幕末列伝 土佐
坂本竜馬 1835〜1867 |
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- 奇跡 - 子供のような無邪気な性格、ずぼらで自由奔放。しかし行動力があり機略縦横 西郷とは別な人を寄せ付ける不思議な魅力を持っていた 天保六年、城下本町筋一丁目に坂本八平の次男として生まれる 文久元年、土佐勤皇党に加盟する 文久二年、脱藩する 文久二年、勝海舟の門下生となる 文久三年、神戸海軍操練所の塾頭になる 慶応元年、亀山社中設立 慶応二年、薩長同盟を成立させる 慶応二年、寺田屋にて伏見奉行に襲撃される 慶応三年、いろは丸、五島列島沖で沈没 慶応三年、船中八策起草する 慶応三年、京都近江屋にて刺客に襲われ死亡 今井家所蔵 |
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中岡慎太郎 1838〜1867 |
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- 東奔西走 - 確固とした信念に基づき行動し、その信念に対しては一歩も譲らないという剛毅さを持っている 常に行動し、考え、生涯に時間の無駄というものがない 天保九年、土佐国安芸郡北川郷柏木に中岡小伝次の長男として生まれる 文久元年、土佐勤皇党に加盟する 文久二年、五十人組に加わり江戸藩邸に入る 文久三年、脱藩する 文久三年、招賢閣に行き、三条実美に謁見する 元治元年、蛤御門の変にて遊撃隊に加わり負傷 元治元年、忠勇隊総督になる 慶応二年、薩長同盟を成立させる 慶応三年、陸援隊設立 慶応三年、京都近江屋にて刺客に襲われ死亡 青山文庫所蔵 |
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山内容堂 1827〜1872 |
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- 鯨海酔侯 - 四賢侯の一人 人を見る眼識は高く、形式や虚飾が嫌い 無類の酒好きで居合、漢詩、乗馬、能楽等と多様な才能を持っている 嘉永元年、土佐藩十五代藩主となる 慶応三年、大政奉還を建白する 高知県立歴史民俗資料館所蔵 |
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武市半平太 1829〜1865 |
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- 勤皇党 - 漢詩や画に長け、剣術は超一流である 政治は大久保、木戸に人望は西郷に匹敵するといわれている 文政十二年、土佐国長岡郡仁井田郷吹井村に武市正恒の長男として生まれる 安政五年、剣道の功にて終身二人扶持を給される 文久元年、土佐勤皇党を結成する 文久二年、吉田東洋暗殺を企て藩論を一変する 文久三年、八・一八の政変にて投獄 慶応元年、獄中で切腹 |
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吉村虎太郎 1837〜1863 |
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- 魁 - 丸顔で色白の愛嬌者。しかし、師の間崎滄浪の思想を受継ぐ強烈なまでの倒幕家である 土佐の幕末四天王(龍馬、慎太郎、半平太、虎太郎)の一人。土佐脱藩第一号者でもある 天保八年、土佐国高岡郡津野山郷に吉村太平の長男として生まれる 安政六年、梼原村番人大庄屋になる 文久二年、武市半平太の命により、長州藩久坂玄瑞を訪ね伏見挙兵の情報を得る 文久二年、脱藩する 文久二年、伏見寺田屋にて挙兵計画露見、土佐で入獄 文久二年、吉田東洋暗殺され、大赦により出獄 文久三年、天誅組副総裁兼参謀として大和挙兵し、戦死する 高知城懐徳館所蔵 |
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後藤象二郎 1838〜1897 |
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- 大風呂敷 − くそ度胸があり、豪放で陽気。雄弁で細事は語らず人を煙に巻くのが得意である 義叔父に吉田東洋を持ち、土佐の近代化に努める 天保九年、高知城下片町に土佐藩馬廻格後藤助右衛門の長男として生まれる 安政五年、幡多郡奉行に抜擢される 文久元年、近習目付になる 文久二年、吉田東洋が勤皇党に暗殺された為、失脚 元治元年、大監察になる 慶応元年、勤皇党の武市半平太等、断罪にする 慶応二年、亀山社中隊士に襲われそうになるが、坂本龍馬が止める 慶応三年、いろは丸沈没事件で、紀州藩より八万三千両の賠償金を獲得 慶応三年、英船イカルス号水夫殺害事件で、パークスと談判し海援隊を無罪にする 慶応三年、坂本龍馬起草の船中八策を建言し、大政奉還へと導く 慶応四年、パークスを刺客から護る |
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吉田東洋 1816〜1862 |
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- 藩政改革 - 頑固、強情、短気。しかし海外事情に詳しく、先を見通す眼を持っている傑出した政治家である 藩主山内容堂と同じ公武合体を支持し、尊王攘夷派である土佐勤皇党と対立した 文化十三年、高知城下帯屋町に土佐藩馬廻吉田光四郎光清の四男として生まれる 嘉永六年、参政に抜擢される 安政元年、酒宴の席で山内家親戚である松下嘉兵衛を打擲し免職 安政元年、少林塾を開き、後藤象二郎、福岡孝弟、岩崎弥太郎等を養成する 安政五年、再び参政になり、藩政改革を行う 文久二年、勤皇党に暗殺される |
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河田小龍 1824〜1898 |
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- 画業 - 幼少より神童の誉れ高く、土佐藩随一新知識者として吉田東洋に見出される 画塾墨雲洞塾を開き門下の武市半平太、土方楠左ヱ門、田中光顕等を教育した 坂本龍馬を啓発した人物でもある 文政七年、高知城下片町に土羽玉助の長男として生まれる 弘化三年、画を狩野永岳に師事 嘉永元年、京都二条城の襖絵を修理する 嘉永五年、中浜万次郎帰国後、漂巽紀畧著述 安政元年、薩摩の反射炉を視察する |
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近藤長次郎 1838〜1866 |
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- 饅頭屋 - 向上心が異常なほど強く、弁才があり、根性も座っている。 それゆえ、高慢になりがちであり、協調性がないところがある 天保九年、高知城下水通町に駄菓子商大里屋伝次の長男として生まれる 安政六年、安積艮斎に師事 万延元年、富士川で船が転覆し江戸に辿り着く 文久二年、坂本龍馬の紹介で勝海舟に入門する 慶応元年、亀山社中に加わる 慶応元年、薩長同盟の周旋をし、武器や汽船を長州に引渡す 慶応二年、独断で英国留学を計画し発覚され、切腹 高知市民図書館所蔵 |
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