幕末列伝 女性
和宮 1846〜1877 |
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- 降嫁 - 誕生した年に父仁孝天皇が崩御し、その一年前に実兄である胤宮が他界しているので、 実の兄弟はすでにいない境遇にあった また、異母兄弟たちも次々に死去し、現存していたのは孝明天皇と敏宮だけであった 孝明天皇が最も好意をよせ、和宮と下賜した 幕府崩壊後、その救済に尽力する 弘化三年、仁孝天皇と橋本経子の間に第八皇女として生まれる 弘化三年、仁孝天皇崩御 嘉永四年、有栖川熾仁親王との婚約が成立する 安政七年、有栖川家輿入れの為、今出川門内桂宮邸に転居 文久二年、将軍家茂と結婚。江戸へ下る 慶応二年、将軍家茂崩御。薙髪して静寛院と号する 小坂善太郎氏所蔵 |
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天璋院 1835〜1883 |
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- 御台所 - 将軍家定との結婚からわずか一年七ヶ月足らずで夫家定崩御。 またその十日後には父となった島津斉彬が死去している 嫁の和宮と姑の天璋院の抗争(京風と江戸風)はよく知られている事だが、 天璋院は徳川家の為にも和宮と親しくなりたかったとされる 幕府崩壊後、その救済、また徳川家達の教育に尽力する 天保六年、鹿児島城下に今和泉忠剛の長女として生まれる 嘉永三年、幕府から島津家に将軍夫人迎え入れの要求 嘉永六年、島津斉彬の子となる 嘉永六年、鹿児島から江戸芝藩邸に入る 安政三年、将軍家定と結婚 安政五年、将軍家定崩御。篤姫から天璋院と号する 安政五年、島津斉彬死去 文久二年、和宮降嫁 慶応四年、江戸城無血開城 尚古集成館所蔵 |
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お龍 1841〜1906 |
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- 寺田屋事件 - 勝気でおしゃべり、しかも大酒飲みである。 しかし美人として名高く機転また行動力、そして度胸があり、この当時の女性としては強烈な個性があった 天保十二年、京都柳馬場通三条下ルに医師楢崎将作の長女として生まれる(他説あり) 慶応二年、伏見寺田屋で奉行所の捕吏より坂本龍馬を救う 慶応二年、薩摩藩邸で仲人中岡慎太郎、媒酌人西郷隆盛として坂本龍馬と結婚 慶応三年、坂本龍馬死亡 明治十八年、神奈川の横須賀で大道商人西村松兵衛と再婚 明治三十九年、貧窮のうちに死亡 土井晴夫氏所蔵 |
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幾松 1842〜1886 |
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- 三本木芸者 − 武家の出なので胆力があり、機転が利いた 芸者では舞の名手として名高い 桂小五郎の正室である 天保十三年、若狭小浜藩士の娘として生まれる 文久三年、桂小五郎と出会う 元治元年、蛤御門の変後、桂小五郎に尽くす 慶応二年、山口に桂小五郎と住む 明治十年、木戸孝允(桂小五郎)死去。翠香院と号する 明治十九年、没 |
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おうの 1844〜1910 |
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- 三味線師匠 - のんびりとしていて素直、気取らない色気があったとされる 色情が強く、高杉晋作がいないと浮気をするようなところがあり、 高杉晋作死後、伊藤俊輔や井上聞多が説得し尼にした 尼になった後は、高杉晋作の墓を一心に守り続けた 文久三年、高杉晋作が奇兵隊結成後、落籍れる 慶応三年、高杉晋作死去。梅処尼と号する |
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