幕末列伝 幕府
勝海舟 1823〜1899 |
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- 赤誠 - 卓越した眼識を持ち佐幕・尊王無く、幕臣ながら常に日本の事を第一に考えていた また世界情勢、海軍においては群を抜いた知識を持ってる 性格は江戸っ子気質丸だしの皮肉屋で一筋縄ではいかないところがある 文政六年、江戸本所亀沢町に勝小吉の長男として生まれる 嘉永二年、赤坂に蘭学塾を開く 万延元年、日米修好通商条約批准書交換の為、咸臨丸を操船し米国に渡る 元治元年、軍艦奉行になり、神戸操練所発足する 元治元年、四国連合艦隊の調停役になり長崎に行く 慶応四年、江戸芝薩摩藩邸で西郷隆盛と会見し、江戸無血開城に導く 勝芳孝氏所蔵 |
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徳川慶喜 1837〜1913 |
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- 才溢れ、胆無し - 徳川最後の将軍 多才、雄弁、先見、その才能は家康に匹敵するとまで言われていた自信家 惜しむらくは胆力が無く、幕府を葬り去った 天保八年、水戸藩江戸小石川邸に徳川斉昭の七男として生まれる 弘化四年、一橋家を相続する 文久二年、将軍後見職になる 慶応元年、将軍家茂が薨去し宗家を継ぎ、征夷大将軍になる 慶応三年、大政奉還を行う |
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阿部正弘 1819〜1857 |
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- 青年宰相 - 温順、寛恕な性格で、学問を好み高い教養を身に付けていた 文政二年、備後福山藩五代藩主阿部正精の六男として生まれる 天保十四年、弱冠二十五歳で老中になる 嘉永七年、日米和親条約などを結び、日本の国交を開いた 広島県、福山誠之館高等学校所蔵 |
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井伊直弼 1815〜1860 |
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- 開国 - 強烈な開国論者で、攘夷論という対極にある水戸の徳川斉昭といつも対立していた 斉昭との対立が引金となり安政の大獄が始まる 嘉永三年に兄直亮の跡を継いで掃部守と称し、嘉永四年、彦根藩主となる 安政四年、突如として大老になる 安政四年、勅許を得ないまま、日米修好通商条約に調印する 安政七年、桜田門にて水戸浪士等により殺害される 世田谷区、豪徳寺所蔵 |
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大久保一翁 1817〜1888 |
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- 徳川柱石の臣 - 阿部正弘に登用され軍制改革に参画 勝海舟と共に恭順派の代表で、大政奉還、江戸無血開城に尽力し、敗戦処理等を任された 安政元年、目付になり軍制改革を行う 文久元年外国奉行、文久二年大目付になる 福井市立歴史郷土博物館所蔵 |
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小栗上野介 1827〜1868 |
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- エリート官僚 - 直言癖があり約七十回も昇進と罷免を繰り返す フランスの力を借りて徳川絶対主義の基礎を作った 徳川埋蔵金の立役者でもある 安政六年、目付になる 万延元年、井伊直弼の信頼厚く、日米修好通商条約批准交換の遣米使節監査に任命される 慶応元年、公使レオン・ロッシュと共に組合商法などの建議を行う 元治二年、勘定奉行になる |
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山岡鉄舟 1836〜1888 |
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- 剣禅一致 - 愚純で豪胆、嘘を付いた事がない実直な人物 動き出すと極めるまで、止まることを知らない 後に「一刀正伝無刀流」を開眼する 天保七年、旗本小野朝右衛門の五男として生まれる 安政三年、槍術の山岡静山の家を継ぐ 安政四年、講武所に入り剣術を学ぶ 文久二年、浪士隊の取締役になる 慶応四年、西郷と会見し朝命七ヶ条を持ち江戸無血開城へと導く 明治元年、精鋭隊頭となる 福井市立郷土歴史博物館所蔵 |
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