桜塚

よく晴れた秋の日。特に当てのないままカメラを抱えて旅に出た。喧騒か ら逃れるように山に向かって車を走らせる。だんだんと住宅が疎らになり、 変わって畑や田んぼが増えてゆく。道の両脇に広がる刈り入れの済んだ田ん ぼが、何時の間にか狭い、棚田へと変わってゆく。国道を走っていたはずが 徐々に道幅が狭くなり、やがて砂利道に変わった辺りで少し不安になる。 山の斜面にしがみ付くようにして数軒の古い家が立っている。 車を停めて、道の端に降り立つ。見下ろせば、まだ青さの残った稲穂が黄 金の波に見え隠れする。風が吹く。重くしなった稲穂が擦れて、シャラシャ ラと微かな音を立てる。濃密な太陽の残り香。 ふと、麦藁帽子が見えた。話をして、もしよければ撮らせてもらおうと思 う。が、なかなか下に降りる道が見つからない。 うろうろしていると、後ろから声をかけられた。 「どこんしょだね。なしたってがあとね」 ・・・・・・・・・理解不能。ころりと太ったおばちゃんが風呂敷包みを手 にして、にこやかに立っていた。 「はあ、・・・・・あの。写真を撮りたいんですが」 見当をつけて答える。気分は異邦人。 「ああ、カメラマンかね」 「いや、趣味で」 「はあー。たいしたもんだってが」 ・・・本当に通じているんだろうか。 「ついてこらっし」 おばちゃんが、てこてこと幅30センチ位の田んぼの畦を歩き出す。いいの だろうか。少し考えて、後をついてゆく。 道とも思えないところを おばちゃんは楽々と下ってゆく。どうにかつい てゆくと、まだ距離があるだろうにおばちゃんがほれぼれするような声量で 叫ぶ。 「みやのしたんしょ、そろそろお昼にしねっかねー」 麦藁帽子の人が顔を上げる。焼けた肌に深く皺が刻まれて。太股まであるゴ ム長靴にビニールの前掛けの自分の姿を見下ろすようにしてから、鎌を持っ たまま手甲で顔を拭う。 何とかその男性の所までたどり着く。もう初老といってもいいくらいのお じさんだった。 「どこんしょだね」 「写真、撮りにきたあってが」 「へえー。珍しあだね」 何と無く言っていることが分かったので、口を挟んでみる。 「そんなに珍しいですか」 「あー、いや、写真はそ、結構撮りにくらあでも、ちゃんと断ってくれるが んな いねあそ」 ・・・・・理解するのに少し時間がかかる。 「今時ねえ。全部手刈りってがんな、すっけんねすけ」 そういって、おばちゃんもおじさんもワハハとわらう。 「大概はそ、望遠レンズってがあかな。こっそり撮っていくでもそ、車の影 に隠れてるつもりんがあだろでも。三脚立って上にカメラ乗っけてるが、見 えるんが」 おじちゃんはまたあっははと笑う。 「オレラ遠視だすけ、目えいんがね」 おばちゃんが笑う。・・遠視って、目がいいのか? 笑い転げる二人を何枚かフィルムに納める。 「まあ、しょうしぃ」 そういっておばちゃんが僕を威勢良くたたいたので思わずよろける。恥ずか しがる仕種は、どこも一緒だと、変なところで納得する。 「あ、そーそ。こればあちゃんにやってくんね。豆煮たすけそ」 「いっつも、もうしゃけね」 「いあね。じゃ」 帰ろうとするおばちゃんに、慌ててたずねた。 「あ、すいません。この辺でご飯を食べられるところを教えていただけませ んか」 「ごはんー、ねえ。20キロくらい下るとあるけどね」 考える。 「うち、こねかね。たいしたもんはねえけども、お茶漬けくらい出らあね」 おじちゃんが警戒心のかけらも無しにそう言う。 「ああ、ばあちゃんが喜ばあね。そう、しゃっしい」 ・・・うーん。解らん。 そう言っているうちに、おじちゃんはゴムひもで腰に括り付けた藁束を畦に 置き、その上に鎌を乗せると田んぼから上がった。 「行こかね」 結局、おじちゃんの家までついてゆく。古い農家の造りにもきょうみがあっ た。 玄関の前で僕を待たせて、「泥をおとしてくるから」といっておじちゃん は家の裏に消えた。 ”岡野”の表札が掛っている。くの字型に建てられた家 の縁側で、大きな藤椅子におばあちゃんが座ってTVを眺めている。 「わりっけね。はいってくんねか」 おじちゃんに進められるまま、家に上がる。玄関のなかに、囲いがあって、 3羽程の鶏が歩きまわっている。コンクリートで打った土間には農具が散乱 している。 板張りの部屋はヒヤリと空気が冷たい。優に20畳はあろうかと思える部 屋のやや隅の方にいろりがある。自在鈎を辿って見上げると、黒く煤けた太 い丸太の梁がむき出しになっていた。ふと、脇を見やると薪や杉の枝が積ん である。 「こっちこねかね」 奥の方からおじちゃんが呼んでくれる。 誘われるまま黒光りする床板をわたって、戸板へ手をかける。僕を迎えた のは小さな小さなおばあちゃんだった。椅子の中央にちょこんと腰掛けて。 「お客さん」 おじちゃんが耳元で言うと、皺だらけの顔が童女の様にほころぶ。 何事か呟いて、歯のない口でニイッと笑う。聞き取れなかったが、つられる ようにして、微笑んだ。僕の手元のカメラを眺めているのがわかったので、 軽く持ち上げて見せてから、おばあちゃんを写す。 別の部屋で、まな板をたたく音がする。こんなに広い家に二人暮らしなの だろうか。 「肉も魚もねあでわりあでも」 そういっておじちゃんが出してくれた料理は豪華とはお世辞にもいえなかっ たが、山菜も野菜も新鮮でとてもおいしかった。(おばちゃんの煮豆も) 「写真、出来たら持ってきますね」 僕は、そう言った。 「だけら、四月の下旬ぐれえにきてみれあいあね。この上のお宮の桜が咲く すけ。まだ雪あ消えてねあでもね」 おじちゃんは、またワハハと笑った。おばあちゃんはおじちゃんに食べさせ てもらって、機嫌がいいのか終始にこやかだった。 突然ごちそうになったお礼を丁寧に述べて、おじちゃんからおしえてもらっ たお宮まで一度上ってみる。坂道と言うよりはがけを登っているような気分 になる。 ようやく登り切ると、狭い境内からがけに乗り出すように桜の老木が枝を のばしている。古いお宮の内部には天使の羽をもった天女が描かれていた。 秋の陽を開け放った車の窓からいっぱいに浴びた。 岡野さんに言われた通り、4月の下旬にもう一度山を訪ねる。上ってゆく と、まだ雪のあるのに驚く。田んぼも未だ半ば雪に埋もれている。所々何を 撒いたのか雪の上が黒くなっている。 まだ道が雪に覆われていたので、途中で車を降りて歩いてゆく。岡野さん を写した写真入りの封筒と、おばあちゃんが食べられるようにカステラの包 みを持って。 あの威勢のいいおばちゃんの家の前を通り過ぎ、(泥だらけのキャベツと にんじんが玄関の辺りに転がっていた)岡野さんの家に辿り着く。 玄関の引き戸を開けて、岡野さんを呼んでみるが返事はない。何の物音も しない。土間に履き物の一つも無くて、あれだけ農機具でごった返していた 玄関が妙に片付いている。少しばかりのバツの悪さに不安が勝った。 靴を脱ぐ。覗いた部屋に生活臭は無かった。 おばちゃんの家を訪ねる。奥の方から、割烹着で手を拭きながら小走りに 出てきた彼女の目も口もまんまるになる。 「まあまあ。なしたね。(どうしたの)又来てくれたがんな(来てくれたの は)嬉しあでも、具合でも悪いあかね。顔が悪いあね」 「か、顔が悪い・・・・・・・?」 「あ、もうしゃけね。顔色が悪いと言わねけんねあっけ」 やっぱり、少ししゃべりがずれてはいたけれど、あっはっは、と笑い飛ばし て、ふと、僕の手元を見る。 「みやのしたんち(”宮の下”の家)へ来たあかね」 「はい」 「あそこんちは、年の始めにばあちゃんが死んでそ」 「・・・・」 「墓参り、行ってくんねかね。すぐそこだすけ」 返事も待たずに彼女は、バタバタと線香とろうそくを取りにいってしまった。 岡野さんの家の脇を通りすぎ、お宮への坂道を まだ残っている雪にてこ ずりながら おばさんの後をついてゆく。 登山の間違いじゃないのだろうかと思える辛さに、無言になる。 お宮の下の辺り、少しばかり平らになっているところへたどり着いた頃に は、僕はすっかり息があがっていた。見上げれば、境内の桜は満開を少し過 ぎて。目の前の一つだけの墓石を淡い淡い桃色の花びらで包んでいた。 少しの疲れも見せずにおばちゃんが言う。 「ばあちゃんはね、天寿を全うしたが。綺麗な死に顔だっけ」 「岡野さんは・・・・・?」 「ああ、兄ちゃかね・・・・」 少しの間があった。 「・・・・・ばあちゃんの葬式が終わって、首つったっけね」 ゆっくりと静かに口にした言葉からは、プラスの感情もマイナスの感情も僕 には読み取れなかった. 桜の花びらが、汚れた雪と手入れされたばかりの墓石の上に等分に舞い下 りる。 そして僕は花びらに埋もれて、ただ、立ち尽くしていた。
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