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MEGURO(目黒)[東京都]

目黒は、JR山手線・東急目黒線・営団南北線・都営三田線の4線が乗り入れ、都心の各所にダイレクトにアクセスでき、オフィス及び商業施設の立地として優位性の高いエリアです。目黒駅の中央口には、右の写真のように東京急行電鉄・帝都高速度交通営団・東京都・東日本旅客鉄道のマークが並んで表示されています。


地名の由来

通説となっているのが、『目黒区史』にある馬畔(めぐろ)説。
その昔、大名や将軍などの鷹狩の場として使われていたためか、辺りに馬を飼う牧場が多かったようです。
そこで、「目」は馬の目から、「黒」はあぜ道の畔を「くろ」。その2つを合せて馬畔(めぐろ)、目黒となったとされています。



目黒のさんま(落語)

ある日、殿様が野駆けに出かけると、目黒の百姓家で焼くサンマのにおいをかいで欲しくなり、百姓に分けてもらった。殿様は「こんなうまい魚は初めてじゃ」と大満足。その後、城で毎日食べる食事がいまひとつおいしくない。ある日、親戚の大名に呼ばれて、「何かお好みの料理は?」と尋ねられ、即座に「サンマ」と注文する。大名の家来は最上のサンマを仕入れたが、あまりに油が多いので、十分に蒸して脂肪をすっかり抜いたうえ、小骨を丁寧に抜いて出した。

 殿様:「これはなんじゃ」
 家来:「はい、ご注文のサンマでございます」
 殿様:「どこで取り寄せた」
 家来:「はい、日本橋魚河岸にございます」
 殿様:「それはいかん。サンマは目黒にかぎる!」

海に面していない目黒でサンマが取れるはずがないと、殿様の無知を江戸の庶民が笑ってオチとなる。


目黒のさんままつり

落語「目黒のさんま」をもとに、毎年9月に「目黒のさんままつり」が行われるが、実は東京都品川区のJR目黒駅をはさんだ「品川区」側と「目黒区」側で分裂開催されているのだそうだ。
その歴史を振り返ってみると、1995年の秋に宮城県気仙沼市の市民が気仙沼港に水揚げされたサンマを焼いて目黒区民らに振る舞ったのが「目黒区」側の始まり。それと同時期に「品川区」側では目黒駅前商店街が「若者の力を結集してイベントを行おう」と、通行人に岩手県宮古市に水揚げされたサンマを焼いて振る舞ったのだという。
現在は、「品川区」側が目黒駅前商店街振興組合の主催で9月15日に、「目黒区」側が区民まつりの目玉行事として9月23日に開催されているようだ。


恵比寿ガーデンプレイス

目黒なのになぜ恵比寿ガーデンプレイスかというと、ここの一部はなんと目黒区だからです。(ちょっと強引ですが・・・)
明治20年、日本麦酒醸造株式会社が設立されこの地に工場を建設、3年後にヱビスビールを発売した。後のサッポロビール恵比寿工場なのだが、1988年には千葉県船橋市に移転となる。平成3年に「恵比寿ガーデンプレイス」の名称が決定されるとともに建設工事が着工され、平成6年10月8日、水と緑の街溢れる複合都市「恵比寿ガーデンプレイス」が開業。
 場所 : 東京都渋谷区恵比寿4丁目20番  目黒区三田1丁目4番,13番

 
ビアステーション


恵比寿三越


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サッポロビール本社・ガーデンプレイスタワー