”日々是口実”
平成16年2月22日 |
消臭力のCMにナゼ長州力が出ないのか。 先日、よこさわからの土産で、いちます味噌というものを頂いた。 夕食時に、味噌汁をすする娘に |
平成15年6月10日 |
先日、”ラーメンもみ”のマスターから、「独立おめでとう!♪」といってお祝いを頂いた。 ウレシイことに食い物である。 俺 「あのぉ なにか袋かなにかいただけないでしょうか」 マスター「あげない」 泥酔状態で、これを片にかつぎ これを膝に抱え、深夜の東武線にのりこみ これを枕にして、浅草の墨田公園にて、早朝のスズメのさえずりを聞き、 これを小脇に抱え、自宅まで走った ちなみにヨコサワはケッコン祝いだといってもらったらしい。 内容量、3.7kgほどか・・・。 賞味期限はあと半年しかない・・・。 また悩み事が増えた。 |
平成14年9月27日 |
疲れているようである。 風邪も長引き、どうもしっくりこない。 おかげで呑みにもいけない始末。 そんで本日やってしまった・・・。 とあるガソリンスタンドに単車で給油に入ったときのこと。 店員「ラッシャーイ!!現金ですか!?カードですか!?」 やす「カロリー満タン!現金でっ!」 店員「は???」 やす「カロリーマンタンっ!!!現金っ!!」 店員「かっ・・かろりー???」 |
平成14年7月10日 |
おたふく風邪になった4歳になる娘が、あまりにも哀れだったので、昨日、前から欲しがっていたおもちゃのお化粧セットを買ってもらったらしい。 帰宅した俺に、その口紅を誇らしげに見せ、はしゃぐ娘であるが、おもむろに口の周りへグリグリグリ・・・。 完全に唇からはみ出している、ラメ入りのピンクの口紅。これでは”きんとと”である。 私: 「ん?口のまわり、テラテラだぞ」 きんとと:「テラテラじゃなーい!」 私: 「ん?天麩羅食いすぎか?」 きんとと:「ちがう!ちがう!くーちーべーに!♪」 私: 「ん?天麩羅ばっか喰うと胃がもたれるゾ」 きんとと:「ちがう!もってない!くちべに!」 私: 「てーんーぷーら♪」 きんとと:「くーちーべーに!」 私: 「テーンープーラ♪」 きんとと:「くー!ちー!べー!に!」 私: (偽西城秀樹 歌:ブーメラン調) 「テ〜ンップラ!テ〜ンップラ!テ〜ンップラ!テ〜ンップラ!」 きんとと:「もう!やぁーだ!!」
風呂上りに足元に転がっていたブルースハープを見付けた。 学生時代に買った、想い出のハープは、ピンク色にテラテラになっていた。 |
平成14年7月10日 |
先日のとある休日前の日。いつものように呑みに出かける俺に向かって、妻は確かにこう言った。 「明日の朝9時半までには帰ってきてね・・・。」 なっ!なんなんだ!朝9時半ってのは!?朝9時半に一体なにがあるんだ!と一瞬胸の内で狼狽したが、よく考えたら明日の10時に買い物に行く予定だったのだ。 そっか・・・朝9時までに帰ってくれば良いのか・・・♪ 夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満夫婦信頼関係築夫婦円満 一瞬 ”教育”とか”しつけ”とか”調教”とかの文字がよぎったが、俺は自分自身に気付かないふりをした・・・。 妻教育調教後築夫婦信頼関係夫婦円満四十八手呑代増加宿泊費増加輪廻天象・・・。 にんげんだもの (みつお) |
平成14年4月2日 |
昨今の新築賃貸マンション建築事情は、浴室乾燥機やら、ウォシュレットやら、今まで分譲マンションに設備されていたものが増えつつあるように感じるのである。 まあ、マンションなどの新築工事を担当していると、工事完成、引渡しまでに、照明、換気扇、オートロック、給湯器等などの各設備機器の機能試験を行うものだ。 ということは、担当している物件が50世帯マンションだとすると、当然、責任感の人一倍強い現場責任者のワタクシが、ヒトツヒトツの便座に腰掛け、物思いにふける形で50回、機能試験を行わなければならない。 だとすると、当然お客様への商品なので、肉体の限界を感じつつ、一壷一壷から50壷まで自己の切り離し作業を行い、我が分身との別れを惜しみ、トイレットペーパーを振りつつサヨナラを言っているワケにもいかないので、自身の洗浄状態の確認のみ、50世帯行うことになろう。 本日、世界一狭き門の清ケツなサラリーマンが誕生したことをご報告致します。 敬具 |
12月14日 |
こんな夢をみた・・・。 先日、銀座のホステスと二人っきりで呑んだ。 |
12月6日 |
嗚呼、神様・・・。 ミーシャという人のチケットを手に入れてしまいました・・・。 当然ペアで・・・。 それもクリスマスイブ・・・。 嗚呼、神様・・・誰と行くべきでしょうか・・・。 ・・・・。 ムリだ・・・。 恐!恐!恐!恐!!!! しかたない・・・。 しかし!考え方によっては、こういうのを先行投資というのだな!! エサを与えて、山に行く! わはははは ・・・・・・・・。 硬派だ・・・。 いや硬派ではない・・・かな・・・? 俺はいつも硬派か否かのメビウスの輪・・・・。 ううむ・・・考え方によってはものすごい曲芸だな。 う〜ん 師走なんだなぁ〜・・・。 |
10月17日 |
先日、運動会で頑張った、我が娘にプレゼントを買ってやることになった。 カミサンは近くのトイザラスへ、娘の欲しかったディズニービデオを買いに娘と出かけ、”美女と野獣”を買って来たのだった。 『ほ〜 こんなのが見たいのかぁ・・なるほどねぇ〜。そういやぁこの映画だったっけな?”アラジン”だったっけな?なんだか違う女と3回みたなぁ・・・。3回目が今のカミサンで、いいかげん飽きて寝てたら怒られたっけなぁ・・・。ん?もしかして実はそれを知ってて!8年越しのめちゃくちゃ遠回しのフックかも!!いやいや参ったねどうも・・・。』 などとと思っていると、娘がビデオのパッケージを持ってきて 「パパ!これ なんて読むの!?」 と軽やかなステップをきりつつ聞いてきた。 「ん〜 美女と柳生ひろし・・・。」 とテキトーに答えると娘は 「びじょとやぎゅうひろし!びじょとやぎゅうひろし!」 とパッケージを見つめ、嬉しそうに繰り返していた。 「びじょとやぎゅうひろし見たい!見たい!」というので俺は娘からビデオを受け取り、 「ハンターチャンス・・・。」とぼそりと呟きながら、デッキに挿入すると今度は 「はんたーちゃんすってなに?」 「ねぇパパぁ!はんたーちゃんすってなに!」 と、ビデオが始まったにもかかわらずしつこく聞いてきた。 最近、俺のオヤジギャグに無反応なカミサンの、洗濯物をたたんでいる横顔が、ココロなしか哀しげだった・・・。 |
8月31日 |
先日、カミサンと会社の話をしてました。 その時に、サラリーマンという言葉を口にしたのでしょうか? 3歳になる娘が 「サラリーマンってだぁれ?」 と聞くので、カミサンが 「パパよ・・・。」 と答えると、 「サラリーマンって、なんか強そう!サッラリィ〜マン!さっらりぃ〜マン!!パパってサラリーマン!あははは!♪」 と小躍りしながらはしゃぎ出しました。 |
7月4日 |
削除しました・・・。 |
5月22日 |
昨晩帰宅後、あまりの暑さの為、我が家の冷蔵庫をあさっていると、アイスクリームがヒトツ出てきた。普段はアイスクリームなどは自宅であまり食さないのだが、昨日は違った。躊躇せず取りだし夜中一人でさみしくテレビを見ながら頂いていると、寝たはずの我が子(たぶん3歳)が起きだし、 『おちっこ・・・。』 とつぶやく。熟睡中だった我が愚妻は機械的に起きだし、トイレへと連れて行った。娘はトイレから出てくるなり 『・・・アイス食べたい・・・。』 とぼそりとつぶやいたのだ。ドキっ!もしかして俺が食っているこの最後の1個のアイスクリームは娘の記憶にしっかりと留まっていた代物だったのか!我家は夜中のおやつは一切禁止なので、愚妻は 『明日ね 明日。ガマンしなさい・・・。』 とやさしく諭しているのが隣の部屋から聞こえてきた。隣の部屋からは子供のたどたどしい歌声で”明日があるさ”が聞こえてきた・・・。 『あしぃ〜たがある♪ あしぃ〜たがある♪ あしぃたがああるぅさぁ〜♪』 娘よ・・・明日はないのだ・・・・。 俺はヒドイ親父だろうか・・・。 |
2月19日 |
偽装登山 ああ・・なんて罪深き言葉の響き・・・偽装登山・・・嗚呼神様 こんな私をどうかお許しください・・・。 『ホントうまくやってるよなぁ』オザキ隊長は合宿参加に妻帯者とも思えぬペースで参加する俺が不思議に思えるようだ。 隊長オザキが後ろにやや仰け反り気味で驚愕し、それとともにキラキラした尊敬のまなざしで叫んだ。 正直ココロが痛まぬはずはない。しかし神様。許してください。私は自分に素直すぎるだけなのです。もちろん妻のことは愛しております。本当です。信じてください。どうか子供たちがまっすぐに育ちますように。アーメン |
2月13日 |
年末にこんな事件があった。 つづく |
2月5日 |
土日に家族で会津のたかつえスキー場へいってきました。 |
12月22日 |
まだ実感がないのだ。一級建築士に合格したことの。おそらく試験と同じ時期 盛夏の渓にどっぷりと浸ったとき、初めて自己の精神は解き放たれ、呪縛から開放された自分に気づくのだろう。それほどまでに今年の勝負は重いものだった。 |
11月27日 |
テレビのニュースを見ていた |
8月12日 |
今日は夏休み前最後の出勤日である。現場の若い連中は、俺を置き去りにして海へ山へ出かけてしまった。俺といえば今年は一切の欲望を絶ち、盆休みは自宅でお勉強である。東スポの連中もツーリングだかなんだかに出かけてしまったし、カヌチンは例によって”男を鍛える強化合宿 夏の陣”にでかけてしまって、唯一俺だけが在京本部になってしまった。 |
7月24日 |
硬派 カンリニンの建築士日記 つづく いや続かない・・・。合格しました。やったー!ご迷惑やシンパイ、また応援してくださった方々。ホントウに有り難うゴザイマス。 次は製図試験に向けての勉強が始まりますが、しばしの間、遊んでくださいませ! |
平成12年1月12日 |
耳クソをほじるとカワイイピーチフィズが・・・。耳毛か・・・。耳クソをほじくる度にワタクシもオヤジになったものだと実感する。哀しいことだ。そう言えばハナゲの伸びる速度も加速度的にUPしている気がする。太さなどは頭の毛の倍近い直径である。いや頭の毛が細くなったのか・・・。長さにしてもしかり。今までは暗い洞窟の中で、細々と暮らしていたハナゲどもは、完全な成長を遂げるまでもなく、醜いハナクソ達とともに俺の日常的カクハン作業により外部に摘出されていたのだが、歳と共に自己の存在を告示するかのように太く、長く伸びつづけ、クロスカウンターのように洞窟の反対側の壁のお互いの足元を こちゃこちゃと刺激するもんだからたまったものではない。風邪でもないのにくしゃみは出るし、鼻にほうきが刺さったるのではないかと思われるカヌ沈隊隊長オザキのように、万年ハナゲ竹ぼうき状態になっては女子高生との楽しいカラオケも出来なくなりかねないのだ。しかしワタクシが一番恐れていることは、老化に伴う体臭の変化である。建築現場の詰め所(職人休憩所)のあのすえたような匂いというか、またラーメン屋の換気扇の羽にこびりついた脂の古くなったような香り。それは老人介護問題より避けては通れない重大な老人問題でると認識している。昔から人一倍鼻の効くワタクシであったが、それが老化であるのかワキガであるのか以前は判断がつかなかった。昔カヌ沈隊隊長オザキに「年寄りって、なんか匂う気がするなぁ」という話をすると、ヤツは一言「死臭だな・・・。」とつぶやいた。ナルホド納得。あの匂いが進むとその匂いを嗅ぎつけギャートルズ並の死神がやって来るということか。そう言えば実家の隣の家がヒドイ死臭を放っている。実家での晩御飯の席で、隣の家の話が出た。家族の者もそういえば最近匂うという。そこでワタクシはおもむろに箸を置き、つとめてゆっくりとした口調でこう言った。「死臭だな・・・。お迎えが近いゾ・・・。」その途端、家族から集中放火を浴びたのは言うまでもない。そう その食卓には今年93歳を迎える祖母もいたのであった。 |
11月11日 |
黒部川の仙人ダムと黒四ダムの間、およそ15キロを下の廊下という。下流からS字峡、半月峡、十字峡、白滝峡と黒部川の真骨頂が並び、両岸は岩壁に囲まれて豊富な水量をたたえた瀞と奔流が断続する。そのなかでも十字峡は幅20〜30bの黒部川に左岸から剱沢が、右岸から棒小屋沢が全く同じ所で滝となって合流し、十字形の見事な渓谷を形成している、まさに絶景である。らしい・・・。 昭和53年。少年は、たまたま見たテレビで4つの渓谷が互いにぶつかり合っている不可思議な映像を見た。実際は本流に支流二本が向き合って流れ込んでいる出合いだったのだが、それが丁度十字型に見えているのだった。渓流釣りにあこがれ、渓流本を擦り切れるまで読み返していた少年は、その映像を見つめ、「いつか自分の目で見てみたい」と強く思い、その衝撃的な黒部 十字峡の映像を生涯忘れることの出来ないものとして、両目と小さな胸に焼き付けたのだった。 ある日、丹沢のとある沢へ少年は父親に悲願の渓流釣りに連れていってもらった。そこでヘルメットをかぶった奇妙な集団が滝を攀じ登っていた。アルピニストの父親は「沢登ってぇのは自殺行為だな。沢登だけはやるなよ」と何も解らぬ少年に、悟とすように言い聞かせた。 先日、カヌ沈隊幹部三名にて、沢屋のアンダーグラウンド飲み屋”もみ”にて、酩酊幹部会議を開催した。会議前にしこたま呑んで来た隊長は、ろれつの回らぬだらしない形相と赤い鼻で俺に問い掛けた。「オマエは何がやりたいのだ。」 問い掛けられた瞬間、俺は酩酊気味の朦朧とする意識の中、少年からの思い出、十字型の衝撃的な渓谷の映像、親父の遺言のような言葉が頭の中を駆け巡った。 「俺は黒部の十字峡をこの目で見てみたい。それはガキのころからの夢だ。そしていずれ黒部を本格的にやりたい・・。ボルトやハーケンを使ってでも、黒部をやりたい」 「あんた死ぬでしょ!だが3年後には行っているかも知れないところがカヌ沈隊の恐ろしいトコロだ。」 冗談交じりに隊長がうれしそうに言葉を返す。 渓流の話になると「黒部」。富山出身者と解ると「黒部」。スーパーで鱒寿司を見つけると「黒部」と発していた俺。黒部渓谷へ数年後現実として手の届く”可能性”のあるところまで来てしまった。俺の渓への執着はもしかしたらここなのかも知れない。 単独で丹沢の勘七沢を遡行。行く手に何が現れるかわからない不安と期待。胸をドキドキさせながら次を想像する。この興奮。僕は一気に取り付かれて行く。 (志水哲也 大いなる山 大いなる谷 より) |
10月20日 |
最近 管理人の独り言をサボリ気味なので、ここで意味も無く更新することにしよう。 こうやって書くと ホントに俺はダメ親父みてぇだなぁ・・・。 |
9月16日 |
先日の源流単独遡行から帰還して、数日がたとうとしている。。まだ全身に疲労感が堆積しており、あの夜の闇の恐怖を克明に思い出すことができる。無事帰還した翌日、東京山小屋にてカヌ沈隊定例酩酊会議を開催したが、その時自分は”二度と単独では行きたくない”と仲間に漏らしていた。しかし、今はどうだろうか・・・。二度と単独では行きたくないという気持ちと、もう一度あの緊張感のなかに自分の身を投じてみたいという気持ちが複雑に絡み合っている。単独では、”酩酊日記”でも隊長が言ってたように、”感動を共有する仲間”がいないということが非常に寂しいことである。また食事が虚しい。相反し、なぜまたあの状態に身を投じてみたいのかというと、”異常なほどの緊張感”と”異常なほどの孤独感”との相乗効果により、己の未知なる部分である”極限の精神状態”と向き合える面白さではないかと思う。日々、都会の喧騒の中で生活している自分は、明らかにあの”闇”におびえていた。あの夜は原生のころからの自然が非常に色濃く残された闇であり、人間の為の自然ではなく、”存在するが為の自然”である”人の匂い”の全くしない夜であった。 あの日俺は両門滝に感動し、その場所でのビバークを決めた。興奮しつつ渓で冷やしたビールを立てつづけに二本あおり、至福の時を全身で感じていた。しかし、刻々と迫り来る闇を意識し焚き火を起こす。ナゼかいつもの焚き火よりもやや大きい。キャンドルランタンもしっかり吊るし、頭にはヘッドランプがこうこうと照らされている。渓の音も一定のリズムのようで同じではなく、さまざまな音が複雑に絡み合っている。すると渓の音意外の音まで聞こえてきてしまうのだ。幻聴とはちがう、人間の弱さゆえに聞こえる音。そのたびに無意味だと知りつつ振りかえることも何度か。仲間で行く時には極端に嫌うラジオも付け、文明の匂いのするもので周囲を囲んだ。程よく酔いが回り、眠りに入るも、ふと起きると草木も眠る丑みつ時。寒さで焚き火を起こしラジオもつけるが日本放送も二時で終了。すかさず短波放送で韓国放送をきくも、虚しく放送終了・・・。あの闇が懐かしいくさえ感じる。 こういうのはどうだろう。 個人個人で単独遡行用の装備を担ぐ。ルートはほぼ同じだが、全て自分の力での渡渉を基本とし、高巻きをするか、直登かは個人の判断。ビバークは別地。焚き火の炎や煙が届かず、ラジオの音すら聞こえない距離で単独でビバークするのだ。これは幹部のみでしかできないだろうが、べつの意味では、”サブリーダー育成プログラム”としてもオモシロイ。来シーズンは是非やって見たいものだ。当然重い荷物を背負える幹部は3人で岩魚づくし、キノコづくしの大宴会。奴隷のみ単独ビバークカレーライス訓練。翌日は”何か”を見てしまって白髪になり狂乱していないことを祈る。フカマチやナカハラ、ガリガリがあの”漆黒の闇”に耐えられるであろうか?今から楽しみだ。 |
9月9日 |
日月で山梨のとある谷に今回初めて単独遡行に出かける予定だ。沢のレベルとしては中級程度なのだが、レベルなんてものは、天候悪化による水量の増加等により、簡単にひっくり返される。幸いここ数日は雨というほどの雨は降っていないようだし、当日の天候も良さそうである。しかし単独での沢はどれほど危険か多少は知っているつもりなので、用心に用心を重ねざるを得なくなっている。エスケープルートの下調べ、常に引き返すことを考えた遡行を心がけなければ成らず、高巻いて懸垂下降をしたあとに、安易にザイルを回収してしまい、その後進めなくなったときに戻るてだてが無くなる可能性もあるのだ。装備にも十分な検討が必要とされ、やや過剰装備とならざるを得ない。その為今回はナッツを購入、火種も余分、メタやメタクッカー当も購入してしまった。いつもは共同装備として仲間と振り分けた荷物が全て俺の方にのしかかってくる。無線しかり、ザイルしかり、食材しかり、酒しかりである。まあ55Lのザックに押しこんでみて考えるとするか・・・。過剰装備の原因は最近読んでいる本のせいだとも考えられる。”死者はかえるらず””リーダーは何をしていたか”等、遭難に関するドキュメントだ。是非皆さんにも読んでいただきたい本である。ご希望とあらばお貸ししよう。ただ今回の目的は、沢を詰め、稜線にあがり大パノラマを満喫し、登山道で下山することが目的ではなく、漆黒の闇のなか焚き火を前に自分自身とじっくり向かい合うことが目的なのであるから、別にベーキャン形式で誰にもせかされるでもなく好きなだけ毛鉤を放り込み、まんまと山の幸にありつけたなら、塩焼きと刺身にして頂こう程度の考えなので、好きなだけ遊んでピストン形式となると思う。しかし何よりも恐ろしいのは怪我をして動けなくなった時だ。一応遡行計画はカヌ沈隊幹部に送っておき、万が一なにかあったなら救援体制を取れるよう宜しく頼む。 |
9月8日 |
毎週毎週遊びほうけていてすっかり忘れていたことがある・・・。肝臓定期検診。「毎年7月7日ごろに来てね♪」と医者に言われかれこれ10年以上になる。なんとか10月までには行かなくてはならないのだが、なかなか強化合宿やらなんやら予定が目白押しとなり行けそうも無い。毎年一度、必ず一度だけ会うひとが存在すると言うのはオモシロイもので、10年も続けていると、お互い歳をとり、1年前とはちがっているところを探すものである。昔付合っていたオンナと毎年一度だけ会うという約束をして分かれたらまたオモシロイだろうが、甘くセツナイ思い出のまま分かれ、記憶の中ではイツモ当時のままであるはずの美しい甘くセツナイ想い出は年々崩れて行き、ただのシワタレバーサンになる姿は誰も見たくないハズなので、あまり世間一般的な分かれかたではないのだろうなぁ。話は横道にそれたが、10年前の私は医者から禁酒を宣告され、ガンの宣告を受けたのと同じくらいのショックを受けその場でのた打ち回り、カニのように泡を吹いたものであった。当時は大学の空手部に所属しており、九州全土の大学の、体育会会長を務めていたのだ。その会長が禁酒・・・・。かなしいと言うよりナサケナイ思いで一杯だったのを覚えている。情けなさに甘え、”ちょっと一杯”とはいかず、一人暮しだった俺はスーパーで食材を買うと、恨めしそうにビールコーナーをうろうろし、「ノンアルコールビール!」と当時誇らしげに売られていた軟弱極まりないビールを一人細々と四畳半一間ですすり飲んだものだった。しかしマジメな禁酒生活?いや実際には今と呑み方は変わっていなかったような気がするが、数年前より「たしなむ程度なら」ということで、ついに解禁。それからはホドホドに呑むようにしている。人間 一つは体の具合の悪いところがあるほうが長生きするとよく言われるが、健康に越したことはないのである。まあ生まれてこのかた歯痛の時に正露丸をのんだきりという”こち亀”の両津カンキチとカヌ沈隊隊長オザキのような体であれば問題ないのだろうが、いずれにしても、てめぇがメシ食ったかどうかすら解らなくなりながら、排泄ブツ製造機となり生き残るよりは、大岩魚に淵に引きずり込まれ天寿をまっとうすることを望む管理人であった。 |
8月27日 |
昨日、面白いニュースを見た。同じ番組をテレビで見た人も多いと思うが非常に興味をそそられたのでココで紹介しよう。 ”ガキ大将なんたら”という夏休みに行うイベントで、各地の小学生が大自然のなかで共同生活をしながら、自然とふれあい学ぶという主旨のアリガチなものだと思った。しかしガキが自然のなかで遊ぶ姿というのは見ているだけでも楽しいものなので、あまり期待をせずに見ていると、さすがにニュースになるだけあって一風変わったものだったのだ。 場所は新潟か長野かどこだか忘れたが、そこらへんの山間部に本部を置く。強化合宿(と呼んでいるかどうかは定かではないが)は硬派度(硬派と呼んでいるかは定かではないが)によってレベル分けされており、テレビの取材を行ったのは、一番硬派な”サバイバル班”であった。班の構成は男女混合で一番下は小学一年生。上級生は初参加の中学一年生。それにリーダーという位置付けで、24歳のこの合宿の卒業生が一人つく全員で7名程度のグループであった。本部から目的地までのルートや工程は全て参加する子供が地図を前にみんなで話し合って決定する。リーダーはあくまでも補佐役に徹する。 参加者はまず本部に到着すると、ナイフを一人一つ渡される。ビクトリノックスの中型クラスのようなれっきとしたナイフである。初参加の中学一年生は少々困惑気味である。レポーターの問いに「ちょっとコワイ」と応えていた。出発準備でザックに詰めこむシーン ガキ 「リーダー かぼちゃが入りませんっ!」 リーダー 「バーカ 自分の荷物を減らせっ!」 まさにガキだがガキだから面白い。カヌ沈隊だったら ナカハラ奴隷候補 「隊長っ!酒が重いっす!」 カヌ沈隊 隊長 「死ね」 となるだろう。 ザックの大きさも硬派だ。俺達が50Lザックを担いでいる姿とあまり変わらない大きさなのだ。重いザックを背負いながら出発。マズは食料調達。野菜以外は持って行かないようなので、淡白源を探す。川で魚を捕獲しようとするがあえなく失敗。しかし何度か参加している小学三年生がガマガエルを捕獲してきた。 「リーダー!カエル!カエル!食おうぜぇ!」早速皮をはいで串焼きにする。初参加のものが戸惑うが結局みんなで「ウメぇ〜」と平らげた。今度は蛇を見つける。シマヘビだが危険なのでリーダーが捕獲。ガキに首を落とさせるがまだ元気にうごめいている。「だれか持ちたいやついるかぁ?」という声に小学三年生が「ハイ!ハイ!ハイ!」と名乗りをあげる。これも早速皮を剥いで焚き火で焼き上げ全員で「ウメぇ〜」と平らげた。次に子供たちの関心を寄せたのがアリの大行列。すかさず「これ食えっかなぁ〜」と言いながら口に放り込む。「おおおお!チョーレモネェードだぁ!!!」他のガキも食べる「おお!マジ レモネェード味ぃぃぃ〜!!」 1日目は疲労困憊で道端に野宿となった。翌日は今回最年少の小学一年生がダウン。無線で本部から迎えの車を要請。残ったメンバーで会議が行われる。あるものが目的地の山を目指したいと言う。すかさずリーダーが一人欠けており、全員ではないことを指摘。その日は移動をせず、本部に戻ったメンバーの回復を待つことに。 翌日、1日休み回復した最年少の仲間と共に目的地を目指す。雨などに阻まれながらも進み、やっと山頂。目的達成を無線で本部に連絡。本部からは祝福の拍手が聞こえる。満足げな彼ら彼女らの顔がまぶしい。最終日の夜はベースキャンプで各グループごとにリーダーと焚き火を囲みさまざまな話しをし再会を約束する。 ガキに自主性や協調性を持たせながら上手くリーダーがサポートするこの硬派合宿。今の子供たちに欠けているものが凝縮されたモノであるように思い非常に興味を覚えた。昨今の子供たちと言うものは、道具が無ければ遊べないものがほとんどであろう。またグループでの遊びも苦手な子供が増えているという。特にワタクシの耳に入る”子供たち”は哀しいかなそうである。本来子供たちは自ら遊びを見つけていく生き物であり、ないなりにも工夫するものである。まあそんな事をここで嘆いても仕方が無い。俺達はいずれカヌ沈隊ガキ大将部を我ら隊員の子供たちを元に発足させ、自然のなかで鍛え上げ、今回のガキどもに勝るとも劣らないガキ大将となってくれたらなぁ日本はまだまだ捨てたもんじゃなくなるなぁと密かに目論むのであった。 |
8月2日 |
先週の土曜は全世界的に有名な隅田川花火大会鑑賞会を管理人自宅屋上にて開催し、20名以上の多くの方々にご参加頂きまして有り難う御座います。いやはやタイヘンではありましたが近年まれに見る気候の良さと、(ちなみに去年は土砂降りの雨のなか決行。おととしは延期の為当日用意した料理がムダ、当日参加予定の友達は延期のため不参加・・・。)強力な女性陣のサポートもあって、ヒジョーに充実した花火大会でした。この場をお借り致しましてお礼を申し上げまする。 というのはウソのコンコンチキ野郎でして、まあ花火大会やっから来たけりゃおいで程度で始まった今回初のネット募集。”東スポ、カヌ沈サミット”的な匂いがめちゃくちゃ強い中、初参加の方々がどれだけ精神的ダメージを受けたことか・・・・。まあ成功した要因は何度もメールにて確認をとったことと、なにより”業務連絡にて”毎年来るか来ないか解らなくって、カミサンが一生懸命作った料理余ったりすっからな!酒も管理人もちで招待したにもかかわらず、持って帰ったり、ムダな飲み方して残すやつもいっからな!そーゆーのは大嫌いなんだかんな!だから今回は総ワリカンだかんな!おっとなんで差し入れはなんで乾きモンばっかリなのだ!おいおい!そんなところで吐くなっ!おとなしく花火見ろよっ!水遊びするなぁ!という意気込みを遠まわしで威嚇したのを今回参加下さった方々はよくご理解していただけたようで、ヒジョーに夏真っ盛りの夜に素晴らしい花火大会となったわけでした。毎年、奇声、乱闘、嘔吐、負傷に明け暮れていた管理人室花火大会もこれを境にヤングアダルトとジェントルな方々により、来年も開催させていただきたいと思います。 |
7月17日 |
昨日初めて家族3人で山に出かけた。山と行ってもピークまで登るわけでもなく、ハイキング程度なのだが日ごろ家庭を顧みず、取り憑かれたかのように山へ出かけるダンナの気持ちの一端にでも触れてもらえればというところと、家事や子育て、ハタマタ繁華街の雑踏、公園での付き合いなどで心身ともにボロボロになりつつある我が愚妻を自然の中で少しでも浄化させられれば、また自然の中での気持ち良さを教えたいと思い、ヒジョーにヒッジョーに重い腰を上げ、ガキを背負う登山用背負子まで購入し出発に踏み切ったのだった。 前日はクライミングジムに行き、例のごとく飲み屋で一杯ひっかけ、酩酊しつつの深夜帰宅。いつもなら先に寝ているはずの愚妻も、今日ばかりは眠い目を擦りながら起きており、少なからず明日に期待しているようだ。その日に仕入れたばかりの”別冊ハキング”などという”高齢者からの山歩き”の隣に並んでいそうな軟弱本を誇らしげに愚妻に見せ、何処に行くか検討。しかし当日、最高気温予想を聞いて、急遽、今の時期は最高と思われる日光へ変更した。 日光あたりなら私の得意分野なので、コース設定はアタマんなかで出来る。 日光光徳牧場→涸沼→切込湖・刈込湖→小峠→湯元温泉→露天風呂→ビール→酩酊→昼寝→湯ノ湖→戦場ヶ原→光徳牧場→名物牛乳&アイスクリーム ううむ ご家族連れには最高♪と、さっさと決定。 背負子にガキを乗せると最初は機嫌が良かったが、次第に飽きてきたのかぐずり始めた・・・。単純にそう言うのが嫌いな俺は、さらにガシガシ歩く。ハイペースで歩く。そのうちカミサンが見えなくなり始めると「まんま〜!まんま〜!」と泣き出す始末・・・。「がががが!!!!山に来てまで泣き声か!クソ!!」と思うが ぐっと堪える。今日はそうではいけないのだ。よいパパなのだ。とバカボンパパ並の思考回路に切り替えた。そういう緊急事態を当初から予測していた為に、姑息な俺はガキは後ろ向きで乗せてあるのだ。泣き声は俺のはるか後方へ拡散していく。「うむうむ 恐れていたほどはあまりうるさくはないな よしよし成功成功。」と一人納得。しかし国立公園の登山道はよく整備されているとはいえ、やはり人間を一人背負うと荷物と違って大分不安定だ。おおいかぶさった木をよけながら注意して歩くが、突然「ウギャー!!」と泣き出した。どうやら俺がよけていた木のほとんどは跳ねかえってガキの後頭部に直撃チョップしていたらしい・・・。ううむ すまぬ・・・。 まあ、現地は本当に天気がよく、涸沼などは誰もいなく最高であった。なにより湯ノ湖の露天風呂につかり、湯上りのビールは最高であった! カミサンは心臓が強いらしく、息ひとつ切れずについてきたのは関心したが、帰宅してから「お前 山歩き 向いてんじゃねぇーの?」という問いに対して「ジョーダンじゃないわよ!」よかったよかった!今度から付いて行くなどと言われた日にゃあ、俺は山靴脱ぐしかねぇかんな。 |