史跡・博物館 北海道




五稜郭
函館市五稜郭町
管理人メモ
五稜郭駅から東に2キロほど。徒歩で行ったのだが、ちょっと迷った。案内などもなかったような気がする。
市電かバスの五稜郭公園前下車のが無難か。
五稜郭は、安政(一八五四)に結ばれた日米和親条約(神奈川県条約)によって開港された函館をはじめとする北辺の防備のため、
江戸幕府の手により、安政四年(一八五七)四月に着工され、元治元年(一八六四)に完成した西洋式の城であり、
慶応三年(一八六七)十月の大政奉還後、新政府に移管された。
明治元年(一八六八)におこった戊辰戦争では旧幕府脱走軍榎本武揚らによって短期間占拠されたが、
新政府軍に平定されてから開拓使、陸軍省の所管を経て、大正三年(一九一四)以降公園として市民に開放されている。
城の形が五稜形をしているのは、守備の際に死角をなくすためであり、武田斐三郎の指導のもとに、
西洋式の築城法をとりいれて造られたものである。
武田斐三郎先生顕彰碑
五稜郭内
管理人メモ
五稜郭の設計者。五稜郭のほぼ中央に碑がある。
顔の部分が光っているのは、撫でると学力向上などの迷信があるらしい。どういう理由でそうなったのかは謎。
五稜郭タワー
函館市五稜郭町43−9 (пF0138-51-4785)
管理人メモ
五稜郭の隣り。入場は無料、しかし展望台は有料。展望台からではないと五稜郭の全景は見られない仕組み。
本来ならもっと高いほうが五稜郭の形が分かるのだが、飛行場の関係でこれ以上高く出来ないのが残念。
竣工当時の五稜郭を1/250の大きさで再現した模型や、当時の銃や大砲の弾など展示。
市立函館博物館五稜郭分館
函館市五稜郭町44−1 (пF0138-51-2146 )
五稜郭や箱館奉行所の歴史、箱館戦争の資料や榎本武揚らの写真などを展示。
隣にある兵糧庫は建設当時の姿を残す唯一の建物で、毎年夏ごろに一般開放される。
土方歳三最後の地
函館市若松町、総合福祉センター前
管理人メモ:函館駅から北東に徒歩で10分とかからない場所。
新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は、鳥羽伏見の戦い後、新撰組の率いて各地を転戦して北上し、
仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。
明治元年(一八六八)十月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は函館を占拠して新政権を樹立、
土方はその陸軍奉行並の要職についた。
翌二年四月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現・大野町)だけは最後まで落ちなかった。
しかし、同年五月十一日、ついに函館も政府軍の手に落ちた。
土方は函館奪回を目指し、五十名の兵を率いて一本木(現・若松町)の関門を出て函館の市中に向かい、
敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。
時に三十五歳であった。
碧血碑
函館市谷地町
土方歳三等、旧幕府軍戦死者の慰霊碑。
明治八年(一八五七)、大鳥圭介に建立された。
旧イギリス領事館(開港記念館)
函館市元町33−14(пF0138-27-8159)
函館開港の歴史や、当時の函館の様子を映像やミニチュアモデルで再現。
開陽丸青少年センター
桧山郡江差町字姥神町1−10(пF01395-2-5522)
開陽丸を復元し、内部を資料館として公開。操船シュミレーターなどもある。


戻る