを観察して楽しむ。
ピントを正常に戻すと、無数の飛沫がフワフワと漂っていた。それは水とは思えないほどゆっくりとした速度で大気中を移動していた。思えば雲も空を飛んでいるな……しごく平和な気分でテン場に戻ると、
「テメー寝てやがっただろ!」とステテコ隊長に怒られた。
くそっ!見つかっちまったか…

焚火の用意ができると、さっそく「鉄板道選手権」が始まった。
(詳しい模様は他の報告にお任せすることにします)
うまいうまいを連発し、日本酒をゴクゴク呑んでいたガリガリが死亡。まだ17時である。
私はラッパ飲みしているワインの瓶をゆらし、焚火の傍らでユウと話し合っていた。
そこへ「株式会社と有限会社の違いは何か?」という禅問答のような議題と共にステテコ隊長が乱入。
闘論は一気にヒートアップし、ムキになって喋っているうち気がついたら午前1時だった。
この時間、下界は熱帯夜でも山の中の気温は低い。この温度差を甘くみていた。
荷物を軽くする為にシュラフをやめ、エマージェンシーシートで寝るつもりだったのだ。
被って横になってみたが、寒くてなかなか眠れなかった。
足を覆うと肩が出る。肩を優先すると足先が出る。
くそっ!そういえば靴下をはいてなかった… まあいいや。

翌日は大黒茂谷を詰める計画だったが、大菩薩まで上がると時間が足りなさそうなので、コースを短縮。
隊長よりそのむねを伝えられたとき、私の顔はパッと明るくなったに違いない。
さっきザックを担いだとき、忘れていた重さに口から放射能をはきそうなほどガッカリしたのだ。
足取りいくぶん軽やかに出発。しかし、ほどなくして現れた小ゴルジュでドボンした。
くそっ!オレはホントはホントはホントは…いつか軽荷で来て、スキップで越えてやろう・・・と思う。

その後、平べったい瀧を巻いたところで林道にあたり、僅かな時間で出会いまで戻った。
そこで炊事班長の蕎麦を食べて合宿終了。
そういえば、ヨコサワさんはいつも荷物が誰よりも重いな。だからあの人はタフだ。
私も鉄板をカヌ沈隊養成ギブスにして体力を養おうかと思ったが、やっぱり重いのでやめた。


大黒茂谷鉄板道選手権報告書

ユウ序の口隊疑似餌狙撃兵

 
どれ程この時を待ったのだろう・・・。土の香り、木の香り・・・。シーンと静まり返った中、焚き火のパチパチッという音がやけに大きく聞こえる。焚き火を囲み、それぞれの思いを語り合う。何と充実した時間であろう。一言一言、言葉を吐く事により浄化されていく。言葉など吐かなくてものよい。赤々と燃える焚き火に照らされているだけで、不浄のものが次々と我が身から浄化されて行く。
 
今回の合宿は約半年振りの合宿である。奥多摩・泉水谷・大黒茂谷。今回の合宿の目的は、鉄板道を極める事にある。軟弱な合宿と思われるかも知れないが、ワタクシにとってそれはどーでもいいことではある。何故なら大自然の中であるなら、硬派・軟弱に関わらず、充実した時間を過ごせる事には変わりないからである。もちろんワタクシ自信は、大黒茂谷の隣の渓の小室川に行きたいとは思ったが・・・。まだまだ未熟な序の口隊擬似餌狙撃兵としては、今回のような幹部にとって軟弱極まりない合宿であっても、吸収出来る所は大いにある。今後の序の口隊合宿の時の貴重な経験になり得る。そして、ワタクシにとってもう一つ楽しみがある。それは、FlyFisherであるワタクシにとって、無垢な魚達
との勝負、勝負と言うより、遊んでもらうという方が正しいかも知れないが・・・。人里と違い源流部には一部の山や渓を愛する尊敬すべき人間しか入っていないので、魚も大量に抜かれる事無く、良い型が出るはずである。悲しい事に人里では、釣れる魚は放流魚ばかり・・・。天然ものはほとんど存在しない。何故このような事になってしまったのだろう。不必要な乱獲、不必要な堰堤も建設、水質汚染・・・。いなくなってから始めて気付くのだろう・・・自分達が行なって来た愚かな事を・・・。
 今回は先に述べたように多摩川源流部の大黒茂谷という渓に行った。そこで、まずこの多摩川源流の知識として知っている事を書こうと思う。

<東京都水源林>
 東京都は明治34年(1901年)水源涵養林の経営に着手し、明治44年(1911年)10月20日現塩山市萩原山を山梨県から買収する。現在の水源林の面積は、21.635ヘクタール。塩山市-5.628ヘクタール、丹波山村-6.596ヘクタール、小菅村-1.620ヘクタール、奥多摩町-7.791ヘクタール。合計21.635ヘクタールである。清浄な水道水を確保し、洪水や土石流から住民の命を守るために、今から百年も前に、広大な山林を買収して水道水源林を経営した当時の為政者の先見性と決断力には感服する。この水源林は日本でも優れたものの一つである。

<干水と水源探索>
 明治11年9月27日、山城裕之は東京府の指示を受け、多摩川源流探索を開始する。3日後の9月30日、一ノ瀬の楠藤五郎の案内で水干に到着、ここを多摩川の源頭と定める。以来、水干が多摩川の誕生の地となった。水干とは、沢の行き止まりを意味する。ここに、大正7年、東京市助役・宮川鉄次郎らの発起により、水神社が祀られている。水干は、日本の河川の中で最初の一滴に出会え、川の誕生を確認できる数少ない場所である。多摩川はこの一滴から発し138キロの旅をして東京湾に注ぐ。

<おいらん悲話伝説>
 武田家の財政を支えた黒川金山も武田勝頼の時代には枯渇したが、その最盛期には、黒川千軒の賑わいをみせ、多くの遊女達も囲われていた。金山の閉鎖にあたり、金山の秘密が漏れぬように遊女を始末しようと満月の夜、慰安の宴が盛り上がりをみせていたとき、淵の上に作られた舞台を支える藤ツルが切って落とされた。遊女達は、悲しい悲鳴をあげながら深い淵に消えていった。一瞬にして55名の遊女の命が奪われたという。このことから、オイラン淵は「五十五人淵」ともいわれている。地元では、現在のオイラン淵より、もっと上流の淵という説が有力である。

(上記は「多摩川源流絵図」から引用)

 次にワタクシ、序の口隊擬似餌狙撃兵としての役目を全うすべく、知識不足ではあるが、渓にいる魚達について考えるという視点から少し書こうと思う。きっと合宿の内容については他の人が書くであろうから・・・。
 奥多摩という所にある渓のほとんどには、山女と岩魚が生息していて、アマゴ(雨子)はいないとワタクシは思っていた。アマゴという魚は、山女と非常によく似ているが何処で区別するのかというと、体側に朱点が見られるという点で簡単に区別する事が出来る。山女とアマゴは丁度、奥多摩で分布が分かれている。丹波川では山女、柳沢峠を越えて甲府盆地に入るとそこはアマゴの領域になる。つまり山梨県の渓では多くが山女ではなく、アマゴが生息している事になる。・・・・と、ワタクシは思っていた。しかし、今回の合宿でそれは覆された。今回行った大黒茂谷では朱点が綺麗なアマゴが釣れたのだ。何故なのか・・・。知識不足の現在のワタクシにとって不可解な事である。人里近くの渓では放流が行われているので、山女がいる渓にアマゴが放流される事もあるので、山女、アマゴが両方いる渓もある。漁協などでは、その渓にいる魚を養殖し、放流している所が多いと思うので、実際そういう所は少ないのだが・・・。人里ではそういう事もありえるが、源流部ではそれはあり得ない事であるし、もし放流されているにしても山女、アマゴ両者が釣れるはずである。しかし山女は釣れなかった。たまたま釣れなかったという事も考えられるが・・・。魚の分布というものはハッキリ分かれている事が多い。それは当然である。魚は水の中でしか生きられない。違う川に行きたければ川を下ってまた登ってくるしかない。一度海に出なければ違う渓に行けないという事もある。もちろん先に書いた多摩川水系と柳沢峠を越えて甲府盆地の渓では、一度海に出なければ交わる事はない。そういう事も考えワタクシは、山女、アマゴの分布が奥多摩で分かれていると思っていたのだ。もっと細かくいうと、同じ渓であっても支流で生息分布が分かれている事が多々ある。例えば大黒茂谷ではアマゴが釣れたが、隣の小室川では山女が生息しているという事だ。(実
際小室川では釣りをした事がないので、何が生息しているかは分からないが・・・)実際の話をすると、同じ多摩川水系の一ノ瀬川、後山川、小菅川等には釣行に行った事があるが、全てアマゴではなく山女であった。これらの事を考えると、大黒茂谷のみにアマゴが生息しているとも考えられる。しかし、一番有力な答えは、きっと誰かが山女の渓にアマゴを放流してしまったという事だろう。泉水谷という所は、登山道もあり非常にアプローチしやすいところだ。そういう点も考えると、漁協の手によってではなく、個人的にアマゴを放流してしまったのだろう。太古の昔から受け継がれた遺伝子。それを自分が楽しみたい理由で放流などをして、違う遺伝子を入れてもいいのだろうか?それにしても今現在のワタクシにとって、知識不足、経験不足なのは言うまでもない・・・。

 このようにワタクシは釣りが好きである。これは誰に何を言われようが変わらない。カヌ沈隊に入隊したキッカケも釣りである。カヌ沈隊では、それぞれの目的があり、考える事も違う人間が集まっている。それは決してカヌ沈隊に限った事ではない。しかし、目的は一つ。それを目指して、自分なりのやり方でやっていけばいいと、今回の焚き火を囲みながらの語らいで理解した。考え方、やり方は違うにしても、かなり共感する所が多いのも事実で、だからワタクシはカヌ沈隊に入隊したのだと、初心に返る事が出来た合宿であった。やはりカヌ沈隊幹部は尊敬に値する人物達で、序の口隊員にしてもそれは同じである。

こんな人たちにワタクシも少しでも近付けるよう頑張りたい。

 

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硬派夜営集団カヌ沈隊

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