演じること、好き

演じること、好き。
なんていうかね。世界をどんどん好きになれるから。

演じる時は、その役、に、なる。はず。

でも、結局のところ。
その役の人、という存在そのものは、存在しない。
私が演じるその人、がいるだけ。
その人を私が生み出すのだとしても。
それはやっぱり私とは違う存在だから。
だから、私のできるかぎりで、その人と思われる像に、まずは近づいていく。

他者。違う。私じゃない。私と重なるところがあっても。私じゃない。
何が違うの?どう思うの?どうしてそんな様子なの?
頭で考えるのはほんの最初だけ。身体で動いてみる、声に出してみる。
そのつもりで思いをつらねてみる。かかれていない言葉をつむいでみる。
勝手に出てくる何かがある。そこに導かれて、声が、表情が、勝手に出てくる。
でも、まだまだ。それはやっと「一見」の部分が表れてくれただけ。

私ならいわない台詞、しない行動、嫌いたくなるような思い。

まだしっくりこない。繰り返す。私じゃない私。彼、彼女、それ。

私がどんなに「考えて」も、私である限りその台詞は出てこないし、行動はとれないし、その考え方ははてな。
でも彼女に、彼に、それにしてみれば、そこでそうなればその言葉がでてきて、その行為をし、その思いを抱く。

彼に、彼女に、それになってみる。


私の身体を使って、それが現れ出てくるまで。

どれだけ、本当に近づけたかはわからない。精一杯でしかない。
でも、それでも、深まっていったなにかはあって。

それが、私になって、私が、それになって。
私は私、でも彼でも彼女でもそれでもあって。
自分が消えるわけではなくて、できる限りシンクロしてその人の場所に立っている。


僕は、あたしは、俺は、わたくしは...こう。こうする。こうなる。こう。。。

彼は、こうなんだ。彼女は、こうなんだ。それは、こうなんだ。
なってみるだけ。 理解とか、知るとか、そういうのを超えた、感覚の到来。

他の、存在が、中に、受容される。
それはそうするのが自然な存在にかわる。

だから、でてくる台詞、とる行動、抱く想い。。。

役からおりると、彼女が、彼が、それが、演じる前よりずっと。。。
好き嫌いを超えて、ただ、そうなんだ、と思う。
そして、それを心の中にいれておくことが、ぜんぜん嫌じゃない。


私、じゃないものの居場所が、心の中にあること。
多分それは、外、を受け入れて、愛していける可能性。

いろんなものを演じるほど、いろんなものに触れて、こわがらずに中に入っていけるほど。
またあたらしく、世界を抱きしめていけるような、そんな気分になるのです。



ていと あ ていと うかんではきえるあわのように