その後のみやぎ夢クルーズ'97

「森のイスキア植樹祭」報告記                寄稿:鈴木 央

 この植樹祭の始まりは、昨年の「みやぎ夢クルーズ’97」のサヨナラパーティーにて、くまごろう先生にお預けした募金(寄港地での買い物の際に余ったウォンやルーブルを2組の声がけで集めたもの)が、くまごろう先生から初女さんに託されたところから始まります。あの募金はその姿を10本の桜の苗木に変え、1998年10月25日に晴れて「森のイスキア」の“一員”となるべく植樹祭を迎えることとなりました。

 植樹祭へは夢クルー・スタッフクルーを代表して、若生団長、重原副団長、沢辺総務部長、記録部の鈴木に加え、夢クルーズには参加できなかったものの日頃から積極的に青年団活動をしており、イスキアのある弘前に縁の深い増田さんを合わせた総勢5名で参加した。

 まずイスキアにつくと、佐藤初女さんと、初女さんを慕いその活動を支えていらっしゃる約15名の皆様に暖かく出迎えていただき、早速、食べると言うことにこだわりを持たれている初女さんならではのおいしいそして豪勢な食事に舌鼓を打つことになりました。アルコールも程良く進んだところで、場所を屋外に移し、焚き火(ここで焼き芋と焼きイカをつくった)を囲みながらイスキアの歌を歌っていただいたり、夢クルの歌(風をはこぼう、See you again)を歌ったり(久しぶりでだいぶ忘れていましたが)しました。星空を見上げながら、これなら明日の天気は大丈夫だろうとイスキアの皆さんからお墨付きをいただきました。しかし、「嵐を呼ぶ男」の「若生伝説(*1)」を知る私たちはそれでも明日の天気に自信がもてず、重原さんの「今日この星空なのに明日天気が悪かったら、絶対若生さんのせい!」とのプレッシャーに若生さんは少し心配そう。次の日は果たして??
 室内に戻った後で、「地球交響曲ガイアシンフォニー第二番」の映画にも出てきた「梅干しのおにぎり」を作っていただきました。作っている姿を間近で見ただけでも感動ものでしたが、その味と言ったら・・・。
 その日、夜遅くまで楽しい歓談は続き、寝る前にはイスキアに湧く温泉で体の芯まであったまって床につきました。

 翌朝、沢辺さんの笑いをこらえきれない顔と、若生さんの愕然とした顔、そして重原さんの怒りの3つの顔がその日の天気を物語っていました。そう、雨です。しかも大雨。若生伝説はここでも健在でした。
 イスキアの皆さんに「雨は苗木にとって恵みの雨なんだから、いい植樹祭になるわよ。」と慰められる若生さんでしたが、重原さんに責められるたびに力無い弁明の言葉。なんだか夢クルーズの出港式を思い出す、そんな雨でした。

 ところが植樹祭を始める頃になるとだんだんと空が明るくなり太陽がのぞくようになってきました。それとともに若生さんの顔もみるみる満面の笑顔に!!皆が胸をなで下ろしたところで、初女さんのご子息が司会進行をつとめる中、植樹祭は始まりました。若生団長から初女さんに苗木が渡され、イスキアの一角に植樹が行われました。丁寧に土を盛った後、元気に育つようにと、お塩(どこかから特別に取り寄せた、由緒あるものだそうですが、詳しくは忘れてしまいました。すいません)と岩木山神社からいただいてきたお水、そして御神酒をかけました。全部で10本の桜の苗木。桜は弘前の花であり、また夢クルーズの船も「新さくら丸」。再来年の春には花をつけるそうです。苗木を植え終わったあたりにまた本格的な雨となり、場所を屋内にうつして植樹祭は続けられました。

 若生団長から一言というときに、若生さんが「嵐を呼ぶ男」であることを決定づける事件が起きました。若生さんが話そうとしたその瞬間、ゴロゴロゴロ、といきなり雷が落ちてきました。真面目に話そうとしている若生さんを横目に見ながら、私たちは笑いをこらえきれず、肩を震わせながら笑ってしまいました。この日の雷はたった一回、その瞬間にだけなったのでした(これは帰港式の時に降った雨と一緒だ)。まもなく雨は大粒のヒョウに変わり、その頃にはイスキアの人たちも若生さんを見る目が変わっていました。
 天気に恵まれたとは言えませんが、若生伝説をイスキアにもしっかりと刻んだこの植樹祭は、初女さんを始め多くの方たちの隅々まで行き届いたお気遣いにより、無事にそして大変気持ちよく行うことができました。
 あまりに楽しい滞在であっと言う間の一泊二日でした。またの再会を誓いあい、あの映画にも出てきた「鐘」の音に送り出されながら帰路につきました。この日岩木山には初雪が降りました。
 再来年の春、みんなでイスキアの桜の花の下に集えたらいいね。

(*1)「若生伝説」
「若生さん行くところに事件あり。」といわれるくらい、若生さんは何かと事件に遭遇しており、天気に関しては「雨男」らしい。夢クルーズの出港式が雨だったのも「若生さん雨男説」が最有力だったのをはじめ、帰港式は晴れていたにもかかわらず若生さんがスピーチしたときだけなぜか大粒の雨。交通事故に遭った数も数知れず、最近行ったヨーロッパへの研修旅行でもアクシデントとハプニングの連続だったとか。