丹波川 小室川谷 水泳登山 平成11年6月19日〜20日 ★★★★
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〜記 狩猟班長〜
クソッ!このままじゃ落ちるじゃねぇか!右足のフリクションはまだ確保されているものの左足は当てになんねぇ。左手はパンプしてくるし!むっ!丁度いいガバが右手を伸ばした先にがあるじゃねぇか!あれなら届くか!? 今俺は右岸の滝のしぶきを黒いウエットスーツ全身に浴びながら瞬時に判断し右手を渾身の力をこめて伸ばした が!その瞬間!そのホールドがクルリと動き、こちらを見つめたのだ!! クッソ〜!ガマガエルじゃねぇか〜っ!!!
学習機能のない酩酊気味の他の幹部をほっとき、ビール2本とジャックのストレートを一杯飲み干しサッサと寝袋に潜りこんだ。明日は土砂降りでも一応現地まで行くのだ。こんな奴らの相手をしている暇はない。 林道に嘔吐・・・。そんな軟弱者はほっておいて、余分な重量となる、ビンやパックを捨て、ペットボトルなどに移し変えた酒、水、食料を振り分ける。しかし50リッターのザックは各自の荷物で満杯になり、酒と水を詰めるともうナニも入りません状態となってしまった。しかしなぜか炊事班長のザックのみデカイ。そうなのだ 炊事班長は山のような食材を50リッターごときのザックで担ぎ上げるのは無理だと判断し、なんと冬山縦走用の80リッターザックを持参していたのだ。あっぱれあっぱれとばかりに隊長と俺はヨコザワのザックに食材をほうりこむ。急遽ヨコザワぼっか大会開催が決定したのだった。 |
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〜記 オザキ隊長〜 疲れ切っていた。 体の芯までへたっていた。 自分の足で遡上した者だけが味わえる特権なのだ。 |
〜記 ナカハラ奴隷候補〜 はっとする恐怖に目が覚めた。額に汗をかいている。滝から滑り落ちる夢を見たのだ。あの美しい奥多摩・小室川谷の登山から二日経っている。あの時滝の上から下を見下ろしたときの恐怖感が甦ったのだ。体の疲れがとれ、夢の中で心だけがあの日に戻ったのだろう。 |
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危険と言えば、二度ほど肝を冷やした。最初は横澤。奴はひとり80リットルのザックを背負いここまで這いずってきた。その重さは、俺達のザックの2倍近い。しかも、比較的軽くて嵩張るシュラフやら着替えをハイパロンの防水バックに詰め、空いた上部スペースにキャベツやハクサイ、調味料、ブルーシート等の重い物をパッキングしてある為、非常にバランスが悪いのだ。通常の登山ならば、うまいことバランスをとりながらパッキングするのだが、濡れてはいけないものと、そうでないものに分けると、なかなか融通がきかない。経験不足といえばそれまでなのかもしれないが・・・。そのことが、原因だった。5メートルくらいの滝を直登しているとき、バランスを崩し岩に左目上を痛打。ザイルで確保していたので落ちることは無かったが、2cmほど切った。 つづいて、やす。やはり滝でのこと。右から登るか、左から登るか探っている時だった。一手伸ばそうとした時、体重が掛かった片手がホールドからすべりぬけ川に落ちた。腰部を岩に打ったが、幸いハーネスがクッションのかわりをして事無きを得た。ラッキーだったのはハーネスがクッションがわりをしただけでなく、 頭部を打たなかったこともだ。 恐るべき保水能力だ。材木に使う杉やヒノキだけの植林された森ではこうはいかないだろう。 |
一日目は、少年の頃おばあちゃんの家の裏の沢を登って遊んだ、あの懐かしい冒険旅行のようであった。ちょっとした岩を登るのがとても楽しい。少年のときの旅は水が深く貯まっているところで終わりであった。だが今回は違う。あらゆる障害を乗り越え、自然に挑むために来たのだ。そして何よりも違う事がある。今回は三人の力強い仲間がいるのだ。 三人のチームワークは素晴らしかった。普段はお互い牽制しあい、強力なライバル意識のようなものを感じるのだが、いざという時のコンビネーションプレーはお互を信頼しあってるが故のものであった。常に全員の状態を気に掛け、着実な足取りで前進する オザキ隊長。難しい局面で常に先陣を切り突破していく ヤスさん。全員分の重い食料を担ぎ上げ、常に最高の食事を用意してくれる ヨコサワさん。誰一人欠けても物足りないものを感じるであろうと思えた。 最高に旨かった。鳥の味噌煮込みとひらたけご飯。自然の中で食べることの 幸せを心から感じたひと時。感謝である。 |
翌朝7時起床。横澤がコーヒーを淹れてくれる。 山で飲む朝のコーヒーは最高に旨い。雨はあがっている。 9時出発。予定より遅れているので遊びもそこそこに遡上する。温泉が楽しみだ。 昨日に比べ、ザイルを出す回数が多くなる。時間はかかるが、安全優先。幾つかの難所を少ない経験と浅い知恵を絞り超えていく。 12メートルの滝が現れる。ナカハラがびびっている。俺達の登攀能力ではとうてい直登は無理なので高巻くが、これが結構際どい。すかさず30メートルのナメ滝。下部でやすが足を滑らせ、滝壷にドボン。横澤に拾われるがこれはご愛嬌。見ている方も笑えた。やっとのことでジャヌケ沢出合いに出るが、予定の時間を遥かに過ぎている。皆、憔悴している。この辺から地図読みが厳しくなってくる。水線は消え、地形図のちょっとしたくぼみを頼りに沢を選んで行く。途中、川は伏流水となり、俺達の読図能力を試す。当然、道など無い。ツメは急なガレを登る。 下山は夜になることが決定的だ。ナカハラの疲労が著しい。ガレを登りきると踏跡があり、たどるとひょっこり大菩薩の稜線に出た。
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二日目は、昨日とは打って変わって非常に厳しい登りとなった。立ちはだかる 巨大な滝、滑る足場、重い荷物、疲れた体。時間が過ぎていくのが早い。昼には大菩薩嶺に出る予定であったが、全く出そうな気配がない。足場も悪い。永遠に続くような登りに、絶望を感じさえした。 草原の広がる尾根が現れた。深い霧が晴れ山並みが現れ、青空が覗く。達成感、開放感、そして感動。久しく味わったことのない感情が全身を満たす。 |
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なるほど、草原だが昼寝などしている余裕など無い。時刻は5時を過ぎている。予定では大菩薩嶺を超え、丸川峠から大黒茂谷か牛首谷から泉水谷林道にでることになっているが、裂石側に下り、タクシーで泉水谷に戻る案もあった。予定のルートで行けば4時間くらい。裂石に回れば、裂石まで2時間ちょっと。そこでタクシーを呼んで泉水谷に戻っても同じくらい時間が掛かるなら、と予定通り下山することにする。丸川峠を過ぎて完全に日は沈み、ヘッドランプを点けての下山となった。この時、ナカハラの心中はかなり不安だったに違い無い。 ビバーク覚悟の下山なのだ。しかも、泉水谷林道への道は、ほとんど使う人もいないので、道がハッキリしない。実際、ルートを見失った時や現在地が確認出来なくなった時点でビバークすることを決めた。分岐を右に行き、大黒茂谷に入ったはずなのだが、すぐに様子がおかしいと気付く。右に沢が流れている。地図を読んだ限り、大黒茂谷は名前とは逆に尾根道。途中までは沢を横切るかたちで伸びている。沢に沿っているはずが無い。沢沿いのルートはただひとつ。牛首谷しかない。結果、牛首谷を下っていると断定。果たして・・・やはり牛首谷だった。地図読みの重要性をあらためて実感した。林道に出た時点で疲労の激しいナカハラと付き添いの形でやすを残し、俺と横澤は荷物を置き、空荷で車を取りに行き戻ってくることにし、俺と横澤はさらに1時間ちょと下った。途中、今回の反省点について話をし、やはり、裂石側に下るべきだったと結論づけた。その理由は、なんといっても裂石側のルートは一般的で途中に小屋があること。最悪でもビバークはしなくてもすむ。実際、ナカハラの太ももは痙攣し始めており、マッサージしながら騙し騙し下山したのだが、裂石側のルートならば、動けなくなっても小屋に泊まることができたはずである。もうひとつ、連絡ができること。俺達が車に戻っても、携帯は圏外で使えず、結局丹波村の公衆電話で、やすが家に電話したのが11時30分。裂石側に下りていれば9時には電話できたはずだった。 |
下り山道はまた過酷であった。オザキ隊長とヤスさんは再度膝を崩す可能性がある為、かばいながらの歩きであり、ヨコサワさんは体調が優れないようである。僕は疲れがピークに達し、いつその場にへたり込んでもおかしくない状態であった。 暗闇の中、ヘッドランプの光だけを頼りに降りていく。9時。車の通れる林道にでる。その時点で限界の僕はヤスさんと二人で荷物の番をし、隊長とヨコサワさんが車を取りに行く。待ってる間、二人で 熱いコーヒーを飲む。旨い。 |
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その後、やすとナカハラを車で迎えに行ったのだが、その時の二人の顔は、まるで、遭難者が救助隊に救われたような嬉しさ丸出し、喜色満面の笑顔だった。おまけに手なんか振っちゃって。 今回の合宿は収穫も多かったが、反省点、今後の課題もまた多い。 結果オーライとしてしまうのは簡単だが、それでは進歩が無いし、いつか大事故につながる。 とはいえ、以前より、格段に成長が見られた 硬派合宿だった。 |
体は ボロボロになったが、非常に充実した二日間だった。 怖さもあった。でもまた皆と一緒に行きたい。 |