議会活動報告(行政視察)
1、視 察(事案1)
@視察先(宮城県栗原市)
平成17年4月に宮城県旧栗原郡の9町1村が合併し新生栗原市となった(人口80,105人、面積804,93km2)新生栗原市の議会運営全般及び施設(市本庁、議場、消防庁舎、みちのく風土館)等について研修視察しました。
A要 旨
○広域10町村による合併が可能だった要因及び背景等多様な取組み状況について視察
○議会運営全般、対面式質問及び予算・決算審査等についての研修
○栗原市の公共施設(市庁舎、議場、消防庁舎、みちのく風土館)等の概要について研修
○新消防庁舎内の地震体験コーナーでは関東震災、阪神淡路、新潟中越震災別に体験が可能な装置の体験試乗及び広域事業について視察
2、視 察(事案2)久慈城主(久慈備前守)について
○みちのく風土館では、久慈城の戦国武将、久慈備前守直治氏(38歳)、久慈備前守政則(33歳養子)兄弟が処刑された所とされる(旧伊達藩三迫)現在の栗原市栗駒町で関係資料の展示にふれ、南部藩久慈備前守兄弟が終焉したところとされる歴史的領地に直面、九戸政実ほか七勇将が捕虜の後、処刑するための首洗いの池や八将を祀っているとされる九戸神社の由来等、久慈城主にかかわる、埋もれていた郷土史の「戦国武将久慈備前守の霊魂」は、栗駒山麓に眠っていることを知ることとなった。この地縁に研修先での唐突な巡り合わせは余りにも劇的すぎるなど、なぜこの地だったのか等、乱世の情景を想像しながらも、私の脳裏は近情久慈城主の霊魂は、所領の国、南部藩「郷土久慈市」に帰郷したいのではとの悟りにもとれる不思議な心境を抱えこんだ議員研修となった。
○街おこし・地域おこしは歴史おこしから H21.1.20(その2)追加しました。≫(その2)へ≪
時あたかも、新生久慈市は、市の顔をなる中心市街地の活性化に向けた事業が着々と進められている。
私は、視察研修顛末報告書を作成しながら、以前視察したまちづくり、街なか再生の成功事例と重ね合わせていた。その特長は、施設整備等(ハード面)に加えて、その地域、まちの個性・風土や歴史を資源とした(ソフト面)の街おこしによる合作的発想が成功の鍵と見ていたからでもあった。
現在の久慈市を歴史的に辿ることと藩制時代には南部藩として、久慈地方を治めた久慈備前守の領地を形成し、伝説のように藩住民のまち並みが形成されてきたと想像されます。まさに戦国武将、歴代の備前守久慈城主によるまちづくり物語が始まっていたとも言えます。
ゆえ、今日に至るまちづくりの主流をなしたであろう「備前の里久慈市の歴史」を辿り、激動の世を生きた武将久慈備前守は異国で処刑され、未だに伊達藩の地に眠る久慈城主の霊魂や亡骸(なきがら)を郷里に迎えるなど、久慈城跡の大川目町に始まり現在の4万都市隆盛の流れをなす先人の歴史的功績を顕彰しながら、この地方の城主と歴史上の空白を取り戻し、後世へと繋ぐ「街おこし・地域おこしのまちづくり」を市民と共に構築することこそが県北沿岸の拠点都市を創造する本懐ではとの思いを強くもった。
くしくも、九戸の乱から400年余の時を経て新生久慈市は、新しいまちづくり、中心市街地の活性化が進められている最中でもある。
これを機運に、まちづくりの原点に立つ、官と民の役割を律しながら久慈発の歴史的文献整備等「久慈備前の里にあやかる街おこし・地域おこし」を創出せんと示唆に富んだ視察となり、「久慈備前守の生涯と終焉の地」との劇的な出会いは、史実を発掘したような何とも奥義的、意義深さを得た視察研修となった。
3、視 察(事案2)
@視察先 武蔵野市
○アンテナショップ「麦わら帽子」
○コミュニティバス「ムーバス」
施設等の見聞
○国政予算委員会審議状況ほか国会議事堂
○いわて銀河プラザ(東京事業店舗)
(1)東京都武蔵野市が全国7つの友好都市及び物産品販売(アンテナショップ「麦わら帽子」)の事業について並びに平成7年、廃止代替バスや福祉バスではない交通空白・高齢者、子供等(交通弱者)不便な地域の解消を目指し、行政主導の一般乗合のコミュニティバス運行事例について視察した。
4、視 察(事案3)
@視察先 奈良県明日香村
奈良県明日香村のバス交通を通じた地域活性化の取組みについての報告
特長としては、既存の民営路線バスを延伸し観光客に対応する周遊バスと村の福祉バス、スクールバスを統合し再編(高齢者・小学生)した循環バスを運行し、且つ、バス交通施策を通じた地域活性化(中心市街地・観光地)を包括した発送をもちつつ古都保存法にもとづく景観保全と交通政策はまちづくり全体に及ぶ施策ともとれた。