史跡・博物館 鹿児島




磯庭園
鹿児島市吉野町磯9700−1
管理人メモ:鹿児島駅バス霧島・国分方面磯庭園下車1分。
島津氏の磯別邸で、庭園を仙巌園という。
嘉永六年、島津斉彬が佐賀の反射炉をモデルにして作った反射炉跡などがある。
仙巌園 反射炉跡
鶴燈籠(島津斉彬作) 獅子乗大石燈籠(島津忠義作)
尚古集成館
鹿児島市吉野町磯9698−1
管理人メモ:磯庭園隣り。
元治元年に着工した、日本最古の本格的工場建築。
集成館とは、島津斉彬が磯庭園に作った反射炉や溶鉱炉をはじめ、
この付近の工場群の総称として、安政四年に命名したもの。
現在は博物館になっている。
紡績所址
鹿児島市吉野町磯9685
管理人メモ:尚古集成館すぐ。
島津忠義は新納久修、五代友厚らをイギリスへ留学させると共に、紡績機の買い入れを行い、
慶応元年にE・ホーム、ジョン=テットロウら七人の技師が機械と共に到着した。
慶応三年に操業を開始した日本で最初の近代的紡績工場である。
紡績工場は現在、駐車場となっており、紡績所址の碑が立っている。
奥には七人の技師の宿舎として建てられた異人館がある。
紡績所址の碑
重富荘
鹿児島市清水町31-7
管理人メモ:尚古集成館から南へ15分。
島津久光が重富領の領主であった頃、別宅として使われていた。
その後、久光の三男、珍彦(重富島津家第二十一代当主)も住んだ屋敷である。
現在の建物の一部は久光の長男、忠義(島津家第二十九代当主)が
晩年に内之浦に建てた狩猟用の別荘を移築したもので、邸内には随所に島津家ゆかりの品々が残されている。
敷地約三万坪の和式庭園は、田之浦お茶屋の庭を利用したもので、
熱帯樹を配した美しい庭園から望む桜島は、格別の趣を持っている。
現在は、和風旅館となっている。
重富荘 重富荘から見える桜島
重富荘庭園
東郷墓地
鹿児島市清水町32
管理人メモ:重富荘から南へ5分。
元帥東郷平八郎之墓 聖将之碑
東郷平八郎像
西南の役官軍戦没者慰霊塔
管理人メモ:東郷墓地すぐ。
南洲墓地
鹿児島市上竜尾町2
管理人メモ
日豊本線・鹿児島本線・指宿枕崎線西鹿児島駅バス上町方向行上本町下車10分。
坂が厳しいのでタクシーが無難。
明治十年、城山の戦いが終わり、西郷以下四十名を浄光明寺に仮埋葬した。
明治十二年、城山近辺に散在していた約二百名の遺骨を同墓地に改葬、
さらに野村忍介などが主唱し、九州各地に散在する約千八百名の遺骨を改葬し、西郷隆盛を中心に眠る南洲墓地となった。
墓地の北隣にある南洲神社は、生き残った西郷軍が戦後、参拝所を作り、それが神社となった。
南隣には市立西郷南洲顕彰館がある。西郷の一生がジオラマなどで展示されている。
西郷隆盛墓 桐野利秋墓
西郷小兵衛墓 篠原国幹墓
村田新八墓 大山綱良墓
別府晋介墓 辺見十郎太墓
池上貞固墓 桂久武墓
岩村県令記念碑 中津隊士之墓
南洲神社
南洲翁終焉之地
鹿児島市城山町12−7
管理人メモ:南洲墓地から南へ10分。
南洲洞窟
管理人メモ:城山展望台から岩崎谷への車道を下りた場所。
山頂の本陣から下り、西郷らの幹部が数日間過ごした洞窟。
私学校跡
鹿児島市城山町6−1
管理人メモ
西鹿児島駅市電・バス市役所前下車5分。病院の駐車場内にある。
近くに西南戦争の銃弾跡もある。
薩摩義士碑
鹿児島市城山町5−1
管理人メモ:私学校跡、西にすぐ。
鶴丸城跡
鹿児島市城山町5−1
管理人メモ:西鹿児島駅市電・バス市役所前下車5分。
黎明館
鹿児島市城山町7−2
管理人メモ:鶴丸城隣り。
明治百年記念事業の一つとして建設された総合資料館で、
建物は鶴丸城の屋形造りと同じ平屋建てだが、内部は三階である。
鹿児島県に関する資料を一堂に集め、明治維新に関する資料の刊行も行っている。
五代友厚像
管理人メモ:西鹿児島駅市電・バス朝日通下車、東にすぐ。下車、東南に行くと月照上人遺跡の碑もある。
西郷隆盛像
鹿児島市城山町4
管理人メモ:西鹿児島駅市電・バス天文館下車10分。中央公園すぐ。県文化センター敷地内に小松帯刀像もある。
西郷隆盛像 小松帯刀像
照国神社
鹿児島市照国町19−35
管理人メモ:西郷隆盛像から西へ5分。
島津斉彬(照国公)を祀る神社で、文久三年に勅命で照国大明神の神号が授けられ、
翌年に東照宮を祀っていた南禅院跡に社殿が建てられた。
大鳥居 照国神社
島津斉彬像 戊辰之役戦士顕彰碑
島津久光像 島津忠義像
加治屋町
管理人メモ
加治屋町駅下車すぐ。
高見橋の脇に大久保利通像樺山資紀邸跡
南へすぐ大久保利通生い立ちの地伊地知正治誕生之地維新ふるさと館
そこから東すぐに西郷隆盛・従道誕生地
甲突川を渡ると大久保利通誕生之地元帥子爵井上良馨誕生之地
中央高校周辺に元帥公爵大山巌誕生地東郷平八郎誕生地村田新八誕生地篠原国幹誕生之地
井上良馨誕生之地吉井友実誕生之地
高見馬場から市立病院前の間に山本権兵衛誕生之地、市立病院前すぐに黒田清隆誕生地などがある。
大久保利通像 樺山資紀邸跡
大久保利通生い立ちの地 伊地知正治誕生之地
西郷隆盛・従道誕生地 大久保利通誕生之地
元帥子爵井上良馨誕生之地 元帥公爵大山巌誕生地
東郷平八郎誕生地 村田新八誕生地
篠原国幹誕生之地 井上良馨誕生之地
吉井友実誕生之地 山本権兵衛誕生之地
若き薩摩の群像
管理人メモ:西鹿児島駅前。ナポリ通りを直進すると西郷南洲翁宅地跡もある。
鹿児島市が明治百年を記念して立てたもので、五代友厚以下、十七名の群像が立ち並ぶ。
主な顔ぶれは、三十四歳の新納久修を団長に、引率者として町田久成、松木弘安、五代友厚。
学生では後の東大の学長となった畠山義成、初代文相の森有礼などで、
最年少で当時十三歳だった磯永彦助は、アメリカに定住しブドウ王とも呼ばれた。
慶応元年、串木野の羽島から、藩命により密航の禁を犯し渡英した彼らは、
フランス人モンブランの協力によってパリ万国博覧会への参加を取りつけ、
イギリスでは工業地帯の視察をして紡績機械を輸入し、滞欧七ヶ月、留学生を残して帰国した。
パリ万博には翌年、家老の岩下方平が四百余りの箱を送って参加し、
幕府に対抗して「日本薩摩太守政府」として出品した。
西郷屋敷跡
鹿児島市武2−28
管理人メモ:西鹿児島駅西口から、真っ直ぐ武岡へ進んだ三差路の左手の公園。場所は分かりづらい。
西郷屋敷跡 西郷隆盛と菅実秀座像
島津斉彬公御陣屋跡
管理人メモ:天保山中学校敷地内。
天保山調練場として、洋式調練や砲術などの訓練が行われた場所で、
島津斉彬は嘉永四年から安政五年まで、この陣屋で兵士の訓練を見た。
天保山砲台跡
管理人メモ:天保山公園内。
薩英戦争の火蓋を切った砲台で、碑の周りには円形の台座の一部が残っている。
坂本竜馬新婚の旅碑
管理人メモ:天保山公園を出てすぐ。


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