島本町の紹介
男山と、豊臣秀吉が明智光秀を倒した場所で有名な天王山に挟まれた
島本町は、昔の摂津国と山城国の間にあり、旧西国街道が町の中心を通る
交通上の大切な場所として栄えてきました。明治十三年(1889年)に大沢村、
山崎村、東大寺村、広瀬村、桜井村、高浜村の計七か村が合併して島本村と
なり、昭和十五年(1949年)に町となって現在に至っています。
島本町の歴史
この町に人が住み始めたのは今から約三万年前の旧石器時代といわれ、
山崎などの岡のふもとなどにその痕跡が見られます。奈良時代には現在の
東大寺地区に奈良東大寺の荘園ができ、平安時代には山崎津(港)がにぎわった
ことが「土佐日記」や「更級日記」に書かれています。鎌倉時代では
後飛羽上皇が離宮を築き、この地を非常に愛されたといわれます。また
「太平記」で有名な楠木正成,正行父子の訣別の伝承も残っています。室町時代
では俳諧の祖、山崎宗鑑がこの地で活躍しました。
明治時代になり廃仏毀釈の嵐が吹き荒れましたが、先人の努力により
現在も数多くの文化財も残されています。
島本町の大体の位置
製作:M.Iさん
紹介&歴史&大体の位置|島本町で撮った写真