草海

  甘やかな風が草原を渡る。色を揃える草の葉が風の行方を教えてくれる。
眼下に広がる一面の草海。視界を埋め尽くす緑に一時のめまいを楽しむ。

  この船を下りる前にもう一度、見てみたかった。人を飲み込み、その知識
さえ己のものとしたその、存在がどう育ったのか。

「柿崎・・・」
船長が気遣うように、声をかけてくる。特権階級の人間として老化遅延措置
を施し、未だ20代であるかのように見える彼は、少なくともその2.5倍には
なっているはずであった。相変わらず見とれるような微笑みを浮かべる船長
の外見にだまされる輩はいかほどか・・。私もその一人になりかけた。船長
は”飾り物である”と。
「J、大丈夫です。私一人のために、ありがとうございます」
10代で初めて船を持ち、船長と呼ばれるのを嫌った彼は、最初の乗員には”
J”と呼ばせていた。だが、そう呼ばせた初代の乗員で残ったのは、私一人。
それも、今回で終わる。
船医のリィは、・・そう、同じ特権階級であったようだ。彼女が年を取って
ゆかないのに気づいて、はじめてそれを知った。それを尋ねた事もある。だ
が、逆に聞き返された。
「気になるのか?ふむ」
少し考えて、リィは答えてくれた。
「私は、そうさな。Jのボディガード兼、主治医・・だな。だから、可能な
限り一緒にいる。それが私がこうしている意味なのさ。その為に教育されて
きたのだから」
最初、リィは男性にしか見えなかった。鍛え上げたその体に似合いの言葉使
い。いつからか物言いはそのままだが、そう、全体の雰囲気が艶めいてきた。
相手はとうとう分からず終いだが。
  3代目のこの船では、この巨体にも関わらず、実に優雅に大気圏突入をし
てみせる。よほど地形に無理がなければ。離着陸艇が必須だった1代目にく
らべてしまう。年をとるのも無理はないな・・・と、ふと自分を思う。

  地上に巨大な影を落とし、微妙な風を計算し、その船体は静かに中空へと
止まっている。見上げても、光を遮る船体の下腹しか見えない。大振りのイ
ヤリングにしか見えない船のコントローラーをつけて、船長とリィが隣に立っ
ていた。
「ここなんですね。最初の地点は」
あの時、私はまだ20代の始めだった。オレンジ色の大地。離着陸艇は砂煙
に迎えられた。視界ゼロ。一旦、解析を通さずに”見る”のは不可能だった。
ゴーグルのモニター部に映し出される記録を頼りに過去辿るように一歩を踏
み出した。
  ザワ・・と、風以外の異物によって押しのけられた植物がささやかな抗議
の声をあげる。だが、数歩と行かないうちに、心持ち緑が分れていくように
感じられた。歩を進めるうちにそれは確信に変わる。モニターの記録とその
道筋は一致してゆく。両側に分れた植物は立ちあがるように上へと伸び上が
る。かつて、コロニーの入り口のあったはずの場所の前で立ち止まった。
  以前が想像できないくらいに壊れ果て、所々に草の中から残骸が覗く姿は
まるで沈没してゆく船のようだった。役目を終えた船は草海へと埋葬される
のか。
  伸び上がった植物が、上部で繋がってアーチを作る。それは案内をするよ
うに奥へと伸びてゆく。ヒールの高いブーツ(・・・いまさら何も言うまい)
のJと妙に重装備のリィが一言も口にせずに後をついてくる。
  彼らとて、会いたいのだ。砂漠からこの緑の星へと時間を渡る船として、
この命の種を乗せた箱船の船長に。

  アーチが行き止まる。ドーム状に広がった中心部には一抱えはありそうな
緑の固まりが据えられて。若い男性が一人、私たちを待っていた。
「ようこそ。おひさしぶりですね」
愛想良く、ほほえむ。
「お会いしたことがありましたか・・?」
困惑を隠すつもりも無い。
「以前にお会いしたときの体はここに保存してありますが・・」
緑の固まりに手を添えて、答える。
「これは、若いときの体を再現したものです。お見えになる方と話し易いよ
うにと思いまして」
彼は、そう、植物なのか、それとも人間としてのノアなのか・・・?
「もう、区別がつかないほどに私は同化しています。見て下さい。これが私
です」
誇らしげに彼は、両手を広げた。

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