♪おも「い」うこと
言葉って本当に不思議。「こ」と「う」とちゃ」を音として発するだけで、それを聞いた者の身体の輪郭のなかに含まれるどこかに、”存在”するようになる。「無い」を「在らせる」力、それが言葉。
「無い」を「在らせて」しまうことができる。それはもろはの剣。私達はコーヒーを想いながら「コウチャ」という音を発することができる。...コーヒーを伝えたいのに「コウチャ」がでてしまったのか。コーヒーを隠したくて「コウチャ」といったのか、それは知らないけれど。それを聞いた者の身体の輪郭のなかのどこかには、「紅茶」が浮かんでしまうのだ。..........それはただの「コウチャ」なのに。
その一方で、私の中、ここに浮かんでいる「紅茶」を「紅茶」という音にするのはなんて難しいんだろう。オクターブ1のラの高さの「こ」、そのシャープの「こ」、そのフラットの「こ」...どの音が私の「紅茶」に近いんだろう?あまり難しく想いを込めすぎると今度は「渋い紅茶」になってしまうし.....。私が伝えたいのは「紅茶」。「コウチャ」でも「koucya」でも、「こうちゃ」でもない、「紅茶」なの。
心から伝えたいものがあるとき、言葉の扱は未知の卵のように怖い。
と、思えば、「紅茶」を伝えたいときに「ほわん」という、「コウチャ」とは全然違う音でもきちんと伝わることがある。.....そういえば、異言語の国で、「オト」はわからないのに「イミ」はわかる。そんな経験をしたこともあったような...。
想いを伝える力が強くて、想いを受け止める力も強ければ「オト」は何でもいい?音は問題じゃない...のかな?
本当は何が言いたいの? 本当は何が聞こえてる?
想いを発する力、想いを受け止める力。
その力を、きちんと、はぐぐんでゆきたい。
そうすれば言葉は............。
ていと あ ていと うかんではきえるあわのように