バンコク・サムイ島の旅

旅行日:1999年9月15日〜19日

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 いよいよ出発の日。同級生のsakamaroさんと野郎2人のむさくるしい(?)旅のスタートだ。実家に帰省していた私はこの日、朝の5時起き。目を覚ますと日本列島に接近していた台風のため雨が降っている。眠い目をこすりつつ、車でsakamaroさんを迎えに行き、38分一戸発の特急はつかり号に乗る。これに乗り遅れるとアウト!なのだ。
 電車に乗ると、指定席のはずの私の席には、なぜかショートカットに帽子をかぶりスニーカー姿の女性が座っている。「お待たせ」といって隣に座ろうかとも思ったのだが、??と考えていると彼女は気がついた様子。1列間違って座っていたらしい。一戸から終点の盛岡までは
44分、盛岡駅で分間で乗り換え、30分発の東北新幹線やまびこ号で仙台に向かう。
 仙台駅には定刻どおりの
13分に到着。ここまでは速いのだが、それから東北本線各駅停車で「館腰駅」へ行き、さらにバスに乗り換え、やっと仙台空港に到着する。われわれが参加する「全日空ハローツアー」のカウンターに行くと既に6人ぐらい並んでおり、そのうちの一人が書類の不備かなんかで時間がかかっていると、あっという間に長蛇の列。こんなにいっしょに行く人がいるのかなと思っていると、そのカウンターに並んでいる人は、世界各地に出発する「全日空ハローツアー」のお客さんで、タイに行く人ばかりではない事が判明。がっかりしたような、ほっとしたような・・・。
 荷物を預け
1030分発のエアーニッポン292便で関西国際空港へ出発。到着後、まずは飛行機が台風の影響を受けず、定刻どおり出発することを確認する。そして空港内のレストランで昼食をとり、いつも吸っている「CABIN MILD」を旅行期間用に個買う。その後、出国手続きのため女性の入国管理官のカウンターへ行くが、一言も会話せずに手続き完了。
 バンコクに向かう全日空NH151便)に乗りこむと私の席は窓側。ラッキー!ぐっすり眠れそうだ。機内サービスが終わり、映画(といってもプロ野球珍プレー好プレー)が始まったと見るや、とっとと寝てしまう。バンコク国際空港(ドン・ムアン空港)には、現地時間の1830分(日本時間2030分)に到着。入国手続きの後、空港内で早速両替(バーツ=約2.7円)し到着ロビーへ。ここで、某旅行代理店の友達、moteどのとmamiはんの出迎えを受ける。ちなみにこの二人、この後すぐにイスラエルに飛ぶそうである。二人の出迎えもそこそこに現地を案内してくれるサコンさんとホテルに向かう。この時判ったことだが、このコースに参加した人は人。しかし、ホテルは組とも別々。そのうちの組は明日のバンコク観光はないらしい。
 我々のホテルは、スリ・アユタヤ通りにある「
Siam City Hotel」。なかなか広い部屋ではあるが、電気スタンドの電球が個切れており施設係の人に交換に来てもらう。その後バンコクの夜は今日だけということで街に出る。ホテルに向かう途中に車窓から見た、近く(といっても徒歩15分ぐらい)のちょっとにぎわっていそうな通りの店(開放されているが屋台ではない)に入り、まずはメニューを見る。良かった!日本語の表示もある。まずはシンハービールを注文。するとグラスには何と氷が入っているではないか。タイの水道水は飲めないと聞いていたので、もしかしてこの氷も水道水で作ったもの?とビビッていると、sakamaroさんの「大丈夫、ホテルに帰ったら『正露丸』だ!」という一言で覚悟を決め飲むことに。その他にトムヤムクン・揚げソーセージ等合計品を注文するがそれぞれの量が多く食べきれなかった。タイのお店の方、ごめんなさい。
ホテルに帰り、まずは『正露丸』を飲む。テレビでは
NHK(衛星放送?)が西日本の台風の被害を伝えていた。

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 今日はバンコクの観光である。ホテルのレストランで食事の後、案内のサコンさんとバス(といっても11人乗りのワゴン車)に乗りこみ、もう1組が宿泊したホテル経由で観光に向かう。噂に聞いていたとおり街は交通渋滞、そして異常なまでのバイクの多さとその運転のいい加減さ。やはりと言いましょうか、車とバイクが事故っていた。それと街を見ていて思ったことは自動車関係の店や工場の多さとスーツで歩いている人の少なさ。

 さて、この日の観光、まず最初にワット・アルン(暁の寺院)に向かう。そこへ行くにはチャオプラヤ川を船で渡らなければならない。この船着場周辺には、屋台が出ており、食べ物屋・果物屋・魚屋が、また建物の中にもお土産屋など様々並ぶ。辺り一帯は独特のにおい(魚臭い?)が立ち込めている。このチャオプラヤ川はとても汚く茶濁色なのだが、この地の人は以前、その水で洗面と歯磨きをしていたそうだ。さて、トンブリはわずか15年間ではあったが、前王朝のタクシン朝の都市として栄えた。その名残をとどめる寺院がワット・アルンだ。このワット・アルンとは「暁の寺院」の意味であり正確にはワット・アルン・ラチャクラーラームというそうである。1770年代に建立開始、高さ75mの大プラーン(大塔)と30m基の小プラーンは、ラマ世の1820年代末に完成。その後火災で本殿は焼失したが1909年に再建されたらしい。

 次に行ったのは、ワット・ポー(涅槃寺)。バンコクで一番古く、一番大きく、更に仏像の大きさも一番というお寺。現在は巨大な涅槃像で有名なこの寺院は、その昔公共教育や文学、哲学、薬などを伝える場として使われたそうだ。つのヴィハーン(一般信者の礼拝堂)にある金箔仏像は全部で394もある。寺の名前の由来にもなっている本尊の涅槃像は体長46mと超巨大で全身を金箔で覆われている。ちなみにこの像の足は偏平足だった。


ワット・アルン(暁の寺院)            涅槃像        
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 次は、ワット・プラケオ(エメラルド寺院)。王宮敷地内にあるチャクリ王朝の守護寺院で、ガラスの仏像寺院の意味である。正確には、ワット・プラ・スリ・ラタナー・サーサダラムであるが、本尊にヒスイ製の高さ66cmの仏像がある事から「エメラルド寺院」とも呼ばれている。タイ寺院建築の枠を集めた層の屋根をもつ本道はラマ世によって1782年に創建されたものである。エメラルド色に輝くヒスイで出来たプラケオ仏は一説によると紀元前にインドでつくられたものがタイに渡り、王朝の宝物とされてきたという。タイの歴史におけるシンボルともいえる。

 最後は、バンコクを訪れた人は必ず見学するといわれる王宮。ラマ世がバンコク遷都の1782年に築いたもので、歴代の王の居住地とされてきた。現在は王室の公式行事を行う宮殿となっており、国王は住んでいない。高さ10mの白壁で囲まれた敷地内は40uにも及ぶ。


       王 宮              ワット・プラケオ(エメラルド寺院)

 その後はお決まりの買い物。宝石工場兼宝石店兼おみやげ品店に連れて行かれるが予想通り買いたいと思うようなものはない。

 昼食は、ソルツインホテルの「ソルスキ」でタイスキを食す。タイスキとは、ちゃんこ鍋のようなものでつみれや野菜が入っており、食べ終わったらその汁で「雑炊」を作るのだ。でもその量といったらとても食べ切れるものではない。

 そして、いよいよバンコク(国内)空港からBangkok airwaysPG133便)でサムイ島に向かうのだ。が、見てびっくり、その飛行機はなんとプロペラ機。私は、はじめて乗るプロペラ機にちょっと緊張。でも、乗ってみるとそれにしては快適なものだった。ほんの時間20分なのに飲み物のほかに機内食も出てきたのにはびっくりだった。日本の国内線だったら、へたをするとあめ玉ですまされそうな時間しか乗っていないのに。ラッキーと思い全部食べてしまいましたけど。

 飛行機が着くと、トロピカルなバスで小屋のような空港へ向かいう。小屋と書かれても皆さんは想像が難しいと思うのだが、それは「南部曲り家」のような萱ぶきのような屋根に壁がないものと思ってもらえれば当たらずとも遠からずという感じ。到着したのは午後6時ぐらいだったのでまだ結構明るかった。そこで出迎えてくれたのは一瞬日本人?と思ってしまうようなガイドのSUWEITさん。我々の泊まるホテル「インペリアル・ボートハウス」までバスで送ってもらう。このホテル、空港から車で約20分。島の北東に突き出た半島の東側にあるチョーンモンビーチにある。ホテルはフロントと客室が別棟になっており3階建て。景観条例によりヤシの木より高い建物が建てられないため、階建ての棟がたくさんあるのだ。この条例のおかげで豊かな自然に囲まれたビーチで一日中のんびりと過ごすという、本来のリゾート地ならではの贅沢が味わえるのだそうである。ホテルに着くと彼に翌々日の島内観光(オプショナルツアー)を勧められ、日本円で5000円というのはちょっと高いと思いつつも申し込むことにする。それにしてもこのホテル、なんか様子がおかしいと思ったら、停電しているのだ。ホテルの人曰く、「この周辺の停電は珍しくない」。

 チェックインを済ませ部屋に向かう。ホテルの人が荷物を運んでくれ部屋の説明をするものの、明かりは自家発電用と思われる1つしかつかない。まぁ、真っ暗ではないのでいいかなと思うも、耐えられないのは暑さ。エアコンが全く効かないのである。これにはまいっちゃいましたね。あまりに暑いので、外に晩飯でも食べに行こうと思うのだが、この辺り一帯は停電であり、さらに雨も降ってきたのでホテルのレストランで食べることにする。そこでは洋食ビュッフェ食べ放題、ビールも本ぐらい飲んで人で約1200バーツ(4000円ちょっと)でした。これが日本だったら一人で7000円〜8000円はするでしょうね(もちろん地元の外の店で食べるよりは数段高いのでしょうが)。その晩飯を食べている間にめでたく停電も復旧し、部屋に戻ってシャワーを浴び就寝。ちなみにここではNHKの放送は見られなかった(それが普通!)。

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 この日は朝食を早々に済ませ出かけることにする。ちなみにサムイ島がリゾート地として注目され始めたのは、ここ10数年のことのようだ。以前この島は、全体がヤシの木で覆われ、ヤシの実の産出や漁業を主産業とする離島にすぎなかったようだが、島内にはパウダーサンドの美しい海岸が点在していることから、ビーチが次々と整備されリゾート地として形成されてきたのだ。現在ではプーケットに次ぐリゾート地として人気が高まっているが、ビーチは決して混み合っているというものではない。それでもってこの日は島一番の大きなビーチ「チャウエンビーチ」に行き、パラセイリングを体験する事にする。約10分で1人1000バーツだといわれる。後から聞くと相場らしいのだがちょっと高いと思う。食べ物は安いのだが、観光絡みのものは結構高いらしいのだ。まぁ、ここまで来たからにはという事でトライ。船が動き出すと同時に「hasiru! hasiru!」と声をかけられ、走り出すとふわっと体が浮きどんどん高度が上昇する。かなりの高さまで行ったと思う。結構爽快だった。


パラセイリングするtagucchan


チャウエンビーチ

 パラセイリングが終わり、まずはビールで乾杯!あっという間に飲み干した後、ビーチに寝っころがっていると、欧州系と思われるトップレスのおねーさんがちらほらといるのです。いやー、いい眺め。ところでビーチには物売り、マッサージのおばちゃん、TATOO屋さんなどがひっきりなしにやってくる。物売りは「SAMUI」の刺繍が入った海水パンツ、パレオ(タイではサロンともいう腰に巻く布)、フルーツ、ドーナツみたいなやつなど、結構しつこい。と思いつつも、「ビール、ビール、コーラ、ファンタ」という声には反応し、シンハービールを買って飲んだのだった。サンオイルを体にぬり私は日当たりで寝ていたのだが、sakamaroさんは日焼けに弱いとのことで日陰にいたにもかかわらず、顔も含め体中真っ赤になっていた。という私も顔と膝から下は真っ赤でしたけどね。ビーチの袂にあるカフェでピザとビール(また飲むか!)をたいらげ、時にホテルに向かう。ホテルまでは車で約20分。帰るとテレビではタイ語の「クレヨンしんちゃん」を放送しているではありませんか。その内容は、一家でカラオケに行く話だったようなのですが、そこでかかっていた歌は日本語でしたね。「キャンディーズ」とか「ピンクレディー」とか。これをタイ語にするのは難しいのだろうなと思い、妙に納得。

 この日の夕食もホテルのレストランで食べることにする。それには理由があり、毎週金曜日にはタイ舞踊が見られるというのです。これと同じような事をオプショナルツアーでやろうとすると
8000円もするのです。しかもこの日も食べ放題でタイ料理が出るのです。えびの焼いたものとか、焼き飯、ケーンキョーワンカイ(グリーンカレー)なんかを食べました。タイ舞踊や器楽の演奏も「SMAPの草なぎクン」に似た、ちょっと頼りないような現地男性の司会で時間以上やっていたし、満足。この日の夕食代も昨日と同じ約1200バーツでした。ん〜、とても得した気分。

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 この日は時に起床。朝食をすませた私はホテルの裏手に行って見ました。そこにはプールとビーチ(チョーンモンビーチ)があるのだ。ホテルのタオルを借り、昨日に引き続き日光浴&スイミング。その頃sakamaroさんはといえば、ホテルのベッドでゴロゴロしていたようである。というのもこれ以上日焼けすると大変なことになると思ったからのようだ。

 午後からは、おととい頼んでおいた島内観光のオプショナルツアー(といっても総勢名)に参加する。まず向かったのはビッグ・ブッダ。島の北東に突き出た半島の西側にある大きな金色の仏像で島の安全を願っているらしい。サムイ島最大の観光地だが、いつ行っても観光客はあまりいないようである。タイは仏教の国ですから、サムイに来たら一度はこの大仏を拝んでおかないとね。

 次は買い物でナトン・タウンへ。ここはサムイ島と本土(スラタニー)を結ぶ港町で島の中でもここだけはかなり栄えている。市場、本屋、CD屋(テープ屋)、レストラン、カフェ、洋服屋、アクセサリー屋、銀行雑貨屋、理髪店、薬屋、カメラ屋、スーパーマーケットなどが建ち並ぶ地元の人々のための普通の町である。お土産屋もたくさんあった。私は、自分用にTシャツ専門店でサムイのTシャツを枚(160バーツ)、セブン・イレブンで熱湯分で出来てしまう日清のカップヌードルトムヤムクン味(12バーツ)と日本のものよりちょっと辛い(もちろん日本で発売されているキムチ味とは違う)カルビーのかっぱえびせん(19バーツ)を購入した。

 続いては、島の南部の山側にあるナムアンの滝。しかしそんなに大きなものではない。ここの近く見ある果物屋の屋台でドリアンを食べようかという話になるが、まだ熟していないといわれ断念。

 次は、ヒンター・ヒンヤイの奇岩。ラマイ海岸の岩場にある岩だ。波と風によって浸食され、うまい具合にいい形になっている。それぞれの意味は、ヒンターがおじいさん、ヒンヤイがおばあさん。何がおじいさんとおばあさんかって?写真をよ〜く見てみると岩の形が何かに似ていません??ビッグブッダができる前は、ここが島唯一の観光地だったようで、さびれた感じのお土産屋が数件並んでいる。


    ヒンター(おじいさん)         ヒンヤイ(おばあさん)

 最後に展望台からチャウエンビーチを見納め、例の小屋のような空港へ向かい帰路につくことになるのだがまだ出発まで時間があるので空港内のカフェでこの日初めてのビールを飲む。ボーイさんは竹野内豊に似たいい男であった。
 そして
1840分発のBangkok airwaysPG134便)でバンコクに向かう。バンコクでもやはり出発までに時間があり、ここでもまたビールを飲む。さっき機内食を食べたばかりなので空腹感はないのでビールのみ。そしてデューティーフリーショップで、買い物をし、バーツをほとんど使い果たす。2315分発の全日空(NH152)便に乗りこむと私の席は今度は通路側。にもかかわらずビール(またか!)を飲み爆睡。

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 気持ちよく寝ていると朝時には起こされ、朝飯を食わせられる。朝時に関空に着くのだから、朝よりは夜に機内食を出してもらったほうがよほど嬉しいのにと思う。関空での入国手続きももちろん問題なく済み、35分発エアーニッポン292便で仙台に。この飛行機には東北周遊旅行のツアーに参加するおばちゃん達が大勢乗っていた。10時に仙台空港に到着すると、私もsakamaroさんも自分の汗臭さに耐えられず、交代でトイレで着替えをする。それから仙台駅に行き、まずは荷物をコインロッカーに入れ、近くのラーメン屋さんで昼食をとった。sakamaroさんはラーメンが食べたくて仕方なかったらしい。出発前は仙台でちょっと遊んでいきたいという気持ちがあり、時ごろの新幹線の予約をしていたのだが、既にそんな元気はなく、仙台駅のベンチで二人並んで時間ばかり爆睡(寝ようと思わなくてもそうなっていた)。仙台駅からの帰りは、私は横浜へ、sakamaroさんは一戸へと別々に向かい日間の旅行は無事終了となった。後から聞いたところによると、sakamaroさんはこの日の夜に会合がありお酒を飲んでいたらしい。(すごい体力!)