砂漠を渡る船
一面のオレンジ色が視界をうめる。高速で移動して行くカメラが、
時々申し訳なさそうに緑の点を見付ける。かなりの速度で降下してい
るのだから、もう少し変化があっても良いのでは無いかと思えるくら
い、オレンジ色一色である。
モニターの片隅に映った濃紺の点が、次第に大きくなってゆく。直
径一キロ程度の居住空間である。入植した時に持ち込まれたものしか
見当たらない。
「げ、たったこれだけ?皆死んじゃってるんじゃないの?一歩中に入っ
たらお化け屋敷だったりして」
「可能性大、だな。レス、恐いんだったらお空で待っててもいいんだ
ぜ」
真っ青な、ただでさえ大きな目を落ちろとばかりに見開いたレスは、
顎を突出す様にしてそっくり返る。童顔の上に小柄なのでまるで子供
が拗ねているようである。
「僕は恐いなんて一言も口にしてないよ。あんたの方こそ、かなり緊
張してるんじゃないの。さっきから見てたらひっきりなしに自分の頭
を撫で付けてじゃない」
あんた呼ばわりされた柿崎は、頭二つ分高い所からレスを見下ろす。
彼は自分でも気付かずに頭に添えていた右手を下ろすと、片眉を引き
上げた。レスが鼻で笑うと、柿崎の眉間に縦皺が寄る。
「ほーら、自覚が無いんでしょう。あんたの癖だもん」
「二人ともいい加減に止めていただけませんか。もう、着陸します」
うんざりとした声で、操縦席にいるマークが仲裁に入った。実際はそ
れほどの事でも無いのだが、この見るからに神経質そうな男には耐え
られないらしい。事ある毎にワザワザ仲裁にはいる。肩を竦めたレス
と、眉を吊り上げて見せた柿崎は、おとなしくモニターに向かい直っ
た。
入り口のすぐ側に着陸したはずなのだが、オレンジ色の土煙が、驚
く程濃く舞い上がり、視界は限りなくゼロに近づいていた。
「うわぁ、オレンジジュースの中につかったみたい」
「溺れてみるか?腹一杯飲めるぞ。ん?」
「溺れるなんて。そんな勿体無い。あんたこそ、どんだけ美女を見っ
けられるか楽しみにしてきたんでしょ?残念だねぇ」
口の端で笑って見せるレスに、柿崎は一瞥をくれながら、肩を竦めた。
「まだ全滅したと決まったわけじゃないさ。おれたちはそれを調べに
来たんだから」
振り向くとすでにマークが宇宙服を着け始めていた。
「おっ、おい、大気は呼吸可能だし、有害物質も含んでないんだぞ。
どうしてそこまでしなきゃなんないんだ」
「移民してから20年近くになります。4千からの受精卵が運ばれた
のですから、移民の初期に何かあったと考えるべきだと思いませんか。
ですから、どんな小さな危険でも可能性は排除するべきでは無いと思
います」
マークは柿崎を見もしないで事務的にそう言った。
「・・・・・・僕も、最低限酸素マスクとゴーグルは必要だと思うよ」
未だ土煙でスキャン画面になっているモニターを眺めながら、レスが
呟いた。
「へーへ、わかりました」
いかにも面倒くさそうに宇宙服をき始めた柿崎に、マークが銃を手渡
す。
「通信不能、スキャナーも壊れていないとすれば・・・・、厄介な事
になるかも知れませんから」
「僕は?ここで待ってるの。それとも一緒に行こーか?」
「二時間後に一旦戻ってきますから、待っていてください」
「了解」
まじめな表情を作って、そう答えたレスだが、何か企んでいるらしく
その口元がにやりと崩れる。以前、水中年を調査に行った時は、シャ
トルの中が採取した藻類のケースで一杯になっていた事があった。
「余計なものを持ち込むなよ。前みたいに積載量オーバーは嫌だから
な!」
「えー、何の事ぉ」
「お前の小遣い稼ぎのことだよ」
柿崎は言い捨てると、本船との通信機に手を伸ばした。
「こちら柿崎、今からご訪問といきます。返答はありましたか?」
「相も変わらずですよ。お気をつけて」
落着いた中年女性の声が、柔らかく響く。柿崎は通信を切ると、すで
にシャトルを出たマークの後を急いで追った。
外から振り返ると、窓からレスがにこやかに手を振っていた。柿崎は
歩幅を広げてマークに追いつくと、送信を個別設定にして、呟くように
言う。
「あいつ、何か間違えてると思わんか」
「私は、あなた方がけんかをするより、よほどましだと思いますが」
小さく溜息を吐くと、柿崎は唐突に話題を変えた。
「通信装置が壊れたとして、自動修復が効かないって事は、マザコンが
死んじまってると思うか?」
「そうかもしれませんね・・・・・どうでもいいですけど、その、マザ
コンって略しかた止めていただけませんか?」
「通じるんだからいいじゃん。じゃ、絶望かな」
「人間は結構逞しい物だと思っていますが」
扉の脇に張り付いた柿崎は、小物入れから身分証明のカードを取り出し
て、向こう側に付いたマークに振って見せる。
「取りあえずは、このカードの権力が通じる所だと良いな」
ヘルメット越しに、マークがしごく真面目に肯いてみせる。
「じゃ、行きますか」
あっけないほど扉は簡単に開いた。中からは何も出てくる気配は無い。
二人は滑り込むようにして、内部に踏み込んだ。そして、しばし絶句。
「・・・・・なんだこりゃ」
二人の目の前には密林が広がっていた。樹脂の壁を突き破り、セメン
トの通路に根を食い込ませて枝葉を繁らせる樹木。さらにそれに寄生し
ていると思しき蔦が絡まりあって空間を埋める。見通しの全く効かない
薄暗い茂み。異様なまでに静かだった。
いつ、背にした扉が閉まったのか気付かなかった。植物に侵食されて
いないのは、外壁にそった僅かな隙間のみ。
「ライトが必要ですね」
「あと、ナイフもな。銃器類じゃどうにもならねぇ」
「取りに戻りましょう」
「レスに持ってこさせりゃいいさ。これを見たら、喜ぶぞ」
「仕事にならないと思いますが」
「確かに。戻るか」
二人がきびすを返そうとした時、奥の方でガサリと音がした。追って
行こうとする柿崎の左手をマークが掴んで押し留める。
「取りあえず、戻りましょう。このまま進んでも身動きが取れなくなり
ますよ」
渋りながら、もっともな言い分に柿崎は扉へと向かう。
入ってきた時同様、音もなく扉が開くと、そこにはにこやかに微笑む
レスの姿があった。両手にはナイフとライトを持って。
「・・・・・・どうして」
「ふふん。僕が黙って待っていると思ったの?ザンネンでした。二人の
ヘルメットにカメラをつけてあるもんね」
・・・・つまり、記録用とは別にという意味でだ・・・・・
「手回しが良くって、有り難いこった」
「そうでしょ。精々感謝してよね」
ナイフを手渡しながら、得意げに言う。柿崎は手の中で短めのナイフを
もてあそびながらうんざりとした表情で告げる。
「草刈り機か、もっと大振りの刃物でないと意味がないぞ。護身用じゃ
ないんだから」
「しょうがないでしょ。あるだけマシなんだから。上までいかないとそ
んなの無いよ」
再び緑の中から、ガサリ、と音がする。柿崎は、反射的に振り向くと
一瞬の間を置いて、ナイフから銃に持ち替えていた。緊張が走る。そっ
と一歩横に動くと、さりげなくレスを背に庇う様に立つ。壁際はともか
く、照明の届かない茂みの中へと視線を走らせる。後ろ手でレスからラ
イトを受け取ると気配のする方へとライトを向ける。闇を丸く切り取っ
たそこには、大きな丸い瞳が二つ。一瞬のきらめきを残して、それは闇
に消えた。
マークだけならまだしも、レスもいる今、柿崎は気軽に動けない。周
りに気を配りながら、手で表へ出るように指示する。
残りの二人は無言でそれに従った。そっと後退し、ドアに張り付く。
柿崎もゆっくりと下がって行く。茂みに視線を残したままの柿崎の目の
前で扉が閉じる。マークが大きく溜息を吐いた後、自問する様に呟いた。
「あれは・・人間・・・じゃ、ないですね」
「そうだな。あの目はでかすぎる」
柿崎はそこで一旦切ると、レスの方を向いて、言葉を続けた。
「お前の倍はあったぞ」
「人間じゃないんでしょ。じゃ、どんなんだって有りなんだから、別に
かまわないじゃない。昔、すごいのがあったじゃない。ほら、メスは人
間そっくりでさあ、雄なんてほとんどお魚。あれの交尾風景なんて見せ
たかったよぉ。エグイの。水から上がってさ、こう、口の奥から触手を
伸ばすんだけど・・・」
「興味無い」
短く言い捨て、ジェスチャー入りで説明を始めたレスに背を向けると、
大股にシャトルに向かう。
「もーっ、待ってよっ」
マークは黙ってついてくるのに、レスは小走りになりながら、それで
もしゃべり続ける。余りの煩さにレスからの音声を最小にして、シャト
ルに戻ると母船を呼び出した。
「お早いのね。いかがでした?」
「草刈り機を用意してくれ。・・・・一見の価値があるぞ、あれは」
投げやりにそう言った柿崎に対して、戸惑った女の声が返ってきた。
「草刈り機って、何ですの?」
「え・・。ああ、トゥライファはコロニー育ちか。都市育ちも見る機会
は無いだろうしな・・・」
ということは、実物を見た事があるのは・・・俺とレスだけか?
これは呟き。
「これから一旦、帰還します」
そういって、通信を切った。
「そうですか。貴方に任せます」
柿崎の報告を聞き終わると、船長はそう言ってふわりと微笑んだ。みとれて
しまうほどの美形。この船の乗員で、一番に綺麗なんじゃなかろうか。もう20
年くらいトップクラスにいる女優と瓜二つの・・・男。整形なしが密かな自慢
らしい。
飾り物だともっぱらの噂。何が起ころうと怒るわけでもなし、特に行動しよ
うという様子もない。しかしまあ、本当に無能なら、この船が5年も政府委託
のこんな仕事を続けてはいられないので、それなりの力があるんじゃないか、
とも思う。たとえそれが親の力かもしれなくとも。
「先に食事をしてきます」
そう言ってマークと一緒に食堂に向かう。レスは何をしているのか、姿を見な
い。
「ジュン、杭打ち機って、わかる?」
食堂で顔を合わせた途端に、ソフィアが聞いてきた。ジュンなどと呼ぶのは
彼女しかいない。もっとも、淳一郎という名前を知っている人間が船長以外に
いるとも思えないのだが。
「調べてみた?」
「それでも、意味が通じないの。スラングなのかしら」
いいながら、暖めたミルクを両手で包むようにして回している。
大概、彼女がそういった事を聞くときは。
「どうせ、古代音楽の類なんだろ。前後の歌詞はおぼえてる?」
言い終わらないうちにソフィアは歌い出した。高く澄んだ、文句の付け様の
ない美声で。ふっくらとして可愛らしい顔が、柿崎を覗き込む。が、尋ねられ
た方は答えるべきかどうか悩んだ。(相手が相手だけに)ソフィアは、結構過
激な歌が好きである。そのくせ、鈍いというか初心というか・・・・。
「えーとぉ・・・、男性自身のことだね」
反射的に俯いたソフィアの真っ白い肌が耳元から紅に染まって行く。
「ありがと」
それだけ言うと、ソフィアはテーブルに飲みかけのミルクを残して食堂を出
ていった。
(喧嘩にでもなれば容赦なく蹴り上げるくせに!)
「あーあ、お子様をからかったらいけませんよ」
さっきまで存在を消していたマークが、料理を運ぶ合間に聞こえがよしに言う。
柿崎は端末に注文を叩き込みながら、呟いた。
「(そう思うんだったら)あんたが答えりゃいいだろう」
柿崎の言葉にマークは冷たい視線を返しただけで仕事の話に入った。
「さっきは銃を使わずに済んで良かったですね。ドーム内は、酸素濃度が25%
近くありましたから」
「先にそれを言ってくれ」
「スーツの表示を見たら判ると思いまして」
・・・・・一回こいつを殴ったら、すっきりするだろうなぁ、なんて狂暴な思
いは飲みかけのミルクのカップと一緒に隅っこに押しやって、待機していたワ
ゴンから、次々と料理をテーブルへと上げる。
「よくそんなに食べられますね」
目を見張るほどの勢いで皿を片づけてゆく柿崎に、呆れたようにそう呟く。実
際呆れているのだろうけれど。
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