奥秩父 釜ノ沢・東俣単独遡行

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(笛吹き川・東沢流域)

平成11年9月12日〜13日

硬派度 ★★★


硬派者 狩猟班長

 

笛吹き川・東沢流域は死の沢だった・・・。
 
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「おかしい・・・この沢も生き物の気配が感じられない・・・。」
俺は当初遡行予定にしていた鶏冠谷・右俣を、地元の釣り師に魚はいないことを教えられ、急遽”釜の沢・東俣”に入渓した。流れる水は果てしなく透明で美しかったが、ナゼか魚のいる気配が全く感じられないのだ。普通は遡行していくにあたり水線通しで進んで行くと、
稲妻のように岩魚が走るのが見えるが、全くそれが無いのだ。iwa.jpg (45641 バイト)
「この渓も右俣とおなじか・・・。」
今夜はなんとしても岩魚を釣り上げ、一人焚き火を前に塩焼きと岩魚汁、それにこの時期に期待できる岩魚の卵と白子を酢と醤油で付けこんで、それを肴に一杯やる予定だったのだ。
「クソ!諦めきれねぇ!潜って見てやるっ!」


俺はザックからゴーグルを取りだし淵に潜る。
futi.jpg (43306 バイト)エメラルドブルーの淵の中はもぬけの殻といったところか、あきらかに”いそう”な渓観をしれいるが、雑魚1匹見当たらないのだ。俺はがっくりと肩を落とし、今日の夕飯に決定したレトルトのカレーを握り締めた。「コイツが疫病神かっ!クソ!」と吐き捨てるように叫び、投げ捨てようとしたが、今晩のディナーはコイツのみ。出来るはずもなく悔し涙を飲み、泣く泣くザックにしまいこんだ・・・。

9月11日深夜 俺は一人車を奥秩父に走らせた。初の単独遡行。準備に余念はなく、何度も装備の検討とチェックを重ね、この日を迎えた。非常食、無線機、ヘルメット、ザイルはもちろんのこと、ラジウスの故障にもそなえメタをも持って行き、下降に備えナッツも加えた。その結果、担ぎ上げるザックの重量は20kgを越えるものとなったが、パッキングがよかったか、直接遡行を妨げるにはいたらなかった。

西沢渓谷入口バス停付近の県営駐車場に車を止め、西沢と東沢の出会いを過ぎ、吊橋を渡り、ゴーロの川原に降り立つ。するとすぐに鶏冠谷の出会いにぶつかるが、出会いは
非常に陰気な雰囲気だ。魚もいないということなので、ガイドブックのアンチョコ(遡行図)は無かったが、1/25000の地形図は持っているので予定変更でナメの滝の美しい”釜の沢”を目指す。

情報をくれた釣り師は、東沢も入口付近までしか入ったことが無く、魚も少ないとのことだ。それでも源頭付近では岩魚が群れているに違いない。そこで好きなだけ竿を振れるのだと期待に胸を躍らせ、ザックの重さも感じられぬほど浮き足だっていた。いくつかのゴルジュを超え、いくつか滝を高巻き、懸垂下降をし、逆ゴルジュ入口の淵に差し掛かった。

gorujyu1.jpg (43193 バイト)流れは緩やかだが強く深い。屈曲しており先は見えない。ザックを背負っての泳ぎも限界がある為ザックを下ろし、それを浮きにつかって足だけでゴルジュを進む。しかしザックを押しての泳力はあまりにも弱く、簡単に敗退・・・。頭から水を滴らせ、このゴルジュをどう突破するかだけを考える。高巻くにしても異常なほどな高さまで進まなくてはならない。屈曲しており先が見えない怖さもある。ザイルと荷物を結び、単独で泳ぎザイルで荷物を引き上げるか?荷物を残し、空荷で泳ぎゴルジュの先を確かめに行くと、その先には5m程度の垂直に近いナメ滝があり、泳ぎながら取りつくのは

明らかに不可能だった。こう言うときにアンチョコがあればルートが解るのだが、予定変更した渓なのでいまさら言ってもしかたない。ザックに腰掛けタバコに火をつけどうしたもんかとゆっくりと考える・・・。ふと 誰かが見ている感覚に襲われ左岸後ろに目をやると・・・「はぁ!?なんじゃ!?登山者!!!???」左岸のトラバースする形で登山道が走っていたのだった。そうだった!東沢は荒廃した登山道が途切れながら走っているのだ。愕然とした。登山道に沿った渓では大物がいない。釣り師のアプローチが良いせいで、魚がいたとしても体外釣られているのだ。だから今回の遡行は登山道が添ってなく、多少でもアプローチの険しい鶏冠谷を選んだのだが、そこは魚のいない沢。予定変更して入った沢は登山道が添っている。登山者と思われた源流マンと話しをすると、やはり俺と同じように、魚が走る姿が全く見えないという。

本当にいないのか・・・なぜ?

登山道を巻き道として使い、再びゴーロ帯の川原となったところに降り立ち、乙女沢との出会いにある

50mの巨大なナメ滝”乙女滝”に指しかかるところで一服。

otome-taki.jpg (44726 バイト)「ここまで来たが、やはり魚の影が見えない・・・。」
先ほどの釣り師は引き返してしまったのか?俺も釣りは半ば諦め、今日、明日の予定を考える。今回の一番の目的は単独遡行での自分の読図力、判断力、精神力、技術力を見てみたかった事と、なにより焚き火を前に星空の下、自分とゆっくり向き合う時間を作る為でもあったのだ。地図によるとこの沢をツメると甲武信岳付近のコルにでる。今晩はコルまで三時間程度までのところまで登り、テン場を探そう。しかし万が一の事も考えて、下降の出来ない滝から上には進まない。安易にザイルの回収はしない。その2点だけは十分に用心しなくては、登ることも下ることも出来なくなり、
八方ふさがりの状態に陥る可能性が十分にあるからだ。単独行ではそれがケガと同じように怖い。そうと決まればあとはナメの美しい沢を堪能し、明日は甲武信岳のピークを踏もう。


uodome2.jpg (29459 バイト)東のナメ沢、西のナメ沢を超え、魚止めの滝にさしかかる。10mのナメ滝が太陽の光に輝き眩しい。しかしどうしても諦めが付かない。滝壷に何度も毛鉤を放り込むが反応なし。やはり魚の気配はない。取り付くのは不可能なので右岸を高巻く。

 

 

 

魚止めの滝を超えると素晴らしい絶景が。100m以上あるだろうか、

senjyou-name.jpg (44788 バイト)一枚岩の”千畳のナメ”だ。緑のトンネルを澄んだ平坦な水が止めども無く流れて行く。この絶景を前に昼メシのザルうどんにワサビやネギを放り込む。天気は上々。人の気配も全くない源流でのうどんは川越の”こくや”のうどんでさえかなうはずもない絶品。
sennjyou-name2.jpg (30221 バイト)腹が満たされたところでそろそろ今夜の幕営適地を探しながら進む。所々に砂地を均したようなところがあるが、明日の行程を考えると少しでも先に進んでおきたい。体力的にも問題ないので更に進むと

突然巨大なナメの滝同士の出会いが現れた。

ryoumon-taki.jpg (33057 バイト)”両門ノ滝”なるほど、まさに

巨大な門のように20mのナメの滝が出会っている。是非ともここで一夜を過ごしたくテン場を探すと少々狭く滝も見えないが砂地があった。ここで一夜を過ごすことに決める。二畳の現場用シートを張り、焚き火を起こし、渓で冷やしたビールを立てつづけに2本あおる。美味いの一言が思わず口からこぼれ、

目じりが下がる。ryoumon-taki2.jpg (35242 バイト)本命の岩魚がいないにしてもこの渓は素晴らしい景色に満ち溢れており女性的なやさしさすら感ずる名渓だ。この先のルートを確認すると、両門ノ滝の丁度中心が登山道と記されている。バカな!出会いと要っても真中は尾根じゃない。ナメなのだ。このホールドのないナメを直登?明日は酒の抜けた体で淵を泳いで確認しにいこう。
味気ないレトルトのカレーを流しこみ、焚き火を前に素晴らしい星空の下、フラスコに大事に入れて担ぎ上げたバーボンをあおる。漆黒の闇が俺の背後から襲いかかるが妙に心は落ち着いている。明日はどんな素晴らしいことがまっているか。


翌朝


両門ノ滝の中心まで泳ぐ。やはりホールドはない。こんな登山道は前代未聞だろう。試しにナメを直登してみる。3分の1ほどで”ずるり”と足元がすべり、両膝をついて頭を下げた無様な格好で、下までずり落ちる。まるでヒンズー教徒だ・・・。やはりムリか。俺の記憶にある”釜ノ沢はここまでだ。ここから先はあいにく”アンチョコ”も記憶も無い為、地図読みに頼るしかない。どうする?たしか遡行図では甲武信岳の山小屋までここから3時間。下山も3時間。俺の足を考えると8時間程度はかかるだろうがなんとか行けそうだ。20mのナメ滝をまんまと上り詰めたとしても万が一のことで下降となった場合は?ザイルは30mなので15mしか懸垂できない。その先が進めなくなったら・・・。

 

いや左岸のヤブは取りつきは少々ヤバイが懸垂の支点になりそうなところは随所にあるようだ。なんとかなる。意を決して左岸に取り付く。いやな草の根をつかみ、抜けないか、折れないか一箇所一箇所確認しながら確実に登る。あっさりと滝の上まで登ると微かな踏み跡が。「ケッ!ルートはやはりこっちで正解じゃねぇか!」独り言が多くなる。独り言は寂しさに比例して多くなるというが、俺も少々寂しくなってきたようだ。何時も仲間と行動を共にしてきた山、川、海であるが単独は今回が初めてであり、少々孤独を感じ始める。

 滝を超えるとすぐ左にまたしても滝。どう見ても
直登不可能だ。水量もやや少なく感じるため支沢と判断し、そのまま進む。

しかしこれが間違いだった・・・。
沢はだんだん荒れ果て急登になる。沢の水の色が明らかに濁って行き、最後は茶色というより
赤土の泥水のようになってしまった。手にとって匂いを嗅ぐとそれは鉄のような硫黄のようないずれにしても鉱物の強烈な匂いだった。
doku.jpg (40469 バイト)「これが魚の住まぬ訳か・・・。」
いくつかの出会いごとにコンパスを使い方角を確認。コンパスの指し示す方角へ進む。おかしい・・・ここはまだナメが続くはずでは・・・。しかしコンパスの向きは合っている。

現在地を読み違えているのか?6時半に出発し、現在8時半。引き返すか?たしか資料は5年前のものだった。ガレたのか?そんなはずは・・・。頭の中は葛藤の上葛藤を繰り返す
「ダメだ!引き返そう」
降りながら、いくつか越えた出会いごとに確認するがやはり方角はあっている。
「いや、しかしあの感じはもうツメ間近だ。尾根に乗れば登山道があるはずだ・・・。もう一度・・・登ろう。」
登山道からの下山は沢の下降よりも楽であり安全だ。1時間登り、30分下ってきたこの
急登を再度登り返す。
yabukogi1.jpg (44071 バイト)「しかし9時半。9時半になってもめどがつかなければ時間一杯だ。そのときは諦めて戻らなければ逆に危険だ。」
常に下降を考え遡行してきたので、その時は安心である。もう一度出会いごとにコンパスで確認しながら上っていく。周囲からシカの鳴き声がこだまする。

黒光した、生生しい熊のクソがいたるところにある。強烈なヤブ漕ぎ。枝という枝がヘルメットやザックにことごとく邪魔をする。獣道か人間の踏み跡か?頭の中は「尾根は間近だ!」しかなかったが、ふと時計を見ると9時半丁度。足元には

下降困難な斜面が視界一杯に広がっていた。
「・・・・・・・・やはり尾根を一本間違えてるな・・・。」
時間いっぱい。俺の負けである。ゆっくりと確実にセルフビレーを取り、ザイルを出し、懸垂下降を二度繰り返し、やっと安心して立てる位置まで降りることが出来た。
「これは絶対にルートから外れている。しかしどこで?」
「いや?確認しなかった出会いはあったか?もしあったらそこで一本尾根を間違えているはずだ・・・。」
頭の中からは先ほどの”直登不可能な滝”は跡形も無く消えていた。
下降を決定したからには急がなくては時間が無くなる。薄暗くなってからの沢の下降は危険極まりない。しだいに足が速くなるが、徐々に俺の足は疲労に蝕まれて行き、
ザックは濡れたザイルと共に両肩に容赦なく食いこんでくる。

歩くこと約6時間。昼メシは時間削減の為行動食のみ。朝から歩きつづけて9時間近く歩いている。足は棒のようになったが毎回不調を訴える両膝の調子がよかったことが幸いし、なんとか4時には駐車場に戻ることができた。

 今回の単独遡行では実にさまざまな事を学んだ。常に下降ルートを考えた遡行が必要であること。まだまだ沢の素人の俺が、地形図はあったものの遡行図もなく入渓したこと。

敗因は両門滝を越えてから”直登不可能な滝”を高巻いて上に上がるのが正規のルートだったのだ。出会いで現在地確認をおろそかにしたのが原因。地図読みの重要性が改めて骨身にしみた遡行であった。だが制限時間を決め、戻る、又は登る、下るを冷静に判断できたのは正解だっただろう。登山道歩きの遭難者は下りで支尾根に入りこみ、戻る(登る)ということをせずに下へ下へ行ってしまう事しか出来なくなる(そういった精神状態に陥る)ことで完全に遭難するという。沢では尾根に登山道が走っている場合、戻る事を恐れて上へ上へ行くように思う。しかし今回は冷静な判断のもと、制限時間を設け登山道より困難な沢の下降を選んだのが一番の正解だったのではないだろうか。


後書き

9月16日管理人の独り言より

先日の源流単独遡行から帰還して、数日がたとうとしている。。まだ全身に疲労感が堆積しており、あの夜の闇の恐怖を克明に思い出すことができる。無事帰還した翌日、東京山小屋にてカヌ沈隊定例酩酊会議を開催したが、その時自分は”二度と単独では行きたくない”と仲間に漏らしていた。しかし、今はどうだろうか・・・。二度と単独では行きたくないという気持ちと、もう一度あの緊張感のなかに自分の身を投じてみたいという気持ちが複雑に絡み合っている。単独では、”酩酊日記”でも隊長が言ってたように、”感動を共有する仲間”がいないということが非常に寂しいことである。また食事が虚しい。相反し、なぜまたあの状態に身を投じてみたいのかというと、”異常なほどの緊張感”と”異常なほどの孤独感”との相乗効果により、己の未知なる部分である”極限の精神状態”と向き合える面白さではないかと思う。日々、都会の喧騒の中で生活している自分は、明らかにあの”闇”におびえていた。あの夜は原生のころからの自然が非常に色濃く残された闇であり、人間の為の自然ではなく、”存在するが為の自然”である”人の匂い”の全くしない夜であった。


 
tenba.jpg (39211 バイト)あの日俺は両門滝に感動し、その場所でのビバークを決めた。興奮しつつ渓で冷やしたビールを立てつづけに二本あおり、至福の時を全身で感じていた。しかし、刻々と迫り来る闇を意識し焚き火を起こす。ナゼかいつもの焚き火よりもやや大きい。キャンドルランタンもしっかり吊るし、頭にはヘッドランプがこうこうと照らされている。渓の音も一定のリズムのようで同じではなく、さまざまな音が複雑に絡み合っている。すると渓の音意外の音まで聞こえてきてしまうのだ。幻聴とはちがう、人間の弱さゆえに聞こえる音。そのたびに無意味だと知りつつ振りかえることも何度か。仲間で行く時には極端に嫌うラジオも付け、文明の匂いのするもので周囲を囲んだ。程よく酔いが回り、眠りに入るも、ふと起きると草木も眠る丑みつ時。寒さで焚き火を起こしラジオもつけるが日本放送も二時で終了。すかさず短波放送で韓国放送をきくも、虚しく放送終了・・・。あの闇が懐かしいくさえ感じる。
 こういうのはどうだろう。
deai-yasu.jpg (39462 バイト)個人個人で単独遡行用の装備を担ぐ。ルートはほぼ同じだが、全て自分の力での渡渉を基本とし、高巻きをするか、直登かは個人の判断。ビバークは別地。焚き火の炎や煙が届かず、ラジオの音すら聞こえない距離で単独でビバークするのだ。これは幹部のみでしかできないだろうが、べつの意味では、”サブリーダー育成プログラム”としてもオモシロイ。来シーズンは是非やって見たいものだ。当然重い荷物を背負える幹部は3人で岩魚づくし、キノコづくしの大宴会。奴隷のみ単独野営カレーライス訓練。翌日は”何か”を見てしまって白髪になり狂乱していないことを祈る。フカマチやナカハラ、ガリガリがあの”漆黒の闇”に耐えられるであろうか?今から楽しみだ。
 

 

硬派夜営集団カヌ沈隊

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