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はじめての山歩き 蝶ヶ岳 1978年8月


初心者おすすめコースとしてガイドブックに紹介されていたので、初めての山歩き

は蝶ヶ岳に決めました、コースタイムは登り四時間下り二時間です。

以下は当時の山行記録を見ながら振り返ってみます。

一九七八年八月二十日夜出発し、甲州街道をひた走り松本市を過ぎ

豊科駅手前の陸橋を左折しばらく走ると、舗装道路は道幅の狭い砂利道に変わり、ライトに照らされる先には時折2つの反射光を見かけ

るのでこりゃ信州の山の中なので、けものの目にライトが反射してるだなと思っているうちに蝶ヶ岳登山口の三股へ着きました。

農作業小屋脇に小川が流れ、車一台ようやく駐車できる場所がありました。

白白と夜が明け始めた頃、キャラバンシューズに履き替え、第一歩を踏み出しましたが、

登山道を歩きはじめて2時間もすると、足が上がらなくほど疲労したので、仮眠しようと思って

ザックを枕にして横になってると、いくらか元気さが戻ってきたのでまたスローペースで歩きだしたのです。

普段体を動かすこと無いボクにとっては、登山はかなりハードルが高いことを、思い知らされました。

途中、何度も休息を取りながら斜面を喘ぎ喘ぎ登っていきました。

山頂に近づくと、登山道は更に険しく急勾配になり息が切れて十メートル歩いて十分休むと云うほどバテていましたが、

やっとのことで稜線にたどり着き、遠くに蝶ヶ岳ヒュッテの赤い屋根が見えた頃には、予定時刻はかなり過ぎていて

到着した安堵感と疲労でクタクタと座り込みました。

ヒュッテは足の踏み場もなほどの混みようでしたが

一夜明け疲労はとれ空は快晴でヒュッテの周りは、今や遅しとご来光を待つ登山者でいっぱいでした。

日の出前の東の空は徐々に赤くなり、日が昇ると圧倒的なオレンジ色に染まり、雲は金色に輝き、

朝陽で赤く染まった槍穂高山稜は、時間が経つにつれて色褪せていきました。

大パノラマの広がる遥か彼方には八ヶ岳連峰や富士山が見え

この素晴らしいご来光を心に刻みこみました。

蝶ヶ岳登山ではバテてしまったので次の山行に備え、縄跳び、ランニングは何時の間にか日課のようになっていました。

登山口三股まで軽四輪スバル利用 蝶ヶ岳登山歩行距離十四キロ 費用は一万円


アイゼン無しの白馬岳登山 1979年6月


白馬岳登山に友人を誘い、一九七九年六月二十四日夜遅く出発し、夜明け頃には猿倉登山口に着き準備もそこそこに

歩きはじめ、白馬尻小屋で軽アイゼンを借りるつもりでしたが

早朝のため戸が閉じていたので、アイゼン無しでも

まあなんとかなるだろうと軽い気持ちで

標高差六百メートル長さ二キロの日本最大の大雪渓に踏み入れました。

雪渓歩きは汗ばんだ肌にひんやりした雪面を渡る風が心地よく

雲間から射し込む陽を受け、スプーンカット状雪面をキックステップで勢いよく蹴り込み足場を確保しながら一歩一歩登っていました。

標高が上がるにつれガスで、見通しが悪くなりやがて小雨になりました。

ときおり落石の転がり落ちる鈍い音がするので、これを避けるためできるだけ雪渓の中央部を進みました。

大雪渓上部の小雪渓付近は更に勾配が急になり、気温が下が下がり雪面が黒っぽくなり氷化している場所があり

雨具を着て転倒すると滑って止まらなくなると思い、雨具を脱ぎ慎重に小雪渓を横断しました。

小雪渓を渡り終えると岩場の急登になり、この先はなだらかな斜面が広がり、霧の中からうっすらと

白馬山荘のシルエットが見えてきました。

この小屋は収容人数八百人ですが、この日は梅雨の晴れ間のせいか、宿泊者はぼくと友人、単独登山者の三人でした。

ベテランの八本爪のアイゼンを付けていた単独行の人が言うには

「この時期アイゼン無しでは危ないですよ」云われて深い考えなしに勢いで登ったことに気付かされました。

翌日は朝からガスがかかり眺望は望めませんでしたが、足跡だけは残しておこうと

山荘から二十分程歩いて白馬岳山頂に向かいました。

快晴ならば黒部の谷を挟んで立山、剣を見ることができるのにと思いながら

小説「強力伝」に出てくる、重さ五十貫の風景指示盤にちょっとさわり

こんな重いものを担ぎ上げる人がいたものだと驚きました。

雪渓の下りは寒さで左膝がしびれ痛みを堪えての下山となりました。

登山口猿倉まで友人の車スターレット利用 白馬岳登山歩行距離十四キロ 費用は一万円

白馬三山縦走 1981年9月


猿倉荘ー 白馬岳ー 天狗山荘(泊) 

夜行急行「アルプス号」、バス、山小屋などガラ空きだった。

79年6月の白馬岳登山と今回との違いはアイゼン装着して登ったことで

キックステップで足場をつくり滑らないようにして登った前回とは安全と疲労度が大違いで

体調も良く、どんどん登ったので猿倉荘から白馬岳まで4時間程度で到着

村営小屋に着いたのが午前11時だったので、今日は天狗小屋までへ足を伸ばし

翌日通過予定の不帰キレットに備えようと、昼食もそこそこに今日の宿泊地の天狗山荘へ向けて出発

丸山付近から風力が増しガスで視界が不良になってきて、登山コースを踏み外してしまい

地図のコースタイムと歩いた時間で歩行距離を計算し、よく注意し辺りを見渡しているうち

ガスの切れ間に天狗山荘現れてホッと胸をなでおろしました。

この日の宿泊者は私1人だけで、翌朝はガスと小雨がさらに強くなり、予定していた不帰嶮~唐松岳は危険なのであきらめ鑓温泉に下る。

雨の中歩いたので昭和の軽登山靴ナイロン生地の「キャラバンシューズ」は、

水が滲みてきて靴下が濡れ足の裏は白くふやける。

しかし大雪渓、杓子岳から白馬鑓ヶ岳にかけてのコース、お花畑、露天風呂は素晴らしかった

白馬三山歩行距離23Km  山行費用2万 写真代7000円

運動嫌いのぼくが槍穂高を縦走するまで

もう何十年も昔の話になりますが、

運動神経が鈍く、虚弱体質で体操の時間は苦手で見学組で評価は1でした。

そんな運動音痴のぼくが、なんと運転免許証を取ることが出来たのです。

免許取り立ての頃はポンコツバイクで近所を乗り回していましたが、慣れるに従い徐々に遠出するようになり

その後お金を貯めて中古の軽四輪車スバルを購入し、信州など遠くまで出かけるようになり

ドライブ先の安曇野や上高地、平湯、新穂高温泉周辺の北アルプスの山並みを見ているうちに

登って登ってみたくなり、まずは北アルプス入門コースの蝶ヶ岳にチャレンジしました。

しかし普段は体を動かすこともなく、スポーツとは縁が遠かったボクには

いきなり思い立った山歩きは無理だったようで、コースタイムを過ぎたあたりから、足が上がらなくなっり

ヘロヘロ状態で蝶ヶ岳ヒュッテにたどり着き、普段の運動不足を思い知らされました

このような経験から、何はともあれ山歩きはトレーニングだと思い

近くの古本屋さんで山歩きの参考になるような雑誌「山と渓谷」から、山の情報を仕入れ

毎日軽いランニングや縄跳びを繰り返し続けていました


バテない歩き方として、ぼくが実践していたのは

1 歩き始める前には飲みたくなくても水を飲む

2 歩きはじめの1時間は歩幅20cm位でゆっくりと歩く

3 1時間過ぎたら歩幅と歩く速度を上げ、休憩は60分歩いて5分~10分以内にする

 槍穂高縦走 1980年9月

9/1
快晴の上高地を朝早く出発し、大曲を過ぎ槍ヶ岳が遠くに見え始めた付近からは、

木陰の樹林帯もなくなり、直射日光にさらされ手ぬぐいは絞れるほど汗を吸って、顔から滴り落ち

山荘は見えているのになかなか近づくことが出来ず、何度も休憩し、ようやく午後4時頃疲労困憊で槍ヶ岳山荘着。

9/2
一晩寝たら昨日の疲れが嘘のように回復し、まずカメラを取り出し肩に下げ、槍ヶ岳山頂を目指しを岩場を登り始める

岩場に取り付き体が左右に動く度、肩に下げたカメラが岩に当たるので、注意しながら手や足で岩を探りながら登る

こりゃカメラ用サブザックを用意して置けばよかったと思った。

急な斜面の岩場は最初は緊張はしましたが、慣れるに従い落ち着き、両手両足を使い登っていきました。

シーズンオフで登ってるのは僕一人でなので、ゆっくりと最後の梯子を登りきって山頂に着きました。

槍ヶ岳から南岳はアップダウンも少なく穂高連峰や後立山など大パノラマが見渡せ、まるで天上の散歩コースだった。

キレットは険しいコースで一旦足を踏み入れると、ザックを下ろし食事を取るのも出来ないと思われるので、

南岳で休憩し弁当包みをひろげキレットの谷底を見ると、100mほどの深さがありそうでした。

岩稜の狭い足場では岩壁に体を寄せたり捩ったり、鎖場やアップダウンのある岩場などでは体勢を横にした

り、しゃがんだり手足を全部使って進み、最低鞍部から北穂高岳を見上げると、切れ落ちた崖や立ちはだかる岩壁に緊張しましたが

最後の急勾配の道を登りきって、北穂岳小屋テラス長椅子に腰をおろした時には達成感と満足感で胸が一杯になりました。


9/3
北穂高から奥穂高へ向かっている間は真っ白な霧に覆われて数メートル先が見えない中、涸沢槍付近では垂直の鎖場があり

濡れた鎖を掴んで体重をかけたとたんズルと手が滑ったときは肝が冷え、頭の中が真っ白になりました。

鎖場を過ぎてから岩に腰を下ろして休憩した際、方向感覚を失っていたらしく、いま来た道をあるき出して

あとから来たパーティに「引き返すのですか」と声をかけられ、数メートル先見えないホワイトアウトの怖さを体験しました。

その後一瞬の晴れ間から穂高岳山荘が見えたので、赤い屋根目指して涸沢岳の岩屑だらけの道を下りました。

登山予定は奥穂高~吊尾根~前穂高~岳沢~上高地でしたが、ガスが濃い吊尾根に不安を感じ穂高山荘裏から

白出沢を下ることに変更し歩き始めると、標高が低くなるにしたがい徐々に霧も薄くなってきました。

下山途中土砂崩れしている箇所には緊張しましたが、なんとか新穂高温泉に下山し深山荘で汗を流し、翌日帰京しました。

槍穂高歩行距離45K 山費用4万円 写真費用1万円