ご挨拶

こんにちは”尾張新次郎太鼓保存会”でございます。
 郷土に根づき、進化を続けている尾張新次郎太鼓について、そのあらましを紹介させていただきます。そもそも『新次郎太鼓』の名前の由来は、創設者である西川新次郎(本名・故人)の名前から近在の人々が親しみを込めて呼ぶようになりました。新次郎は、幼少の頃からお祭りが大好きで、古老達から習い覚えた神楽太鼓と笛に熱中し、いつしか名手と言われるようになりました。『お祭り男 新次郎』とも呼ばれ、近在の祭礼には欠かせない名物男となり、教えを乞う多くの若者が弟子となりました。
 一方、新次郎太鼓のルーツは、江戸時代中期より尾張西部の農村地帯で五穀豊穣、厄除け祈願の祈りを込めて、神社に奉納されていた土着の郷土民族芸能から発した地域性の高い、素朴な響きを受け継いだものであり、作られたものとは違うと思います。
 太平洋戦争と伊勢湾台風による二度の危機もありました。近在の被害も大きく、機材や資料のほとんどが散逸してしまいました。そして、復興と生活に追われた当時の人々は心の余裕もなく、しばらくお祭りも跡絶えてしまいました。しかし、復興を願う新次郎は自転車に股がり、毎日のように荒れ果てた村々を回り、同好の士や古老達の助けを借りながら、散逸した機材や資材を集めました。機材や資料も少しづつ戻り、足りないものは自費で揃え、どうにかお祭りができる体制を整えることができました。そのうち、人々の暮らしも明るさを取り戻し、お祭り再開の気運となり、今日400人近い一門を要する新次郎太鼓の待望の出番となりました。
 昭和54年に保存会システムに発展し、宗家 西川新次郎が初代会長になり、精力的な活動を繰り広げ全国的に有名な郷土芸能の団体として認知されるに至りました。昭和57年に西川新次郎が舞台で倒れ、急逝しました。人々の悲しみも覚めやらぬ中で、組織の維持のため、実子の私が二代目の会長に推され今日に至っております。
 お陰様で愛知万博などの大きなイベントにも恵まれ、尾張新次郎太鼓保存会の存在は国内はもとより、大きなものになりました。しかし、いくら組織が大きくなろうとも有名になろうとも、新次郎が願った地域密着の郷土芸能、素朴な色をいつまでも失うことなく続けていくことが最大の使命と考えております。活動の詳細は次の頁に譲り、ここまで支えて下さいましたご関係各位に衷心より御礼を申し上げ、ご挨拶に代えさせていただきます。

会長
西川 恵美子