空想マニフェスト@
現代の世界の政治の流れ、どう見ても時代は閉塞状態に陥っているように見えます。かつては資本主義の中であえぐ労働者の希望の星であった共産主義も今や色褪せて、崩壊の危機にたっています。皮肉にも共産党が率いる国は、経済発展を遂げるほどに、人民の上にあぐらをかく独裁国家に見えてきます。民主主義の旗を掲げる国々も経済至上主義になり、貧富の差が広がるばかりです。そして、誰の目にも明らかな地球の危機、環境破壊や温暖化の問題にもただ騒ぎたてるだけで、何の解決策も見出せないでいます。
そこで私なりの共生主義とも呼べる、民主主義でも共産主義でもない新しい政治的手法を提案してみます。勿論、世の賢者、秀才、学者、先生たちが真剣に取り組んでいるので私ごときが真っ向から論戦をはるつもりはありません。これは私の夢、空想、遊びともいえる非現実的なものです。したがって、中に書かれる内容もデーターも直感的に浮かんだイメージなので、正確なものではないということを、前もってお断りしておきます。
先ず、国家の根幹を成す一番大事なこと、国の将来や方向性を決めるものは、憲法9条でしょう。テロ支援法とか海外派兵の議論もありますが、その大元は9条にあるのです。この9条に基づき、かつては自衛隊は違法であるとの議論もされましたが、近頃は集団的自衛権がどうだとかの話もあります。日本の平和は憲法9条ではもはや守れなくなりつつあるのです。もうそろそろ憲法改正をする時になって来たのではなでしょうか。内容をもっとはっきりとするべきです。戦争を放棄して永世中立国になるのです。自衛隊を廃止して国防軍とするのです。そして日本の軍隊は一歩たりとも国外に出ることをしません。国際貢献であるという言い訳でも外国に軍隊を送ってはいけないのです。永世中立国になるのですから、いかなる国とも軍事同盟は結びません。時代の流れを見ると、戦争の形態もだいぶ変わってきました。かつての戦争のように他の国に軍隊を送り込んで占領し、国境線を広げたり他国を直接支配するなどというとは、通用しなくなりました。ベトナム戦争しかり、イラクやアフガニスタンの戦場も、いくら高性能な爆弾や砲弾を撃ち込んで枯葉剤を撒いても、最後はゲリラ戦になるのです。アメリカは自国の正義を印象付けするために、テロという言葉を使って犯罪者の仕業のようなイメージを作っていますが、テロは一概に犯罪とは言えません。テロは一つの戦争の形なのです。時代と共に戦争の形が変化してきたのです。日本は今後他国から攻められることはまず無いでしょう。まして国際貢献であるという言い訳でも外国に軍隊を送ってはいけません。もしも日本が他国から攻められても、国内でゲリラ戦で国を守るのです。新しい戦争に対応する戦略を考えることで、国防、国の形態も大いに変わることでしょう。例えば自衛隊に戦車がありますが、有事の際、何処で使われるのでしょう。現代は道路整備は行渡り、日本にはオフロードはありませんし、アスファルト舗装なのです。戦車の走るようなところは自衛隊の訓練所以外に何処にもないのです。何年か前にオークランド紛争といってアルゼンチンとイギリスが戦争をしたことがあります。この戦いは一週間で終わってしまいました。アルゼンチンはかつての日本軍と同じで、海軍力に力を入れていたのです。ところがあの大きな軍艦がイギリス軍の一発のミサイルで簡単に沈められてしまったのです。もう戦艦の大砲を打ち合うような時代ではないと気付いて、アルゼンチンは早々に白旗を掲げたのでした。科学技術の発展と共に、兵器の進歩も著しいものがあります。新しい戦略が必要とされているのです。9条一つ変えることによって、全てが変わるのです。ゲリラ戦で戦うということになると、国防軍のほかに草の根兵員といえる遊撃隊が必要になります。これは各市町村を中心とした住民組織になるでしょう。これらは正規軍とは別に志願者にはゲリラ戦の教育が必要になります。正規軍ではないので、軍隊的な規律、厳しさは必要ありません。むしろ全国から集まってくる人達の交流を通して友情を深め合い、職業訓練的な技術習得の場とし、産業にも貢献するような施設とするのです。愛国心を植えつけるなどと言わなくても、仲間意識が芽生え、郷土や地域社会を大切にする意識が育つことでしょう。これこそ世界最強の国防軍になることでしょう。
自国を自国民だけで守る、それでは国際貢献はどうするのかという意見もあるでしょう。そこで、自衛隊の半分は世界のレスキュー隊、国境無き救助隊として生まれ変わらせるのです。自衛隊の災害救助の能力は優秀です。アメリカのニュースを見ていたら、サイクロンの上陸に軍が出動していましたが、災害を警戒するのにライフル銃を携帯しているのには驚きました。滑稽ですらあります。銃は何に使うのでしょう。銃をスコップに替えて海外の救助に行きましょう。武器は一切携帯しません。故に戦場には出向きません。日本は戦争を放棄するのですから、いかなる形でも戦争には協力しなくていいのです。このレスキュー隊にはあらゆる国から隊員を募集して通訳やその国の情勢や意見、情報の収集に当たらせ、台風や地震などの災害がある時には、その国において先頭に立って働いてもらうのです。そのことが本当の意味の国際貢献になるのではないでしょうか。
日本が本当の意味で戦争を放棄し参加もしないと明言し、各国から平和を愛し、世界の市民に奉仕をしたいという志しある青年たちを集め、行動したならば、かつての少年の私が永世中立国のスイスにあこがれと平和への希望を抱いたように、全世界の子供たちを始めとする平和を願う人々に夢と希望を与えることが出来ると思うのです。
空想マニフェストA
私の住んでいる
盛岡の北側に位置する所に奥中山地区があります。寒さの厳しい所で農産物といえば、レタスやキャベツの高原野菜などです。それと竹細工が有名です。鈴竹という細く丈夫な竹が生えていたのですが、ここ数年前から生えなくなってきたというのです。そこで北海道から取り寄せているというのです。私たちの身近な所にも地球温暖化の波がひたひたと押し寄せています。北極熊が暑さのために死んだとか、雪ではなく雨が降るので、ペンギンの子供の羽毛が濡れて防寒できなくなって凍え死ぬとか、南の島では海水上昇のため、畑が水浸しになり使えなくなった、アルプスやヒマラヤの氷河が溶け出して地域の環境に大きな変化をもたらしているといいます。一部の感性の鋭い方々が、地球滅亡へのカウントダウンだアセンションだと言って警鐘を鳴らしていますが、何一つ具体的な行動が成されておりません。
ノアの箱舟の伝説が思い浮かんできます。洪水ならば箱舟に乗れなかったとしても、高い山に登れば助かる希望もありますが、地球滅亡ともなれば何処にも行き場が無く、どうすることもできません。政治の世界でも世界の首脳を集めて温暖化のサミットを開いたり、学者の方々も大いに論じてはいるものの、解決の糸口すら見つけてはいません。政府や財界で提唱している二酸化炭素排出削減の課題も前向きに取り組んでいるというパフォーマンスにすぎず、そんなことで解決に向かっているなどと思い込んでいると、取り返しのつかないことになるでしょう。地球温暖化は二酸化炭素削減目標よりも速い速度で進んでいるのです。地球上で最も賢い動物といわれる人間が何故解決への道に辿り着けないのでしょうか。一言で言えば人間持っている強欲のせいです。何かというと政府は経済成長最優先と言って金看板にし、一番大切なものとしています。お金を儲けることと温暖化防止とは裏と表になっているので、両方立てるということはできないのです。そこで多くの人達は頭を抱えるのです。
例えば電力会社で温暖化防止のためのキャンペーンをしたとします。国家、国民も真剣に取り組めば電力は半分ぐらいまでは落とせるでしょう。でもどうでしょう。電力会社の利益も半分になってしまうのです。経済成長神話を信奉している企業は、二酸化炭素排出削減という看板を掲げながら、毎年の経済成長の伸びを目標としているのです。世界の政治、共産主義も資本主義も利益の配分方法は違っていても、根底は同じです。経済発展を目指しているのです。これでは地球の未来は明るくありません。今こそ世界は共生主義を模索すべきです。欲があっていい、利益を求めてもいい、しかし必要以上の富を得る強欲は悪いことだと知ることです。利益を広く公平に行渡らせ、誰しもが飢えることなく足ることを知り、食べて着て住んで仲良く暮らすことが人類の幸せであり、理想であるということを、経済成長神話と取って代えなければ、滅びの道を辿るしかないのです。
空想マニフェストB
昭和初頭、世界恐慌になり、日本も不景気に喘いでいました。当時、国を憂える若者たちの間で愛唱された昭和維新の歌というのがあります。その歌詞の中に「ああ、人栄えて国滅ぶ」という一節があります。当時その閉塞感を突き破らんとして一気に太平洋戦争に突入して、滅びの道へと突き進むのですが、今まさに平成20年、当時の世相とよく似ているように思います。現代も一部の人間が私利私欲に走り、勝ち組負け組みなどと称して、勝ったものだけが我が世の春を謳歌しているのです。また、それを良しとする風潮もあります。それは、儲けることはいいことだとする経済優先の神話を信奉しているからなのです。その強欲の思想がいかに世の中を悪くしているのか、嘆かわしいというよりも、何が本当なのかを探り、人間の正しい生き方に目覚めて欲しいという思いです。その人達は己れの必要以上の利益追求が、ひいては地球を滅ぼし、社会を滅ぼし、自分を滅ぼすということに気付かずにいるからなのです。
例えば近頃頻繁に起こる食品の偽装問題、何であれほどまでに発覚するのでしょう。彼らは偽装の前に、利益追求のために、かつての日本独自の終身雇用体系、その結びつきの強さに会社村とまで言われた制度を無くしたからです。今は賃金が安いという理由で、外国人労働者を雇い、社員はパートタイマーや首切りが簡単な契約社員です。労働者の賃金をけちって利を得てるのですから、当然働く人達の不満が鬱積しているのです。そんな経営者のごまかしが通じる筈もありません。あれは、虐げられた人達からの内部告発です。強欲に走ると、結局は自らも損をするのだということの現われです。働く人を軽んじている企業体は、今後益々内部告発が相次ぐことでしょう。いつの間にか気付かぬうちに、企業人は鬼のような者になったのでしょうか。
あるダム工事現場で、正月休みになりました。日本人の監督やスタッフは家に帰り、家族と共に正月を過ごします。外国人労働者はどうしましょう。賄いのおばさんも下山します。そこで外国人労働者は山から下りれないように、車を動かせないようにして、インスタント食品を預けて一週間飯場に閉じ込めておいたのというのです。なんと大正、昭和にあったという労働者を不当に扱った「タコ部屋」、それと同じではないですか。また、派遣会社では、正社員は派遣社員とは仲良くしてはいけないという決まりがあるそうです。友人になれば、その労働格差に同情してしまうからだといいます。あくまでもビジネスの付き合いに徹しろということなのです。私には人間の尊厳を欠いた行いだと思われるのです。この行いの裏にはもう一つの問題が隠れています。
それは失業問題です。今各地で働きたくても働くことの出来ない人達が大勢います。ワーキングプアーなどという言葉も使われていますが、これでは国の将来が危ぶまれてなりません。まさに「人栄えて国滅ぶ」でしょう。安い労働賃金を求めて外国人労働者を日本に招いたのでしょうが、そのお陰で日本人の職場が奪われてしまったのです。そんな状況の中で、何と政府は人手不足だとして、介護士や看護師を東南アジアの国々から招きいれようとしているのです。何処の国民のための政府でしょう。介護、看護の人員不足は低賃金と劣悪な労働環境のためです。こんなことでは益々日本人の生活の場が失われていくばかりです。何故でしょう。経済優先という神話のせいなのです。どだい、何処までも発展し続ける経済などありません。
経済には実質経済と虚構経済があります。実質経済とは、農業や工業などです。生産と消費があり、その間をお金を介して交換し合うことです。人類始まって以来の形ですが、実質的で、確かで、平等な経済方式です。虚構経済とは、金融、株式、為替などで、実態がありません。たとえ土地というものが介在していても、マネーゲームで扱うので、価格の変動が激しくて無いに等しいのです。有ると思っていたものが、たちまちのうちに泡のごとく消え去ってしまうのです。この虚構経済こそが、諸悪の根元になっているのです。例えば為替差益、ある日、日本円が1ドル90円になったとします。それが半年後、100円になりました。90円でドルを買っていた人がその時点で売れば、1割の儲けになります。我々一般の市民にはそんなことは出来ません。何千億円という資金を持っている人達の話です。お金を持っているというだけで、汗一つ流さずに莫大なお金が手に入るのです。これが虚構経済です。この資金が実質経済の方に流れてくると、食料の買占めなどになるのです。昭和の初め頃にも米の買占めで米価が高騰して各地で米の倉庫を襲って打ち壊しという事件がおきました。ガソリンの高騰も投機といわれるマネーゲームが原因です。この虚構経済を仕切っている人達のことを闇の権力という方もいますが、巨大な資金を持つということは、かつての皇帝の権力にも等しいのです。その影響力が世界の中の格差や貧困、紛争に働いているのです。これから人類が生き延びていく道は、共生主義しかありません。虚構経済から離れて実質経済を目指さなければなりません。農業を中心として、人間が生きていくのに必要な衣食住を守っていく流通経済です。世界中から飢えや貧困、争いが無くなるよう、経済優先より人間優先になって欲しいものです。
空想マニフェストC
かつては財閥と呼ばれていた大企業の政治への影響力が増してきています。私たち庶
民の声は益々と遠のいています。一部の金権者たちの思惑だけが優先されるようでは、まさに民主主義の危機という他ないでしょう。海外労働者の流入、職業安定所(ハローワーク)の民営化というべき、派遣会社制度など、国民の生活を無視し、企業側に立って決めたことです。
経済成長という言葉には裏があります。よく企業側が利益が落ちたからといって、人員整理の名の下に、いとも簡単に労働者の首を切ります。この収益率が落ちたというのは、前年比又はここ数年のことなのです。企業側は、過去の膨大な蓄積された利益は勘定から外しているのです。かつてニューヨークを始めアメリカ各地で買い漁ったビルや土地は何処へ行ってしまったのでしょう。これでは貯蓄、蓄財に励むあまりに手元に現金が無くなって、金が無いと言っている人と同じことです。収益が落ちたからといって簡単にリストラをしてはいけません。膨大な含み資産があるのですから、失業している人達には、生きていくのに必要な最低限の保障をしてほしいものです。日本は世界一金持ちの国だと言われているのですから。それとも日本は勝ち組といわれる一部の金持ちが多い国で、下級労働者は各制度のもとで虐げられているとでもいうのでしょうか。
今、消費税を10%に上げる論議がされていますが、収益が一部の人達に偏ることが無いよう、均等に国民に行渡るような税制を考えて欲しいものです。
空想マニフェストD
資源の無駄使い、環境破壊、地球温暖化、これらの問題には企業エゴが絡んでいます。勿論本人たちは誰一人として自分たちの行いに疑問を持ってはいないでしょう。利益の追求こそが、企業の目的としているのですから。その利益の追求こそが、どれほど地球環境に悪影響をおよぼしていることでしょう。
先ず、製品を設計する段階で、耐久年数を設定します。ある年数を経れば壊れて、買い換えなければならないように作ってあります。物が壊れなければ企業が儲からないというのです。さらに交換部品のストック年数です。普通は6年ぐらいですが、たいてい製品は6年以降にこそ修理に必要とされるのです。現代、一番身近にある機械と言えば、自動車でしょう。この車の部品一つとっても各社まちまちです。ワイパーのように機能的に完成された部品は、各社共通の企画に統一すべきでしょう。ホイールのサイズなどは、わざと1ミリ2ミリずらしたサイズにしているので、共有することができず、大きな無駄になっています。この企業エゴを捨てることにより、どれほど資源の節約になることでしょう。こういうことは企業側の責任というより、百年の計を見据える行政側の指導が必要なことです。大元のところで無駄使いを無くさなければなりません。末端のところでもったいない運動をしても量的にはかなわないからです。企業側は儲けを優先にします。それを取り締まり、公共の利益へと指導するのが行政です。だからこそ、大企業と政府の癒着は国民のために良い結果を生み出すことにはならないのです。戦争をも生み出す諸悪の根元はここにあります。
他国のことは良くわかるようで、敗戦国日本にアメリカは財閥解体と農地解放をして、格差の是正を図ったのです。お陰様で日本国民は、戦後しばらくは民主主義的な平和で幸せな日々を過ごせたのです。しかるに現代といえば大企業のスーパーの地方進出により、全国の商店街が壊滅的な打撃を受け、各地にシャッター通りと呼ばれる商店の死骸というべき光景が見られるようになりました。
以前は「屋台から始める」という言葉がありました。先ず最初はささやかな小さな店から始め、まじめにコツコツと働いていけば、一端の店を誰しもが持てるということです。今の時代、若い人達にそのような自立の夢が持てるのでしょうか。老舗の店でさえ、青息吐息の状態なのに、若い人に街中で新規の商売などできるはずもありません。勤めに出ようとしてもパートタイマーか派遣社員です。お金がある人種だけがますます儲かる現代のシステムに、若い人達は夢を失っているのです。そしてこのがんじがらめの世のシステムに変革を望んでいるのです。でもそのように思っても何が出来るのでしょう。不思議なことに、近頃日本では大規模のストライキやデモが起きません。そのような国民運動がなくなって政府や大企業は喜んでいるのでしょうが、これは大変不気味なことです。内在された不満が鬱積されているのですから。若い人達にはこの世の中、ひっくり返ればいいという思いがあるのです。ひいてはその思いが、戦争でも起こればいいという考えに結びついていくのです。良識ある人々や年配の人達は、戦争なんて絶対反対と思っているのですが、この格差社会というものは、決して人間を幸せにはしないということを認識しなければなりません。
空想マニフェクトE
今世界を覆っている金融危機は、アメリカに端を発したサブプライムローンだと言われています。土台この言葉からして気に入りません。低所得者向け住宅ローンとは何でしょう。金を持っているものが、貧乏な人達に住宅を売ったのは良いのですが、金利やローンの支払い方法に無理があったため、返済ができなくなって焦げ付きを起こしたと言うのです。何と、そうなったら全世界に影響が及んだと言うのです。つまりアメリカの住宅を作るのに全世界から利益の上がる投資と言っては膨大な金を集めていたのです。金の有り余った人達がもっと儲けようとしてマネーゲームを仕掛けてくる、何か健全な気がしません。名前も低所得者向け住宅ではなく、市民住宅とか国民住宅にすべきでしょう。低所得者向けとは、金を持っている人から見た差別的な言葉使いではないでしょうか。少なくてもマニフェスト(政策)の根本は、国民の平等でしょう。一部の金持ちを作るのではなく中産階級を増やすことを目指すべきです。日本でも格差のバランスが崩れ始めています。日本は世界有数の金持ちだなどと言っている政治家がいますが、その通りでしょう。しかし、住む所や職場を失った人、低賃金で暮らしに喘いでいる人達も増え続けているのも事実です。その中身は決して外に向けて誇れるものではありません。
企業人は際限も無く利益追求に走る習慣がありますが、企業成長には適正限度というものがあります。管理や効率に良い大きさがあるのです。そのことを見極めなければ大きくなりすぎて、恐竜のようにいずれは絶滅の危機にさらされるでしょう。今アメリカではビッグスリーと言われる自動車メーカーが存続の危機にさらされているそうです。かつてはこんな時には日本のメーカーが進出してきたからだと言われたものですが、この度はあまり騒がれません。当然でしょう、メーカーは日本名でも中身はアメリカですから部品の大半はアメリカで調達、働く人もアメリカ人、デザイン、事務所もアメリカです。基本設計やノウハウは日本でもそれ以外はみんなアメリカなのです。会社も大きくなりすぎると多国籍企業と言って何処の国のための会社かわからなくなってきます。税金は席を置いている国に払うのでしょうが、私の考えではこういう企業は大きいというだけで、さほど日本のためにはなっていないように思います。大きいことは良いことだと思っている人が多いようですが、もうそろそろ地球のためには、世界規模で産縮を考えなければならないところにきてしまったようです。
今回の世界的不景気の原因は、生産過剰からきているのです。自動車一つとっても今まで、いけいけ、どんどんで世界各地に工場を建てすぎたのです。ここにきてピタリと車が売れなくなるのは車が全世界に行渡ってしまったので、前ほど必要とされなくなったのです。携帯電話と同じです。国民全体に行渡ったので、かつてのような販売競争の勢いはなくなったのです。すべての工業製品は飽和状態になっているのです。そこにサブプライムローンと言うクシャミがきっかけとなり、世界中が大騒ぎになっているのです。無学な私でさえその辺までは読めるのに、不思議いや不気味なのは経済学者といわれる人や各先生方が予測や先が見えていたはずなのに、マスコミや表に出てこなかったので、多くの国民が大切な情報を知らされていなかったということです。今こそ政治の指導力が必要とされている時はありません。何十年に一度訪れる時代の袋小路、かつてはその閉塞感を打ち破るために戦争という道に突っ走ったこともありました。戦争になれば軍需産業が立ち上がり、産業界がフル生産状態になります。また、そこから生み出されるものは、破壊を目的とするものです。各地で戦争という破壊行為が行われれば、再生のための生産活動が必要となります。自己の利益のみを考える企業人は、またそれも良しとする人もいるかもやしれません。戦争の歴史を重ねてきた人類。もういいでしょう。私たちの時代で戦いの歴史にピリオドを打って、平和への歴史を模索しなければなりません。共生への道を歩むのです。
空想マニフェストF
地球温暖化、環境破壊、格差社会、この二十一世紀の世界が抱えている問題をどう解決していったらよいのでしょうか。それは共生主義しかないでしょう。共生とは何と共生するのでしょう。それは人々と共に神と共生するのです。神様、それは何だということになりますが、ここで言う神とは宗教で言う神ではありません。宇宙の真理とか自然の法則という意味です。自然科学的に考えて、解決の道を探っていくということです。たとえばエネルギーにしても、もっと太陽光とか風力を利用します。風力とか水力においても今までは電気に換えるという発想しかありませんでしたが、水力の力をそのまま動力に利用するとか、ボンベに圧縮空気を溜めて、自動車を走らせるというようなことです。考えて見て下さい。日本は稲作の国です。現在は全国何処でも灌漑用水路が整備されて、コンクリートになっています。その安定した水の流れを利用すれば、至る所に水車を幾らでも取り付けることが出来ます。そこから得られるエネルギーは膨大です。
私たちが働き生きていくという原点は何でしょう。それは食べるということではないでしょうか。農業こそ、農業生産こそが、人間の生活の基本なのです。それも化学工業的な発想ではなく、天地自然の理にあった農業を研究、実践すべきでしょう。自然科学的にリサイクルを考えるなら、人糞でさえ、水で流して終わりにするのではなく、今の技術を持ってすれば、合理的な再利用ができるのではないでしょうか。この地球という星は、宇宙に浮かぶ宇宙船です。人類は共存していかなければなりませんし、大きいと言えど、スペースに限りが有ります。つまり人口問題です。これを世界規模で科学的に検証してコントロールしなければなりません。いずれ世界共和国を作らなければいけなおのではないでしょうか。
現代はグローバル化をていしょうされていますが、グローバル化は情報だけで結構です。各地域、各民族のそれぞれの文化を大切にするべきでしょう。これからの地球は、大国を必要としてはいません。むしろ農業を主体とする文明を目指すならば、その土地や民族などに地方色豊かに細分化したほうが、人間的というべきでしょう。人間はより高みを目指すから問題が起き苦しくなるのです。金や権力を得て幸せのなろうとはせず、始めから桃源郷を作ればいいのです。もともと人間は、コンクリートジャングルや高層ビルに住むようにはできていません。小川の流れる緑の草原や、里山といわれるような所に肉体や精神に喜びや安定を与えてくれるのです。都会がだめだと言っているのではありません。都市開発をするにしても、経済優先にするのではなく、人間の生活を優先すべきでしょう。主人公はあくまでもお金ではなく、人間なのですから、未来の都市は、緑が多く、小鳥や小動物とも共生できて、水辺には渡り鳥もやって来るような。田園都市が理想とされるでしょう。
色々と書いてきました空想マニフェスト、全くの私の夢物語でしたが、書き込んでいるうちに、いやもしかして、いずれこの空想マニフェストは必要とされる時が来るかもしれないと思うようになりました。なぜならば人間というものは、頭や心であれこれと思っても、本当に困らなければ行動に移すことができません。地球温暖化の問題も、川の水かさが少しずつ上がっていき、ある時点を過ぎた時、いきなり堤防が決壊するようにしてやってきます。もうその時では遅いのですが、そのような状態にならなければ人間は気付けないのです。その時にはもしかして今現在では夢や空想に過ぎない共生主義の思想が役に立つかもしれません。