冬のこの時期に、程度はあるが雪山というエリアに足を入れてみた。
今回の合宿は日光の奥白根山である。雪山初心者にとってはちょうど良いのではなかろうか?隊長オザキは1万円を切るプラブーツが履きたくて履きたくて仕方ないらしい。
いつもと違う山に行く前は少しナーバスになる。原因は経験のなさが最大の理由であることは分かっている。が、それを打ち消すため、知識をたくさん収集するのも問題である。夏に行った信濃俣河内の時がそうだった。なんだか、怪しい知識が集積される。マムシの勉強コーナー(やすさん担当)があり、まったく毒蛇が怖くなってしまった。
「どうすんだよエスケープできないところで噛まれたら」あまり頭でっかちになるのは良くない。この合宿では、なんせ初心者なもので
「なんだかよく分からない」「わからないことも分からない」状態だった。
しかし、家に帰りルート地図を眺め「わかんなかったら戻る」で、その後は早く行きたくてしょうがなくなっていた。
金曜の夜、早く帰りたいのに仕事が8時半までかかってしまった。
オザキの家に10時頃行くといっていたので、戻って用意してどんなに急いでも間に合わない。
「ヨコサワ?今どこ?何時くらいに着く?」心配ご無用、何時ものとおり隊長は酩酊中。朝4時半には出発することにしオザキの家で寝る。早めに寝たので、次の朝は取り敢えず起きられた。ぶつぶつパッキングをしながら、
「絶対なんか忘れる」と決まり文句をいいながら車に乗り込む。
日光は素晴らしく晴れていた。このところ天気に恵まれている。
といっても冬に天気に恵まれなかったら、短い休みの会社員は山に登れないだろうなあ、なんて考えていた。いろは坂をすぎたあたりから
猛烈にキジ心の高まってきた人がいた。湯元のスキー場までの15分が我慢できないらしく、中禅寺湖畔の公衆便所でキジ打ち。がっ!しか〜し、この辺りの公衆便所は冬季凍結のため閉鎖中。便所があるのに便所の裏でまさしくキジを打っていた。
今回の奥白根ルートは、
1日目:湯元スキー場―外山(急登)−外山尾根―前白根山―避難小屋泊、
2日目:避難小屋―奥白根―避難小屋―前白根―外山尾根―湯元スキー場、という冬の奥白根の一般的なピストンコース。
登りはじめは唐松に続きスキー場リフト。しかし湯元スキー場は斜度がない。そのためか、小中学校のスキー教室の生徒達で賑わっていた。
通常2本目のリフトは第4リフトというシングルリフトを使うらしいが、動いてないので隣のリフトの終了点から登り始める。地図で覚悟はしていたが、外山への登りはほんとにきつい。スキー場の脇はワカンを着けようかと思ったくらいツボ足状態だった。オザキは昨日の酒が残っているらしく最初は20分くらいで休憩。3名の若いパーティーが後ろを歩いていたが、結局ずっとこのパーティーの前を登っていった。急登になりちょっと滑る感じがしたので、さっそくアイゼンを装着。その後はヒーヒー言いながらも外山の急登を登る。登り始めて2時間(11時30分)やっと外山尾根に出る。気持ちのいい稜線だ。樹林帯とまではいわないが、枝がよくザックにあたる。晴れた稜線をひたすら前白根をめざし歩く。
途中2325のピーク前でまたラッセルのような登り、ピークをまたひとつ超え、前白根に到着1時間30分(13時)。オレ達の前には日帰り風の中高年パーティーがいたが、前白根で食事をとっていた、麓の駐車場で1時間前に出発し、もう奥白根までいってここで休んでいるのかと、中高年登山者もすごいとつい感心してしまった。しかし、帰りの車でオザキとどう考えても、あの時間で奥白根まで行くことは不可能であることに気づき、前白根のピストンでオレ達が追いついただけだと結論づけた。
前白根からは避難小屋に向かって樹林帯の北斜面をトラバースしながら下っていく。ここも結構雪が深かった。避難小屋に30分で到着(13時30分)。天気がよく奥白根がきれいだったので、今日のうちにピストンしようかと考えた。しかし、明日天気がもつか分からなかったが、大丈夫だろうということで1日目を終了した。まるでCMに採用されそうな勢いでビールをあおる。うまさ抜群だった。
「なんか寒くねえか?」奥白根の避難小屋はまるで冷凍庫のようだった。
じっとしていると足の先が、手の先が、耳がじんじんする。テントは背負っていったが撤収が面倒なので、雨風しのげる避難小屋でOKとした。
お茶を沸かす。生きた心地がした。2時を回った頃、若い3人のパーティーも避難小屋に到着した。若者達は荷物をデポし奥白根に登りにいった。
若い。3時半頃まで昼寝をしてそれから呑み始める。今日は
地鶏の鳥団子ちゃんこ鍋。ウィスキーをいつものようにやりながら鍋をつつく。
4時過ぎに若者パーティーが帰ってきた。夕方の山頂もきれいだったそうだ。茨城大学のWV部の学生だそうで、カヌ沈の宣伝をしておいた。
うるさいおやじ達にみえてしまうのだろうか?しかしゴアのヤッケで一人はアイゼンも着けていなかった。若者はやはり元気がいい。飯も5合炊いて、キムチたっぷりの鍋をぷんぷん言わせて食べていた。
少し酔い気味のオレ達はその匂いにやられてしまった。チョビチョビと2時間、酔いが回ってきたあたりで、鍋を雑炊にして食べる。
「サトウのごはん」を戻さずに鍋に入れると雑炊にはならずに「おじや」になることが判明した。結局2人で1リットルのウィスキーがなくなった。
19時過ぎには眠りについた。
次の朝は5時に起床。その15分くらい前に大きな地震があった。
ひそかにオレは関東大震災でも起きて難を逃れたかなどと勝手な想像をしていた。まだまだ用意が遅いがラーメン食って、お茶を飲み、テルモスに湯をいれて6時30分に奥白根をめざす。すこし天気は悪いがなんとかもちそうだ。ちょっとした樹林帯をぬけ、奥白根山頂へ直登を開始。平均斜度40度くらいだと思うが結構な直登である。写真ではあまり高度感、斜度がでていなかったので残念だ。トラバースがない直登、アイゼンが良く効くので特に危なさは感じない。山頂に近づくごとに風が強くなり、雪面が氷になる。慎重にアイゼンを効かせる。1時間10分で2577M奥白根山頂に着く。男体山、中禅寺湖、戦場ヶ原、南アルプス、富士山、谷川越後連山、尾瀬と360度のパノラマを満喫した。40分で避難小屋に下りてくる。茨大パーティーは、飯は食ったようだがまだテントの中。(寒いらしく小屋の中にテントを張って寝ていた。)早々と撤収し9時20分に小屋を後にする。雪が降ってきており、奥白根の山頂はガスが掛かっていた。前白根までの登り返しは
堪えた。その1時間30分(10時50分)で外山尾根から急登の分岐、ガツガツと2時間かかった外山の登りを40分くらいで下りた。
スキー場は下りのリフトを使わせてくれなかったのでゲレンデを奇異な目で見られながら歩いて下りた。11時50分今回の合宿の行程を終えた。
奥日光はきつい硫黄泉の温泉だ。オザキが屁をふったのと間違えるほど硫黄くさい。カヌ沈としては豪華なグランドホテルなるところで「森の中の露天風呂」で疲れを癒し、カヌ沈らしい湯元スキー場の食堂で、避難小屋から決めていた「カツカレー」を食った。とても気持ちのよい山行だった。
炊事班長ヨコサワ記
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