教育を受ける権利
 − 課題を持ち続ける −

 1.私がはじめて司法試験を受けたのは昭和30年夏、はたち(20歳)の時でし
  た。東大の大きな教室で、私の右隣にとてもできのよさそうな年長の人が静
  かにペンを走らせていたことをよく覚えています。その頃は受験生が少なかっ
  たのでしょう。 今のような択一式という予備試験はなく誰でも論文から受験で
  きたのです。
   憲法の問題は「教育を受ける権利」でした。何を書いてきたのか、よく覚えて
  いません。ただ一緒に受けた同級生で、後に札幌弁護士会会長になったS君
  が、帰り路、「杉本君、あれは歴史を書けっていうことだよ」と言っていたのをし
  っかりと覚えています。確かに、それはそうだろうが、さて歴史のどこをどういう
  風に書くのか、具体的な答えはとても見当たりませんでした。
   その時は高校を出て3年目で、親のすすめもあって仕方なく試験場を見に行
  ったようなものでしたが、そのお陰でそれから半世紀近く、「教育を受ける権利」
  という問題はいつも私の頭の片隅から離れませんでした。

 2.「教育を受ける権利」の答案の定番はこうです。
 (1)国民は誰でも平等に教育を受ける権利をもっている。これは国民の権利で
  あると同時に義務でもある。
   国民は義務教育を受けることができる。いわゆる6・3制である。
   国民のこの権利に対応して国家は国民に義務教育を無償で受けさせなけれ
  ばならない。それは国民の教育を受ける権利に対応する国家の義務となる。

 (2)国家の義務教育の内容は政治的にも、宗教的にも中立でなければならない。
   (憲法20条)
  などなどです。
   しかしこの程度の答案は、結局憲法の条文をあれこれ引っぱり出して説明し
  てみせているだけのことになります。これでは他の受験生に抜きんでて頭角を
  現すことはできません。
   何かが欠けているのです。それは何か。

 3.問題は、なぜ国民に教育を受けさせなければならないかです。それは国家
  体制の中での国民の位置づけに深くかかわってきます。
 (1)昔、フランスで絶対王政を打ち立てた王様にルイ14世(位1643〜1715)
  がいます。この王様は「朕は国家なり」と言った人です。この王様の下にいた
  国民は、王様に統治されるだけの人民です。そこでは国民は統治の対象にす
  ぎないのです。国民になまじ教育など受けさせない方が統治しやすことは疑い
  ありません。そういう統治体制下では国民が「教育を受ける権利」などというの
  は決して好ましい制度ではありません。

 (2)そんな昔のことでなくても、明治憲法(旧憲法)の時代はどうでしょうか。
   旧憲法は18条から32条までの15条で、臣民の権利義務を定めています。
  この15ヶ条のどの条文を見ても「教育を受ける権利」というのは出て来ません。
  国民に教育を受けさせなければならないという国是が定まっていなかったので
  す。
   その一方で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(1条)、「天皇ハ・・・
  統治権を総攪シ」(4条)などと定めています。明治憲法では国を定める統治権、
  主権は天皇にあり、国民は統治される対象ではあっても統治権を持つ主人公
  ではなかったのです。

 (3)それが新憲法になって国民主権となり、国民が自分で自分を治めなければ
  ならなくなったのです。
   これはまさに180度の転換であり、そこでは国民総てがそれなりの教育を受
  けている必要があるのです。

 4.「教育を受ける権利」を説くには歴史観が必要だということは、このあたりのこ
  とを言っていることに間違いありません。これを手短に書けば次のようになると
  思います。
   憲法は平和主義、人権の尊重と共に国民主権をその三大原則の一つとして
  いる。
   かつて国民は統治の対象であった。ルイ14世(在1643〜1715)の時代、
  大日本帝国憲法(明治23年施行)の時代いずれも国民の教育を受ける権利
  は規定されていなかった。
   新憲法の原理である国民主権は、国民が自ら統治する制度である。統治権
  の源は国民にある。従って総ての国民が相応の教育、見識を有していなけれ
  ば、主権の依って立つ基礎が定まらないのである。
   明治憲法に定めのなかった教育を受ける権利が憲法26条に明定された所
  以はここにある。・・・
 
 5.今、東京の街を歩くと子供の教科書が束にして捨てられています。
   私はいつも、講演にお招きただいたときには、「皆さん家が狭いかもしれま
  せんが、せめて子供の教科書くらいは一人分だけでも保存しておきましょう」
  と声をかけています。教科書はどのようにして作られるか。一定のレベルを
  保つために、文部科学省には教科書課という役所があります。そこでは沢山
  の人が一年中教科書の中味を研究しています。
   それだけの人と時間とお金をかけて日本の教科書はできているのです。
   ルイ14世も、明治憲法もその教科書の中に出てきます。それがなかったら
  こういうことを考える足がかりもなくなってしまいます。
   難しい司法試験について、他の受験生より一歩前へ出る方法を、分かりや
  すくお話ししてみました。なにかのご参考にしていただければ幸いです。
   
                    「杉本秀夫法律事務所だより」 平成15年6月号より

                                          上に戻る


 
裁判員裁判に思う

  冷夏になりました。涼しい8月。私にとっては凌ぎやすい日々ですが、
  農家の方々はさぞお困りのことと思います。 

   さてこの8月3日から6日までの4日間、日本では全く初めての裁判員裁判が
  行われました。連日の報道について皆様はどのような感想をお持ちになられた
  でしょうか。新聞はあらゆる角度から丁寧に問題点を伝えていました。その中に
  は、弁護士として生きている私達には思いもいたらない全く新しい論点もあり、
  つくづく考えさせられたものでした。
   しかし、それらの中でたった一つをあげれば、朝日新聞の8月7日朝刊33頁の
  次の裁判員の記者会見記事が私にはとても印象に残りました。そこでこれを
  そのまま記します。

  『7審
   お酒を飲みながら、明日は判決だと思い、被告、被害者の情景を思い浮かべた。
   無常観というか、世の中の不条理を思い、こういう社会がどうやったらよくなるの
   かを考え、興奮し、少し泣いた。被告の家庭環境や育った経歴は非常に不幸な
   部分がある。やることがうまく行かない不器用な生き方。自分と10歳くらいしか
   変わらないが、そういうことを考えていて、疲れと興奮で涙腺が緩んだのだと
   思う。』

   今日まで、刑事裁判の当事者、つまり検事、裁判官、弁護士、被害者、証人
  など以外の全くの一社会人が、これほどまでに裁判に対峙した(立ち向かった)こと
  があったでしょうか。勿論ありませんでした。
   裁判員裁判はこのように、一般の一国民(7審・男性・61歳)に、一刑事事件に
  ついて、深く考えさせるという結果をもたらしました。
   裁判員裁判は多分、年に100回ぐらい開かれることになると思います。
  予備員を含めて、1回9人が裁判員に選ばれますから、年間合計で900人に
  なります。この人達がこれから先も刑事裁判をじっくり見守ることになります。
  その周りの人を加えれば、この流れはもっともっと沢山の人々に波及することに
  なります。これはとても大切なことだと思います。
   私達が生きるこの社会は、まさに一寸先は闇です。その中でみんなが、刑事事件
  という分野で自分の「立ち位置」をしっかり見つめ直すことができた、これがこの制度
  の大きな成果でした。
   人間にはやることなすことがすべてうまくいかない日々もある、考え方によっては
  無明長夜(※)ともいうべき現実の世界をどう切り抜けていくか、そこまで考えさせ
  られる記事でした。
   いつも夏はのんびり旅行記でもと思っていましたが、連日の報道に啓発されて、
  私の感想を申し上げました。
   今年はこれから残暑が厳しそうです。くれぐれも御自愛下さい。
 
   ※「むみょうじょうや」と読みます。 
 
                                     〜平成21年8月〜


                                       上に戻る

 
 
和解について

 1.民事裁判では「和解」ということがよくあります。
   裁判官が、原告と被告の中に入って話し合いをさせ、双方が譲りあって
  結論を出してしまうのです。
   例えば原告が100万円の貸金を請求し、被告は弁済してしまったと主張し
  ている場合、その中をとって被告に50万円を支払わせるというような結論
  です。
   これで裁判官としては一件落着、厖大な記録を読んで一定のルールに従っ
  た長い判決文を書く作業から解放されることになります。裁判官が和解成立
  に熱心になるのももっともです。

 2.しかし和解には別の面で問題があります。
   裁判官が原告や被告に対して和解を勧めるためには、どうしてもその時点で
  の事件に対する裁判官の心証(事件の勝敗についての胸のうち)をある程度
  明らかにしなければなりません。
   ところがこの心証の打ち明け方が問題なのです。
   判決直前の和解のときなど、裁判官の心証はどちらを勝たせるかはっきり決
  まっています。
   そういうときに、もし仮に原告勝訴の心証のときに、原告に対してそのとおりの
  心証を告げてしまえば通常もう原告は和解に乗ってきません。先程の例で言え
  ば和解で50万円返してもらうより、判決で100万円返してもらった方がいいこと
  は3歳の幼児にも明らかです。
   そこで裁判官としてはどうしても本当の心証を隠して原告に対して上手に説得
  しなければなりません。原告にもこういう弱い点がありますよと言って原告を押さ
  えなければなりません。

 3.事件によっては裁判官の人生観と言いますか、ものの見方を和解に出さざるを
  得ないことがあります。
   例えば株式の帰属を争う事件、これは言いかえればその会社の社長に誰が
  なるべきか、原告がなるのか、被告がなるのかという事件になります。
   裁判所としては原告と被告双方を長い時間かけて見ているわけですから、ど
  ちらが社長になるべき人材か判断はついています。
   こういうときには裁判官ははっきりと結論を出して和解を試みます。
   しかしこの和解がまた問題なのです。和解が成立すればそれで結構なことで
  すが不成立のとき、裁判官は和解の席で出したとおりの結論を判決で出さなけ
  ればなりません。

 4.裁判手続きというものは、原告が勝つか被告が勝つか判決言い渡しのその
  瞬間まで 分からないというシステムに支えられているところがあります。原告
  にしても被告にしても最後の最後まで自分が勝ちたいばかりに、判決を下す
  裁判官の心証を悪くしたくないという気持ちがあります。そうして、その気持ち
  があればこそ裁判官の指揮に従うということになります。
   それが、はっきりと和解の席で結論を出されてしまったのでは、負ける側とし
  てはその後の手続に協力的でなくなってしまいます。またそれが人情というも
  ので、いたずらにその態度を責めることもできないでしょう。
   裁判官としては以後の手続がまことにやりにくくなってしまいます。
   和解というとなにかのんびり双方が言いたいことを言って歩み寄るというよう
  な安易なものを想像されるかもしれませんが、実際の和解手続はまことにじめ
  じめした厄介なものです。
 
 5.そこで裁判官はどうするか。
   分かりやすく言えば二つに分かれます。
   一つのタイプの裁判官はたんたんと原告、被告双方に主張をさせ、証拠を
  出させ証人調べをして、「はいこの程度で結審いたします。判決言い渡しは
  何月何日といたします」と告げてさっと立ち上がり閉廷します。
   当事者、特に負けそうな側は和解してほしくて喉元まで「和解をお願いしま
  す」と言いたいところですが、弱みを見せたくないものですからその機会を失
  してしまいます。
   この型の裁判官になると判決書をスピーディーに書いてしまいます。御不満
  があったら上訴して下さいというところです。
   もう一つのタイプの裁判官は和解をどんどん強引に勧めます。
   極端な例ですと原告にも被告にもその弱いところを強調して、双方にこれは
  負けそうだと思わせてしまうのです。原告も被告も負けるということはあり得な
  いのでこの場合そう思わせるところに意味があります。
   原告と被告は裁判をしているくらいですからお互いに仲が良くありません。で
  すから裁判官室を出てきた相手方に対して「裁判官はあなたの方にどう言わ
  れましたか」と問い合わせることもできません。
   かくして原告も被告も弱気になって裁判官の名和解案をのんで(というよりの
  まされて)一件落着となるのです。

 6.それにしても今のコンピュータ時代、裁判なんてコンピュータでできるのでは
  などと考えられるかもしれませんが、とてもとてもそんな生やさしいものではあ
  りません。
   原告も、被告も、そして裁判官も、熱い血潮の流れた人間、ヒューマンビーイ
  ングです。
   お互いに知恵を出し合って財産の争いをするのですからそう簡単にはいきま
  せん。
   和解についていろいろと書いてみました。和解についてはまだまだ書くことが
  いっぱいありますがこの程度にいたします。

                                  〜平成19年6月25日〜

                                       上に戻る




 
企業の継続性に疑義


 1 平成18年12月の日経新聞に、小さな見出しですが「企業の継続性に疑義」
  という記事が出ました。対象企業も実名(マザーズ上場)を出していました。
   監査法人の報告書によると、9月中間期でキャッシュフローマイナス。71億円
  余の連結最終赤字ということです。
   「企業の継続性」というのは、ゴーイングコンサーンといわれています。

 2 監査法人が、その報酬を受けている依頼者たる対象会社について「企業の
  継続性」に疑義を公表するのはよほどのことです。こういう場面に遭遇すること
  は多々あっても、なかなかそこまでは書かないものです。
   それをそこまで書くようになったのはなぜか。
   一つには、企業を見る社会の目がとても厳しくなってきたということです。早い
  時期にマイナス情報も流してほしい、それに対応して投資家は資金を引き上げ
  ねばならないという大きな要請があります。
   二つには、これと裏腹をなすのですが、監査担当者の真実義務も厳しさを増す
  一方で、場合によっては実刑を科されることもありうるという裁判所の姿勢があり
  ます。

 3 企業は1日や2日、1月や2月でなく、永い年月にわたって商品を供給し、人を
  雇用し、株主には利益を配当し続けなければなりません。
   この当然の考え方に立って、企業の継続性、ゴーイングコンサーンの要請も日
  増しに強くなっていきます。

                                   〜平成19年6月21日〜
                                      
                                        上に戻る

 
【コンプライアンス】

 1 これから先、「日本の企業に関連して紛争とか訴訟とかが起こると仮定して、
  どの分野がいちばん多いと思われますか」というアンケートを多数の弁護士に
  したところ、「コンプライアンス関連だ」という答えが返ってきたとのことです。こ
  れは最近の日経新聞の記事です。
   そうでしょうか。この答えは正しいのでしょうか。  

 2 コンプライアンスという言葉はカタカナです、英語です。辞書によれば
    comply(動詞)<命令、要求、規則に>応ずる、従う
    They complied with our request.
    「彼らは、我々の要求を受諾した。」
    compliance(名詞)<要求、命令などへの>応諾、追従、盲従
  とされています。日本語で簡単に「法令遵守」と訳されています。
   ならば「法令遵守」といえばいいので、なにもコンプライアンス等といわなくて
  いいのではないかという考え方があります。私も一般論としては、できるだけ
  日本語にあるものは日本語を用いるべきでいたずらにカタカナ、外国語(英語)
  を使うべきではないと思っています。
   しかし、ことコンプライアンスに関してはそうでもないと思います。日本語の訳
  文「法令遵守」ではどこか堅く、しかも意味がやや狭くなるような気がします。
   コンプライアンスという言葉にはもう少し広く、ダイナミックな意味があるような
  気がしています。

 3 それでは、企業の基本法である現行会社法ではどこにコンプライアンスという
  概念が出てくるのか。それは会社法362条4項6号です。取締役会は「取締役
  の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他株
  式会社の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体
  制の整備」をしなければならないというものです。
   ここに書いてあることはあまりにも当然のことです。取締役の職務執行が法令、
  定款に適合するような体制を作れということです。
   しかしあまりに当然なことはなかなか実行できないものです。なぜ法令、定款
  に適合しなければならないかなどということは、改めて考えてみるまでもないこ
  とのように思えます。
   しかしここが考えどころだと思います。

 4 法律や定款に従って行動せよといってもよく分からない。そこでもう一段深く
  掘り下げて、取締役はなぜそうしなければならないかについて考えてみるべき
  です。
   私はここでやはり、今流行の「会社は誰のものか」の議論を思い出すべきだと
  思うのです。
   結論からいえば、私は、会社、企業は社会のものだと思います。会社が大きく
  なればなるほどこの考え方が適合してくると思います。
   会社は社会の要求に従って活動してこそ生き残れるのだと考えれば、その場
  限りの架空利益計上、いずれ暴露することが明白な架空取引なんかとてもでき
  る筈がないと思います。
   なおこれは、私の一つの試論にすぎませんが、皆さんはどうお考えでしょうか。

                                   〜平成19年6月14日〜

                                        上に戻る


 
ある国選刑事裁判の記
 
 一、「四〇才と言えば不惑だ、手元にはわずかに一四五円、四月の午前二時、
  寒風の中で神社の賽銭箱の蓋をそっと持ち上げる、そんな自分がみじめだ
  と思わないか」
   「はいみじめだと思います」
   「そんな自分をもう一人の自分がじっと見つめたらどうか。本当にみじめだ
   と思うだろう」
   「はい、そう思います」
   「人間はもっと自分を大切にしなければならない、どんな立場に立っても
  それぞれの立場で全力をあげなければならない。そうでなければ自分が可
  哀相ではないか」
   「はい」
   (もしかして、これは国選弁護人たる私に対して、もっと努力してほしいとい
  う言葉だろうか。いやそれは考えすぎというもの、私は私なりに忙しい中、M
  警察へ面会に行っているではないか。)
   「誰のことでもない、被告人、君のことだよ、誰も代わってくれない君の人生
  だよ」
   「はい」
   次から次へと出頭してくるその中のたった一人の賽銭泥棒未遂、刑法上は
  「窃盗未遂」の被告人対するS簡易裁判所裁判官の被告人尋問はかなり見
  事なものでした。
 
 二、弁護人としては次のようにきいてみました。
   「あなたには今日ここへ情状証人に来てくれる身内の人は誰もいないのです
  ね」
   「はい」
   「父も、母も、兄弟も誰もいないのですね」
   「はい」
   「ところでもしこの事件の責任を果たして社会に出た場合、その日からどうし
  ますか」
   「五反田にT建設という会社があります。そこへ行けば建築現場作業員として
  雇ってくれ、一日八、〇〇〇円もらえます。それで簡易宿泊所へ泊まって生活
  していけます」
   「作業の内容はどんなものですか」
   「道具運びや、小さなモルタルの穴うめ、掃除などです」
   「要するに雑役ですね」
   「はい」
 
 三、検事の反論は当然次のようになりました。
   「いま五反田のT建設と言いましたね」
   「はい」
   「それは五反田の何という町にあるのですか、番地は」
   「行けばわかります」
   「要するに所番地も知らないというわけか」
   「はい」
   「ところでT建設の人事担当者はどなたですか」
   「名前は知りません」
   「名前も知らない人が、君を採用してくれるのかね」
   「はいとってくれます」
   もちろん弁護人の私はこの点を警察で面会したとき、被告人にきいてみま
  した。しかし被告人はT建設の所番地も、人事担当者の名前も知りませんで
  した。
   その程度の材料でも、被告人に有利か不利かどちらかといえばやはり有利
  な事情になります。
 
 四、この被告人は実は前年、スーパーで一万円の万引きをした罪で
  懲役一〇月執行猶予三年の判決を言い渡されていました。
   その執行猶予期間中にさらに賽銭泥棒をしようとして蓋をもちあげたところ
  で警報ブザーが鳴ってつかまり「窃盗未遂」になってしまった
  のです。未遂ですから一円の金も手にしていません。
   刑法はこのような被告人に対してどう対応しているか。
   刑法第二五条「前ニ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタル…者一年以下ノ…禁錮
  ノ言渡ヲ受ケ情状特ニ憫諒(びんりょう)ス可キモノアルトキ」はもう一度執
  行猶予にすることが出来る、いわゆる再度の執行猶予が可能なのです。
   前が一万円の万引きで、今回が賽銭泥棒の未遂、執行猶予期間中のこ
  ととはいえこんな被告人を刑務所へ入れるのはいかにも気の毒な感じです。
 
 五、私の最終弁論の後の部分はこうなりました。
  (被告人の今後)
   被告人はこれまで建築現場作業員として、相応の実績をあげている。
  五反田所在T建設は被告人を求めている。
   建築ブームの今日、雑工、ビル建築雑役、モルタル穴うめ、工具後片づけ
  等の仕事により一日当たり八千円を稼ぐ能力をもっている。
   今の社会、このような人こそ求められているのである。
   被告人の一日も早い雑工としての社会復帰を望むものである。そして少し
  ずつでも仕事を覚え、その社会にあって少しでも力を延ばして、それがやが
  て定職となることを期待したい。
  (被告人の反省)
   被告人は弁護人に対し、本件を深く反省していると述べている。
   そして、今後は酒をつつしみ、真面目に働いて立派な社会人になりたいと
  誓っている。
   弁護人は四〇才、不惑の被告人のこの誓いは真剣なものと考える。
  (被告に対する処分について)
   くり返しになるが、本件はあくまで未遂である。賽銭箱の蓋をとっただけで
  金については見てもふれてもいない。
   逮捕に向かった警察官は一人の自転車に乗ったお巡りさんで、逃げようと
  思えば逃げられる状態にあった。
   本件は絵に描いたような未遂犯である。その点を十分酌量して減軽して
  いただきたい。
   さらに被告人の前記のような境遇等をくんで酌量減軽していただき、これら
  を総て総合して情状特に憫諒すべきものとして、被告人に対し何卒再度の執
  行猶予を賜り度いのである。
 
 六、平成元年、裁判官は次のように判決を言い渡しました。
   「被告人を懲役八月に処する。この裁判確定の日から三年間右刑の執行を
  猶予する」
   再度の執行猶予が認められたのです。
   手錠を外された被告人は弁護人である私に対し、廊下で軽く一礼しただけ
  でした。
   私には裁判官の気持ちが痛いほど分ります。裁判官は被告人が再度の執
  行猶予の判決後、五反田のT建設へ行って働いてくれると判断したのでしょう
  か。九分九厘彼はまた街をうろつくと考えたでしょう。しかし残る一厘の可能
  性、建設でなくてもいい、まじめにどこかで日雇いとして働いてくれるかもしれ
  ないという一厘の可能性にかけたのです。
   結果的に被告人にだまされたことになるかもしれない。しかし、残念だがそ
  の場合、それも仕方ない、ここはだまされてみようと考えたのでしょう。
   被告人はどうか。
   これで弁護人も、裁判官も、検察官も総てくぐり抜けた。これで俺は自由に
  なった。これからどこへ行こうと自由だと考えているとしたら、彼はまた罪を重
  ねて近い将来この裁判所へ出頭することになることは明らかです。そしてその
  可能性はかなり大きいと判断されました。
 
 七、たった一人の「窃盗未遂」犯の裁判に全力をあげる裁判官の姿に深く感銘
   して、いつの間にか「裁判の記」になってしまいました。
    一つの職業にかけるその人の美しさにひかれて筆を走らせてみました。
  「切磋琢磨」という言葉がありますが、よき先輩に恵まれることは有難いもので
  す。
 
 八、事件は平成元年と約二〇年前のものです。先日ある刑事裁判で「説諭」も
   しない裁判官に出会って、古きよき時代の裁判を思い出しました。
    裁判官はたくさんの事件でうんざりでしょう。しかし被告人本人にとっては
   たった一回の公判期日です。その裁判手続の中でせめて二、三分くらいの
   間でも、裁判官として本人にさとしてほしい、人にはその地位にある者しか
   言えない言葉があるのにとしみじみ思ったのものでした。

                                   〜平成19年2月16日〜

                                        上に戻る


杉本秀夫法律事務所
本文へジャンプ


 
【公認会計士も実刑】

 1 公認会計士が実刑になることはめったにありません。ところが平成19年3月、
  東京地裁はライブドア粉飾事件で公認会計士に懲役10月の実刑判決を言い
  渡しました。
   その理由は、経営不振などによる(現実に発生した)損失を隠したのとは違っ
  て、有望企業を装うために、投資判断に重要な連結経常利益額が虚偽である
  ことを認識していながら、それを指摘しなかったことについて、非常に悪質とし
  たのです。

 2 企業が損失を出してしまったときに、それをかくして企業の生き延びをはかる
  ために粉飾決算をすることと、株価をつり上げるために企業の将来を明るく装う
  こととを比較した場合、後者の方が極めて悪質だというものです。

 3 これは事実自体たいへん微妙な問題で、控訴審で争われることになるでしょう
  が、人をだましてでも企業の明るさを装って、そこへ投資資金を集めることは許さ
  ないというものです。

 4 あれもこれも悪いのは当然であり、ましてや天下の公認会計士が何たることか
  と思われることでしょう。
   しかし裁判所というものは、たくさんの事件について先例等を調べて、一つひと
  つに結論をだしていかなくてはなりません。
   この事件の場合、検事の求刑は懲役1年6月だったのを8月短くして懲役10月
  (実刑)にしたのです。弁護人としてはもちろん、8月長い懲役1年6月でもいいか
  ら執行猶予つき判決にしてほしいところです。

 5 このように、ライブドア事件では社長本人、そして公認会計士も一審で実刑に
  なりました。これに対して弁護人は控訴審でどう戦うのか。裁判所はそれを受けて
  どう判断するのか、しっかり注目し続けたいと思っています。

                                   〜平成19年6月21日〜

                                        上に戻る


架空取引

 1 架空取引といわれた場合、あなたはどういうことを想像しますか。
   架空取引とはこういうことなのです。

    A社  →  B社  →  C社  →  D社  →  A社
       100円     90円      80円     70円

   ある商品をA社がB社に100円で売る。
                   (架空ですから本当は何も売らない。)
   その商品をB社がC社に 90円で売る。
   その商品をC社がD社に 80円で売る。
   その商品をD社がA社に 70円で売る。
   これによって、A社は100円で売って、70円で仕入れるのですから30円
  利益が出ます。
   しかし、B社は100円で買って、C社に90円で売るのですから10円損
        C社は 90円で買って、D社に80円で売るのですから10円損
        D社は 80円で買って、A社に70円で売るのですから10円損
   要するにB、C、D3社合計30円損、その結果A社だけ30円得ということ
  になります。

 2 分かりやすくするために簡単なケースにしましたが、実際行われている
  架空取引は、数億円の単位で、もっと真偽ないまぜて巧妙に行われます。
   こんな幼稚なことをするのは小さな会社に違いないとお思いでしょう。しか
  し実際は、最近でも一部上場企業に架空取引が発見されました。
   会社が大きくなると、人も多くなり、上の人から見て下の人までの総ての
  人を見とおすことができなくなるものなのです。ですから、むしろ、大企業の
  方が架空取引が発生しやすいのです。
   企業は人なりといいます。長い目で見て、こういうことをする社員がいる会
  社が生き残ることはできないことは当然ですが、ともかく、こんな形で架空
  取引が現実に行われることがあることは、企業人たるもの、常識として知っ
  ておくべきことです。

                                 〜平成19年6月20日〜

                                      上に戻る


 
〜 目 次 〜                 タイトルをクリックして下さい。
                           
 1.
教育を受ける権利  (「杉本秀夫法律事務所だより」平成15年6月号)
 2.ある国選刑事裁判の記 (平成19年2月16日)
 3.
コンプライアンス(平成19年6月14日)
 4.
架空取引(平成19年6月20日)
 5.企業の継続性に疑義 (平成19年6月21日)
 6.公認会計士も実刑 (平成19年6月21日)
 7.
和解について (平成19年6月25日)
 8.
裁判員裁判に思う (平成21年8月31日)


トップページ 事務所概要
活動指針 解説記事 お問い合わせ アクセス

随想録・スピーチ集 

解説記事>