カヌ沈も、とうとう本格的な冬山に行くようになってしまった。 場所は北ア・唐松岳。
今後、よりハードな山行をこなす為のステップとして、今回、ガイドの志水哲也さんに同行してもらった。
志水さんは、34歳。詳しくは触れないが、特徴的なのは集中探査というやり方。例えば、85年、南ア・大井川の集中探査は、井川本村にベースを置いて97日間で28本の沢を遡行。86〜87年には宇奈月とロッジくろよんをベースに黒部の沢を25本を遡行している。そして、何よりも凄いと思うのは、ほとんどが単独行であることだ。その究極が剱沢大滝単独完全遡行。剱沢大滝がどれほど凄いのかを書くことが、俺に出来るはずもない。どうしても写真が見たい人は97年の”岳人”11月号を見るが良い。鳥肌が立ちますぞ。
そんな訳で、黒部に憧れる俺達にとって志水さんは神様同然。夜、テントの中で一緒に酒が飲めるのかと思うと、それだけで興奮してしまう有様なのである。仮に、「広末涼子とテントの中で、酒が飲めますよ」と言われても、そこまでは興奮しないだろう、と書こうと思ったが、そこはそれ、やはり少しは興奮するかも・・・いや、きっと興奮するだろう。しかし、断って置くが、俺は決して広末のファンではない。む、むきになるところが怪しいと言われても、違うものは違う。俺は唯、”酒を飲んで話をするだけ”なら、広末よりは志水さんの方が魅力的だと言いたいのである(汗&唾)!
さて。そんな訳で、いつもはやすと横澤が来てから、支度をする俺も今回ばかりは、ちょっと違う。すでに戦闘態勢も整い、目出帽などかぶり、鏡に向かい一人ほくそえんでいた。
もう一度言う。今回の俺は、いつもとは違うのだ。
一方、やすは、横澤に「11時前には絶対来てはならぬ」となにやら意味深の言葉。
思うに、「あんた行かないで」と泣いて止めるカミサンを優しく抱擁し・・・○×△♂♀♪。
まったく、この人は・・・。
結局、俺の家に着いたのは12時をまわっていた。荷物を素早く俺の車に移し、出発。ひと昔前まで、白馬は非常に遠かった。「5時間くらい」という横澤の言葉を聞いて「くそっ!眠れネエじゃねーか」とハンドルを握る俺の後ろで、早くもやすの鼾が。
まったく、この人は・・・。
佐久平で横澤と交代。デリカの後部座席で足を伸ばして、うとうとする。なんて素晴らしい車だ。
驚いたことに3時間で白馬に着いてしまった。興奮しているので眠ることなど出来そうも無かったが、すぐに眠りに落ちた。この辺の図太さが大切なんだよ、序の口隊の諸君。
6時に起き、飯を食いながら支度する。キジ撃ちから帰ったやすが※「1斗缶(18リットル)くらい出たぜ」とのたまう。まったく、この人は・・・。
7時少し前、志水さん登場。とりあえず白馬町の役場駐車場へ向かい、挨拶を交わす。180を越す長身。裸足に便所サンダル。
硬派だ。
しかし、カヌ沈も負けてはいない。180を越す長身は俺も同じだし、横澤の便所サンダルの裏には、パチンコ玉が挟まっているのだ。あなどるなかれ。
冬山用のジャケットを着込む俺達に対し、志水さんは、なんとゴアの雨具。寝袋も化繊のスリーシーズン、個人マットも無し。
硬派だ。
対抗意識からか、荷を減らすためか、俺達も個人マットを車に置いて、いざ。
ゴンドラとリフトを乗り継いで八方池山荘まで行く。ホワイトアウトとまでは言わないが、ガスが濃い。※わかん、オーバーミトンを装着し新雪を踏む。志水さんのペースは異常に速い。いや、俺達が遅いだけか?慣れないわかんに苦戦しながら、先行パーティーを抜かす。トレースがあるので、わかんを外すが、もう一組のパーティーを抜かすとトレースが無くなった。ケルンの陰で再びわかんを装着するが、敢えてオーバーミトンを着けたままでやってみる。非常に遅い。慣れとは言うものの、今後の課題だ。八方池付近は吹っさらしで、猛烈な風に煽られそうになる。鳳凰三山の砂払岳や八ヶ岳の天狗岳で経験した強風(吹雪)の比ではない。内心「これは下山になるかもしれない」とも思ったが、志水さん曰く「これくらいの風で撤退していたら厳しい冬山は行けませんよ」。
う〜む、硬派だ。
それにしても、吹きつける吹雪(雪煙というのか)が頬にあたり、痛い。目出帽を被ろうとも思ったが、風に飛ばされるのがオチだろうから我慢する。横澤が煽られ気味で、志水さんが「しっかり、歩かんと!落ちたら止まらないよ!」と少し強い口調で檄を飛ばした。歩く順を変え、志水さん、横澤、やす、俺、の順になり、横澤がペースをあげ、踏ん張りを見せる。下ノ樺手前の急登は、わかんをつけたままキックステップで進む。わかんにもようやく慣れてきた頃、上ノ樺に到着。時間は1時前。少し早いが、ここから先には良いテン場が無いそうなので、横澤のテントを張る。雪洞は雪が締まってないので、出来なかった。
わかんを着けての歩行は想像以上に厳しく、ラッセルともなると、あっと言う間に体力を使い果たすことになる。なにせ、片足スクワットをひたすら続けるようなものなのだから。
緊張感と強風から開放され、適度に疲労した体が心地良い。いつもなら、軽く酒を飲んで昼寝と洒落込むが、今回はそうもいかない。珈琲、紅茶など飲みながら疲れをを癒す。
視界の隅っこに転がっている、ペットボトルに詰め替えられたジャックダニエルズが、生意気にもその存在を主張していやがる。正面の志水さんも、どうやらその存在が気になるらしい。口にこそ出さないが、ちらっ、ちらっ、と視線が泳ぎ、その度に喉を鳴らしていたことを俺は知っていた。
白馬の役所で志水さんの荷を俺の車に詰め替えた時、白菜やネギなどが入ったスーパーの袋の中に、ボルヴィックのペットボトルに詰めかえられた、500mlの琥珀色の魅惑的な液体が入っていたことに気付いた俺は、そのことをやすに告げた。やすは、一瞬言葉を失い、可哀相なくらい動揺した。今回、やすが持参したのは300ml。俺も横澤も500ml。いつの山行でも菓子パンや甘い物を人より多く持参し、
「ほらよ!しょうがねーなあ、くれてやるから感謝しろよ!」などと言っている男だけに、不安でしょうがない様子だった。
「少し早いけど、飲み始めましょうか」
午後4時、待ちに待った御言葉だ。何しろ今回の俺は気合いが入っている。4人用のテントの隅に各々陣取り、プラブ−ツのインナーを履いたままザックの上に座る。やすが持参した”山崎”で乾杯。酒が入ると話が弾みだすから男同士というのは面白い。つまみを作る。食糧担当は志水さん。メニューは、なんと、焼肉(にんにくの芽入り)、ホルモン、銀杏、ヤキソバ。なんだか気分は”高田馬場の路地にあるホルモン屋で一杯”といった感じになってきた。当初、鍋を予定していたらしいが、強風下での幕営の可能性が強く(実際に強風だったが上ノ樺は無風に近かった)、ひっくり返すとやばい”汁物”は避けたのだそうだ。「焼肉、焼肉♪」と喜ぶ俺達を見て、「よかった。勘が当たりましたよ」、と志水さん。
往年の大食漢達ばかりだが、大将は何と言っても志水さん。一回の食事で7合の飯を食った強者。最低3合は食べないと、夜眠れなかったそうだ。高校時代の横澤も凄かった。奴の家のカツ丼は強烈。元日大探検部主将を兄に持つ横澤の家では、毎朝1升の米を炊いていたらしい。俺自身も高校の時、「タダじゃ無いんだぞ!いいかげんにしろ!」と本気で親に怒られた。やすは今でも食べるほうで、俺の家の近くにある”南京亭”(ボリュウーム満点)が大のお気に入りで、うんざりしている。
さすがの志水さんも雪山での焼肉は初めてだそうだ。ザックからチタンのフライパンを出して肉とにんにくの芽を炒める。テント内に焼肉の匂いが充満している。ホルモンをつまみながら、酒を舐め、話は弾む。黒部の沢や後立山の山々の話から入り、どういったモチベーションで沢や山に入り、どんなトレーニングをしたか等、話は尽きない。途中、やすと横澤が一時的に舟を漕いだあたりから、俺の酩酊度が加速度的に増し、徐々にいつもの俺に変化していき、話題が人生や文学などの話にまで及んだ時には、相当気持ち良く、太宰治と壇一雄論はよく覚えていない始末。いつのまにかフェードアウトした。
翌朝6時前、起床。
寝袋から這い出た志水さんは、素早く寝袋をしまう。それを見た横澤とやすも、すかさず寝袋を丸める。テント内には昨日の酩酊モードはかけらも無く、すでに唐松岳山頂アタックモードに切り替わっており、緊張感すら漂っている。
その中で、酩酊モードが抜けきらない男がポツリ。俺だ。
いつもと何も変わらない、俺がそこにいた。
俺はいつ寝たのか?微かな記憶の糸を辿るが、思い出せるはずもない。そんなことはどうでも良かった。目下、大事なことは、「俺の寝袋を仕舞う袋がどこにあるのか」ということだった。
いつもとまったく何も変わらない、俺がそこにいた。
おろおろとうろたえ、ザックをひっくり返し、シートをめくり、やっとのことで袋を見付け、寝袋を仕舞い終わった時には完全に自己嫌悪状態に陥っていた。
厳しい山行は、スピードが大事。志水さんは何をするのも俺達の半分の時間でやってのける。朝一番で雪を溶かし珈琲や紅茶を作るが、その時も各人遊んでいる時間がないように、とアドバイスを受ける。外のポリ袋から雪を掬う人、コッヘルを押さえ安定させる人、火力を調整する人と分業して極力無駄を排除する。毎回とは言わないが、スピードを意識した合宿も必要だなと考えた。例えば午後から天候が崩れることが予想されるとき、もたもたしている分だけ危険に晒される度合が強くなるのは当然のこと。悪天で行動不能になったり、増水で動けなくなることだってあるだろう。
猛烈な喉の渇きを癒し、ラーメンを啜り、テルモスにお湯を入れ、出発。他のパーティーはまだテントから出ていない。天候は未だ回復せず、丸山から先の尾根部は強風が予想されるので目出帽を被る。
いきなり急登でシンドイ。目出帽を被ると、呼吸するのが厳しくなるからつらい。丸山でわかんを外し、アイゼンを履く。志水さんがザイルを出し、※コンティニュアスで行動する。コンティニュアスは沢の高巻きで切り立ったところをトラバースする時に有効だと、志水さんが教えてくれた。ナルホド。トップは俺で志水さんが最後尾。雪が締まって来たので比較的歩きやすいが、痩せた尾根部なので緊張する。唐松岳頂上山荘手前の、状態が悪いと雪崩れるところも確保してもらいキックスッテプ&ラッセルで足場を作りながら登る。
なんだか、一人前になった気がして嬉しい。
風が強いので一度、小屋に下り休憩することにした。もちろん小屋は営業していないので、小屋の脇の風が当たらないところで一休み。頂上にいくかどうか迷うところ。
志水さんは下山したそうだったが、やすの気迫が勝り、頂上へ。頂上まで20分ほどだが、何ともシンドイ。呼吸を楽にするため目出帽をめくると吹きつける吹雪が痛いし、痛いから目出帽を被ると呼吸が苦しい。
唐松沢側はスッパリと切れ落ち、雪庇が張り出している。踏みぬいたら最後、春になって冷凍保存された状態で見つかればまだマシだろう。
ようやく山頂。天気がよければ憧れの剱岳が黒部渓谷を隔て、その勇姿を見せてくれたのだろうが、この吹雪でその願いがかなうはずもない。しかし、撤退することなく山頂に立てたことが何とも嬉しい。
下山は早い。痩せた尾根を抜けたあたりで、天候が回復してきた。白馬岳、五竜岳、鹿島槍、不帰の名峰、天狗の頭、遠くは妙高、雨飾山など素晴らしい眺望。雪の上に腰を下ろし、しばし小休止。充実した2日間を振返る。
人は何故に山に登るのだろうか?
その答えが解れば登らない気もするが、厳しさの中に身を置いた時に、確かに「今、生きているのだ」と実感する時がある。漠然と生き長らえているような日常の中で一瞬でも良いから、確かな実感を、人は求めるのかもしれない。
記 隊長オザキ |
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これから始まる苦行を想い、不敵な笑みを浮かべる隊長オザキ
風雪の中進む
狩猟班長の後ろは炊事班長、志水さん
俺はバテてねぇと言うヨコサワ炊事班長
日大探検部主将のピッケル(炊事班長兄)
アイスブロックを積み上げ風をしのぐ
明日一発目の急登尾根
雪山で焼肉を食う贅沢
唐松小屋脇にあった別パーティーの雪洞
唐松岳山頂にて
不帰T峰(右)と不帰北峰(左)
下山時には快晴となる
不帰全景
五竜岳
丸山を下る横澤。雪の下はハイマツ
下山時はひたすら尾根上の下り
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