幕末列伝 長州




桂小五郎
1833〜1877
- 逃げの小五郎 -
兵学を吉田松陰に、剣術を斎藤弥九郎に学ぶ
極めて神経質で、細かい所がある
生涯で一度も剣を抜かなかった

天保四年、萩城下に藩医和田昌景の子として生まれる
文久二年、長井雅楽の航海遠略策から尊王攘夷へと藩論を統一させる
元治元年、池田屋事件では早く来た為に、危難を免れた
元治元年、蛤御門の変後には乞食になり幾松の庇護を受ける
慶応元年、高杉晋作がクーデターを起こした後、長州政治に参与する
吉田松陰
1830〜1859
- 狂 -
純粋一途、積極的な行動家である
教育者、軍事家、革命家の三つの顔を持つ
安積艮斎に経書、山鹿素水に兵学、佐久間象山に洋学を学ぶ

文政十三年、毛利家家臣杉百合之助の次男として生まれる
嘉永七年、ペリー艦隊に金子重之助と海外渡航の訴えをする
嘉永七年、伝馬町牢獄に投獄される
安政元年、松下村塾活動する
安政七年、安政の大獄にて処刑される

山口文書館所蔵
高杉晋作
1839〜1867
- 疾風迅雷 -
松陰をして「放れ牛」と言わせる程の暴れ者。しかし、忠孝に満ち親には律儀な面を持っている
行動力と決断力、そして戦術の高さは天才的である

天保十年、萩城下菊屋横丁に高杉小忠太の長男として生まれる
安政四年、松下村塾に入り、久坂玄瑞と共に松下村塾の双璧と呼ばれる
万延元年、航海術修行で江戸へ行く
文久元年、毛利定広の小姓役を務める
文久二年、藩命により上海に渡航する
文久二年、品川御殿山英国大使館を焼き討ちにする
文久三年、奇兵隊を組織する
元治元年、下関砲撃事件で講和会議の正使となる
元治元年、第一次幕長戦争で保守派に敗れ脱藩する
慶応二年、第二次幕長戦争で勝利
慶応二年、結核を患い死亡

港区立郷土資料館所蔵
久坂玄瑞
1840〜1864
- 天下の英才 -
秀才の誉れ高く、白皙の美少年とされる
行動、思想は激しく、長州尊王攘夷の先頭を走った

天保十一年、萩城下平安古八軒屋に藩医久坂良迪の次男として生まれる
嘉永六年、明倫館に入る
安政元年、九州遊歴を行う
安政四年、松下村塾に入る
安政五年、江戸に遊学する
文久二年、航海遠略策に反対して脱藩する
文久二年、品川御殿山英国大使館を焼き討ちにする
文久三年、下関で光明寺党結成する
文久三年、下関で外国艦隊を砲撃する
文久三年、八・一八の政変後、京都に潜伏する
元治元年、蛤御門の変にて自刃する

山口博物館所蔵
伊藤俊輔
1841〜1909
- 周旋の才 -
松陰をして「才劣り学穉し、質は直なるも華なし」と言われたが、周旋の才能だけは高く評価していた
機転が利き、人の心情を酌むことにはついては天性のものがある

天保十二年、周防国熊毛郡束荷村に農民十蔵の子として生まれる
安政元年、中間伊藤家の養子となり、伊藤姓となる
安政四年、松下村塾に入る文久二年、品川御殿山英国大使館を焼き討ちにする
文久二年、山尾庸兵と共に国学者塙次郎を暗殺する
文久三年、横浜から密出国で英国に行く
元治元年、下関砲撃事件で帰国、通訳として講和会議に奔走する
元治元年、力士隊を結成し、高杉晋作に従う

井上聞多
1835〜1915
- 傷跡 -
剛毅で圭角のない人物で、身分などにはとらわれなかった
元治元年の凶事により顔、体中に無数の傷跡がある
「経済」という言葉を最初に使った人物である

天保六年、萩藩士井上光享の次男として生まれる
嘉永四年、藩校明倫館に入る
安政二年、志道慎平の養子となり、志道姓となる
万延元年、小姓役となり、聞多の名を賜る
文久二年、品川御殿山英国大使館を焼き討ちにする
文久三年、英国留学を命じられ密出国する
元治元年、下関砲撃事件で帰国、通訳として講和会議に奔走する
元治元年、君前会議で俗論党を論破後、俗論党に襲われ瀕死の状態になる
慶応元年、鴻城隊総督として、高杉晋作に従う


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