雲取山強化合宿平成10年 12月29日〜30日 ★★ 硬派者:隊長 炊事班長 |
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カヌ沈隊には、いくつかの行動パターンがある。 10年以上昔は、難民キャンプパターンしか無かったが、俺達にも僅かばかりの脳みそ、というものがある。水に溶けた炭酸石灰が、長い時間をかけて石筍を作るように、カヌ沈のキャンプ活動も少しずつ成長し、今に至っている。 例えば、山に行く場合には、大きく分けて2つある。ひとつは、快楽系BC(ベースキャンプ)型酒池肉林軟弱楽勝パターン。もうひとつは、禁欲系縦走型質素倹約硬派必勝パターン。前者は、車で移動し、駐車場から出来るだけ近くにBCを設営し、軽荷にて頂をピストン(単に往復)するパターン。この場合、重い荷物を持つのは短い時間なので他の登山者から白い目で見られながらも、鍋だのフライパン(横沢のパエリアパン)だの、場合によってはザックから長ねぎなど、ちらつかせながら酒と食糧をどっさり持ち込むことになる。後者は、縦走なので移動は基本的には電車ということになる。この場合、ひたすら重い荷物を背負っての行動になるため、必要以上のものは持ち込まない。 基本的に、カヌ沈隊は前者のパターンだ。一昨年の瑞がき山(難しい字なので漢字で出せない)や、昨年の北八ツ<天狗岳>がこのパターン。 しかし、だ。今回、俺と横沢は後者のパターンを取った。ただし、車は使ったので、禁欲系回遊型質素倹約硬派必勝パターン、ということになるか。 12月29日。夜10時、横沢が俺の家にきた。勝手にPCを使い、カヌ沈の掲示板にアクセス(その様子は、掲示板で)。その後、例によって”酒”。 俺と横沢が2人で飲むと、ろくなことはない。昨年の5月、北ア・燕岳(つばくろだけ)に行く前の日、近所の飲み屋でJINROを2本と半分のみ、寝坊して登山どころではなかったので、今回は控え目。前にも書いたが、”俺達にも僅かばかりの脳みそ、というものがある”のだ。 翌朝7時起床。通い慣れた奥多摩までの道を快適にひた走る。奥多摩で軽く買出し。俺は飲み屋に帽子を忘れてしまったので、”はらしん”という、<おばあちゃんの行きつけ>といった感じの衣料品店で750円の帽子を買った。本当は”北の国か ら”で田中邦衛が被ってるみたいなのが欲しかったんだけど・・・。”はらしん”という名前は、たぶん“原 新三郎商店”とかの略なんだろうな。 酒はビンからペットボトルに移す。横沢が”ちゃんと2等分にしろよな!”と口うるさい。そんなことだから、頭が”縞枯山”になちまうんだ。余計な包装などは、すべて剥がす。荷を軽くするというより、ゴミを減らすためだ。水は、2リットルずつ。多いと思うかもしれないが、この季節、山小屋以外の水場は凍結しているものと考えるべきだ。雪山ならば雪を溶かして水を作れるが雲取にそこまでの雪はないはず。レトルトやラーメンを作ることを考えればこんなものだろう。ちなみに俺の献立は30日夜はレトルトカレーとパンひとつ。翌朝は豚角煮ラーメン とパンひとつ。昼は行動食なので、チョコレートやビスケットなど。”ザバス”のゼリーも俺は気に入ってる。それから、”みかん”は絶対のおすすめ。その他、予備食が少々。 広報部長のやすさんは、このメニューだと途中でガス欠をおこして動けなくなる。未だ修行が足りず、禁欲型にはむかないようだ。省エネルギー低燃費の現代に逆行する70年代アメリカ車といったところか。 11時鴨沢発。ゆっくりと登り始めるが早くも横沢は全身汗だく。本人曰く、”日頃の不摂生、悪行三昧が毛穴から噴出している。こうやって俺は浄化されるんだ”だって。ついでに、頭の毛穴も開けばいいのに・・。BC型の楽勝パターンばかりのせいか、五十人平までの5時間が非常に長い。アップアップでキャンプ地に辿り着く。 翌朝6時起床。気温はマイナス5度くらいか。ペットボトルの水が凍っている。テント内の結露を取るために、バーナーを空焚きする。グズグズとテント内を整理して、朝食。だらだらとテントを回収して、8時、五十人平発。1時間程で雲取山山頂に到着。おしるこを飲んで出発。 ここから、俺達の苦闘は始まった。 俺は今回雪山用に使う靴を慣らす意味で新しい登山靴で来たため、靴ズレをおこした。と、同時に横沢にも異変。同じく足に豆。履き慣れた靴のはずだが、奴曰く、”荷物が重過ぎるよおぉ”だそうだ。 そこから、約2時間、足を引きずりながらもなんとか、三条の湯に辿り着いたのだ。そして、三条の湯で、タクシーを呼ぼうか?という、悪魔の誘惑にも負けず、三条からおよそ10キロ、3時間の林道を苦行僧の如く、ただ足を一歩前に踏み出すことに集中し、かつ、ナチュラルハイになりながら、”硬派カヌ沈隊”を貫き通したのだ。 途中、車が通る度に、なんとか乗せてもらおうと、わざとらしく足を引きずる横沢にはご愛嬌。 |
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