尾張新次郎太鼓は、愛知県西部の農村地帯に伝わる神楽太鼓です。その太鼓名は祭り囃子の復活に生涯を捧げた、西川新次郎(大正元年〜昭和57年、没)の名前から来ています。
 神楽太鼓は、太平洋戦争前まで農村に生活する青年達が、神仏に奉納する芸能の―つとして盛んに叩かれてきました。時には競技会が開催された程です。しかし、太平洋戦争、そして昭和34年(1959)の伊勢湾台風を経ると、祭礼でも太鼓と笛の音の響く所は少なくなってしまいました。
 下之一色(名古屋市中川区)の西川新次郎は、昭和40年頃から、港区旧南陽町や中川区旧富田町など、かつて農村だった自治会からの要請を請け、神楽太鼓の技を勢力的に若者へ伝えたのです。昭和54年(1979)、多くの弟子ムラが一堂に集い、尾張新次郎太鼓保存会を結成し、新次郎は初代会長に就任しました。

新次郎太鼓の由来